My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2011年05月

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ラヤンラヤン島はマレーシヤ・ボルネオ島コタキナバルより西300km、南シナ海にある絶海の孤島である。

関西からはコタキナバルへの直行便が少ないためクワランプール経由で行くことになるのだが
関西/クアラルンプールそしてクアラルンプール/コタキナバル、コタキナバルから小型機でラヤンラヤンへと飛行時間だけでも合計10時間を越える工程だ。

時間的には午前11時関西を出発し、クアラルンプール経由コタキナバルには夜10時30分に到着し此処で一泊し、翌朝6時30分出発する小型機に乗り、ラヤンラヤンに朝8時にやっと到着できる辺境の地なのだ。

このラヤンラヤン島は殆どが満潮時には沈んでしまう岩礁の一部にマレーシアが埋め立て造った人工島で、
そこに飛行場と軍施設およびダイバー用のリゾートを建設したのだ。

詳細は
前回のブログを参照ください。


ラヤンラヤン島がある環礁はもともと火山の隆起で出来たもので、水深2000mの海底に富士山を沈め、高さ2000mのところで水平に切ったような形をしている。

そのため、環礁の回り全てが水深2000mまで落ち込む急峻なドロップオフとなっており、
潮通しが良く、かつ透明度もいいため大型の回遊魚が生息しハンマーヘッドはじめ、イソマグロ・ギンガメアジ・カンムリブダイ、
時にはマンタやジンベイザメまでが現れる世界中のダイバー垂涎の素晴らしい海なのだ。


まず、ここでのダイビングは、到着時2ダイブ、出発前日は1ダイブ。

通常日は朝8時、11時そして3時スタートの一日3本が基本で、
その後Jettyの周りでの無制限ダイブが可能であるが、
皆一度はやってみるが何度もやる人は少ないようだ。

私もナイトダイビングで一度試しただけである。

と言うことで私の場合、
2本+5日x3本+1本+1本(ナイト)=19本も潜った。


ポイントはすべてアトールのドロップオフで、パターンは決まっている。

エントリーは環礁の壁際に船を止め、準備が出来た者からジャイアントストライドで飛び込み、
水底近くで集合したあと、大物を探して一気に30~40mのブルーウオーターへ潜行する。

大物探しをした後、壁際に戻りドリフトダイビング。

時間がくれば環礁に上昇して魚ウオッチング。

そして残り空気が50気圧以下にならないような範囲で各自が思い思いに水面に上がりエキジットする。

ブルーウオーターでのダイビングは、自分の目の下が深海2000mの海底まで何も無いことを考えると、少し背筋が寒くなるが、空をカッ飛んでゆくような快感はなんとも堪らない。


今回は、ジンベイザメまでとはいかなかったが、ハンマーヘッド、マンタ、イソマグロやギンガメアジやマダラタルミ、バラクーダーなどなど挙げたらきりが無いが、
スキット抜けるような透明度の中で大型回遊生物との邂逅や煌く回遊魚の大群との出会いが出来た。

やはり圧巻はハンマーヘッドで、誰もがこれを期待して此処にきているのだが、この時期何時も見られるわけではなく、
滞在中3回見ることが出来たが写真に収められたのはたったの一回のみだった。

ハンマーヘッドを狙うときは、水深30mを超えるあたりで流していることが多く、ガイドの更に下にいるハンマー発見の合図があってダッシュするもスグ減圧停止が出てしまうのでそう深追いできないのだ。

此処では最大潜水深度や空気の残量管理は自己管理なのだ。


ダイビングの詳しい様子は後のホームページに掲載するが、リゾートの様子に少し触れると、

マレーシアが力を入れているおかげか、水、電気、インターネットなどのインフラがしっかりしており、
大きなキングサイズのベッドが2つ置かれた広い部屋も清潔で快適だ(最大収容人数が120人のところ今回70人程度ということで、一人参加者は一部屋を専有させてくれた)。

食事はバイキング方式だが毎日内容を変化させており楽しませてくれる。
おまけにダイビングの合間にはおやつタイムまである。


絶海の孤島にあるリゾートと言うことで、
寝て食べてそしてダイビングをするしかほかにすることが無いのだが、
肌を焦がすような強い日射だが、木陰に入るとひんやりと過ごしやすく、サンデッキチェアーで毎日うたた寝するようなのんびりした日々を過ごすことが出来た。


だが、しかし、此処は国際紛争的にホットな場所なのだ。

滞在中、島の周辺で高速艇、軍艦そして潜水艦などが巡回しているのを何度か目にした。

おりしも、SAEAN各国が南シナ海の領有権問題に対して、中国に対して強気の外交姿勢をとり始めた。

中国の横暴を許してはいけないが、一発即発の状況で、難しい舵取りが要求される。


又行きたいと思う第一の場所で、安心してダイビングが出来るように願うばかりだ。

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期間限定ダイビング第二弾ラヤンラヤン島はマレーシヤ・ボルネオ島コタキナバルより西300km、南シナ海にある本当に小さな島です。

長さ約7キロ、幅約2キロの環礁で、岩礁が海面から顔を出すだけだったが、1985年からマレーシアが人工島の造成工事を始め、飛行場とダイバーのためのリゾートホテルを完成させた。

現在も駐留する軍隊と世界中から集まるダイバーとが共存しながら運営されている。


ラヤンラヤン島は周辺全てを深海2000mのドロップオフに囲まれた絶海の孤島である。

そのため、潮通しが良く、透明度も高く、大型の回遊魚が多く生息する。
ハンマーヘッドはじめ、イソマグロ・ギンガメアジ・カンムリブダイ、時にはマンタやジンベイザメの現れる世界でも指折りの素晴らしい場所なのだ。

しかも、モンスーンの影響で3月から8月末までの6ヶ月間だけの期間限定であるため、
珊瑚は荒らされておらず生き生きした生物に出会うことが出来る。


小さな島であるが、世界中のダイバーが一度は行ってみたいと憧れるホットな場所なのだ。


しかし、此処は国際紛争的にも極めてホットなのだ。

ラヤンラヤン島は南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島の南端に位置している。


スプラトリー諸島…100以上の珊瑚礁や小島などからなる諸島で、
一番大きな島でも0.4km2しかなく、人が自然の状態で住めるような島は無いのだが、
日本がリン鉱石の発掘を目的に1939年、新南群島として領有する。

が、終戦後、日本がサンフランシスコ条約にて領有権を放棄した後はどの国も領有権を主張することが無かった。

しかし、1960年台から70年台にかけて、近辺に大油田とガス田が埋蔵されていることがわかると、中国、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、台湾、フィリピンが領有しようと躍起になった。

しかも、ここは世界中の物資が通過する世界有数の通商ルートでもあり、軍事的意味も大変大きいのである。

現在、一部の島を実効支配しているのは台湾、中国、フィリピン、ベトナム、マレーシアであるが、
中国を除くどの国も慎ましく、自国の排他的経済水域内である。

ラヤンラヤン島はマレーシアが実効支配している島のひとつなのだ。


そんな中、中国は勝手に1992年に領海法を制定して、スプラトリー諸島全域を中国領と定めてしまった。

中国からは、遥か彼方の南である。

なぜここが中国領なのかと、たいていの人が地図を見ながら頭をかしげるであろう。

更に、2010年3月には、中国政府は南シナ海を『自国の主権および領土保全と関連した「核心的利害」地域』と見なしているとの立場を表明した。


添付の写真を見てください。

中国は南シナ海を取り巻く他国には軒先だけを領土として認め、
後全てを根拠も無いのに中国のものであると言っているのだ。


歴史的に見ると、中国が南シナ海でとってきた戦略は恫喝と捏造と暴力の繰り返しである。


スプラトリー諸島の西側のベトナム沖にある当時南ベトナムが実効支配していたパラセル(西沙)諸島では、
ベトナム戦争末期のどさくさに、1974年1月、中国は航空機の爆撃まで使った攻撃で、南ベトナムを排除し、実効支配下とした。

パラセル諸島はスプラトリー諸島への途中にあり、スプラトリー諸島の支配、
しいては南シナ海の支配を意識して、強引な軍事作戦をおこなったのであろう。

そして、1988年3月、ベトナムが統治していたスプラトリー諸島の赤瓜礁に中国が攻撃をしかけ、
無抵抗のベトナム兵70人を
虐殺して中国の統治下とした。

1992年11月、米軍がフィリピンから撤退した軍事力の空白を狙って、中国は漁船に偽装した海洋調査船を多数派遣し、
95年2月にはフィリピンが主張する排他的経済水域の中のパラワン島西側のミスチーフ環礁に軍事建造物を設置しまった。


ただ、周辺諸国も黙って見ているだけでなく、
ブルネイを除く関係5ヶ国は何らかの形で、
スプラトリー諸島の一部の島に部隊を駐屯させて領有の既成事実化を図ってきている。

最近では、2009年、フィリピンのアロヨ大統領は中国が
領有権を主張するスプラトリー諸島の一部を自国領土とする海洋基本線法案に署名し、
マレーシアの首相は同国が実効支配するラヤンラヤン島を訪問、領有権をアピールし、
中国と一発触発状態の緊迫したムードとなっている。

アキノ新大統領は先月、
「わが国の安全と主権が脅かされた時、米国と日本以上に頼りになる友はいない」と、
中国の脅威から日米両国が守ってほしいとアピールした。


頼りになる日本であればいいのだが、
殆どの周辺諸国と領土紛争を起こしている強欲中国に対し、
周辺諸国一丸となって立ち向かわなければダメだ。


それでは、ホットでホットなラヤンラヤン島へ行ってきます。

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大学の工学部を卒業して、その手の系統の仕事に40数年携わってきた私としては、この年になっても巨大な施設、建造物には興味津々である。

大型台風の来襲により首都圏が水没してしまう災害パニック小説、高嶋哲夫著
「ジェミニの方舟」、を読んで、
小説に書かれていた首都圏外郭放水路にそのときから興味を持ち、
是非一度見てみたいと思っていた。


先日、都合よく首都圏外郭放水路の見学がOKとなったので、東京成田経由のメキシコ・ソコロ諸島ダイビングに行った帰りに見学してきました。

又、明石海峡大橋の主塔見学ついては、毎日橋を眺められるところに居り、いつでも行けると油断して行っておらず、急遽4月末に見学してきました。


さて、まず首都圏外郭放水路であるが、既に多くのメディアに登場してご存知の方も多いと思いますが、
調圧水槽などは「地下神殿」と呼ばれる巨大なものだ。


首都圏外郭放水路は、溢れそうになった中小河川の洪水を地下に取り込み、トンネルを通して江戸川に流す設備だが、

直径30m、深さ60mにおよぶ5本の巨大立坑に洪水を取り込み、
地下50m、6.3kmにわたって走る直径10mの地底トンネルを通じて、
重量500トンの柱が59本も聳えるマンモス調圧水槽(L177xW78xD25m)に導かれ、
そして、最大毎秒200t(50tx4台)の水を排水する14000馬力タービンで放水するなど、
そのすべてが想像を超えるスケールの大きなものばかりだ。


巨大であり、大深度の設備であることより、至る所に日本の土木、科学技術の粋が集められ世界にも類を見ない治水対策設備なっているとのこと。

平成4年に着工され、平成14年から部分的に稼動し、平成18年6月に完成した。

工期14年、工費2300億円。年に5~7回の稼動実績。

過去20年に5回の甚大な水害を発生させてきた地域で、
完成後は大きな水害は発生していないと言う。


始め、首都圏外郭と言う名から、この施設は首都圏全域の洪水対策設備と思ったが、
都心から北へ30km強、埼玉県南東部の春日部市周辺住民322万人の、
中川・倉松川・大落古利根川流域における浸水被害人口約50万人を2万人に減少するための施設だという。

意外と狭い地域のための巨大施設だ。


災害対策設備と言うものは過去の災害発生データーや経済性などを考慮して基本的設計仕様を想定するが、
東日本巨大地震では悉く各設備の想定値を超え甚大な被害が発生してしまった。

今回の設備は雨量毎時60mm、他の河川よりキャパシティーが大きい江戸川に取り込んだ水を放水ができるという条件で作られていると聞く。


最近の局地的豪雨では毎時100mmを越す雨も珍しくない。

いくら流水容量が大きい江戸川といえども、先に江戸川流域に集中豪雨が降り、そして対象地域にも豪雨が発生した場合はどこまで設備は機能するのだろう。

年5~7回の稼動のため、絶えず設備を最善の状態に維持し、現場での部品交換が難しいガスタービンなどは定期的な設備交換の保守が必要だ。

各自冶体が競って作った多くの箱物が維持のための費用や保守のまずさから衰退しているが、

この巨大設備が、ある雨の日ボタンを押したがポンプが稼動しなかったと言うようなことが起きないことを祈るばかりだ。


明石海峡大橋の主塔登頂見学は自宅が近くにあり、建設現場をはじめから身近に見てきたこともあり、大変興味を持って参加した。


確かに聞く橋の主要仕様は吃驚するような数値だ。

中央支間長 1991m。 世界最長。
アンカレイジ重量35万トン。
主塔基礎 水深60m。 サイズ直径80x70m
主塔 高さ300m。重量2万3千トン。
ケーブル延長 30万km。
補剛桁 重量9万トン。


橋の主塔見学は30人ほどの参加者を3班にわけ、
主塔へ橋の袂から約1km 橋桁下部の中央にある床面がグレーチングの通路(工事中は車も通行)を歩いていく。

足元の60m下の海面を見ながら、両脇は隙間が大きなガードレールの通路は始め少し足がすくみ、背筋が涼しくなる感じがしたが、すぐ慣れ普通に歩ける様になった。

主塔頂部へはエレベーターで一分程度。あっという間だ。

主塔頂部は海面より289m。 流石に凄い眺望だ。

この日は雨上がり後の晴天で、神戸市外、関西空港、友が島などかなり遠くまで見通せた。


建設期間 1988年から1998年の10年。 工費約5000億円。

何時も思うのだが、本当に四国への橋が3本も必要だったのだろうか。

今回主塔からの車の通行量は全線で十数台というところか。
開通当初片側3車線一杯に車が溢れていた光景とは雲泥の差だ。

やはり、巨大設備を維持管理するのは大変だ。
毎週3日間を保守点検に当てていると言う。

瀬戸内海に3本もの長大橋を建設して3兆8000億円もの借金を抱え、
民営化に際して1兆5000億円近い税金が投入された旧本州四国連絡橋公団。


税金を国民のために適切に使うのは難しい。

そのためには賢い政治家を選べる賢い国民に我々がなるようにしないとだめだ。

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