My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2011年11月

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先日、新聞の折り込みチラシにバスツアーの広告が入っていて、なんとなく眺めていたら、表題のバスツアーを見つけた。

そのツアーは、私にとっては思い出深い「丹後」で、11月になり解禁された蟹の「かにづくし料理」、そして最近特にずぼらになった私とってありがたい「自宅の最寄駅から出発」とあった。

早速、電話したら空席があると言うことなので即予約してしまったのだ。


自宅近くのJRの駅を7時出発とかなり早かったのだが、大型バスに48人の乗客と満席で、7割以上が女性陣(オバチャン達)であった。


目的地は京都府の丹後半島西側にある「夕日ヶ浦温泉」だ。

「美しい夕日」と「やさしい美人湯」そして「産地直送の生きのいい松葉ガニ」が売りの場所だ。

私は、夕日ヶ浦温泉は始めてであるが、その少し北側にある
「間人(たいざ)」には大変思い出がある。


40年以上前になるが、大学卒業後育った東京を離れ、
神戸にある企業に就職したのだが、ここでは全国から集まる
新入社員用に二人一部屋の独身寮があり、
私と同期の100人を超す新入社員の殆どは寮に入っていた。

不思議なことに、寮の生活では段々グループ化していき、
最終的には十名弱の親密な仲間が出来、寮の中でも、
休みの日でも何時も集まって馬鹿騒ぎをしていた。

当時は週休二日制ではなく、土曜日は午前中まで勤務の「半ドン」であた。

この休みの日の遊びではまったのが海水浴であった。

東京から来た私には当時の山陰や瀬戸内海の海は自然そのもので広い砂浜と青く澄み渡った海は本当に素晴らしく、眩しく感じた。

海水浴への足は私が学生時代から使っていた中古のトヨタと
友人が購入したホンダの2台で、
土曜日の夕刻に寮を出発して、夜運転して、着いた浜辺で、車の中の仮眠かキャンプをして夜をあかし、翌日の午前中は海で遊び、夜遅く神戸に帰ってくるパターンだ。

ある年には、7月の初めの休みから9月の最後の休みの全てを関西エリアの海水浴に行くほどであった。


中でも仲間のお気に入りは丹後半島の間人(たいざ)であった。

40年以上前と云えども、鳥取や山陰の有名ポイントは人も多く、車の駐車も苦労した。

が、間人は浜辺近くには人家も少なく、海水浴客も殆ど来ておらず、車も何処でも止められる便利さだ。

何よりも海が素晴らしかった。

夜間着いて一泳ぎすると、夜光虫の輝く素晴らしい光景が迎えてくれ、運転の疲れなど吹き飛んでしまう。

平泳ぎのひとかき、ひとかきに漆黒の闇の中、夜光虫がキラキラと光り輝き、
両手全体がクッキリと浮かび上がる様や手から落ちる雫、
一つ一つが光の玉になり落ちる様は、
本当に言葉に言い尽くせない素晴らしさだった。

この感動が忘れられず何度も間人を訪れるようになり、
私が若い頃の思い出の場所となった。


海外でダイビングするようになり、間人での感動を再び味わおうと
積極的にナイトダイビングに参加するが、夜光虫はポツン、ポツンと光る程度で、未だかって間人の光煌く様は経験していない。


さて、思い出話が長くなったが、肝心のバスツアーの内容は

「かにづくし料理」と銘打つほど全てがかにであった。

「ゆで姿がに(一杯)」「かに刺し(片身)」「焼がに(半身)」
「かにすき(半身)」「かに雑炊」「かに入り茶碗蒸し」
と全部で2.5杯のかにオンパレードだ。

おまけに「甘えび食べ放題」として山一杯の甘えびが
大きなボールにドンとテーブルに置かれている。


最初は丁寧に蟹の身をほぐして食べていたが、とても食べきれず、
最後の方は、殆ど大きく取れる身だけを食べるという贅沢さであったが、それでも、もう勘弁と言うほど満腹となった。

甘えびに至っては初めの5,6匹を食べたが殆どが残ってしまった。


しかも、今回のツアーは参加グループ単位でホテルの宿泊ルームでユッタリと楽しく食事が出来たことも嬉しい。


食事後、美人湯と言われる、海の見える露天風呂温泉で寛ぎ、そして、紅葉が始まった皿そばで有名な出石を一時間ばかり散策して、神戸に帰ってきたのは夜の8時頃であった。

さらにツアーにはお土産として「出石そば2人前」と夕食として「バラ寿司」が付いているといったきめ細かさだ。


このツアーの参加費用は一人9,980円だ。
個人で行ったら、2,3万円は掛かるのではないかと思われるのだが、
何故こうも安くなるのだろうか。

どうやら秘密は道中に寄る3,4店のオミヤゲ屋に在るのだろう。


今回参加しているオバチャンたちは元気だ。 
よく喋り、よく食べ、そしてよく買う。

毎回立ち寄るオミヤゲ屋で、短い時間内に両手一杯の
オミヤゲを買ってバスに戻ってくる。

又、彼女達の話は日本全国の旅行と何処そこのレストランの何々がおいしいとか、本当に楽しそうだ。

日本の高齢者はやはり裕福なのであろう。


何も買わない私は安い費用でかにを満腹し、若い頃の思い出に一日浸ることが出来、裕福で元気なオバチャン達に感謝、感謝だ。

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近くの本屋で立ち読みしていた時見つけた本である。

冒頭、トレジャーハンターのファーゴ夫妻がアフリカ・タンザニアのザンジバル島での激流ダイビングを楽しむ様子から始まり、本の題名には「アステカ」とある。

古代歴史で、海洋冒険小説とあれば即、購入したことはいうまでもない。


ザンジバルは私が今、最も興味を抱いている「サーディンラン」という現象の現場だ。

南アフリカ東海岸、毎年、5~7月の間に十億匹のサーディン(イワシ)が回遊し、イルカ、サメ、クジラ、アザラシがこのサーディンを狙って追ってくる。

更には、空からはカツオ鳥までも水中に潜ってサーディンを捕食する。


この壮大な光景をダイビングで見ることが出来るのであるが、厳しい自然条件でおいそれと行ける所でない。



さて、本書の簡単な内容は

クライブ・カッスラーの新シリーズで、トレジャーハンター:ファーゴ夫妻の「スパルタの黄金を探せ」に続く第2弾。

ファーゴ夫妻はタンザニア沖のダイビング中に古いコインと船についていた大きな号鐘を発見するが、その後、刺客に付きまとわれるようになる。

メキシコ大統領のガルサは、その号鐘が政権を主張するアステカ文明の正当性をくつがえす証拠となることを恐れ、証拠隠滅を図るため刺客を仕向けたのだ。

一方、号鐘に刻まれたアステカの象形文字を見つけたファーゴ夫妻は、アステカの財宝探しの末、消息を絶っていたアフリカ人探検家による暗号であることを突き止める。

探険家が遺した暗号を解読したファーゴ夫妻の幻の文明の真実をめぐる探索はザンジバル、マダガスカルと続き、そしてインドネシア・スンダ海峡のルグンディ島でついに失われた探検家の船を発見する。

さらにスラウェンシ島北東部でアステカの七つの洞窟崇拝、「チコモストク(七つの洞窟の意)」と呼ばれる原点の地に辿り着く・・・・。


小説自体は、体力、知力、財力が抜群で、武器、IT機器にも精通して苦境の際でもユーモアを忘れない、アメリカ人が理想とするようなファーゴ夫妻の冒険物語と割り切ってしまえばそれなりに読める。


だが、この作家の本は何時も私には大変興味ある話題を提供してくれる。


まずはアステカ帝国だ。

アメリカ大陸には1万2000年ほど前、ユーラシア大陸からベーリング海峡を渡って人類が移動してきたとされるが、

アステカ人の伝説によればアストラン(中米アステカ文明の神話に伝わる地名)の地から、狩猟などを行いながらメキシコ中央高原をさまよい、やがてメキシコ盆地のテスココ湖湖畔に辿り着いた。

石の上に生えたサボテンに鷲がとまっていることを見たアステカ人は、
これは町を建設するべき場所を示すものとしてテスココ湖の小島に都市・テノチティトランを築いたというが、何故湖の中の小さな島にわざわざ都市を築いたのか良くわかっていない。。


1519年にスペイン人が到来した時点で、首都テノチティトランの人口は数十万人に達し、当時、世界最大級の都市であった。


しかし、1521年コルテスによりアステカ帝国は滅ぼされ、
金銀財宝を略奪し徹底的にテノチティトランは破壊しつくされ、
遺構の上に植民地ヌエバ・エスパーニャの首都(メキシコシティ)を建設した。


そして、本書では、アステカ人はインドネシアそれもスラウェシ島から渡ってきた人の子孫であると仮定してストリーを展開している。

何故スラウェシ島かというと、この島の北東部に氷河期の海面低下時にテスココ湖に酷似した地形の場所があり、この地方の人がアメリカ大陸に渡り故郷と良く似た場所に都市を作ったのだとしている。


本当だろうかと、インドネシアとアメリカ大陸との関係を色々インターネットで調べていくうちに
「遂に幻の石器ビーター発見」という記事を見つけた。

此れによると、インドネシアのスラウェシ島中部とメキシコで類似した「特殊な模様入り石器ビーター」が新たに発見されたというものだ。

このことは、非常に数少ない特殊な石器ビーターであることから、
考古学や人類学の観点から太平洋をはさんだスラウェシとメキシコという遠く離れた場所でそれぞれ発見されたことから、
双方の接点を解明していく上でも大事な役割を果たすと考えられる。
と書かれていた。

あながち、インドネシアとアメリカ大陸の関係は全く荒唐無稽な話ではなさそうだ。


つい最近ダイビングでコルテスが最初に上陸したコスメルやユカタン半島のチェチェン・イツァ遺跡そしてスラウェシ島のメナドを訪れたばかりで何か親近感を感じさせられた。


世界の色々な所の、人々、料理、風景、地形および遺跡など歴史に触れることが出来、いまさらながらダイビングの楽しみが実感できる今日この頃です。


アステカの秘密を暴け(上、下) クライブ・カッスラー著
  ソフトバンク文庫刊  各600円

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先日、昔の会社仲間と北陸一泊旅行をしてきた。

私にとってのこの旅行の目玉は「福井県立恐竜博物館」の見学だ。

かつて勝山市にある中生代の地層から恐竜の全身骨格が発掘されたことがきっかけで、ここに博物館が造られることになった。

広大なドーム状の無柱空間には、40体にも及ぶ恐竜全身骨格を初めとする千数百点もの標本、大型復元ジオラマなどが展示されており、恐竜をはじめとする古生物の世界を堪能することができる。

壮大な建築様式や、展示された数多くのに恐竜標本ゆえに、カナダにあるロイヤル・ティレル古生物学博物館、中国にある自貢恐竜博物館と並んで、世界三大恐竜博物館と言われている博物館だ。


多くの人、私もその一人だが、恐竜にはなにかロマンを感じる。


三畳紀後期、今から約2億3000万年前の南アフリカで最初の原始的な恐竜が出現した。

爾来、約1億5000万年の間、恐竜は多様化、大型化へと進化を続け、地球生物を君臨してきたが、ある日、約6500年前に、突然絶滅してしまったのだ。

メキシコ・ユカタン半島に直径10kmほどの
巨大隕石が衝突
がその原因とされるが、なんと雄大で地球の歴史ロマンを感じさせる。


さて、恐竜の絶滅は今ではロマンということで済むが、人類の滅亡となるとそうは行かない。

前回のブログで字数の制限で中途半端で終わってしまったが、
高野和明著「ジュノサイド」では、もし将来、人類の滅亡があるとしたら、
その想定されるシナリオの中の一つをテーマとしてアクション小説として描いている。

著者が想定した人類の滅亡のシナリオをもう一度少し詳しく述べるなら


「宇宙から小惑星の地球への衝突」

恐竜が滅亡した原因であるが、科学者は近未来に起こりうる
看過すべきでない問題としているが、
人類は恐竜と違い何か対応する手段を講ずることが出来る可能性も??

「宇宙から恐怖がやってくる」
フィリップ・プレト著(2010年7月27日付ブログ参照)


「地球規模の環境変動(地磁気の逆転)」

地磁気は平均すると 100万年に1.5回の割合で逆転を繰り返している。
地磁気は年々弱くなっており、ここ100年では約6%弱くなっている。
あと1,000年足らずで地磁気が消滅してしま計算だ。

地磁気が消失すれば地球を守る磁気圏がなくなり、有害な宇宙線にさらされ
人類のみならずあらゆる生物は絶滅してしまう。


「核戦争」
   
全面的核戦争は言うに及ばず限定的な核戦力の行使でも地球全土を
覆う死の灰による生態系への被害、オゾン層の破壊で全人類の存亡の危機になる。


「疫病、ウイルスの脅威」

自然界に発生する疫病が人類を滅亡に追い込むことはないが、
人の免疫システムを直接攻撃するウイルスの出現は唯一の心配事である。


「人類の新種の誕生」

約6百万年前にチンパンジーとの共通祖先から枝分かれ、
ヒトの祖先が直立歩行で自由になった両手を駆使して簡単な石器を
作り始めたのが約200万年前と推定されている。

ホモ・サピエンスに進化以後の現生人類は、過去5000年間に
石器時代から青銅器・鉄器・エネルギー革命と道具と文化・文明を
進歩させて、ついには宇宙船で地球の外にまで行動範囲を拡げるになった。

このように、急激に知能的に進化した現生人の中から突然に現在の
人類のより知能的な新種の誕生は明日にも起こりうるのだ。


それでは何故人類の新種の誕生が現生人類の滅亡に至るのかというと

現生人類と次世代の人類、この二つの生物種は生態的地位が完全に
一致するため、現生人類を排除しない限り次世代人類の生息場所は
確保されないのだ。

その上、同種間の殺し合いに明け暮れ、地球環境そのものを破壊する科学技術を持つに至った現生人類をより知能的な次世代人類は自らの生存のため抹殺せざるを得ないのだ。


さて、この人類の新種の誕生による人類滅亡が、
小説「ジェノサイド」のテーマなのです。

ジェノサイド・・・大量殺戮 
「すべての生物種の中で、人間だけが同種間のジェノサイドを
行なう唯一の動物であり、かつて地球上にいた別種の人類、原人や
ネアンデルタール人も、現世人類によって滅ぼされた。

確実に言えるのは、現世人類は他の人類との共存を望まなかったということだ」

と著者は書き、本の題名としている。


ある朝、合衆国大統領は、いつものように大統領日報を受け取った。
そこには、アフリカで「新種の生物」が出現したというのだ。
そして、添えられている言葉には「人類滅亡の危機」とある。


人類滅亡へのシナリオの一つが現実となったのだ。

大統領は次世代生物に現生人類が滅ぼされる前に次世代生物の抹殺を決断する。

そして4人の傭兵に任務遂行の命令が下される・・・・。


スケールの大きなアクション・エンターテイメント小説だが
考えさせられることが多い本だ。

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