My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2009年02月

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明日より、モルディブでダイビング三昧を楽しんできます。
今回も、船に乗って色々な環礁を廻って、ダイビングをするダイブサハリに参加します。

前回は約1年半前の9月で、始めてのモルディブでのダイビングでしたが、その魚影の濃さと種類の多さと、クルージングで特徴ある色々なダイビングポイントを巡っていくその快適さに魅せられてしまった。

明日からのモルディブのダイビングは同じダイブサハリだが、前回と一寸違ったダイビングを期待しています。

モルディブはご承知かもしれませんが、インド洋の北西海域に浮かぶ諸島、珊瑚礁、岩礁からなる東西128km、南北760kmの海域に1000以上の島々の国です。

普通、モルディブのダイブサハリは首都マーレのある北マーレ環礁を中心に、北へはバア環礁付近を、南へはアリ環礁を中心にクルージングしながら、再びマーレに戻ってくるコースが普通のようだ。

しかし、今、乾季限定版として、「赤道越えルート」や「南周りルート」が催行されているのだ。

赤道越えルートは首都マーレから南へ赤道を越えて、400kmも離れたアッドゥ環礁まで一週間かけてダイビングしながらクルージングするのだ。

遠距離のクルーズのため、帰りは飛行機でマーレまで帰ります。
逆もあり、この場合は先に飛行機でアッドゥ環礁へ行きそこから船で北上する。

このルートはチャネルダイビングが多く、カジキや多数のサメを流れの中で見る確率が高くなる。

過去の赤道越えルートでは、ハンマーヘッドシャークの群れや、マンボウ、オーネットイーグルレイ、ニタリなどモルディブではレアな大物も目撃しているという。
赤道を越えた後のアッドゥ環礁ではマーレ近郊ではもう見られない、数百mの長さに及ぶ珊瑚の群生が見られる。

南下すると、クルーズ船からイルカのジャンプを見る確率も高くなり、
特に2月は朝日や夕日が水面に映り、幻想的な風景も、また、夜には満点の星も楽しめる。

あア、もう、たまらない・・・。
 
しかしです、流れが強いポイントが多いため、このコースは上級者向けで、経験本数が500本以上とか、年齢が59歳までとか、門戸が狭く、
私のような経験が浅いシニアダイバーには参加は出来ないのです。

そこで、私のような人のために、少しグレードを下げた「南周りルート」を作ってくれていました。

このルートは首都マーレよりアリ環礁、ファーフ環礁、ダール環礁と南下し、そして南マーレ環礁経てマーレに帰ってくるコースのようです。

南下したぶん流れは強いところもあるようですが、透明度も高く、回遊魚などの大物に遭遇するチャンスも高くなるとのこと。

というわけで、今回私が参加するのは、この「南周りルート」です。

前回とどのように違ったモルディブになるかは帰国してからの報告をお待ちください。

さて、モルディブへのアクセスですが、普通シンガポール航空(SQ)、スリランカ航空(UL)そしてマレーシヤ航空(MH)などを利用しますが、関西から出発となると、ハタと困ります。

関西空港発着でSQを利用すると、帰りのシンガポール/関空への接続が悪く、マーレからシンガポールには早朝に到着しているのに、関空への出発はその日の真夜中だ。
関空に到着は翌日になる。

成田へは、朝、昼便もあり、その日のうちに帰れるのに。

その日に帰れて、接続が良いのがスリランカ航空だ。

スリランカ、昔の名前ではセイロン。
まだ行ったことがないが、何か懐かし。

英連邦内自治領セイロンからスリランカ共和国に改称されたのが1972年。そして1978年にスリランカ民主社会主義共和国に再び改称している。

30年も前にスリランカに変わっているのだ。
でもやはり、私にとってはセイロンという名前のほうが今もってしっくり来て、懐かしい。

“セイロン”はなんといっても、紅茶だ。
子供のころから紅茶と言えば“セイロン紅茶”と思い込むほど馴染み、有名だった。

ということで、大変懐かしい”セイロン”に行って、其の雰囲気を味わってみようとスリランカ航空を利用することにしました。

それにしても頭にくるのは関空です。
世界のハブ空港を目指すといいながら、不便なうえに、便が少ない。

今回もわざわざ、伊丹から成田へ行かねばならないし、前回マーシャル諸島へ行ったときは名古屋から、さらにパプアニューギニアの時も成田から出発した。

利用者にとっては、時間とお金の無駄遣いだ。 

世界のハブ空港を目指すなんてチャンチャラおかしい。

何故こんなことになるのか。

関西三空港に対して行政が優柔不断で、長期の目標を明確に示し、それを履行しないからだ。

伊丹空港は廃止する条件で関空を建設したが、伊丹の住民の反対(住民のエゴでもあるが、今まで騒音問題で空港廃止要求が手のひらを返して存続要求になった)で簡単に撤回してしまった。

行政は簡単に建設(人のお金で)するが、その結果の課題はいつも先送りだ。

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皆さんも記憶されていること思いますが、1990年バブル絶頂期出版された、日本のバブル崩壊を予測した「日はまた沈む」。

そして、2006年には、日本の経済復活を宣言した「日はまた昇る」が大ベストセラーとなり大きな話題となりました。

これらの本を執筆したのがビル・エモット氏で、英『エコノミスト』の元編集長。
1983~86年には、東京支局長として日本に滞在したこともあり大変な日本通としても知られている。

そのビル・エモット氏が最近(昨年12月)「世界潮流の読み方」(PHP新書)を出版されました。

「失われた10年」と云われ、リストラ旋風が吹き荒れていたころ、あの「日はまた昇る」が出版され、その中で、著者は、日本経済は低迷を続けたが、
この間に日本がゆっくりと、確実に変わったと指摘し、日本という国は歩みの遅い着実なカメであり、足は速いが不安定なウサギである中国に将来的には勝つだろうと予測していた。

あのころ、八方塞の中で、なにか明るく、自信が持てたような気がしたのを覚えている。

そして今、“100年に一度の恐慌”で発表される経済指標は、最悪を更新しづける毎日で、閉塞感が漂い、すべてネガティブの考えにとらわれるなかで、
書店に平積みされている経済書は「恐慌・・」「崩壊・・」など凄まじいタイトルのものが多い。

この危機を多面的に見たバランスの良い筆者の世界潮流をしっかり理解させて貰うと、また、是非この際元気つけて貰おうと、この本を読みました。

本書の内容は

サブプライム問題はなぜ起きたのか?
欧米の失速で日本経済はどうなる?
アメリカ発の金融危機が世界を震撼させているが、「ドル覇権の終焉」を唱えるのはまだ早い、と著者は言う。
アメリカの底力を冷静に見極める必要があるのだ。
視点をアジア、欧州、中東、アフリカにも広げ、地球規模の考え方を提示している。
「インドは製造業大国になる」「イタリアは日本に学べ」「イランの核問題に潜む危険」…。

特に「アメリカがこの激震の震源地であるとはいえ、実際は同国がこの景気後退の衝撃を緩和し、苦しみながらも対応することで、回復に向かっていくのだ」

「中国の海外での利害関係が拡大するにつれ、その影響力も増大してくる。
これが翻って中国への新たな圧力となり、同国は今までにないジレンマに陥っている」など述べている。

著者は「正確な経済予測をすることは不可能」という前提で今後の趨勢について明示的な「予測」は一切していませんが、明らかに文章の行間には「不景気は間もなく終焉」が見え隠れします・・・。

過度の悲観論に食傷気味の方是非一読を。

ただ、最近
急激な不況の中、雇用問題、特に派遣労働者、期間従業員への首切りが横行し、今日ほど「会社は誰のモノか」、「経営者の資質」が問われる時はなかったのではないかと思われるほど、いろんな問題が堰を切って出てきた。
労働者は資本家に労働を売ることによって、その対価として報酬を受ける。

事業を開始したり、廃業したりするのは資本家の自由であり、労働者の解雇も自由に出来るという考え方もあるが、
事業者による「解雇の自由」も「会社の社会的責任」から制限されるという説もある。

「会社は誰のモノか 株主は本当に企業の所有者なのか」

「世界潮流の読み方」はこのテーマにも触れている。
日本、アメリカ、イギリスの考え方が紹介されている。
日本では「企業は、株主がどん欲でないので、自社の株主を選択する権利がある」という経済産業省の高官の話を紹介している。

アメリカでは、取締役会の義務は株主に対する責任だと明確化されているという。
そしてイギリスでは折衷とも言えるやり方で、企業上の多くの重要事項について株主に投票権を手厚く保護している一方で、企業が社会に責任を果たすことを、文化的にきわめて重視しているという。

いずれが正しいのか考えたが、正しい答えはないそうだ。

我が国もグローバリゼーションに対応すべく、株主重視の潮流はあった。
もの作りより金融、利益第一主義、村上ファンドのように「物を言う株主」を標榜し、多くの若者にまで共感を与えたのはまだ記憶に新しい。

あまりにも市場原理主義に走ったために、市場の信頼を失いかねない事態の発生に「国策捜査」と言われる司法の手が入った。

しかし、こんな話はいただけない。

「2月12日 AFP」米証券大手メリルリンチが、米金融大手バンク・オブ・アメリカ(バンカメ)に買収される直前に、幹部約700人に1人あたり最低100万ドル(約9000万円)のボーナスを秘密裏に支給していたことが、11日明らかになった。

ボーナスは前年12月、損失を出した第4四半期の決算を発表する前、バンカメに買収される直前に支払われていた。

このとき、幹部696人は1人あたり100万ドル以上を受け取ったという。

一体米国の経営者は何を考えているのだろうか。企業を私物化している。

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「心神喪失」と言う小説を読みました。

「報復」で衝撃的なデビューをした元フロリダ州監察官検察官ジュリアン・ホフマンの「報復ふたたび」に続く、3年の歳月を費やした渾身のリーガル・サスペンスである。


「たすけて……おねがい」――朝まだきころ、か細い声でかかってきた緊急通報。

この一本の電話から、マイアミで活躍する若き女性検察官ジュリアの生活は激変した。

それは閑静な住宅街で、母親と幼い三人の子どもに降りかかった悲劇を告げるものだった。

重傷だった父親デヴィッドが犯人として逮捕されたことで、このむごたらしい事件は世の耳目をひく。

初の殺人事件で、補佐として大抜擢されたジュリアは、デヴィッドの心の闇に肉薄しようとするが……

「心神喪失につき、無罪を申し立てる」――被告側の思いもよらぬ主張に、死刑を求刑されている彼が、罪を逃れんとして狡猾にも病をよそおっているとしたら?

だが、ジュリアはそこに、別のものを見ていた。
この事件は彼女の心の奥底に隠されていたパンドラの箱を開けてしまったのだ――。

遠い昔のおぞましい記憶が甦るたび、ジュリアのデヴィッドへの疑いはぐらついてゆく。
犯罪者とそれを追う者の、真実をめぐる闘いはしだいに加熱してゆくが……。

緊迫感あふれるこの裁判の評決は?


以上が本書の表紙に記載されている要約だが、
自らの妻、そして生後6ヶ月の幼子を含め三人の子を残虐に殺害したかどで逮捕されたた夫が「心神喪失による無罪を訴える一方で、
検察側の若き女性検察官は両親を心神喪失の兄により惨殺された、人に言えない過去を持つ・・・

この中心テーマである心神喪失とは、wikipediaによると、精神の障害等の事由により事の是非善悪を弁識する能力(事理弁識能力)又はそれに従って行動する能力(行動制御能力)が失われた状態をいう。

心神喪失状態においては、刑法上その責任を追及することができないために、刑事裁判で心神喪失が認定されると無罪の判決が下ることになる。

もっとも、心神喪失と認定されるのは極めて稀であり、裁判で心神喪失とされた者の数は平成16年度以前10年間の平均で2.1名である。

同期間における全事件裁判確定人員の平均が99万6456.4人なので、約50万分の1の割合となる(平成17年版 犯罪白書 第2編/第6章/第6節/1)。

しかし、最近、その残虐性ゆえか、記憶に残る心神喪失を争う裁判がやたらに多いと感じる。

精神鑑定で「心神喪失状態」が争点となった最近の事件をあげると、
昨年6月27日、茨城県土浦市で2004年、両親と姉の家族3人を殺害したとして、殺人罪に問われた長男の判決があった。

公判では事件当時の責任能力の有無が争点となったが、「当時は心神喪失だった」として無罪(求刑・死刑)が言い渡された。

これより前の4月28日、夫殺害のセレブ妻に対し、東京地裁は殺人と死体損壊・遺棄の罪で懲役15年(求刑・懲役20年)の判決を言い渡した。
検察側・弁護側双方の鑑定医が「犯行時は心神喪失」と精神鑑定、歌織被告の責任能力が最大の争点となった。
しかし、この鑑定結果は採用されなかった。

 また6月4日、妹を殺害、切断したとして、殺人と死体損壊の罪に問われた次兄の判決公判が開かれ、懲役7年(求刑・懲役17年)の判決が言い渡された。

この公判でも、弁護側の精神鑑定に対して検察側は「完全責任能力がある」として激しい応酬が続いたという。
しかし、裁判所は「責任能力が争点になっているが、殺害時は完全な責任能力があったものの、死体損壊時には心神喪失の状態にあった可能性が否定できない」と判断し、検察側の求刑から10年が差し引かれたのである。


心神喪失による無罪はおかしいと思う人があるインターネットのアンケートでは8割を超えているという。

今年5月から国民を強制的に参加させる裁判員制度がスタートする。
本当に大丈夫なのだろうか??
この裁判員制度での審議の対象は殺人などを含む刑事事件だ。
勿論、心神喪失を争うケースもあるだろう。

心神喪失は血液検査やMRIなど確定できるものでなく、患者の状況を鑑定医により判定されるため、鑑定医により鑑定が違ってくる場合も多々ある。

裁判員制度導入によって、国民の量刑感覚が反映されるなどの効果が期待されるといわれている。
 
が、裁判員は有罪無罪の判断どころか、量刑にも関われることになる。
これは、アメリカの陪審制の陪審員よりも、裁判員の方が強い力を持ことになり、それ故、法律の教育も訓練も受けていない一般国民に「人を裁く」と云う、苦痛で困難で、大きな精神的負担を伴う決定を強いてもいいのだろうか。

その決定もマスコミなどに誘導された判決となりかねない。

難しく、困難な裁判に強制的に、素人を加担させておいて、冤罪などがあったとき、被告は勿論、裁判員の苦悩、苦痛を国はどう考えているのだろうか。

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「責任に時効なし 小説巨額粉飾」を読みました。
(著者:嶋田 賢三郎、 発行:アートデイズ)

本書のコメントに「驚くべき企業犯罪の連鎖が、120年の名門企業を蝕み、会社は大崩壊に向かって突き進んでいった……。
社長・副社長との対決、逮捕後の検察との闘い、苦悩の日々……。
実際の巨額粉飾事件の体験をもとに描かれた、衝撃の企業小説」とある。

著者は日本を代表する名門企業螢ネボウの常務取締役として巨額粉飾事件に遭遇し、逮捕された。

同社の30年に渡る粉飾は、その行われてきた期間の長さ、金額、関係する部署・関係会社等の広がり、そしてその手口のバリエーションにおいて、日本経済史上、空前絶後といっていい。

しかし、粉飾に異を唱えていたことが判明、不起訴となって釈放され、その体験をもとに長編小説として綴ったのが本書である。

小説自体は、著者自身が主人公となっており、艶話のサイドストーリーも含めて、いささか格好よすぎるように感じられる。
色々な経済用語もふんだんに出てくるが、難解に、ならず、平易に書き流しており、大変読みやすく一気に読み下した。

本書の中で、著者は、企業崩壊をもたらした組織的粉飾とは何かを明らかにするとともに、
著者がもっとも問題にしているのが、粉飾を始め、そしてそれを長年放置してきたにも拘わらず、時効の壁によって不問に付された歴代の真の巨悪の経営者たちの責任問題である。

法的告発には時効があるが、「責任に時効はない」と著者は訴えているのが印象的であった。

粉飾決済はカネボウだけでなく、最近でも、上場廃止の瀬戸際に追い込まれた日興コーディアルの大規模粉飾決算や日本航空、ライブドア、NOVAの粉飾決算など、数多く思い浮かぶ。

小説になったカネボウは30年にもわたり、2000億円もの粉飾をしていたというが、
その粉飾を指示、命令し、放置した巨悪の経営者(時効により不問とされたが)のような人もいれば、
高い目標を掲げた熱心な営業マンとか、上司の指示に忠実な部下だったり、
むしろ仕事熱心な普通の会社員が加担する場合も多いらしい。

知らず知らずと言う場合もあるかもしれないが、会社を解雇、村八分などを恐れ、嫌々ながら不正に関与することが多いのだろう。

強いことが中々言えない日本のサラリーマン社会を見ているようだ。

しかし、「粉飾」も場所を変えると「強欲が支配する粉飾資本主義」となってくる。

 米国発の金融不安は、リーマン・ブラザーズの破綻後さらに混迷を深め、世界同時株安を招き収まる気配を見せないが、
リーマンのような大企業がなぜ、破綻という事態に陥ってしまったのか? 

財務面から見ると、リーマンの破綻を招いた問題は
昨年の第2四半期の決算で、買い戻してもいない自社債務をマーク・トゥ・マーケット(時価評価)して4億ドルの利益を計上してあたかも利益が出たような決算をしている。
そして、架空の利益が出たことにより、経営者たちは信じられないほどの膨大な報酬をむしりとっている。

マーク・トゥ・マーケットはHSBC(香港上海銀行)やバークレイズ、メリルリンチもやっているが、会計上認められているとしても、グレーゾーンの会計と云わざるを得ない。

ましては、それにより法外な報酬(報酬とは違って搾取?)を得るとは何をか言わんである。

米国の強欲資本が全世界に大恐慌をもたらしたと言うのに、反省もなく、更なる強欲に奔走している姿に流石に新オバマ大統領も頭にきて「恥知らず」とののしった。

最近の新聞記事に

オバマ米大統領は29日、ホワイトハウスで記者団に対し、
ニューヨークのウォール街に本店を置く証券会社の08年分ボーナスの総額が184億ドル(約1兆6500億円)に達したことについて
「会社が経営破綻の危機にひんして、国民の税金で救済してもらっている時に(高額のボーナスをもらうのは)あまりに無責任。恥ずべき行為だ」と強く批判した。

 米ニューヨーク州の会計検査官の発表によると、ウォール街の証券会社の08年ボーナス額は、金融危機に伴う業績悪化などで前年比44%減と過去最大の減少幅を記録した。

ただ、1人当たりの平均支給額は11、2000ドル(約1000万円)と高水準を保っている。

また、金融危機で資金難に陥り、100億ドル(約9300億円)の公的資金の受け入れを決めた米証券大手メリルリンチのジョン・セイン最高経営責任者(CEO)が、会社側に昨年のボーナスとして1000万ドル(約9億3000万円)を求めていたことが明らかになった。 
流石に後で取り下げたらしいが。

一体米国の経営者達は何を考えているのだろうか、
自助努力など何もなく、ただドサクサに紛れて、ふんだくれる物はとことんふんだくることしか考えていないのだろうか。

日本のバブル崩壊時、山一証券が破綻したとき社長が泣きながら謝罪した姿が何か思い出される。

(写真はAFより)

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