My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2011年06月

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今ほど日本国民全員が苛立ちと喪失感を共通して持ったときはないのではないだろうか。

東日本大震災の復興を議論するよりも政局を重視する政界に対して、国民は辟易している。

昨今の、自民、公明、たちあがれ日本の3党が提出した内閣不信任案は誰でも(政治家を除く)が「何故?」、「この時に?」と思ったに違いない。


全ての国民は、「今は政局をやっている場合でない。それよりも、復興や原発問題への対応、そして被災者に対する補償や国民の生活に目を向けてほしい」と切実に感じている。


今までの日本の政治が示して来たごとく、リーダーを変えさえすれば全て良くなる、
とは内閣不信任案を提出した自民党なども思っていない筈だが、国民の気持ちを無視して提出の暴挙に出たその理由は、ただ民主党の分裂と弱体化を狙ったもので、
ひとえに「民主党憎し、菅憎し」の感情で、国民のへの思いやりなど寸分たりとも含まれていない。


ただ、自民党も数の上で負けている衆議院で、内閣不信任案を提出するからには、
裏で壊し屋の小沢氏とかなり密接なやり取りがあり、
民主党の中から造反者がかなり出ると読んでのことであろう。

しかし、結果は採決前に菅首相が退陣を臭わせたことにより、
賛成派の連携は崩壊、内閣不信任案は大差で否決された。


内閣不信任案提出には「国民不在の政争」と厳しい批判が浴びせられたが、
ただ辞めろ、辞めろと言うだけで、可決した後の政権の姿など何も示さず、ただ政治の混乱を招いた自民党の姿勢は問題だ。

しかし、政権打倒を目指す野党と、野党が提出した内閣不信任案に同調しようとした小沢氏ら民主党議員の問題はもっと罪は重大だ。


小沢氏は地元の岩手の県民が震災に会い、苦しみ、助けを求めているのに、
野党と組み、民主党を崩壊させ、被災者への援助を遅らせるような行動を何故するのだろう。

民主党は今まで、野党と折り合うために、子ども手当などマニフェスト見直しを急がなければいけなかったが、
それを阻んできたのが、小沢氏らだ。

小沢氏は自らの政治基金の問題で民主党を苦境に貶め、
そしてこの造反劇だ。

一体彼は何を考えているのだろうか。

民主党をいつもの様に壊し、野党と組み新党を立ち上げ、権力の座に着こうとしているのだろうか。

国民はいい迷惑だ。
岩手の県民も早く気が付いて行動を起こすべきだ。


内閣不信任案の否決後、
「ポスト菅」が色々取りざたされているが、民主党の構造問題を解消しない限り誰がやろうが同じだ。

民主党合流後、支持グループを拡大してきた小沢氏。

結党以来のオーナーとしてなお影響力を維持しようとする鳩山氏。

そして、菅首相の実力者3人が支持勢力を巻き込み、
暗闘を繰り広げてきた民主党ではこの3人が完全に一線を退かないことには、党内融和は進まず、同じことの繰り返しとなる。


又、自民党は内閣不信任案の否決前は民主党との「大連立」を視野に入れているようなゼッシャーをしていたが、
否決されると大連立を組むことは自民党の利にならずと懐疑的になってきている。

要は閣内に入って責任を持たされるよりか、
責任を取らず、批判だけをしていればいい、心地よい野党になりきってしまったのだろう。

国会が一丸となって震災対策をとらないといけないときに、
与党の政策運営を批判し、首相に辞めろと迫るからには、
自らもっといい策があり、すばやく出来る実行力があると自負しているのだろうから、
本当に国民のことを考えているなら、何故「俺にやらせろ」と言わないのだろう。

野党のままでは出来ないことが閣内に入れば出来るはずだ。


日本は本当にこのままでいいのだろうか。

毎年のように繰り返される首相交代劇。

その要因として、政治家の質の低下と共に、国会審議や選挙制度など「仕組み」の問題も大きい。

「ねじれ国会」で法案成立に黄信号が灯る原因は、衆院とほぼ同じ権限を持つ「強すぎる参院」にあり、1994年に導入された小選挙区制度も問題のひとつだ。


日本は今、この先の日本をどのように変えるか、
この震災を契機にして真剣に考えなければいけない、
大きな転換期に来ているのだ。

震災復旧には政治家が一丸となって救国内閣で必要な対策を早期に実行して、その後に大きな変換への信を問えばいい。


原発の問題をどうするのか、産業政策をどうするのか、財政、税金問題はどうしていくのか、被災地の新たな街づくりをどのようにしていくのか、エネルギー政策をどうするのか、緊迫する外交問題をどうするか、国会審議や選挙制度など「仕組み」などの根本的な問題について、
各政党が中長期的なビジョンをまとめればいい。

今の状況が一段落したころで解散をして、その各党の中期ビジョンをもとに国民に提示し信を問えばいい。


待ったなしの変換がそこまで来ている。

頼りない政治家を選んだのは我々国民だ。

国民一人ひとりがあきらめず、責任もって政治家を見守り、
意思を示し、明日の日本を築いていこう。

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昨日、急遽神戸・三宮の神戸市立博物館で開催中の「古代ギリシャ展」に行ってきました。

神戸の在住者としてはいつでも行けると安心していたが、6月12日までと言うことに気が付き急遽行くことにしたわけです。

が、平日にもかかわらず私のような人が多いのか、かなり混んでいて自分のペースで見て行けず少し残念でした。


今回の展示は大英博物館のギリシャ・ローマコレクションから、人間の身体こそが、美の極致―古代ギリシャの人々がたどり着いた理想の「美」であると言うことをテーマに厳選された彫像、レリーフ、壺絵など135点が展示されている。


やはり圧巻は、日本初公開となるギリシャ黄金時代の傑作「円盤投げ(ディスコボロス)」である。

この彫像は高さ170cmもあり、配色を黒一色とした大きな部屋の中央部に配置され、360度どの角度からもじっくりと鑑賞できるようになっている。

円盤を放り投げる直前の若々しく、鍛えられた肉体像はまさにギリシャ人が理想とする身体像を表現したものである。

この彫像は紀元前5世紀半ばにギリシャの彫刻家ミュロンが作ったブロンズ像を手本に制作された、ローマ時代(後2世紀)のコピーであるが、オリジナルのブロンズ像は現存しない。


「征服されたギリシャはその野蛮な征服者をとりこにした・・」と言われるほどローマ人はギリシャの美術に魅せられ、
裕福な人はオリジナルを買い求め、手に入らなければ古いギリシャの作品のコピーを注文しコレクションとしたという。

「円盤投げ」を含め、今回の展示されている彫像の多くはローマ時代にコピーされたものである。

どうやらローマは政治的には優れていたが、美術的にはギリシャの模倣で終わってしまったようだ。


さて、他にも色々目に付いたものがある。

昨年より「キリスト教美術としてのギリシャ神話画」と言う、月一度の美術講座を受講しているがその中で大きなテーマで、私のブログでも触れたことがある
「ヘラクレスの12功業」を描いた多くのアンフォラ(壷)が展示されていたことだ。


その中の、ヘラクレスの第一の功業である「ネメアのライオン退治」を表現した壷絵では、ヘラクレスがライオンを組み伏せ首を押さえつける様相。
彼に付き従う甥のイオラオス(左)がヘラクレスの手慣れた武器である棍棒を持ち、弓矢と靫はヘラクレスの背後に吊されている。
傍らではヘラクレスの守護女神アテナがこの戦いの様子を見つめている。

このような戦いの様子が前520-510頃の作成と言われるアンフォラに、黒像式で一本一本の細かい線までが克明に描かれているのには驚きであった。


他にも目に付いたのは、余り見学者も居らずじっくり見ることが出来たのだが、
「警告の碑文入り墓標」と言う高さ43cm足らずの小さな墓標である。

この展示品の説明文には

「この墓標は、道行く人に、朽ち果てた死骸を目にして、これが美しい若者ヒュラスの遺骸なのか、あるいは醜く粗暴なことで有名なホメロスのイリアスの登場人物テルシテスなのか誰もわかるまいと問いかけているのだ」
とある。

これはギリシャの芸術や思想に共通する、人はみな死ねば同類という感傷をあらわしたものである。


この墓標を見て、前述の美術講座で同じく紹介された
「われもまたアルカディアにあり」というニコラ・プッサンの絵を思い出した。

これはギリシャでは人類は黄金、銀、銅、英雄、鉄の5つの時代があったとされ、
その初期の黄金時代は、人間は土地から生まれ、神々と人間は一緒に暮らし、動物とも争わず、自然が必要なものを与えてくれ、世の中平和と正義に満ちていた。

その理想郷はアルカディア(ペロポネソス半島中央部)にあるとされた。

しかし、この黄金時代はパンドラの壷が開けられゼウスの支配となり終わってしまい、アルカディアの人々も死に絶えてしまう。

この理想郷と人間の生命のはかなさを重ね合わせるような作品が「われもまたアルカディアにあり・・(Et in Arcadia ego...)」で、
これは、ラテン語で、
「われ(死、死者)もまたアルカイディアにあり」と言う意味とのこと。

要は理想郷においても「死」はあり、人は死んでしまえば皆同類という「警告の・・墓標」と同じ古代ギリシャの感傷を表したものだ。


現在の世界の文明の礎を創ったギリシャ、エジプトであるが、昨今の経済低迷で傷んでいる。

これは他人事ではない。

政治がしっかりしなければならない。

日本の政治家はおかしい、この非常時においても、国民を見ず、他人の足を引っ張ることしか念頭に無い。

情けない。

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