
ある旅行誌にバリ島の紹介にこうある。
「無限の魅力を秘めた、神々が棲む楽園・バリ島 島民の約90%が信仰するバリ・ヒンドゥ教に基づいた伝統文化。
洗練された舞踏や絵画、黄金のような音色を撒き散らすガムラン音楽、そして色とりどりの供物で飾られた荘厳な宗教儀式は、
訪れる人を魅了してやまない。
豊かな自然にも恵まれ、美しい曲線を描いて広がるライステラスや緑深い渓谷など、
風光明媚なスポットも枚挙にいとまがない。・・・・・」
先月、コモド諸島ダイブサハリで始めてインドネシア・バリ島を訪問した。
インドネシア、バリ島のほんの一部を垣間見ただけだが、
今までダイビングで訪れた多くの南の国々と、
何かが違う、何かが心を惹きつけ、わくわくさせる雰囲気を、飛行機を降りたその時から、感じさせられる国だった。
これはやはり、インド・ヒンドゥー教がバリ固有文化と融合したバリ・ヒンドゥ教とイスラム、キリスト、仏教などがさらに交じり合い、
かつ300にもなる民族の多様性が作り出した伝統文化の魅力と神秘性が我々に何か違ったものを感じさせるのであろう。
今回の旅行は会社の親睦旅行で6泊7日の短時間だが、
バリ島からすぐジャワ島の古都ジョグジャカルタに飛び、ポロブドゥール遺跡、プランバナン遺跡、ラーマヤナ舞踏、サルタン王宮などを観光し、
バリ島に戻りペサキ寺院、キンタマーニ高原、ウブド、タナロット寺院などを観光する、すごく欲張った予定だ。
本当に強行軍、体力持つか心配。朝早くのポロブドゥール夜明け観賞まである。
しかし、前回のインドネシア訪問はダイビング中心で、殆ど何も見ていないので、今回の旅行で、
前回感じた、私の、インドネシアへ感じた第一印象が正しかったどうか分かると思うが、予感では、
どうも、ますます嵌ってしまうような気がしますが・・・
勿論、親睦旅行と云えども、ダイビングの絶好ポイントが数多あるバリ島に来てダイビングをしない手はないと、
たった一日だけですが、ダイビングのスケジュールを詰め込みました。
今考えているポイントはヌサペニダエリアです。
ダイバー憧れのヌサペニダ。バリ島屈指の透明度を誇り、大物も期待大!!
バリ島の南東沖に浮かぶ島「ヌサペニダ」。
このエリアは、ペニダ・レンボガン・チュニンガンの3島から成り、
バリ島内で一番透明度が良く、
大サンゴ礁、色あざやかな多くのチョウチョウウオから、マンタ・マンボウ・ナポレオン・ウミガメ等に、最も遭遇確率の高いポイントです。
ここは、夏の時期、バリ島では乾季のシーズンにマンボウが現れる事で有名です。
世界中のダイバーが、マンボウを見にやって来ます。
巨大マンボウとの遭遇は圧巻です。
ダイバーなら誰もが見てみたいと思う魚のひとつがマンボウで、私も是非、このマンボウをじかに見てみたいと思うダイバーの一人です。
しかし、マンボウだけではありません。
その他大物では、ロウニンアジやイソマグロ、ホワイトチップシャーク、ウミガメ、
そして周り一面には見事なサンゴ礁に数々のリーフフィシュが戯れているバリ島では屈指のポイントです。
ただ、潮の流れが速いく、水温が低い20℃を切ることもあり、要注意だ。
ヌサペニダで思い起こすのは対岸のサヌールで、
ここは、現在バリ島屈指のビーチリゾート地のひとつだが、
古くからバリ島のカースト最高位のブラフマナ階級の人が多く住んでいた。
又、西洋の芸術家が好んでこの地を訪れるようになり、サヌールは高級リゾートとして発展していった。
が、しかし、一方で太平洋戦争における日本軍の南方進出に際しては、
ジャワ島攻略の足がかりとして1942年2月19日にバリ島のオランダ軍飛行場占領が行われたが、
サヌール海岸は日本軍の上陸地点となり、
翌20日米、英、蘭の連合軍とのバリ島沖海戦もこのサヌールが基点だ。
戦後、1966年に日本の戦争賠償金によりバリ島で最初の5つ星ホテルである、
バリビーチホテル(現ザ・グランドバリビーチ)がこの地に建てられ、発展に大きく寄与した。
このようにここは、日本と繋がりの強い場所なのだ。
さらに、戦後、インドネシアのオランダからの独立を、
多くの旧日本軍兵士が援助したことから、オランダは多くの日本軍人を戦犯として処刑するなど、
オランダはヨーロッパで最も反日感情の強い国の一つとなり、
1971年の昭和天皇のオランダ訪問の際には卵が投げつけられ、
1986年にはベアトリクス女王の訪日が世論の反発により中止となる様な事も起きた。
が、しかし、戦争という、悲惨なつながりがあったが、今は日本とインドネシアは経済、文化とも強い絆を持ち、共存共栄の間柄となっている。
今回インドネシアを再訪問するにあたり、
観光地を訪問するだけでなく、両国のつながりをさらに深く理解できるものに触れられればと思います。