My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2011年04月

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今回のダイビングはトゥバタハリーフ:フィリピン・スールー海のど真ん中にあり、一年のうち3ヶ月しかダイビングが出来ない閉ざされた場所なのだ。

関西からフィリピン・マニラへ、国内線でマニラからパラワン島の中央部のプエルト・プリンセサへとび、そこからクルーズ船で10時間の距離にあるのが今回のダイビング地だ。


ダイビングを始めて約6年経つが、この間ダイビングで年4,5回、それも行く先々のメジャーでない色々な航空会社を利用して海外に出かけてきた。

だが、これと言ったトラブルに会うことなく、勿論空港やホテルに忘れ物をしたようなことは2,3度あったが、
今回始めて旅行全体工程を根本から覆す恐れがあった航空機の遅延トラブルに遭遇してしまった。


関西空港 9:55分発のフィリピンエアーが最終的に5時間も出発が遅れてしまったのだ。

よくある話といえばそれっきりだが、今回のツアーはクルーズ船に乗るため、
乗船時間に間に合わなければツアーそのものがそこで終わってしまうのだ。


搭乗時間が遅れるとの情報に、マニラで国内線への乗り継ぎ時間が3時間あったため、初めはそんなに心配しなかったが、

出発予定時間が11時、12時と変更されとうとう2時までになってしまい、これではダメだと地上係員に交渉するが、

マニラでのホテルと往復の車は手配するが新しいプエルト・プリンセサへのチケット手配はこちらではわからないとのこと。


翌日の8時のフライトが手配できればクルース船に乗船できるので、ツアーを手配してくれた旅行会社に状況を説明して、何とか航空会社と交渉してもらい、
その結果空席がありチケットが確保出来そうだとの情報を貰ったのが2時頃だった。

それからは、今日中にマニラに着ければいいと気を大きく持って待っていたら、意外と早く3時ごろには出発することが出来た。


今回のトラブルのおかげで、大きな荷物を持ちながらの一人旅にはトラブル対応が意外と難しいという経験とマニラステイとなってしまったため、
久しぶりのあのマニラの交通渋滞と運転手の神業的テクニックを見せて貰った。

東日本大震災への災害発生と私の今回のトラブルは全く規模が違うが、
国も個人も不具合発生への緊急対応策を常に頭の中に入れておかなければいけないことを痛感した。


さて、前置きが長くなったが、今回のダイビングツアーでは、
6船中泊、1日がホテルの宿泊で、ダイビングは初日1本、最終日2本、中日は4本/日で合計19本も潜りました。

朝6時45分に一本目、9時45分、12時45分に2,3本目そして夕刻3時45分に4本目のダイビング。

朝食は一本終了後、昼食は2本終了後摂ります。

タイトなスケジュールですが、ダイビングの合間は、狭い船内では何もすること無く退屈するのではないかと心配しましたが、

あにはからず、食べて、飲んで、眠って、読んでのグータラな生活の連続で、人間は堕落した環境には直ぐ順応し、意外とこれが快く感じるようになり、

体の馴れと共に後半は1日4本のダイビングにも余り疲れも感じませんでした。

天候も我々に味方してくれ、前の週のツアーは荒れて船酔いや潜れないポイントなどもあったようだが、
今回は全日快晴で、流れも弱く、水面は鏡のようなベタ凪でした。


おかげで、トゥバタハリールの北、南の2つの環礁の人気ポイントを潜ることが出来たが、
流れが弱かった分、ダイビング自体は楽でしたが、大型の回遊魚の大きな群れに遭遇することは少なかった。

又、潜った各ポイントもロップ・オフの壁際を緩やかな流れに乗って流すスタイルが主流でポント毎の変化が少く物足りなくも感じた。


とはいえ、9ヶ月も人を寄せ付けず守られてきた自然は見事で、ドロップ・オフの壁面の至る所に、

群青色の海の中、色とりどりのウミウチワが大きく枝を広げ、重なり合い、その中をハナダイなどが色鮮やかに舞っている光景は忘れがたいほど美しく見事だ。

又、環礁の浅瀬では、明るい日差しが射すなか、
ソフトコーラルと白い砂地が広がり無数の熱帯魚が乱舞し、心癒されるダイビングが出来た。


だが、何よりも、1週間、世界の情報から隔絶され、只、只、ダイビングをし、そしてサンデッキで寝そべる時間を過ごせたのが極上の幸せであったと思います。


この長閑な波ひとつ無いスールー海に浮かぶ船上で身を焦がすような強い日射の下で日光浴しながら、
66年前、ここから南400kmのスールー諸島での日本軍全滅の話を思い起こすと胸が痛む。

1945年4月から6月、太平洋戦争の末期、日本軍と連合軍との間で、スールー諸島をめぐっての戦闘をスールー諸島の戦いというが、

日本軍は連合軍と地元モロ族ゲリラと戦い6000人の内生き残ったのは100人程度という文字通り全滅するという悲惨な戦いであった。


太平洋の南方諸島にダイビングに行くと、いつも当時の日本軍部の無謀さと犠牲となった多くの人々の無念さが思い起こされていたたまれなくなる。

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東日本大震災より早一ヶ月が過ぎ被災者達の間ではやっと落ち着きが見られるようになって来たが、
将来への不安、福島第一原発の動向など予断が許されない状況が続いている。


このような中でダイビングか!!と非難の声も聞こえそうだが、
確かに、100年に一度の大震災は本当に悲惨なことで、皆団結して励み、助け合い、いち早く復興を果たさなければならない。

反面、日本全国で自粛、禁止ばかりしていたら日本経済はジリ貧となり震災の被害からも立ち直ることも出来ず“日本復興”もままならない。

今、我々は自分の仕事、生活を粛々と続けそして自分が今出来る援助は何かを考え実行すること思い、
私は、昨年末に予約していたフィリピン・トゥバタハリーフ ダイブクルージングに予定どおり行くことにしました。


昨年9月末仕事をやめ、今は、遠くて時間がかかって行けなかった日付変更線を越のスポットや期間限定のスポットへのダイビングを主体に計画している。

第一弾が2月の
メキシコ・ソコロ諸島で第二弾が期間限定の今回のフィリピン・トゥバタハリーフである。


このトゥバタハリーフはフィリピンのパラワン島、ネグロス島、ミンダナオ島に囲まれたスールー海のほぼ中央に位置しており、
周り360度海に囲まれており、ここで潜る唯一の手段はダイブクルーズである。

しかし、季節風・モンスーンに守られ人を拒み続けており、
ボートが出られるのは、期間限定で3月中旬から6月中旬までのわずか3ヶ月間のみだ。

残りの9ヶ月間は、季節風により閉ざされてしまう。

それ故、手付かずの自然が残り、世界各国のダイバーの憧れのスポットとなっている。


アクセスは高級リゾートで有名なエルニドのあるパラワン島、
その中央部にある州都プエルトプリンセサから南東へクルーズ船で140km、
スールー海のほぼ中央にある絶海の二つの環礁がトゥバタハリーフだ。

西部太平洋のサンゴの起源とも呼ばれる場所で、
そのサンゴの群生(種類・規模)が1993年世界に類を見ない希少な価値として認められ、
トゥバタハ岩礁海洋公園として世界遺産に指定されている。


美しく、エキゾチックな熱帯魚を始めとする379種類の魚介類、
サンゴなどの46種類と、生物の多様性を誇り、
ドロップオフには太古のサンゴ礁に近いものが美しく残っている。

大物も豊富だ。
マンタ、ハンマーヘッド、ブラック&ホワイトチップなどのサメ類、ウミガメ、ギンガメ、ナポレオン、バラクーダ、ロウニンアジ、イソマグロ、カツオ、オニカマス、カジキなど盛りたくさん。

現在ではフィリピン海軍・レンジャー部隊が常時駐留し、
手厚く守られており、釣りやジェットスキーなど、環境にダメージを与える行為は禁止され、
ダイバーにも手袋、着底禁止などの規則が課せられている。


このように生物の多様性に富、生き生きと生物が育まれているトゥバタハリーフはスールー海の中央部が隆起した岩礁からなるものだが、スールー海の特殊性の負うところもかなりある。


スールー海の地形は、最深部が水深5000mに達する海で、
周りが島と浅い海峡(水深数百m)に囲まれており、
お盆のような形をしており、表層部は海水の出入りがあるが、
深海部は周りの海とは隔絶された環境になっている。

そのため、水深5000mでも約10℃と水温が高く、生物相も興味深く、
表層部は生物が多く活性化されているが、深海部は移動が少なく貧栄養状態となっている。


このスールー海が地球工学的な温暖化対策ビジネスの標的になっているのだ。

2007年の話だが、オーストラリアの会社がカーボンオフセット事業(企業が排出する温室効果ガスを、それらを削減する試みにお金を支払うことで相殺する)として、
余剰二酸化炭素を吸収するという目的のもと、スールー海に大量の尿素を投入するという計画を進めているというのだ。

尿素の海洋投入は環境に悪影響を及ぼすリスクを秘めており、
科学的にも根拠の弱い賭けだという。

地球温暖化が進むと共にカーボンオフセット事業を手がける企業は多くなってきているが、中には効果どころか大きな副作用をもたらす可能性があるにも拘わらず金儲けのため強引に実行しようとする企業も出てくる。

又、スールー海には海の上で一生を終えるパラワン島の海の漂海民:
バジャウ族がいるという。

彼らは現在でも原始的な方法で(素潜り)で20mもの水底を歩いて魚を捕らえて生活しており、陸に住まず海の浅場に高床式の小屋や、
小さな小船に生活道具を詰め込み船上で一生生活するという。


こんな人たちと海中で会えたら一味違ったダイビングになると思うのだが・・・。

それでは行ってきます。

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