My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2008年10月

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ある旅行誌にバリ島の紹介にこうある。

「無限の魅力を秘めた、神々が棲む楽園・バリ島 島民の約90%が信仰するバリ・ヒンドゥ教に基づいた伝統文化。

洗練された舞踏や絵画、黄金のような音色を撒き散らすガムラン音楽、そして色とりどりの供物で飾られた荘厳な宗教儀式は、
訪れる人を魅了してやまない。

豊かな自然にも恵まれ、美しい曲線を描いて広がるライステラスや緑深い渓谷など、
風光明媚なスポットも枚挙にいとまがない。・・・・・」

 
先月、コモド諸島ダイブサハリで始めてインドネシア・バリ島を訪問した。

インドネシア、バリ島のほんの一部を垣間見ただけだが、
今までダイビングで訪れた多くの南の国々と、
何かが違う、何かが心を惹きつけ、わくわくさせる雰囲気を、飛行機を降りたその時から、感じさせられる国だった。

これはやはり、インド・ヒンドゥー教がバリ固有文化と融合したバリ・ヒンドゥ教とイスラム、キリスト、仏教などがさらに交じり合い、
かつ300にもなる民族の多様性が作り出した伝統文化の魅力と神秘性が我々に何か違ったものを感じさせるのであろう。

今回の旅行は会社の親睦旅行で6泊7日の短時間だが、
バリ島からすぐジャワ島の古都ジョグジャカルタに飛び、ポロブドゥール遺跡、プランバナン遺跡、ラーマヤナ舞踏、サルタン王宮などを観光し、
バリ島に戻りペサキ寺院、キンタマーニ高原、ウブド、タナロット寺院などを観光する、すごく欲張った予定だ。

本当に強行軍、体力持つか心配。朝早くのポロブドゥール夜明け観賞まである。

しかし、前回のインドネシア訪問はダイビング中心で、殆ど何も見ていないので、今回の旅行で、
前回感じた、私の、インドネシアへ感じた第一印象が正しかったどうか分かると思うが、予感では、
どうも、ますます嵌ってしまうような気がしますが・・・

勿論、親睦旅行と云えども、ダイビングの絶好ポイントが数多あるバリ島に来てダイビングをしない手はないと、
たった一日だけですが、ダイビングのスケジュールを詰め込みました。

今考えているポイントはヌサペニダエリアです。

ダイバー憧れのヌサペニダ。バリ島屈指の透明度を誇り、大物も期待大!!

バリ島の南東沖に浮かぶ島「ヌサペニダ」。

このエリアは、ペニダ・レンボガン・チュニンガンの3島から成り、
バリ島内で一番透明度が良く、 
大サンゴ礁、色あざやかな多くのチョウチョウウオから、マンタ・マンボウ・ナポレオン・ウミガメ等に、最も遭遇確率の高いポイントです。

ここは、夏の時期、バリ島では乾季のシーズンにマンボウが現れる事で有名です。

世界中のダイバーが、マンボウを見にやって来ます。
巨大マンボウとの遭遇は圧巻です。

ダイバーなら誰もが見てみたいと思う魚のひとつがマンボウで、私も是非、このマンボウをじかに見てみたいと思うダイバーの一人です。

しかし、マンボウだけではありません。
その他大物では、ロウニンアジやイソマグロ、ホワイトチップシャーク、ウミガメ、
そして周り一面には見事なサンゴ礁に数々のリーフフィシュが戯れているバリ島では屈指のポイントです。
ただ、潮の流れが速いく、水温が低い20℃を切ることもあり、要注意だ。

ヌサペニダで思い起こすのは対岸のサヌールで、
ここは、現在バリ島屈指のビーチリゾート地のひとつだが、
古くからバリ島のカースト最高位のブラフマナ階級の人が多く住んでいた。

又、西洋の芸術家が好んでこの地を訪れるようになり、サヌールは高級リゾートとして発展していった。

が、しかし、一方で太平洋戦争における日本軍の南方進出に際しては、
ジャワ島攻略の足がかりとして1942年2月19日にバリ島のオランダ軍飛行場占領が行われたが、
サヌール海岸は日本軍の上陸地点となり、
翌20日米、英、蘭の連合軍とのバリ島沖海戦もこのサヌールが基点だ。

戦後、1966年に日本の戦争賠償金によりバリ島で最初の5つ星ホテルである、
バリビーチホテル(現ザ・グランドバリビーチ)がこの地に建てられ、発展に大きく寄与した。
このようにここは、日本と繋がりの強い場所なのだ。

さらに、戦後、インドネシアのオランダからの独立を、
多くの旧日本軍兵士が援助したことから、オランダは多くの日本軍人を戦犯として処刑するなど、
オランダはヨーロッパで最も反日感情の強い国の一つとなり、
1971年の昭和天皇のオランダ訪問の際には卵が投げつけられ、
1986年にはベアトリクス女王の訪日が世論の反発により中止となる様な事も起きた。

が、しかし、戦争という、悲惨なつながりがあったが、今は日本とインドネシアは経済、文化とも強い絆を持ち、共存共栄の間柄となっている。

今回インドネシアを再訪問するにあたり、
観光地を訪問するだけでなく、両国のつながりをさらに深く理解できるものに触れられればと思います。

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政府は21日、地球温暖化対策推進本部において、「排出量取引の国内統合市場の試行的実施」を決定し、参加企業の募集を開始した。
と新聞記事に出ていた。

すでにEUは取引を始めており、今まだ「試行的実施」と憤慨する人も居るようだが、
これには色々事情があるようで、待ったなしの環境改善だが、
大儀名文の元、欧米の列強の思惑が見え隠れする「排出量取引」について少し調べてみることにした。

 排出量取引が有効とされる理由は,ある国(企業)が自ら温室効果ガスの削減対策を施すよりも,他の国(企業)から排出枠を購入した方が,コストを抑えられる事があるからである。

市場原理を利用して対策を促進すれば,企業の自主的な取り組みに任せるよりも,全体の削減目標を確実に達成出来るという考え方である。

そう簡単ではない。課題は色々ある、

まず始めに削減義務の割り当てである

1997年に発効した京都議定書における日米欧の削減義務は、
第1の約束期間である2008~2012年に、1990年比で温室効果ガス排出を、
日本は6%、アメリカは7%、EUは8%減少させるという内容であった。

( この目標の割当が、科学的な知見が十分に活かされず、現実的でなかったことは、今や、認識されているが)

04年10月の経済産業省による日米欧のCO2排出削減の平均費用(ドル/トン)は

  2010年 日本180、EU130、米国60
  2020年 日本145、EU75、 米国120
  2050年 日本145、EU80、 米国14
と試算している。

 国の技術状況により、排出削減するにも費用が違うのだ。
削減費用の高さはそれに対するそれまでの投資に対応しており、例えば、OECD諸国のエネルギー分野への研究開発投資がGDPの0.03%以下であるのに、日本では0.08%であった。

 2008~2012年に国内的な努力だけで削減義務を達成することができなければ、その不足分は他から京都メカニズムといわれる排出量取引等で排出枠を調達する事で賄う必要がある。

 日本の現状は、2006年に温室効果ガスの排出が13.4億トンであって1990年比で6.4%増加しており、分野別には産業部門からの排出は5.6%減少しているが、業務部門は42%、家庭部門は30%と民生部門が運輸部門と共に大幅に増加している。

 これに対して、政府の計画は全体として国内の排出削減で
7.0%、森林吸収で3.8%、京都メカニズムで1.6%という内訳で6%の減少義務に対応していく計画だ。

 EUは2008~2012年に京都メカニズムで排出枠を購入することはないと見られている

一方、日本での排出枠の取得予定量は、2008~2012年の間に、日本経済団体連合会の業界では計2.1億トンが契約済みであるとされ、
これ以外に国としての枠1.6%の5年分の約1億トンが必要である。

 1トンの価格を15~30ユーロとすると、これらの費用はおおよそ8000億円から1兆6000億円と試算される。

 今まで省エネ等に努力してきた日本が大金を払って排出枠を購入する必要があるのに、EUは旧東ドイツの遅れたころがあるため、比較的容易に達成出来るのだ。
削減義務の割り当不公平さの所以である。

次の問題は技術開発促進への弊害である。

1990年比でCO2を2050年に半減するためには、現在の技術進歩がそのままであるとすればGDPを79%減らして21%にする必要がある。

このような厳しい目標を達成するには、革新的な(例えば、移動手段に馬車しかなかった時に、飛行機が開発された様な)技術開発が必要である。

排出量取引では絶対目標は達成出来ない。

排出量取引のモデルは、費用の高低を比較するだけであるため、かえって削減する目標に反する取引を行わせて、
技術が進んで削減費用が高い企業の活動を抑制することの方を良しとすることになる。

一方で、技術開発が遅れて削減費用が低く、その枠を売って利益を受ける企業にとって、あえて削減を進めて費用の高い技術開発を促進するようには作用しない。

このように、この取引制度は技術開発政策において意義をもたない

もうひとつはマネーゲームの再来だ。

 排出量取引は所詮それ自体がマネーゲームであるといえるので、取引制度を導入するがマネーゲーム化は防ぐということは難しい。
規制と市場の活性化は相反するもので、例の欧米の金融システムが作り出したサブプライムローンの再来と心配する人も多い。

「マネーゲームが排除される、健全な、実需に基づいたマーケットを作っていくことが重要」であると言われているだけで具体的な良案はない。

現在の世界恐慌を招いたマネーゲームがまだ終焉しない中、
懲りずに再び実体のないものの取引のシステムを開始することは、今回大きな損を経験した私としてはじっくりとやって欲しいと思うのが本音だ。

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楽しいコモド諸島ダイブサハリから帰国してからは、戦後最大の世界金融危機の荒波にもろに巻き込まれ、翻弄されっぱなしの1週間でした。

コモド諸島でダイビングをしていた先週は、携帯電話もつながらない、自然の中でのんびりと平和な生活(実際はアメリカ発の大暴落が月曜日から始まっていた)をしていた。

金曜日、デンバサールについて携帯がつながり、月曜日からの経済変動を知ったが手の打ちようもなく今回の旅行の締めくくりとして、ケチャックダンスとエステを楽しんで、帰国した。

帰国してからの月曜日からは、毎日、毎日下がる株価に、イライラ、ヒヤヒヤしながらも、日経平均の10,000円は堅持してくれるものと期待していたが、あっさり突破され、信用取引での“追証”の対応に追われる日々となった。

 注:追証
信用取引における追加保証金のこと。建玉の評価損や代用有価証券が値下がりしたことによる評価損額等により、当初に差し入れていた委託保証金からその必要保証金や評価損額等を差し引いた額が一定の水準を下回った場合に、その水準を満たすだけの金銭(または代用有価証券)の差し入れが必要になる。追証の差し入れは翌、翌営業日の正午まで入れないと強制的な信用株の清算がされる。


超簡単に言うと、手持ちの株(信用で購入したもの及び保証とした自己株)の評価損が大きくなったから、その分現金を振り込めということだ。

月曜、火曜(7日)との損失は、普通預金の取り崩しでしのぎ、まさかの対応のため投資信託の解約手続き(現金化は4営業日後で翌週の連休後の火曜)をしておいたが、
翌水曜日、そのまさかが起きた。

「8日暴落、日経平均952円58銭安=5年3カ月ぶりの安値」
とニュースが飛びかう。

すでに前日含め4日間で1200円も下落しており、今年に入って3000円下げている中、この暴落である。

歴代3番目の下げ率で、下げ幅の大きさは18番目だという。

第一位は 1987年10月20日 米国ブラックマンデー  -14.9%
第二位は 1953年5月3日  スターリン暴落     -10.0%

この下落は私には強烈なパンチだ。 即現金化できる資産も底をつき、まさかにと解約した投資信託は来週しか入金しない。 
とても金曜日の正午までにはこの暴落による損失分を穴埋出来そうもない。

色々悩み、昨年夏には大きな評価益があったものが、一転大損失となってしまった信用株であるが、ここで全量処分し、きれいさっぱりとし、出直すことにした。

私の株式投資のスタンスは購入した株は、購入後、さらにその会社に底入れし愛着を感じるようになってしまい、
評価がプラスであろうとマイナスであろうと中々手放さない傾向がある。

今回の手仕舞いで、高い勉強代となったが、捲土重来を期して出直します。

でも何故、こんな史上3番目という程の暴落が今起きるのか、上位の「ブラックマンデー」や「スターリン」の時は突発的な要素で下落率が大きくなっているが、
今回はすでに大幅な下落があって、更なる大暴落である。

暴落のきっかけは「先物による暴力的な大量な投売り」が入り、周りの投資家がつられパニック状態になって売りが売りを呼んだ。

何か、どこかの戦略的な意図を感じるが、そうであれば社会全体に対する犯罪的行為である。

もともとパニックは起きやすい状況であった。 「恐怖指数」というのを知っていますか。

恐怖指数(VIX)とは?

アメリカのCBOE(シカゴ・オプション取引所)が作り出した「ボラティリティ・インデックス」の略称で、VIXはS&P500を対象とするオプション取引の値動きを元に算出・公表されており、
このVIXは将来の投資家心理を示す数値として利用されており、「恐怖指数」という別名が付けられています。

恐怖指数は、通常時10~20の範囲内動き、相場の先行きに不安が生じた時に数値が大きく上昇する特徴があります。

 1997年10月 アジア通貨危機   38.20
 1998年8月  ロシア通貨危       45.74
 2001年9月  アメリカ同時多発テロ  43.74
 2002年7月  エンロン不正会計事件  45.08
 2003年3月  アメリカのイラク侵攻  34.69

過去の指数を見ると、大きな出来事が起きた後は大きく上昇している。

それでは、現在のVIXというと、掲示のグラフのように今年の9月ごろから急激に上昇して、10月8日時点で60近くまで達している。 
過去最高の「恐怖」度である。

このような状況で、大量の投売りがあればひとたまりもない。意図的な策略があるなら本当に許せない。

この一週間個人ベースでも世界経済状況に振り回される一週間であったが、この年になり貴重な勉強が出来たと割り切(高い勉強代だが)次に活かしていこう。

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先月27日より一週間のコモド諸島ダイブサハリより帰りました。

関西空港からインドネシア・バリ島へ約7時間。
バリ島で一泊後、国内線でフローレス島のラブハンバージョーという町へ約1時間半。
「花」という名が付いたフローレス島の西部にあるラフハンバージョは小さな島々に囲まれた静かで美しい湾を持つ漁港。
ここから5泊6日のコモド諸島の「サザンスタークルーズ」ダイブサハリが始まりました。

コモド諸島は1991年にユネスコ世界自然遺産に登録され、その自然と生態系は厳重に保護された国立公園でもある。
ここはインドネシアの熱帯雨林気候中にありながら、その特殊な環境下から唯一サバンナ気候となっており、それら自然が織りなす風景は乾季も伴って全くの別世界。

また水中環境も変化にとみ太平洋側の北のフローレス海、南の栄養分を含んだ深層水が湧出するインド洋に挟まれた海峡中にあり、南と北で水温、またプランクトンの影響から透明度の変化も著しく、そのため海中生態系は他で類を見ないほどの豊富さだ。

今回のダイブサハリには北の北海道から参加を含め14名で、世界の海を潜りまくったつわものばかりで500本、600本はごろごろ。私の200本などほんの子供のようだ。

コモドのダイビングはワイド、マクロなんでもアリだ。
だが、珊瑚礁の美しさも一級品だ。
南部地区は温度が低いが、色彩豊かなハードコーラルが視界いっぱいだったかと思えば、美しい色とりどりのソフトコーラルが出迎えてくれたり・・・。
初めて見たシーアップルの赤や黄色は、ハッキリした色彩で見とれてしまったほど。本当に海の中のりんごのようだ。

南部のTATAWA ISLANDのポイント「TATAWA KECIL」では、強い流れの中、テーブル珊瑚、枝珊瑚の群生の美しさと珊瑚の周りにはキンギョハナダイを始めとする色とりどりの小さな魚達が視野いっぱいに飛びかう美しさに圧倒された。それはもう、とても広大で美しく宝石箱のような珊瑚礁だ。

ワイド、マクロもまた凄い。
魚図鑑一冊分を今回見たような、魚種の豊富さ、魚影の濃さに驚くばかりだ。
ジョーフィッシュやカニハゼ、ハナヒゲウツボやクダゴンベ、色鮮やかなウミウシなどで見る中で、方やホワイトチップやグレイリーフといったサメ類、タイマイやマンタ、カスミアジ、ロウニンアジ、ナポレオン、バッハローフィッシュ、イレズミフエダイ・・・・などの人気者が続々と、これでもかと現れ、大物、群れが好きな私にとってたまらないダイビングであった。

コモド諸島ダイビングは凄いのは海の中だけでない。

お目当てのコモド・ドラゴンも大迫力だ。

ダイビングの途中、リンチャ島(コモド・ドラゴンはコモド島とリンチャ島に住むがリンチャ島のほうが小さくて遭遇する確率が高い)に上陸して早速レインジャハウスの床に寝そべっているコモド・ドラゴンに遭遇。
顔は全く恐竜だ。大航海時代ヨーロッパの人が始めて見てドラゴンと思い込みコモド・ドラゴンと呼ばれるようになったと云うが、昼間は寝そべって動かないが、動物を襲うときは信じられないような機敏な動作を見せる。

もう一つの目玉はピンクビーチだ。

コモド諸島にしかないピンクの浜は、何万何億年という悠久の地球の営みが赤珊瑚のかけらをこの浜辺に運びピンク色にした。

高台に上りこの浜を望むと、どこまでも澄み切った青い空の下、無限に広がるコーラルブルーの海と、打ち寄せる白い波、そしてピンクの浜。本当に息を呑むほどの美しさだ。

自然の偉大さと、その豊かさに触れる貴重な一週間をすごした。

ツアーの最終日はバリ島デンパサールでケチャクダンスとエステで疲れた体を癒した。

バリ島の南バドゥン半島の西端に在る70mの断崖絶壁。
インド洋の荒波に洗われた絶壁の上にはヒンズー教のウルワトゥ寺院が建つ。
この寺院と大海原に沈む真っ赤な空を背景に、絶壁上の屋外石舞台に《チャチャチャ》と男達の呪文のような声が流れ始め、ヒンズー教の創世神話が踊り手たちにより語らい始める。ケチャクダンスの始まりだ。

数あるバリ舞踏の中でも、最もダイナミックでユニークなダンスで、一切楽器を使わず、数十人の男声だけで、独特のリズムを刻み、インド古代叙事詩ラーマヤナのストーリが踊り手たちにより演じられる。

今回の旅のエピローグとしてふさわしい感動的なイベントであった。

初めて訪問したインドネシアは広大な国土面積を持ち、およそ490もの異なる人種が共に暮らすという、民族集団の多様性をもった国だ。

そのほんの一部を見ることが出来に過ぎないが、僅かながらその多種多様性を垣間見ることが出来、日本とも歴史、経済とも深いつながりを持つ国で、是非もっともっと深く知りたくなる神秘性を持った国だ。

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