My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2010年12月

イメージ 1月1度の「キリスト教美術とギリシャ神話」の講義は今回もヘラクレスの12の功業に関するものだった。

前回はヘラクレスの12の功業の最初の「ネメアの獅子退治」(詳細は12月6日付けの私のブログを参照下さい)であったが、
今回は続きの第2話から6話までの5つの逸話についてであった。


簡単に今回の逸話の内容を紹介すると

「レルナのヒュドラ退治」

ヒュドラはレルナの沼沢地帯アミュモネの泉に住む水蛇で、
九つの頭を持ち、しかも真ん中の頭は不死で、残りの頭は首を切るとそこから二つの頭が生えてくる怪物だ。

ヘラクレスは従者だった甥っ子と松明で切り口を焼き、新しい首が生えてこないようにし、不死の首は岩でつぶして封印し、何とか退治した。


「ケリュネイアの鹿の生け捕り」

エウリュステウスの命令は黄金の角を持ち、女神アルテミスに捧げられていた鹿を生きて捕らえる事だった。

ヘラクレスは一年間も後を追って、隙をねらい、河を渡ろうとしている鹿に弓を放ち、前足2本の骨と腱の間を射抜き、一滴の血を流さず捕らえた。


「エリュマントスの猪の生け捕り」

付近を荒らしまわっている巨大で獰猛な猪の退治の話。

猪を茂みから追い出し、深い雪の中に追いやって、動けなくなった猪の背中に飛び乗って捕らえ、生きたまま肩に乗せミケーネに運んだ。


「アウゲイアスの牛小屋掃除」

エリスのアウゲイアス王は巨万の家畜を持っていたが、その家畜小屋には巨大な糞がうずたかくつもっており、これをたった一日で掃除せよという命令。

ヘラクレスは家畜小屋に沿って流れている河を利用し、その水を導入して一気にその糞を押し流してしまった。


「ステュンファロス湖畔の鳥退治」

ステュムパロス湖畔の森に住む、翼、爪、くちばしが青銅でできた怪鳥は凶暴で人間を襲い、排泄物で田畑を荒らす厄介者であり、
これを退治することを命令される。

ヘラクレスは女神アテナがヘパイストスに作ってもらった、鳴り物を吹き、飛び立ったところをヒュドラの毒矢で射殺した。


さて、前置きが長くなったが前述の各逸話にはそれぞれをテーマにした有名な絵画、彫刻があるが中でも印象深かったのが、
ヘラクレスのヒュドラ退治をテーマにした、

フランス象徴主義の巨匠
ギュスターヴ・モローを代表する作品『ヘラクレスとレルナのヒュドラ』(1876年シカゴ美術研究所)である。


本作ではキリストをヘラクレスに、ヒュドラを悪魔に置き換へ、悪魔に毅然と立ち向かうキリストを描いている。

画面左側では逞しい体と強固な意志を感じさせる視線を毅然とヒュドラに向けるヘラクレスを配している。

画面右側には九つの鎌首を持ち上げ、ヘラクレスに明らかな敵意を示すヒュドラが配されている。

そしてヒュドラの周辺には己が殺した死体が散乱しており、観る者へヒュドラの獰猛性と強大な力を連想させるが、
背後の岩の谷間から見える太陽はヘラクレス(キリスト)の勝利を暗示させている。


洋の東西を通じて蛇=竜を悪の化身とする話は多い。

日本の場合、神話のヤマタノオロチが多頭の蛇という共通点でヒュドラの話とよく似ており、
また、退治する方法がヒッタイトの神話に似ている。

ヒッタイト神話では、嵐の神「プルリヤシャ」が小屋に酒を瓶に入れて隠し、酒の匂いに誘われて来て、酔いつぶれた、竜の神「イルルヤンカシュ」を斬り殺す。

スサノオの「ヤマタノオロチ退治」の神話と同じである。

恐らく、ヒッタイトの神話が遠く巡り回って日本に伝播されたのであろう。

一方、ヒッタイトの龍退治神話はギリシア神話にもヘラクレスのヒュドラ退治として受け継がれた。


しかし、この蛇(竜)は足を持たない長い体や毒をもつこと、脱皮をすることから「死と再生」を連想させ、
山野に棲み、ネズミなどの害獣を獲物とし、豊穣と多産と永遠の生命力の象徴でもあり、
古来より「神の使い」などとして世界的に信仰の対象でもあった。


だが、なぜか嫌われる。

先日の新聞記事
(2010年11月27日:読売新聞)

「人がヘビを怖がるのは本能」
とする研究結果を京都大学の教授らが発表した。

ヘビによる恐怖体験がない3歳児でも、大人と同じようにヘビに敏感に反応し(蛇の)攻撃姿勢を見分けられることを示したという。


毒を持つ異形な形をした生物を、我々の先祖のサルが木から下り2本足で歩き始めた時から警戒したのであろう。


翻って、現代の我々日本の国民に、悪い政治家を見極める本能が少しでも授かっていればもっといい国になるのだが・・・。

イメージ 1最近、堅苦しいビジネスの専門知識をテーマにして、主人公がその専門知識習得しながら、
人間的にも成長していく様子をライトノーベル風に描き、
読者に知らず知らずのうちに学びとエンターテイメントを与えてくれる小説が増えてきている。


私が読んだ最近のものでは

竹内謙礼、青木寿幸共著「会計天国」

会計士の主人公が突然の交通事故で亡くなるが、経営的に行き詰った経営者5人を彼の知識で救えれば現世に戻って来られる・・
という設定で5人に会計ノウハウを伝授する話である。
(詳細2009年8月7日付けブログ参照ください)


岩崎夏海著「もし高校野球の女子マネージャがドラッカの「マネジメント」を読んだら」

女子マネージャがひょんなことから「マネジメント」を読み、これを野球部の運営に導入して甲子園を目指そうとする青春小説
(詳細2010年6月16日付けブログ参照ください)


竹内謙礼、青木寿幸共著「投資ミサイル」

突如、倒産危機の企業に派遣されたロボット取締役に女性管理職が会社経営に必要な経営ノウハウを伝授してもらいながら会社を救おうとするのだが・・・
(笑いと涙ありの物語で近くブログにまとめる予定)


共に気楽に読めて、何か勉強出来たようで、しかも人生の笑い、ペーソスを味わえる新しい形のエンターテイメント小説だ。


では、今回の「トッカン」はというと

まず粗筋を本の裏表紙から紹介すると


「わたしたちは悪人ではない・・・たぶん。 
税金滞納者から問答無用で取り立てを行なう、皆の嫌われ者―徴収官。

そのなかでも、特に悪質な事案を担当するのが特別国税徴収官(略してトッカン)だ。

東京国税局京橋地区税務署に所属する、言いたいことを言えず、すぐに「ぐ」と詰まってしまう鈴宮深樹(通称ぐー子)は、冷血無比なトッカン・鏡雅愛の補佐として、今日も滞納者の取立てに奔走中。

納税を拒む資産家マダムの外車やシャネルのセーター、果ては高級ペットまでS(差し押さえ)したり、貧しい工場に取り立てに行ってすげなく追い返されたり、カフェの二重帳簿を暴くために潜入捜査したり、銀座の高級クラブのママと闘ったり。

税金を払いたくても払えない者、払えるのに払わない者・・・鬼上司・鏡の下、人間の生活と欲望に直結した、”税金”について学んでいく。

仕事人たちに明日への希望を灯す、今一番熱い職業エンターテイメント!」

とある。


安定した職業という点だけで公務員を希望し、特別国税徴収官になった主人公が、前向きで、嫌われる仕事にも雑草のように踏まれ、つぶされても、ひたむきに立ち向かう姿は、共感できる部分も多く、胸にぐっと来る。

主人公は上司や、先輩、そして担当先の滞納者たちと接するうちに、税金とは何か、お金とは何か、人とは、欲とは、仕事とは何か、を、考え、学んでいく成長していく。

軽いタッチでどんどん引き込まれ、読者も知らず知らずに主人公に同化して、悩み、感動し、そして勉強していく、実に巧みな構成の小説である。


この小説を読んで税金について改めて考えさせられ、教えられたことは多い。



国税局に与えられた権利は警察を凌ぐという。

警察の取調べに対して黙秘が出来るが、税務署では出来ない。

映画の「マルサの女」で有名な査察は裁判所で強制調査の令状を取り、納税者の同意なしに調査ができるが、それ以上の権利が特別国税徴収官に与えられている。

裁判所の令状なしで、問答無用で押しかけ、滞納者の金を強奪しても滞納者はなにも手出しできない。

滞納したら最後、滞納者を守る権利は何も無いのだ。


これほどの権限を持っているのは勿論、納税が国民の三大義務のひとつであり、脱税は国民全員を被害者とする重罪なのだという考え方から来ているのだろう。


しかし、義務であれば公平な税金徴収で無ければならないが、日本の税金徴収は「トーゴーサンピン」と称されている。

業種間の課税所得の捕捉率は給与所得者約10割、自営業者約5割、農林水産業者約3割、政治家1割と不公平であることを呼称したものである。


折りしも、来年度税制改正の大枠が発表されたが、法人実効税率の引き下げなど評価出来るものはあるが、引き換えに個人の増税(給与所得控除の縮小や相続税の税率引き上げと共に前年度改正の年少扶養控除の縮小など)が続々計画されている。

すでに補足されている税金を移し変えているだけで、弱く文句の言わないところから取る姿勢は変わっていない。

何故、納税番号制を導入しないのであろうか、プライバシーの問題があるというが、主要国では導入済みだ。

納税の不公平感は大きな問題だ。
政治家の1割など言語道断だ。

税金の使われ方も問題だ。 

国民の税金をあたかも自分のお金のようにして、子飼いの部下に配り権力の温存を図る政治家もいる。

悪い政治家を選ぶ我々国民がもっとしっかりしなければだめなのだろう。


「トッカン 特別国税徴収官」 高殿 円著 早川書房刊 1600円

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10月より月一度の「キリスト教美術とギリシア神話」なる講義に参加しているが、前回のテーマは「ヘラクレスの選択」でしたが、今回は「ヘラクレスの獅子退治」でした。


ヘラクレスは大神ゼウスの不倫の子として生まれたが、
ゼウスの妻ヘラから疎まれ、色々な策謀にあうが、
ついには気を狂わされ我が子を惨殺すはめに落とし込まれる。

正気に戻ったヘラクレスは自分の行為におののき絶望するが、罪を償うためにアポローンの助言に従い12の功業を果たすことになる。

(詳しくは2010年10月25日の私のブログを参照ください)


この12の功業の最初の功業が「ネメアの獅子退治」である。


どんな話かチョット紹介すると

怪物テュフォンの子供に、巨大で皮膚は鉄よりもかたい獅子がおり、ネメアの森に住み、村人や旅人を襲っていた。

罪滅ぼしでティリュンスのエウルステウス王のもとに身を寄せていたヘラクレスに、王がこの怪物退治を命じる。

ヘラクレスはネメアの森に獅子を探しに行ったが、皆獅子に食べられてしまって、獅子のことを知る人に出会うことも出来ず、
20日以上もネメアの森をさ迷った後、ようやく人食い獅子に遭遇することが出来た。

ヘラクレスは獅子に向って矢を放ったが跳ね返ってしまい、剣も役に立たず、 棍棒で人食い獅子の頭を殴ったが、なんと棍棒は真っ二つに折れてしまった。

だが、さすがの獅子も堪らず2つ穴のある洞穴に逃げ込んだが、
ヘラクレスは片方の穴をふさぎ、もう一方の穴から入り無双の腕力で3日3晩獅子の首を絞めて窒息させた。

ヘラクレスはこの後この獅子の爪を使い、剣をも通さない毛皮をはいで肩にかけ、棍棒を作り直し一生肌身はなさず持ち歩いた。

ヘラクレスが獅子を退治してきたことを聞いたエウルステウス王は、ヘラクレスの恐ろしい力を知り、殺されてはたまらないと、鍛冶屋に命じて頑丈な青銅の壷を作りヘラクレスがやってくるとその中に逃げ込んだ。

ヘラクレスを憎むゼウスの妻ヘラは、よくぞヘラクレスを苦しめてくれたと、この獅子を星座にした。


以上がヘラクレスの12の功業の最初の話であるが、ヘラクレスを表した絵画、彫刻にはこの話の獅子の頭をかぶり棍棒を持つ姿が常套となった。

さて、この獅子退治をテーマにした絵画、彫刻は数多くあるが、圧巻は
ナポリ国立考古学博物館にあるイタリアの名門 ファルネーゼ家コレクションの「休息するヘラクレス」像だ。

これは古代ギリシャ・クラシクス時代リュシッポスの「ヘラクレス」を216年ローマ・グリュコンが模刻したもので、1546年ローマ・カラカラ浴場近くで発掘されたという。

獅子の皮を棍棒にかぶせ、それを支えとして、獅子の退治で疲れて休む、より人間的な神の姿を現している。

この像が以後のヘラクレスのイメージとなっているとの事。


この英雄のポーズを真似て肖像画を描かしたのがフランス・ルイ14世だ。

彼は、ブルボン朝最盛期の王で太陽王と呼ばれ、対外戦争を積極的に行い領土を拡張して権威を高め、絶対君主制を確立した。

ヴェルサイユ宮殿を建設するなど文化の興隆も見たが、治世後半はスペイン継承戦争などで苦戦し、晩年には莫大な戦費調達と放漫財政によりフランスは深刻な財政難に陥っている。


リゴーのルイ14世の肖像画は
聖別式の衣装に身を包み、王剣を脇に差し、手を王杖にかけており、背後の台には王冠が置かれている。
 
ヘラクレスの像のポーズに良く似ている。

先日も大塚国際美術館で見たこの絵は絶対君主による天下の栄華を彷彿とさせるが、彼の足が細く美しく、そして赤いハイヒールがすごく印象的であった。


ルイ14世はイタリアから持ち込まれたバレエに魅せられ、自らも主演した。
そのため、美しい脚線美を維持するため高いヒール靴を好んだ。

ハイヒールを履いている理由はこれだけでなく、どうやらフランス中世の社会習慣にもあるようだ。


当時パリの家にはトイレはなくおまるに用を足し、いっぱいになると、窓から「水に注意!」と叫んで、道に投げる。

道はとても臭く歩けたものでなく、傘やハイヒールが必需品となっていたらしい。

ルイ14世が宮殿をルーブルからヴェルサイユに移したのは、ルーブル宮殿が大小便まみれになって、住むことができなくなったためとされている。

しかし、ヴェルサイユに移っても、当時の貴族や貴婦人たちは便意を催せば所を選ばず、ウンコやオシッコをするのが習慣になっていたらしくハイヒールが手放せなかった。


一方同時代の日本の江戸では各戸にトイレをもち屋敷と屋敷の間に溝を設け集めていた。

これは、清潔好きというより人糞を肥料として用いるという、世界的に見るとごく稀な風習によるものらしい。

一枚の絵画を深く見つめると、その背景の歴史、風習まで見えてくるのも楽しみだ。

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