My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2009年11月

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「マグマ」に続き、女性企業戦士が第一線で活躍する設定であるが、共に現在大きな問題となっている環境ビジネスを題材にしており、興味深く読んだ。


排出権に関しては、昨年8月本ブログでも触れたこともあり、常々関心があったところ、今回黒木 亮氏著の本書を見かけ、一気に読破した。


本著の紹介文はこうだ

「空気が大金に化ける。これが「排出権ビジネス」の実態だ!
世界11ヵ国に及ぶ徹底した取材で描く、緊迫のリアルフィクション!
温室効果ガス削減か、排出権の購入か。

温暖化防止の美名の下で生まれた、まったく新しい国際ビジネス。
利権に群がるしたたかな商人たちの、ターゲットは日本・・。


排出権。それは温室効果ガスを「排出する権利」。
京都会議で、実現不可能な排出削減目標を負った日本は、莫大な金額で外国から「排出権」を買わなくてはならない。

国民負担は、5年間で1兆円・・。

新日本エンジニアリングの松川冴子は、地球環境室長として排出権ビジネスの開拓を命じられる。
巨大排出権市場・中国を奔走する冴子が、見たものはなにか・・・」

とある。

著者は世界各国に念密な取材をし、その問題点や、裏側の世界も克明に紹介している。

私は、私だけでないと思うが、
京都会議にて、日本は欧米の策謀にあい、過大な目標を背負らされた被害者意識から、
排出権取引に対して、欧米金融機関のマネーゲームであるといったネガティブな印象を持、
排出権に頼らず自国の温室効果ガス削減努力をすべきと考えている。


が、しかし、この制度でこれまで国連に登録(承認)されたプロジェクトは全部で1894あり、産み出される排出権は、年間3億2367万トン(CO2換算)であり、これは日本の年間排出量の1/4程度に相当する。
とのこと。


温暖ガス削減に寄与していることは理解するも、何か、胡散臭い問題があるような気がする。

当初の京都議定書の温暖削減ガス排出枠設定が不公平であり、経済活動の低迷などで温室効果ガス排出量が大幅に減少したことにより、
一部の国では「空気がお金に化ける」現象が出てきている。

第1約束期間の5年間に何もしなくても、ロシアは実に55億トン(11兆円 トン2000円として)、ウクライナは24億トンの余剰枠が転がり込む見込みであるという。

日本は逆に先に述べたように1兆円も支払う必要がある。

なんか釈然としない。

本著を読んだ機会にもう少し「排出権」について整理してみると。

1997年の地球温暖化防止会議で採択された京都議定書では、CO2をはじめとする六種類の温室効果ガスについて、2008~12年の間に、先進国全体で1990年比5.2パーセントの削減を定めている。

日本は、90年比で6%の削減をすることになった。

このことにより、EUや日本を中心として、京都議定書目標達成に必要な排出権は約24億トンと推計されている。

また、供給される排出権は、

国に割り当てられる余剰AAU(Assigned Amount Unit)が約73億トン、

Co2削減プロジェクトにより供給されるCER(Certified Emission Reduction)、ERU(Emission Reduction Unit)が約18億トンであるとされている。

一見、供給量が大きく上回っているように見えるのだが、実際には必ずしもそのようにならない事情がある。

余剰AAUは、GIS (Green Investment Schemes)と呼ばれるスキームにより、政府間における交渉により獲得されるにとどまるとみられており、
その量は10億トン程度になると推計されて,流動性は少ない。

今後の各国における京都クレジットの獲得においては、まずは、CDM/JI(Joint Implementation)から期待される18億トンに的が絞られることとなるであろう。


EUにおける主要国政府は早くからCDMの開発とCERの確保に着手しており、
期待される18億トンの大半がEUにおける需要に充当されてしまうと考えられ、
日本は不足分を、第一約束期間終了間際になってGISスキームにより余剰AAUにより補うこととならざるを得ないであろう。

ただし、そうした状況に陥った時には、もはや価格決定の主導権は日本側にはない。


被害者意識ばかりが先行しているが、もう何とかしなければいけない時期が来ている。

来る12月コペンハーゲンで開催されるCOP15(国連気候変動枠組み条約締約国会議)において1997年12月に決定された京都議定書の枠外である2013年以降の取組みについて論議される予定である。


現状の制度上の問題点、不公平感などがどこまで論議されるのか見守っていきたい。



  「排出権商人」 黒木 亮著   講談社  1700円

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先日パラオにダイビングに行った際、暇な時に読もうと、棚に平積みされていた本の中かから簡単に読めそうだと持ち出した一冊である。

意外や、読み出したら止まらず結局一気に読破してしまった。

この本に興味を持ったのは、勿論、「マグマ」という、今好奇心を沸かしている地球科学のキーワードを本の題名にしているからだ。

本著は『ハゲタカ』の著者・真山 仁が、地熱発電をテーマに最新のエネルギー情報をちりばめて描いた経済小説で、
その内容のさわりは・・


「外資系ファンドに勤める女性エリート・野上妙子は、地熱発電を研究運営する日本地熱開発(地開)の再建を任される。

地開のシェークスピア文学に詳しい社長・安藤幸二や新技術に執念を燃やす研究責任者の御室耕治郎、かつて「原子力の鬼」と呼ばれた保守党政治家らが絡み、人間模様が劇的に展開する。

地熱発電の「地」の字も知らなかった彼女が、その企業の再生に取り組むうちに、
地熱発電の魅力、潜在力に惹かれ、また熱意あふれる従業員にも押され、その再生に情熱を注ぎ、
次から次に降りかかる困難をものともせず、ついには新技術による高温岩体発電所の完成にこぎつけ、
発電開始のスイッチを入れる・・・」


著者はこの本に2のテーマを掲げていると思う。

一つは、人が生きているために必要な想いとは何か、信念を貫くこととは何かという点に焦点を当てている。

この本の副主人公というか精神的支柱として、死を前にした研究者と彼の妻の二人の生き様と、人生のおとしまえが、この小説のもう一つのテーマとなっている。

事実、やっとこぎ着けた、発電開始のスイッチを押すシーンには感動します。


世界初の商用高温岩体発電に大きく貢献し、その完成を夢みた御室は、その完成を目前にして世を去り、とうとう自分の目でその偉業を見ることは出来なかった。

設備完成を祝う式典の中、始動スイッチを押すことを指名された妙子は、来賓席の片隅にひっそりと、
夫の遺影を抱いて出席している妻千歳に、始動のスイッチを押す大役を依頼する。

事前に何度も懇願したが、成功の真の貢献者は妙子であると,亡き夫より伝え聞く千歳に頑なに拒否されてきたたうえでの再度の依頼で、
千歳は驚くが、最後はこれならば夫の意思に背かないと、妙子の手の上に千歳の手をのせてスイッチを押す。


このやり取りの中、再建者として乗り込んできた若き女性エリートと、研究一筋に打ち込んできた研究者の間には、
初めはいがみ合いもあったが、だんだんお互いの立場、役割を理解し、尊重するようになってきた様子が述べられている。 

そこにあるのは、「地熱発電」を稼動させる感動ではなく、苦難を乗り越えてことを成し遂げ、彼らが、組織、会社、そして社会すらも動かしたという感動である。


もうひとつは、度重なる原発の事故、電力の自由化や地球温暖化対策、そして昨年来の原油高騰などの背景を受けて、
今、改めて電力の在り方が問われ、その課題を大地の恵みと言える地熱発電の再評価を軸にしながら、
日本を取り巻くエネルギー問題を取り上げている。


だが、地熱発電について、私も詳しくは何も知らず、特に高温岩体発電なる言葉は始めてあった。 これを機会に少し調べてみた。


地熱発電は再生可能エネルギーの一種で、枯渇性エネルギーの価格高騰や地球温暖化の対策手法としても、
戦後早い段階からその可能性が注目され研究開発が進められてきた。

再生可能エネルギーは半永久的に利用可能のもので、技術的に利用可能な量は少なくとも現在の世界のエネルギー需要の約20倍もあるという。

普通、風力、太陽熱などを思い浮かべるが、量的には総量の7割近くを占める地熱の足元にも及ばない。

現在、日本では18箇所で地熱よる発電がされており、その総発電設備容量は53万kW以上である。しかし、日本の総発電量の0.2%にも過ぎない。

世界的には米国:0.3、イタリア:1.1、インドネシア:1.9、メキシコ:2.2、フィリピン:20.6%
となっていて、フィリピンが意外と地熱発電大国であることはあまり知られていない。

地熱発電は地下のマグマによる熱水だまりを利用する方法が通常であるが、場所的制約が大きく、
日本では国立公園の法的制約や、温泉に影響があるのではないかと、地域住民の反対も強く大きく拡大していない。

一方、本著で紹介された、火山などに制約されない、2~3000m地下にある高温の岩体に水を注入して亀裂を作り、蒸気や熱水を得る高温岩体発電も実用段階にあるという。

発電コスト的に見ると、1kWhあたり、原子力が約5.3円、地熱が8.3円という報告もあるが、
これらは関係業界の恣意的な結果を反映している場合もあり、一律的な比較は難しい。

小説のようには、そう簡単にうまくいかない、何かがある、奥の深そうな分野である。

時間があるとき今度じっくり調べてみよう!!

 「マグマ」 真山 仁著 角川文庫

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東京でチョットゆっくりしてから、昨日パラオのダイビングより帰国しました。

今回は3度目のパラオでのダイビングだが、出発当初、今は季節的に雨季から乾季への変わり目で天候はかなり不安定ではないかと心配していたが、滞在中は全くの乾季のようだった。

毎日快晴が続き、風もなく、ラグーンの海面は全く鏡のようで、外洋も、これが外洋かと思うほど穏やかな状況で、本当にダイビング日和の毎日であった。

今回もJALの直行便でのパラオ行きであったが、通常このツアーの場合、パラオに早朝に到着し、その当日に2本潜り、そして、2日目、3日目に3本づつ、合計8本潜る。

最終日はダイビングはせず、現地のオプショナルツアーなどに参加して、深夜ホテルをチェックアウトして帰国するのが通常である。

が、今回はあまりにも天候が良く、初日から3本、そして二日間3本づつ潜り、最終日もサンライズダイビンとなるものに参加して、合計11本も潜ってしまった。

確かに、最終日は現地のオプショナルツアーに参加すると言っても、何回も来ている人には今ひとつ興味が湧かないのが実情であろう。

私の場合も、1回目はロックアイランドツアー、2回目はペリリュー島戦跡巡りツアーに参加し、今回はどうしようかと迷っていた。

今回私が利用したダイビングショップでは、サンライズダイビングなる企画を開催していて、夜明け前の5時ごろ港を出発して、洋上で輝くような日の出を見て、朝方の魚影の濃い外洋ポイントで9時ごろまでには2本潜てしまうというものだ。

おまけにこの企画に参加する場合はダイビング機材はレンタル費用は無料という。

ツアーの最終日にもダイビングしたいと思うダイバーは多いと思うが、飛行機搭乗18~20時間前にはダイビングは終了していることと、自前の機材はなるべく乾燥した軽い状態でパッキングしたいと思い、多くの人は最終日ダイビングを諦めていた。

ところが、この企画では、早朝に潜ることで、飛行機搭乗までに十分時間が取れ、かつ、自分の機材はレンタル機材でダイビングしている間もホテルで乾燥させていられる。

この話を聞き、即参加したのだが、ダイビングの内容と言うと、大正解だった。


早朝4時に起き、まだ眠気が覚めないなか、港を出発した私達を待っていたのは、周りの空と海を茜色に染めながら水平線から昇る、大きく、真っ赤に輝く太陽だ。

本当にこんなに大きく見える太陽を見るのは久しぶりだ。


潜ったポイントは2本ともブルーコーナーで、前日同じポイントを潜ったが、流れはなく、ユッタリとしたダイビングでそれなりに大物の回遊も少なかった。
が、今回は全く違い、朝の戻り潮で、棚の上では、流されないように姿勢を低くして、しっかり岩にしがみつかなければならないほどの強烈なアップカレントとなっていた。
が、その分、大物の人気生物、グレイリーフシャーク、ホワイトチップシャーク、ギンガメアジ、インドオキアジ、オオカマス、ブラックフィンバラクーダ・・などが大きな群れをつくって次から次と現れ、本当にこれぞブルーコーナーだと言うダイビングを味あうことが出来た。


地形、大物派の私にとって、魚影が濃く、あたりはずれが少なく、いつも大物に遭遇出来るパラオはJAL直行便を使えば、約4時間で簡単に行ける地理的位置にある。

もっと頻繁にパラオでのダイビングを計画しようと思う。


さて、ダイビングの話から離れるが、パラオの帰り東京の実家に寄りました。
いつもは実家によっても、その日に帰ることが多かったが、今回は2日間実家に滞在した。

私の母は年は既に90歳を越しているが、大変元気だが、最近足が弱くなり、家ではつたい歩きをして、外出は車椅子が必要となっている。

高齢者や障害者とわずかですが生活を共にすると、最近の高齢者等に接する周辺の人々の意識や態度が大変温かく、親切であることが身にしみて感じることが出来た。

母と郊外の大型スパーへ行くと、駐車場では案内の人が、母を見て障害者専用の駐車場まで走って先導してくれ、車椅子の母が安全に通れるよう、交通整理もしていただいた。

店内では、エレベーターの中の人が、扉のホールドボタンを乗り終えるまでずーと押していただき、行き先ボタンも押してくれた。

狭い店内の通路では、皆それぞれ道を譲ってくれる。
なんでもないことかもしれないが、車椅子を押して見ると、本当にありがたいと感じる。

ヘルパーさんにも来て頂いており、母の性格も既に熟知して、やさしく、時には厳しく、何度も話しかけながら母の世話をやいて頂いているのを見ると、本当にその献身的で親切な仕事振りに頭が下がる思いである。

これから更に、高齢化が進むなかで、社会全体で高齢者、障害者を自然と支えあう社会構築に、自らその僅かでも貢献できるようにしていきたいと感じた今回のダイビングでした。

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