My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2010年10月

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10月より月一度の「キリスト教美術とギリシア神話」なる講義に参加することにしましたが、
先日始めてその講義を受講しました。

今回のテーマは「ヘラクレスの選択」でした。

ヘラクレスはご承知のごとく、「ヘラの栄光」という名を持つギリシア神話の英雄。

ギリシア神話に登場する多くの半神半人の英雄の中でも最大の存在で、後にオリュンポスの神に連なった。

ヘラクレスは、ペルセウスの子孫であり、ミュケーナイ王家の血を引く。

全能の神ゼウスの不義の子として生まれ、ゼウスの妻ヘラに自分の名を称えているにも関わらずとことん憎まれる。

少しその逸話を紹介すると

ゼウスはヘラクレスに不死の力を与えようとして、眠っているヘラの乳を吸わせたが、目覚めたヘラは赤ん坊を突き放した。

このとき飛び散った乳が天の川になったという。

これを恨んだヘラは密かに二匹の蛇をヘラクレスが寝ている揺り籠に放ったが、ヘラクレスは素手でこれを絞め殺す。

ヘラクレスが大人になり、幸福な家庭を築いた時を見計らい、ヘラは彼を狂わせ、わが子を惨殺するように仕向ける。

正気に戻ったヘラクレスは自分の行為におののき絶望する。

そんな彼に罪を償うために、アポローンは「ミュケーナイ王に仕え、12の勤めを果たせ」と助言する。

彼はこれに従い、本来なら自分がなっているはずのミュケーナイ王に仕え、12年をかけその苦難の偉業を達成することになる。


「ヘラクレスの選択」といえば、このように敢えて苦難の道を歩んでいくことをいう。


最近では映画『突入せよ!「あさま山荘」事件』のサブタイトルが『The Choice of Hercules(ヘラクレスの選択)』で思い起こす人も多いと思います。

主人公が、突入するとき、上司の警察庁長官が「全て君の人生は『ヘラクレスの選択』と思え」と言う。 

結果がどうであれ苦難の道が待っていることを意味している。


さて、この「ヘラクレスの選択」をテーマとした絵画は数多く、
今回10数点紹介してもらったがその中でも
『岐路に立つヘラクレス』 アンニーバレ・カラッチ(1596年) 
ナポリ・カポディモンテ国立美術館蔵 が印象的だった。


英雄ヘラクレスが岩の上に座り、「美徳」と「悪徳」を擬人化した二人の立ち姿の女性の間で、
どちらに従うべきか迷っている様子が描かれている。

地味な服装をした女性は「美徳」の象徴で、足元には月桂冠の冠を戴き書物(知恵をあらわす)を持つ詩人の姿も描かれている。

彼女が指し示す方向は、岩だらけの狭い道が続いており、これを頑張って登れば、名声を象徴する有翼のペガサスが待っていると示している。

一方、右側の薄い衣を身にまとった女性は「悪徳」の象徴で、足元に置かれた仮面は「欺瞞、淫欲」、楽器は「地上的な快楽」の象徴として描かれている。

彼女の示す道はなだらかで、その先は陽の当たる牧場に至り、池では裸の男女が遊び戯れている。


そして、ヘラクレスは最終的に「美徳」の指し示す正しい道を選ぶのだが、私なら即・・・。

だからこそ時代を経ても名画などのテーマになるのだろう。





次回は「ヘラクレスの12の功業」がテーマだという。

星座うみへび座の逸話となった9頭の水蛇ヒュドラとの戦い等の話がどのように表現され、解釈されるのか楽しみである。


さて、話が変わるが、
先日インターネットで「せとうち美術館ネットワーク」
http://www.jb-honshi.co.jp/museum/index.html)なるものを見つけました。

これはサイトによると、JB本四高速が支援して、瀬戸内海地域に数多く存在する美術館や博物館を相互にネットワーク化し、
地域全体としての文化芸術面の魅力を高めようとするものであるという。

要は瀬戸内海に3つもの大橋を作ってしまい、
何とか交通量を増やしたいと思うその策のひとつだと思うのだが、
なんと、瀬戸内海域で24もの美術館があり、
本四高速道路の週末の割引が来年の3月までであることを知りました。

今年4月に購入したCR-Zが今月半年の定期検査を向かえ、
走行距離が2100kmしか走っておらず、
いつも近場のゴルフ場と買い物だけで、4,50km/nの速度だけを強いているのは折角のスポーツカーとしては勿体無いこともあり、

この際、前述の講義に誘発されたわけでもないが、
本四高速の策(スタンプラリーもあり、スタンプの数によって景品がもらえる)に載って、
来年3月までに瀬戸内海域の24もの美術館を訪問することを企てることにしました。

まず手始めに、2週間で鳴門の「大塚国際美術館」そして
倉敷の「大原美術館」「児島虎次郎記念館」「倉敷市立美術館」と行きました。

既に訪問した所もあるが、今まで感じなかった新たな驚き、感動も多かった。

機会をみてその内容を報告します。

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ダイビングを初めたころから、大物好きの私は、
ジンベー、ハンマーヘッド、マンタ、イルカ、バショウカジキやマンボウなどを是非水中で見てみたいと強く願っていた。

既に5年余りが経過して、この間大物を見るため、
場所や季節を調整して国内外の色々な場所で潜って、
かなり目標を達成してきたが、残ったものがバショウカジキやマンボウだった。


マンボウは全世界の温帯~熱帯域に広く分布しており、
日本では北海道以南で見られるらしいが、外洋の表層や中層を漂って生活しているため、ダイビングで出会うことは少ないが、
夏は沿岸に寄ってきて比較的遭遇率がアップする。


インドネシア・バリ島のヌサペニダでは夏場マンボウが見られると聞き、2年前会社の旅行でバリ島へ出かけた際、
ヌサペニダでのダイビングを試みたが、時期が少し遅かったためかマンボウには遭遇できなかった。

それからは神秘に満ちた寺々と緑濃く、俊美な山を持つバリ島を是非再び訪れて、
その魅力に触れるとともにマンボウに会ってみたいと常々思っていた。


9月末には仕事をやめ、10月から時間の余裕が出来たのと、
マンボウシーズンの後半だが、
10月中旬までならマンボウに遭遇出来る可能性があるとのことで急遽決めたバリ島行きで、多少心配していたが・・・・・。

その結果は、マンボウポイントであるニサペニダのクリスタルベイポイントで、
潜行して水深20mぐらいの棚で流れに逆らいながら待っていると、すぐに海底からの冷たい海流に乗ってマンボウが現れた。

ガイドも驚くほど間単に会うことが出来た。

更に次の日も同じポイントでクリーニング中のマンボウを5分ほどじっくり観察させてもらった。


平たく、体の後部が垂直に切り取られたような形で、尾びれ腹びれはなく、背びれ尻びれは上下に大きく長い、本当に面白い形の魚だ。

私が行く前までは会えることが少なかったらしく、
ガイドはラッキーといっていたが、
私の永い願いが届いたのかもしれない。


こんな面白い形をしたマンボウは魚類フグ目マンボウ科の1種で、
英語名を「ocean sunfish」学名を「Mola mola」といい、
ダイバー間ではモーラモーラと呼ぶことが多い。

フグ類に共通する丸い目と小さな口を持ち皮膚は厚く粘液で覆われるとともに、おびただしい量の寄生虫が付着しているとのこと。


時折海面にからだを横たえたへ、その形が丸い体が浮かんでいる様が太陽のようであることから sunfish という英名がついたという。

この行動はカモメなどの海鳥に寄生虫を取ってもらうため、あるいは日光浴による殺菌が目的ではないかと考えられている。

マンボウには寄生虫が多く付着していることは初めて知ったが、
このため、クリニーングステーションでこの寄生虫をとって貰うため、
5分にもわたってじっくり観察させて頂くことが出来のだと感謝しなければならないかもしれない。


マンボウの話が長くなったが、
今回のバリ島でのダイビングではバリ島北西部にある沈潜ポイントの「トゥランベン」や
島北東の水中公園といわれる珊瑚が綺麗な「アメッド」で潜ることが出来、
4日間の短いダイビングであったが、充実したダイビングであった。


さて、今回のバリ島行きの目的はダイビングだけでなく、
前回思わぬハプニングで訪問出来なくなった中西部のお寺や遺跡を訪れることでもあった。

最後の日、車をチャーターして(前回と同じスズキでチョット心配したが)
タマ・アユン寺院、マルガ英雄墓地、プキッ・サリ寺院、バトゥカウ寺院、ジャスティルウィライステラスなどを回ることが出来大満足だ。

訪問した各地の写真やその様子はホームページに載せることにして割愛するが、
ここではあまり観光客が訪れないマルガ英雄墓地について触れてみる。


マルガは1946年11月20日、オランダ軍とインドネシア独立戦争部隊との間で大規模な戦闘があった場所だ。

グスティ・グラライ将軍(彼の名が現在のバリ国際空港に冠せられている)率いる94人の部隊は降伏勧告にも応じず、全員死ぬまで戦い続けたという。

マルガ英雄墓地はこのグラライの部隊を始め、独立戦争で亡くなった人々の1372基の墓が広大な敷地を埋め尽くすように並んでいる。

その中には先の世界大戦終了後この地に残り、バリの人々と共に独立戦争を戦い亡くなった日本人の11基の墓がある。


訪れた日本人の墓には27,28才の人のものもあり、
この墓にたたずみ、
若い彼らが、戦争終了後日本にも帰らず、何を想い信じて、
この地の独立戦争に参加して死んでいったのかを考えると
何か急に胸を突き上げるような気持ちがした。


戦後65年。
毎年日本人の墓に花を手向ける家族があるという。

風化しつつある戦争記憶であるが、
改めて何かを考えさせられたバリ島旅行であった。

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2年前の11月、インドネシアへ会社の旅行へ行ったが、自由行動の際バリ島・ヌサペニダでダイビングとバリ中央部のウルン・ダヌ・プラタン寺院やバトゥカウ寺院の見学を計画した。

が、しかし、ダイビングでは時期が少し遅く、マンボウを見ることができず、

寺院の観光についても、チャーターした乗用車(日本製、使用2年の新車)がバトゥカウ山を上るに従いパワーが落ち、とうとうエンスト(今時こんなことが起きるのか?)。

騙しだましの運転を強いられ、とうとう、時間が無くなりバトゥカウ寺院の見学は出来なくなり、大変残念な思いをした。

(私のホームページ 
http://www.traveldive.net :インドネシア旅行記参照ください)

だが、バリ島は緑あふれ、秀麗な山々、緑深い渓谷など自然が豊かでかつ、バリ・ヒンドウ教に基づいた伝統文化が息づいている神秘性のある島に魅せられ、機会があれば是非又行ってみたいと思っていた。

そんなこんなで、バリ島へ又行くチャンスをずーと狙っていたが、
最近、雑誌でマンボウは10月中旬ごろまでしか見られないと知り、急遽バリ島行きを決めてしまった次第だ。

しかし、バリ島行きの決定はもう少し私自身の生活の変化によるものもある。


というのは、9月末で永く勤めた会社生活にピリオドを打ったのだ。
会社勤め40年近く、その後個人事業主7年ほど続けた。

後半の個人事業主ではかなり自分の都合を反映することが出来、まー良かったと思っている。


さて、それでは10月より何をするかと思いあぐねていたときに
渡辺淳一の「孤舟」を書店で見つけた。

この本の帯には

「定年退職して始まる本当の孤独。

バラ色の第二の人生のはずが、待っていたのは、夫婦関係と親子関係の危機。
人生最大の転機をいかに乗り切るか。

大手広告代理店を定年退職、バラ色の第二の人生のはずが、威一郎を待っていたのは、家族との深い溝だった。
娘は独立、妻は家を出てしまう・・・。」


主人公は大企業の役員まで勤めるが、仕事オンリーで家の事は一切妻まかせ。
そんな人が退職すると、朝新聞読むともうすることが無くなる。

妻の方は地域や趣味の活動に忙しく、友人も多く毎日電話で連絡しあっている。

夫はだんだん妻の行動について、電話が長いとか、どこへ行く、いつ帰るなどと煩く監視し始める。

妻は、夫が出勤中は自由な生活していたものが、夫が毎日在宅し、煩く監視するため、
精神的、肉体的にバランスを崩して「主人在宅ストレス症候群」になって、やがて耐え切れず妻は家を出て行ってしまう。


せっかくの第二の人生と思うが、よく聞く話である。

振り返って私の場合はというと、妻は既に他界しており、家族間の変化はなさそうであるが、

はたと、では10月から何をする?


まずは趣味のダイビングを継続する。

もちろん続けるが、いつまでもやっているわけでもなく・・・。

そのときは其の時で、これから一年の行きたい場所(今まで遠くて行けなかったアメリカ大陸を含め)の候補を作り、それを実現できるようにしていこう。

バリ島行きを急遽決めた理由に、退職後の10月から何もすることも無いのも困るので、というのも大きな要素である。


次にダイビングを永く続けるためにも、衰える体力を何とか維持しなければとスポーツジム通いの頻度を多くしよう。

私は週末・祝日のみの会員として、20数年前からジムへ行きランニングとかエアロなどをしているのだが、殆ど日曜日のみで多くても月3回ぐらいだ。


今度、フルタイムの会員に変更手続きするとき、係りの人にウイークデーの混み具合を聞いたところ、日曜日と比較して各段に混んでいるとのこと。

「何故?」の問いに、「中高年の年配男性が10時から5時まで多くなっています」

「なんなら、体験入館で確認されたらいかがですか」といわれ、
先日9月下旬の平日仕事をさぼりジムに行きました。

やはり本当でした、各マシンは殆ど占拠され、サウナは座るとこなく、シャワー、洗い場は待ち人が並ぶ。

普段から、ゴルフでも、映画や各施設は休みの日しか行けず、
混んでいるのに高い料金を払っていたので、安く、人のいない平日に行くことを夢見ていたのだが・・。

どうも、スポーツジムだけは別格なのか、「孤舟」にもあったように、
退職後することが無いお父さんたちが、奥さん達から家を追い出されてここに来ているのであろうか。

でも、すること無ければジムへと、私もフルタイムの会員になりましたが・・・。


さて、体を使うだけでなく、認知症防止のためにも、頭を使うことを考えなければと


普段から興味があった古代文明と歴史、美術に関する講座が近くのカルチャーセンターで10月より開催することを知り、月1回半年間だが参加することにした。


と、にわか計画であるが、まーゆっくりとやっていこう。
時間は十分あるのだから。


「孤舟」 渡辺淳一  集英社刊  1680円

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