
前回のパラオでのダイビングは2006年の9月でした。
ダイビングを始めて1年ぐらい経っておりましたが、雑誌等に載っているパラオの写真に魅せられ、衝動的にパラオ行きを決定しました。
しかし、この時期は西や南風になるため、ブルーコーナーなどの西側のポイントは波が高くなり、海は大荒れでした。
何とかブルーコーナーは行くことが出来ましたが、ブルーホールはとうとう行くことが出来ませんでした。
又是非行ってみたいと思っていたペリリューは天候の悪さと、私のダイビング経験本数ではとても無理との事で実現出来なかった。
ペリリューはダイビングスポットとしてパラオでもナンバーワンのポイントといわれており、流れが強く難しいが、運が良ければ次々と押し寄せる大物たちを楽しめ、南端のペリリューコーナーでは、マーリン(カジキ)に遭遇出来るとも言う、超大物好きの私にとっては垂涎のポイントである。
パラオのダイビングショップから、次回は是非、風が変わる乾期に来てくださいと云われ、以前かこの時期のパラオ行きを狙っていたのですが、やっと今回実現させることが出来ました。
このようにパラオはダイビングを通じては超有名な国であるが、歴史的に日本と深い友好的つながりを持つ国で、前回は時間的な余裕ものなかったので深く調べることもなくパラを訪問してしまったが、今回は少し勉強して行くことにした。
パラオは、大航海時代にスペイン人が訪れ、パラオを支配したが、米西戦争に敗れたスペインは、1899年にドイツに売却し、パラオはドイツ領に。
1941年、今度は第1次世界大戦によりドイツが占領していたパラオを含むミクロネシアを日本が占領し、戦後は国際連盟によって日本の委任統治領になる。
しかし、第二次世界大戦によりパラオも戦場となり、戦後はアメリカの信託統治領となるが、1994年10月に独立を宣言するとともに、アメリカとの自由連合協定を締結している。
以上のような歴史的背景の中で、特に地理的な要因で、先の太平洋戦争では日米両軍が多大の犠牲者をだす激戦が行われる事になった。
このパラオは日本軍にとってはフィリピン拠点の防波堤として、米軍側にとってはグアム、サイパン攻略の為の後方支援拠点として極めて重要な位置を占めており、また、日本軍がペリリュー島に建設した空港は、南洋諸国随一の規模を誇り、制空権を得る上で重要な拠点だった。
ペリリュー島はパラオ共和国の首都コロール島の南約50kmにあり、南北約9キロ、東西約3キロ、、珊瑚礁に囲まれた小さな島ですが、この島の西側に面したオレンジビーチ(、ここで数多くの米軍兵が戦死し海岸が血の色に染まった事から呼ばれるようになった)では、今では静かな波の音しか聞こえないこの浜辺からは想像も出来ない壮絶な戦闘が繰り広げられました。
1942年9月15日早朝、米軍がオレンジビーチよりペリリュー島上陸を開始しましが、日本軍守備隊の抵抗は非常に激しく、2ヶ月もの間激しい戦闘が続きました。
が、結局、1944年11月24日一万強の日本軍守備隊全体を率い中川大佐(自刃)は「サクラサクラ」の電文を打電し玉砕し、米軍も1万人近い死傷者を出し、太平洋戦争史上最悪の戦闘とアメリカでは言わることになった。
島の人達は、戦闘前に全員がコロールやバベルダオブ本島に疎開させられており、島民の人的被害はなかった。
戦後、島に戻った島民は変わり果てた島の姿と累々とする日本兵の遺骸にぼう然としたという。日本兵の遺骸を集めて、手厚く葬ったのは島民であった。そして日本人がいつ来てもいいようにと、墓の掃除を今でも欠かさないと言います。
パラオの国旗はご存じでしょうか? 1994年にアメリカの統治より独立したパラオは国旗を日の丸に似せて造りました。
黄色い丸は月を、背景は青い海を表します。
しかし月が中心より少しずれていることにお気づきでしょうか。これは日の丸と全く同じデザインにしては日本に失礼だからとのパラオの配慮です。
しかし月が中心より少しずれていることにお気づきでしょうか。これは日の丸と全く同じデザインにしては日本に失礼だからとのパラオの配慮です。
ドイツ、アメリカにも統治されたパラオですが、日本の統治時代は厳しかったが、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残し、パラオの人々に大変な信頼を受けたのこと。
パラオの日本への信頼は何よりもパラオの国旗が雄弁に語ってくれています。
ダイビングを始めて南の国々へ行く機会が増えました。
どこでも旧日本軍の戦跡を目にし、当時の話を聞くことがあります。
戦争と云うことで、厳しく、残酷で悲惨な面も多くありますが、遠く日本を離れ、補給もおぼつかない国々で、その国の事を想いつつ、産業、教育などの発展に大きな功績を残した日本人も居たという話を聞くにつれ、本当に頭が下がる思いがします。
ダイビングを通じて、環境保護への意識付けとともに、友好の輪が、より大きく強くなるように、私なりに小さな努力が出来ればと思う今日この頃です