My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2011年03月

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東日本大震災から2週間を過ぎたが、亡くなった方の数は1万人を超え、1万6千を超える人がまだ行方不明である。

福島第一原子力発電所の事故もタービン室に溜まった水から高濃度の放射性物質が検出されるなど、次々と新しい問題が発生し全く予断が許されない状況にある。


しかし、被災された多くの方々の避難所にはやっと必要な生活物資も届き始め、落ち着きと明るさが見え始めたのは何よりである。


それにしても被災に会われた人々の冷静で不屈と忍耐力そして何よりも規律正しいモラルと団結力には頭が下がる思いだ。

28日の新聞にはわが身を犠牲にして「津波、逃げて」と懸命に放送し続けて9000人の人を救った南三陸町職員の記事が掲載されていた。


まれに見る災害の大きさにもまして、被災者たちの勇気ある秩序正しい行動が全世界の人々に感動を呼び起こし、かってない規模の各国からの救援隊の派遣や、義援金、ボランティア等の行動が起こされている。

日本は勿論、全世界の人々が今、自分が何を出来るかを真剣に考え、チャリティー活動や募金そして多くの暖かいメッセージを寄越してくれている。

有難いことだ。

だが、いい人ばかりではない。この災害で一儲け企む輩も居る。
リーマンショクで名を馳せた傲慢で強欲な金融界の人間だ。


市場に流れ込んだ投機資金により大地震発生後、急激な株安・円高が進んだ。

最近の為替や原油市場にしても、実際に外国通貨や原油を必要とする人々よりただ差益だけを目的とした投機関連の人々が何十倍もの資金を投入して市場を我が物のように操作しようとしている。


3月15日の日経平均株価は、前日比1015円安の大暴落となった。
地震の発生以降の株価下落は累計で1800円を超えた。

そして円高だ。
3月17日の外国為替市場で、円相場が一時1ドル=76円台まで急伸し、戦後最高値を記録した。

大地震で大きな損害を被った日本経済の先行きは危ぶまれ、円安となるはずにもかかわらず急激な円高となった。

なぜ急激な円高がきたのか。

阪神大震災のときも円高になった。
国内復興に資金が必要な日本企業が海外資産を処分して円資金を確保している。

などの解説がされるが

阪神大震災の時は、実は直後には円高にならず、
数日間は円安に動いている。

しかし、シンガポールのトレーダーがデリバティブ取引で損失を出し、女王陛下の銀行とまで言われた老舗ベアリングス証券を2月末に破綻に追い込むという事件が発生した。

その後から円高が起こり、4月中旬には79円75銭の史上最高値の記録することになった。

円の需要が増えたと言う説にも、これから保険の支払いで資金が必要とされる国内の生損保関係は一様にそうした取引の存在を否定している。


それでは、なぜ急激な円高が進んだのか。

ヘッジファンドを中心とした投機資金が、日本の市場が閑散な早朝を狙い、「ストップ狩」を仕掛けるべく、円買いに走ったというのだ。

ストップ狩りとは通常、ヘッジファンドなど巨額の資金を操る投機筋が利益を上げようとする一つの手法を指す言葉で、マーケットに出ているストップロス注文を「狩り」に行くのがストップ狩りだ。

FX取引で外貨を持っている人はストップロスという設定をしていることが多い。

これは、自分で設定した為替水準まで達すると、損失をそれ以上拡大させないために、自動的に手じまいを行う仕組みだ。

今回はヘッジファンドなどの大量の売り注文によって円高がみるみる進み、大量のストップロス注文が発生し、それがさらに下げを加速させた。

そうやってパニック的な1日で3円以上の円高が進んだ。

最初仕掛けたヘッジファンドはそれを買い戻して利益を確定させたのだ。

ひどい話だ。世界中の殆どの人が「日本がんばれ」とエールを送ってくれている中で、強欲な金融界の人だけが、震災でふらふらとなった日本経済と国民を後ろからとび蹴りを加えるみたいなものだ。


為替投資はどうも好きになれない。

長年製造業界に身をおき、製品の品質や生産性、歩留まり向上などに一技術者として力を注いできたが、
1%以下の歩留まり向上でも、計画から設備改善まで1年以上かけて実行することもあったが(昔は為替の変動も少なく、これらの積み重ねが製造技術の向上となり海外との競争力がアップしていった)、
今では完成した暁の1%の向上など為替の変動が一瞬にて霧散してしまう。

誰もが、もうコツコツと製造技術の向上を図ろうとしなくなる。

人のお金を集め、物を作るでもなくサービスをするでもなく、
ただ差益だけに狂走し、周りの関係者の混迷を省みることなく、
ただ強欲にわが利益のみを追求しているヘッジファンドなどが大きな顔が出来るような世の中はやはり異常だと思うのだが・・・。

今回の震災で図らずも世界に日本の物作りの実力を認識させることになったが、
復興に当たっては次世代にも通用する物作りを中心とした社会が構築できればいいのだが。

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巨大地震と原発事故の混乱がいまだ収まらない。

東日本大震災は発生から12日目となったが、まだその被害の全貌がわからない。

新聞記事では22日時点で死者・行方不明が計2万1724人。
避難者数は16都県で約31万人に上る。

被災地では雪交じりの寒さに加え、燃料、薬品や食料品などの生活物資の不足などが目立ち、避難所で亡くなる高齢の方も多く、被災者の疲労がたまり限界に来ているという。

日本での過去最大の自然災害である。


しかし、何故こうも混乱するのだろうか

地震と津波の規模が想定外だったのは確かだが、日本の原発の安全神話は崩れ落ち、被災地での生活物資の不足、計画停電など影響は被災地以外の各方面にも及び、震災後の対応に次々と問題点が浮かび上がるが、政権のリーダーシップによる復興への道筋はいまだ見えない。

日本は震災国で過去何度か大きな災害から立ち上がってきているが、これらの経験が日本の政治家にはどうも継承されることなく、政権や利権の争いの仕方だけのDNAが受け継がれているようだ。


しかし、小説の中での日本の政治家は、願望も含めてか、真の政治とは何かということを理解し、リーダーシップをもち果敢に実行する姿が描かれていることが多くある。


最近、今回の震災をかんがみ、昨年購入して平積みしていた、
災害危機小説を多く書いている、高嶋哲夫氏の「首都感染」を引っ張り出して読でみました。


この小説の内容は、

20××年、中国でサッカー・ワールドカップが開催された。

しかし、熱狂するスタジアムから遠く離れた雲南省で、致死率60%の強毒性新型インフルエンザが出現。

中国当局はワールドカップ成功のためこの情報をひた隠すが、WHOは中国で何かおかしいことが起きているのではないかと感じていたが、
中国からの報告が無いため動きが取れなかった。

だが、中国の必死の封じ込めも破綻し、恐怖のウイルスが世界に、そして日本へと向い始めた。

そんな中、日本はいち早く、中国からの一切の航空機の国内乗り入れ禁止と日本人の中国からの乗客は最低5日間ホテルに収容、監視をすることを、
元WHO防疫の専門家である優司のアドバイスを受け、総理は中国への宣戦布告並みとも思えるような決断を敢行する。


拘束期間の5日間で感染者が次々と出た。

世界では感染が拡大し、死者も増加する中で、完全に隔離した日本は封じ込めにうまくいったかのように見えた。

しかし、都内で中国帰国者以外の感染者が出てしまった。それも次々と。

封じ込みからの漏れは、中国大使館の外交官家族が特権で規制を逃れ都内に入ってしまったことが感染源だった。

日本を救うため、優司たちは政府に首都封鎖を提案する。

それは封鎖された区域からは誰一人、どのような理由があろうが出ることも、入ることも出来ないことである。

猛烈な抗議の中、総理はひそかに準備し決断する。


地方が首都を支える約束をした。

世界中が感染し、どこも暴動、略奪、経済崩壊するなか、日本では首都以外は平常に生活することが出来た。

が、首都はその機能が停止する中、医療関係者は拡大する感染者と有効な手段が打てないまま増加する死亡者に悲嘆するが、自らの感染もいとわず不眠不休の治療を行う。

警察、消防、自冶体・・・と皆が自らの職務を全うしようと全力を尽くす。

一般の都民は生活物資が不足する不便な生活の中、拡大する感染に慄きながらじっと皆耐えた。


世界を救ったのは新しいワクチンとインフルエンザ薬を不眠不休の努力で開発し、それも無償で製造法を提供した日本の科学者達だ。


世界人口68億人のうち、80%の54億4千万人が感染し、その22%の11億7800万人が死亡するという未曾有のパンデミック。

そのうち日本での感染者は420万人、死者は58万人。

政治家の英断と科学者たちの知識が日本を救ったのだ。

以上が「首都感染」の内容である。


ウイルス感染によるインフルエンザ・パンデミックと巨大地震による自然災害と違っているがどこか今の東日本大震災の状況と似ている気がする。


家族、親類に犠牲者を出しながら、強い規律に元づく自制心で、罵声も、暴力も無く、隣人を思いやりながら、気丈夫に明日への希望を口にする被災者たち。

自ら被災者でありながら、被災者たちの命を守るために不眠不休の努力する医者や看護士たちの医療関係者や自冶体関係者。

危険に自ら飛び込み職務を全うしようとする、原発関係者、自衛隊、消防、警察などの関係者。


小説に出てくる人々と全く同じで、皆、果敢で勇気ある行動している。

作者の描く日本人は非常事態においても架空のものではなかった。


だが、小説では見られた政治家による国民のための真の政治が見られない。

さびしい限りだ。

今からでも遅くない。
政治家の政治家たる職務を今こそ全うしてほしい。




「首都感染」  高嶋哲夫著  講談社刊  1900円

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3月11日の午後に発生した東日本大震災。

地震、津波、火災、爆発等の刻々と報道される恐怖の映像は、
今まで見たことももない恐ろしいもので、
まさしく未曾有の危機に日本は直面している。

この地震は、東北地方の東側の海底にある断層が破壊されたことによって引き起こされたものだ。
断層の規模は数百キロといい、北海道沖から関東地方の沖へかけて伸びていることから、地震の影響も広範囲にわたった。

今回の巨大地震の規模は観測史上最大のマグニチュード(M)9.0と、同じ海溝型で、7.9を記録した関東大震災の数十倍の規模であり、破壊力は比較にならない。

これはまた世界の地震史上最大の規模といわれるインドネシア・スマトラ沖地震の9.1に並ぶほどの甚大なものだ。

今回の災害で、地震の揺れ以上に大きな被害をもたらしたのは、最初の揺れから間もなくして起こった津波だ。

一説では10メートルにも達したといわれる巨大津波が、岩手、宮城、福島の沿岸部を直撃した。
人的被害の大部分は、この津波によるものと推測されている。


震源地である、宮城県沖では過去にも平均で37年ごとに大地震が繰り返して起こり、
直近では1978年にM7.4の地震で28人の死者・不明者が出ている。

更に古くは、明治三陸地震(1896年6月15日)、昭和三陸地震1933年3月3日)が発生しており、
共に地震の揺れの被害よりその後に発生した津波による人的被害が大きかったことは今回の巨大地震とおなじである。


昭和三陸地震で、最も大きな被害を受けたとされる地域は、岩手県田老村であった。

田老村(現在の宮古市田老町)の受けた被害は、人口1798人の内42%の763人もの方が亡くなり、村は更地となる壊滅的な状態であった。

この災害の教訓から岩手県宮古市田老町に高さ10m長さ2km以上の巨大防潮堤が建設されることになり、
第一期工事は、1958年に完成させた。

この巨大防潮堤がチリ地震によって発生した、1960年5月23日のチリ津波から田老町を守った。

この出来事は、田老町の巨大防潮堤を世界に知らしめ、日本の防災の象徴ともなった。

しかし、今回の巨大地震で発生した大津波はこの巨大防潮堤をいとも簡単に乗り越え、再び田老町に壊滅的な被害をもたらしてしまった。


今回の地震は予測された震源域の近くで起きたとみられるが、M9.0という規模は大方の専門家の予想をあざむいた。

被害が広域に及び、建物の倒壊や火災、津波、通信網の途絶などが重なった。
こうした複合災害への備えは、十分ではない。

対津波に対する防災の考え方も大きく変える必要がある。

今回の津波は田老町の10mの防潮堤を越えてしまった。

津波による日本の本州で観測された記録として、
最も高い波高は明治三陸地震時、綾里湾の奥で入り組んだ谷状の部分を遡上した津波で38.2mを記録している。

今後の津波の防災は一体どうすればいいのだろうか? 
日本に課せられた大きな宿題だ。

だが、時間はそんなに無い。
東海地震が近いと言われて久しい。
南関東直下型地震や東南海・南海地震も遠からず……と予測されている。


だが、何をおいて万を越すといわれる行方不明者の捜索と被災者の救助であり、生活支援だ。
また余震や原発事故などの2次災害を最小限に抑え込む。
そして被災地の復興だ。


今回の巨大地震の規模は1854年12月の安政の大地震を上回り、過去最大規模の地震災害となったと報じられた。

まさに国難だ。
しかし、日本の政治家は政争に明け暮れ、肝心の解決すべき課題は先送りばかりだ。

今ほど政治家の決断力と実行力が必要な時はない。

与野党協力して懸案事項を一挙にメドをつけ、日本人全員が強い意志を持ちこの国難に立ち向かい、日本再生へ力強く歩めるよう、政治家は明確な道筋をつけ、導いていってほしい。


日本は幾多の災害を節目として、それを乗り越えより快適で安全な社会を構築してきた。

今回の大震災も日本史における大きな節目になろう。
大きな犠牲を払ったのだからこそ、日本がさらに良くなる方向への転機にしなければならない。

それは今生きている日本人の意志にかかっている。


日本人なら出来る。

海外からも「日本人がんばれ」と多くのエールが寄せられている。

米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは12日付で「不屈の日本」という社説を載せた。
「大自然からの打撃に遭っても生き延びる備えを、日本人がどれほどきちんとしているか指摘せずにいられない」と、
日本の防災システムや建物の耐震設計を称賛。
大地震で被害が出たハイチや中国と比べ「誤解してはいけない。日本の産業力は今も偉大だ」と力説した。

パキスタン英字紙ネーションは社説で日本の防災意識の高さと規律正しさで救いがあったと指摘。
「日本は第2次大戦の荒廃から見事に復興した。また新たな奇跡を起こしてくれるだろう」と結んだ。

頑張ろう。
「さすがは日本」と言わそう。

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最近、「スピーチ」をテーマにした映画がアカデミー賞を受賞したという話題で賑わったが、それにつれ少し前に読んだ小説「本日はお日柄もよく」が想い起こされる。


アカデミー賞を受賞した映画は、英国のエリザベス女王の父で、
吃音(きつおん)の悩みを抱えたジョージ6世が、
スピーチ矯正専門家の助けで困難を乗り越える姿を描いた
「英国王のスピーチ」で作品、監督、主演男優、脚本の4部門を受賞している。

「本日はお日柄もよく」は原田ハマ著で、
お気楽なOLが結婚式ですばらしいスピーチに出会い、
感動、涙し、スピーチライターに弟子入りするという、
スピーチにおける言葉のもつ限りない可能性をハートフ ルに描いた青春小説である。


両者とも「スピーチ」をテーマにしているが、
人に感動を与えるすばらしいスピーチは、勿論スピーチする人の人物像が最も大切なのだが、
ここでは脇役となるが、スピーチ‐セラピストとスピーチ‐ライターに視点を当てているのが注目される。


「英国史上、もっとも内気な王」と言われ、子供の頃から重度の吃音に悩まされてきたジョージ6世は、自分に自信が持てず、内向的な性格であったが、
医師の免許もなくパッとしない人生を送っていたスピーチ矯正師ライオン・ローグとの出会いが大きく人生を変えた。

英国の王として、ローグとともに吃音の克服に挑戦。

ローグは問題の原因となっていると思われる、王子の幼少期の体験による心理的問題、肉体的問題による背景を知り、より適切な解決を図ろうと試み、両者の絆はより深くなっていく。

1939年9月3日、イギリスはドイツのポーランド侵攻を受けてドイツに宣戦布告。

第二次世界大戦が始まった。そして同日、ジョージ6世は大英帝国全土に向けて国民を鼓舞する演説を、緊急にラジオの生放送で行うこととなるが……

医師免許も持たないスピーチ矯正師ローグと内気な吃音症の王子が、周りの色々な軋轢を乗り越え、二人の堅固な信頼関係を築き苦難を克服して、英国王として国民の力強い支えになっていく、感動の物語である。


一方、「本日はお日柄もよく」は“わたしの言葉が日本を変える!? OLが選挙のスピーチライターに! ”をキャッチコピーとしたトキメキのお仕事青春小説とある。

主人公は、製菓会社の総務部に勤める普通のOL。
他人の結婚式に出るたびに自分にも人並みの幸せが訪れることがあるあるのだろうかと、気が滅入る27歳だ。

そんな彼女が密かに片思いしていた幼なじみの結婚披露宴で、すばらしいスピーチに出会い、思わず感動、涙する。

伝説の女性スピーチライターの祝辞だった。

衝撃を受けた彼女は、伝説のスピーチライターに弟子入りすることになるが…。


内容的には、予想通りの展開とラストなのですが、登場人物が皆善意の人で(政治家達までが国を想い、家族を大切にするという想定なのです)、この人たちが、
お互いの人を想う何気ない会話、そして数々の言葉に魂を込めた、語りかけるスピーチに心を打たれ、感動し、涙する心温まる感動小説だ。

読後の余韻が心地よく、なにか力がわいてきそうな気がする一冊である。


著者の原田さん曰く、「主人公のOLが才能あるスピーチライターに触発され、その教えを受けて選挙戦へ飛びこむことになり、
突飛な展開のサクセスストーリーですが、ごく普通のOLが、言葉の魅力やスピーチというパフォーマンスに出合い、劇的に変化していく様子を描きたかった」とのこと。

もともとは米大統領選で、オバマに28歳のスピーチライターがいたことから着想したそうです。


我々に感動を与えてくれた世界の名スピーチとして、
古くはリンカーン大統領の「人民による、人民のための、人民の政治」であったり、
ケネディ大統領の就任式における「国が何をしてくれるかではなく、国のために何ができるかを考えてください」であったり、
キング牧師の「私には夢がある」など、
又、最近ではオバマ大統領の「Yes We Can」等の演説が想い起こされる。


それにしても、日本の政治家は何故こうも演説が下手なのだろうか、ただ原稿を抑揚も無く読み続ける。

国民の気持ちをひきつける絶好のチャンスなのに、義務だからいやいややって早く終わらしたいという気持ちが見え見えだ。


何も知らなくても、人気さえあればなれる(選んだのは我々国民だが)職業である政治家ならば、

スピーチ‐セラピストやスピーチ‐ライターの力を借りてもいいから、国民に自分の想い(もしあるならば)を伝える手段として
「スピーチ」をもっと勉強してもらいたいものである。

因みに、「本日は・・・」の冒頭に「スピーチの極意 十箇条」が掲載されている。

その第二項に 「エピソード、具体例を盛り込んだ原稿を作り、全文暗記すること」 とある。

やる気があれば出来ることなのだ。

米国の大統領は皆実行していることだ。



「本日は、お日柄もよく」原田ハマ著 徳間書店刊  1600円

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