
先日東京へ出かた時、飛行機の中で読もうと気軽に持ち出した本でした。
題名からして、ダン・ブラウンばりの、私の好きな古代文明、サスペンス、アクションものと、気軽に読み始めた。
が、内容は想像と違って、忌まわしい歴史的事実に驚愕するとともに宗教が持つ非情なまでの残酷さについて改めて考えさせられるテーマを扱っている。
著者の帚木蓬生はデビュ作「白い夏の墓標」次作「カシスの舞い」とヨーロッパを舞台に、医学をテーマにして、
市井の男女が謎に挑み解決していくさまを、緻密で高質なタッチで描写し、当時鮮烈なイメージを植え付けられたのを記憶している。
それからは、帚木氏の作品を全てではないが、本屋で気がついたとき購入して読んでいた。
本書は文庫本になって、気づき購入していたものである。
本書のあらすじは
歴史学者・須貝彰が南仏トゥルーズ市立図書館で古い2枚の羊皮紙を偶然発見したことから始まる。
13世紀、南ランスのアリエージュ県トゥルーズ地方で、キリスト教宗派カタリ派がローマカトリック派から異端とされ、
パコー大司教の指揮のもとでカラリ派を殲滅すべく大虐殺が行われた。
この古文書はカタリ派大虐殺を、弾圧された側から記した中世の貴重な資料の一部だった。
須貝はパリの学会で古文書発見の発表し、センセーションを引き起こした。
が、発表後に不可解な事件が次々と起こる。
運命的に出会った精神科医クリスチーヌ・サンドルとともに、須貝は、
後世に密かに伝え、隠された、“人間の大罪”を記した残りの古文書を探し始める。
その古文書は、当時パコー大司教とカタリ派の聖職者の通訳をしたドミニコ会修道士レイモン・マルティが秘かに審問の様子を羊皮紙に書きとめたものだ。
この古文書をめぐり次々と殺人事件も起きるが・・・・。
著者は精神科の医師であるためか、相変わらず、人間への視点がものすごくやさしく、
人物描写はきめ細かく感情が表現されると共に、風景も南仏のピレネー山脈の山々があたかも目前にあるがが如くすがすがしく描いている。
本著のカバーに「人間の原罪を問う歴史ミステリ」とあるように、
カタリ派に関する古文書をめぐる歴史ミステリの体裁をとりつつ、
異端を認めないローマカトリックの欺瞞や残酷さをまざまざと描き、人を救うはずの信仰が恐ろしい悲劇を生み出す現実を、
日ごろ信仰とは無縁に近い日本人にも突きつけてくる考え深い本である。
古文書に関しては著者のフィクションであるが、カタリ派虐殺は歴史的事実である。
しかし、カタリ派に関して断片的な知識しかなかったので、この際少し調べてみた。
カタリ派とは、11~13世紀、南仏を中心に信仰を集めたキリスト教の一宗派である。
福音書を尊重し、非暴力、菜食、禁欲を守り、カトリックが「神がすべてを創った」と考えるのに対して、カタリ派は「神は精神を作った」と考え、物質的な世界は悪であると考えた。
人間は転生するという信仰を持ち、死後はすみやかに天国に行くと信じられていた。
一方、1000年以上たったローマカトリック教会は組織的には形骸化し、聖職者の汚職や堕落がひどく、
人々は清廉なカタリ派に親近感を持ち、瞬く間に広がっていった。
カタリ派の拡大に危機感を抱いた当時のローマ法王は、
フランス王フィリップ2世にカタリ派の討伐を命じ、
フランスの領土拡大への思惑もからみ、アルビジョワ十字軍が編成された。
1209~1229年の間に、十字軍によりカタリ派のみならず、無差別に何十万ものもの人が財産を奪われ、家を焼かれ、惨殺された。
時の法王インノチェント3世の命令は「皆殺しにせよ」で、ヨーロッパで最初のジェノサイドが法王の命令で実行された。
だが、カタリ派は絶滅にはいたらず、さらにローマ法王の指示で、
ドミニコ会による宗教裁判が行われ信者たちを拷問、投獄、火刑と非業の限りをつくした。
信者たちは誇り高く、勇気と信念を燃やして、モンセギュールという、天高くそそり立つ岩の上の砦に立てこもって抵抗を続けた。
約一万の騎馬兵、フランス軍の攻囲が約一年にも及び、1224年春陥落した。
改宗すれば命を助けるというのに、誰一人信念を変ることなく、火あぶりになるのを選んだ。
信者200人が裸にされ揃って丘の麓まで歩かされ、杭に縛られ、周りに堆く高く積まれた柴木に火が付けられ火刑にされた。
その後、信者の活動は下火になり、1321年最後の「完徳者」が捕らえらカタリ派は絶滅させられた。
モンセギュールはじめ、多くの信者が虐殺されたが、改宗したのは、たったの一人か二人という。
思想信条や宗教弾圧の歴史の中でこれほど棄教者が出なかった集団は稀であり奇跡とまでいわれている。
カタリの信念がそこまで固かったのはなぜか?
慈愛を説く宗教がここまで残酷になるのはなぜか?
大きな疑問と宿題を与えられた感じだ。
聖灰の暗号(上、下) 著 帚木蓬生 新潮文庫 上514円、下552円