My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2012年05月

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“やっと”と言うのはユナイテッドエアーの欠航で約二日間足止めされて、帰国が遅れてしまったのだ。

ここ何年間はかなりの頻度で海外へダイビングに出かけているが、幸運なことに大きなトラブルに巻き込まれることはなかった。

だが最近、ロストバゲッジや出発が4時間ばかり遅れるなどのトラブルに遭っており、なんか怪しいなと思っていたところにこの最悪の飛行機の欠航不具合だ。

私のポンペイからの帰国便はハワイ発ポンペイ、チュークそしてグアムとアイランドホッピングしていくもので、ポンペイは真夜中の1時半発だ。

当日の夜9時ごろ、ホテルの部屋でほぼ荷造りも終わって休んでいると、突然ホテルの係員が部屋にやってきて(私が泊まったホテルは各部屋が熱帯雨林の中に建てられたコテージタイプで部屋にはテレビも電話も冷蔵庫もない、超自然な生活が出来ることが売りなのだ)航空会社(ユナイテッド)から電話があり今夜の飛行機は飛ばないと言う。

色々問いかけても、「欠航の理由は分からない、新しい出発便はいつになるか分からない、宿泊や食事代は航空会社が負担するはずだからゆっくり寝てればいい」と言うだけなので仕方なく、諦めてその晩はそのまま寝てしまった。

翌日になり、ホテルの係員の情報では、「航空会社に押しかけた人も何も回答を得られていない」とか「欠航の理由が搭乗員の欠員らしい」ということが分かった。

搭乗員がパイロットかどうか、急病なのか、お酒の飲みすぎなのかどうか分からないが、要は人災だ。

この飛行機便はハワイから途中2,3の島に止まりグアムに行き、そして折り返して島々に寄りながらハワイに戻る便だ。

本当に人騒がせなことだ。
ハワイから飛行機が出ないことは、この往復便を利用しようとした多くの人の仕事や生活に多大の影響を与え、各地の航空会社の係員はクレーム対応やホテルの手配などに振り回されたはずだ。


昼過ぎになり、やっと私の出発便は翌日の昼便で、大阪への乗継便も座席が確定したとの連絡があり、確認してみるとエコノミー席であった。

年をとると長時間のフライトが疲れようになったし、重たいダイビング機材の持ち込みも厳しくなっているので、今回たまたまビジネスクラスを利用してみたのだ。

ビジネス席への変更を交渉するも満席だとにべもない。

欠航されて迷惑を蒙ったのはこちらで、要求すべきことは要求しようと、何時もお世話になっていて、今回のツアーもアレンジして貰った旅行会社の担当者にメールして状況を説明して交渉をお願いしてみた。

夕刻になってビジネスへの変更が出来ましたとのうれしい連絡を貰った。

どのような手を使ったのか、“蛇の道は蛇”とゆうのか、プロはやはりプロなのだと、一人旅の、遠く日本を離れた旅先で、本当に暖かく、頼もしい存在だ。

現地で知り合った人で、航空会社の方へ4回も5回も交渉に出向き、出発の当日早朝になってやっと出発便が確定した人もいた。

私の場合、ホテルにのんびりと滞在しながら、私にとっては今回の大きな災難を何とか順調に凌ぐことが出来たのはホテルの係員や日本の旅行会社の方々のおかげであると感謝する次第である。


航空会社の不具合の話ばかりになってしまったが、肝心のポンペイやダイビングについては


ポンペイ島にはミクロネシア連邦で最も高い800m級の山々連なりその形はギアナ高地のように台形で又、島全体がジャングル覆われている。

映画ジュラシック・パークの中で、人を寄せ付けない、鬱蒼とした熱帯樹林に覆われた深く刻まれた渓谷に海からヘリコプターでアプローチするシーン(撮影はコスタリカのココロ島だとか・・是非行って見たい究極の大物天国)があるが本当にここによく似ている。

ポンペイ本島とその周りの25もの小島を取り囲む美しく、綺麗な環礁、そして、ポンペイのシンボルであるソケース・ロックの偉観、豊富な水量の豪快な滝、そして神秘なナン・ドール遺跡などなど人を惹き付ける豪快な自然に魅了される。


ダイビングについてはドロップオフが主体となるが、何と言っても“マンタロード”は凄い。

水深15mぐらいの浅めの水路にマンタのクリーニングステーションがあり、ここに幾多のマンタが集まってくる。

中でもブラックマンタの比率が高いことで有名だ。

私が潜ったとき、水路に寝そべり70分間(水深が浅く、動かないため永く潜れる)の間に50から60枚ものマンタが私のすぐ上を横切り、中にはクリーニングのため私のすぐ横で何分もじっとしていてくれる。

今まで、マンタはいろいろな所でみてきたがこんな多数のものを近くでそれもじっくりみることを出来たポイントはなかった。


宿泊した「ザビレッジ」は素晴らしい眺望が売りだ。

この美しい景色をみながら毎日の食事、団欒や読書がなんともいえない。
本当に豪華な時間が過ごせた。


欠航という不具合があったが忘れられないダイビングであった。

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3月のニューカレドニアでのダイビングが不完全燃焼であったため今回の行き先選定には苦労した。

いつもの通り、私の候補地選定のキーワードは「安く」「大物」「透明度」そして「リゾート雰囲気」などであるが
前回は「リゾート雰囲気」は大満足だったがその他は今ひとつであった。

もともとダイビングだけを目的に行くような所でなかったのだが、日本が冬の時、南半球の真夏の国に行ってみようと安易な気持ちで決めてしまったためだ。


今回はまず安くということで、「コンチネンタルエアー(現ユナイテッドエアー)」のマイレイジが溜まっていたので、まずこれを利用して、まだ行ったことがない近場のダイビングサイトで安上がりに行こうと目を着けたのがミクロネシア連邦のポンペイ島であった。

ここポンペイはダイビングポイントの数は多くないが、ブラックマンタが有名でその数の多さは世界でも類を見ないと言われている。
が、更に、透明度も高く、美しいサンゴそして、ギンガメアジ、バラクーダ、ザメ等の群などから小物まで魚種が豊富でこれらが一つのポイントで見られると言うことがダイバーに人気だという。

更にここには、およそ1万2000年前、太平洋上にあり、きわめて高度な文明が栄えていたとされるが、大規模な地殻変動のため一夜にして海に沈んでしまったという幻の大陸「ムー」の都:ナン・マドール遺跡があると言うのだ。


歴史好きの私としてはこれで決まりだ。


しかし、マイレイジ利用は中々難しい。
私の希望する日程、便が見つからず、マイレイジ利用を諦め何時もお世話になっている旅行会社に手配一式をお願いしてしまった。

それもダイビング4日間、島内観光など自由日程が3日間とし、更に南太平洋が一望でき、緑豊かな山の中腹に建っていて、客室はすべて独立したコテージスタイルで自然と一体になれるというヴィレッジ・ホテルを利用することにした。

このホテルの建物は全て現地の木材を使用しており、部屋の窓にはガラスも無く、エアコンもテレビも、そして電話もない。
部屋には唯一つ大きなウォーターベットがあるだけであるが、このベッド中々涼しく快適であるという。

自然の中に在り、人工の設備を排除し自然そのものを感じさせようとする野趣に富んだホテルだと言う。


そんなことで、ダイビングサイトの選定要素であった「安さ」については今回も叶えることが出来そうもないが豊富な生物が見られるダイビングや年間雨量が5000mmを越す熱帯雨林の豊かな自然と謎多き海上都市:ナン・ドール遺跡見学が十分補ってくれるものとして期待している。


さて、ポンペイと云われてもダイバー以外には中々知られていない。
昔の名前でポナペイというと思い出す人も多いのではないかと思う。
先の大戦中に日本軍の基地があった所だ。


ポンペイはミクロネシア連邦を構成するポンペイ、チューク、ヤップ、コスラエの4つの州のひとつで、そのポンペイ島は西表島より少し大きいぐらいの島だが、美しい海とサンゴ礁に囲まれ多くの観光客が訪れる。

島の北端には素朴な雰囲気のポンペイの州都コロニアと、ここから少し離れて、自然の緑と調和して美しく整然と並ぶ議事堂や大統領官邸、官庁などがあるミクロネシア連邦の首都パリキールが置かれている。


さて、このミクロネシアなど太平洋諸島が「ムー」大陸の名残だとする、ムー大陸伝説は、ジェームズ・チャーチワードの著作「失われた大陸ムー」によるもので、今から約1万2000年前に太平洋にあったとされる失われた大陸とその文明をさす。

大陸の大きさは、東西8000キロ、南北5000キロ。
人口は6400万人を数え、異なる10種類の民族が住み、ムー王国が統治し、国民は極めて高度な学問と文化を持ち、特に建築と航海の術にすぐれていた。

ところが今から約1万2000年前、地下のガス・ベルトの爆発により、この超古代文明は突然、一夜で海中に没してしまったのである。

ジェームズ・チャーチワードによるとポンペイ島のナン・マドール遺跡やイースター島の巨大な「モアイ像」などはムー大陸の名残であると主張した。

今ではムー大陸の存在は地質学的にも否定されているが、彼が唱えた「失われた超古代文明」というモチーフは、小説や映画などに取り上げられ、今なお我々に夢とロマンを与えてくれている。


又、ポンペイ島の海に浮かぶ92もの巨石による人工の島々からなるナン・マドール遺跡もこれまた謎の多い遺跡だ。

この遺跡を築いたポナペイ人は文字を持たず、この遺跡がどのような経緯で造られたのか良くわかっていない。

少なくとも、この地にかつて強力な王朝が存在し長期にわたって造営が繰り返されてきたのだが、あるとき突然放棄され朽ちるままとなってしまった。


今回のダイビングはブラックマンタを見るのも楽しみだが、ムー大陸の名残といわれる遺跡に立ち、
古代の夢とロマンに想いを馳せるのはなんとも爽快なことだ。

では行ってきます。

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国内の原子力発電所で唯一運転していた北海道の「泊原発」が本日5月5日深夜定期検査のため停止する。

これで福島の原発事故以降、日本の50基の原子力発電所全てが停止することになる。
日本は42年ぶりに「原発ゼロ」の状態に入る。

原発事故後、各原発は一年ちょっとの期間に次々と定期検査に入ったが検査が終わっても再稼動できずに今日に至ったためだ。

勿論、この背景には福島の原発事故によって約10万人もの人が避難を余儀なくされ、長期にわたる居住困難地域をつくり出したてしまった重たい現実があり、原発再稼動への安全性の証明が国民レベルになされてないためだ。


このまま「原発ゼロ」続けば日本はどうなるのだろうか?

産経新聞によれば「原発ゼロが続けば日本は衰退の道をたどる」として

「原発ゼロ」が長期化すれば、日本経済には大きなダメージが加わる。
火力発電への依存度増加は3兆円超の国富を海外に流出させ、電気料金の値上げが企業活動の足を引っ張ることは確実だ。

企業の間では「生産拠点を海外に移すしかない」との声も強まっており、電力不足は産業空洞化という取り返しのつかない結果につながりかねない。」

と5月5日の新聞に述べている。


前回のブログ(4月26日付け)「日本は極東の小国へ」 2050年の日本予測の報告に想うこと で触れたようにこのままでは日本は周りの国々の顔色を伺いながら汲汲と生活するような極東の小国に2050年よりもっと早くなってしまうのではないかと思う。


なぜこうなるかと言えば、「原発ゼロ」による日本の将来の課題よりも、感情論に走る一部の国民の「原子力は悪」の意見に政治家、マスコミが迎合し、正しく説得しようとしないからだ。


「原発反対」の人たちは将来の子供達の安全で豊で幸せな生活のためと言うが、このままではその子供達が大人になった時は、他国から僅かな燃料を分けてもらいながら、停電に怯え、職もない人たちで溢れ、荒んだ、戦後間近なような生活をすることになるかも知れない。

本当にそれが今の子供達にとって安全で幸せなことなのであろうか・・・。


藤沢数希氏著の「「反原発」の不都合な真実」は

3.11以降、原発を絶対悪と決め付け、その廃絶こそが「正義」という論調がマスコミでは吹き荒れている。

しかし、この世にリスクのない技術は存在しない。
原子力を代替するはずの「自然エネルギー」の実力のみならず、転換するリスクや懸念材料を冷静に見つめるべきではないだろうか。

そんな感情論を超えた議論のために、原子力技術、放射線と健康被害、経済的影響を検討し、将来を見据えたエネルギー政策を提言する。

と言う主旨から書かれ、リスク分析からの視点から「原子力発電」を他の色々な技術と比較して本当は最も安全で、かつ近い将来の化石燃料枯渇を考え合わせれば人類の最も必要なエネルギーであると論じている。


最近、関越の長距離バス事故、通学児童の列への車の衝突など悲惨で痛ましい交通事故が多発している。
交通事故による死者は年間5千人弱、負傷者は7万人を越えるという。

これだけ多くの悲惨な被害者が出ている自動車だが、「自動車ゼロ」と主張する人は聞いたことがない。

大気汚染を起因とした病気で亡くなる人は日本で年間4万2千人(原発の変わりを火力発電で賄うと3千人増える)、喫煙ではなんと19万人を越えている。

でもどの場合も「廃絶」訴える人はいない。
が、「原発」の場合、「原発ゼロ」となる。

チェルノブイリ原発事故で、当初事故を隠していたため放射能ヨウ素に汚染されたミルクを飲み続けた子供達の中で4000人ほどの甲状腺病の患者が見つかり20年後の現在まで15人の死者が出た。
福島の場合は死者ゼロである。



日本経済新聞 5月3日の電子版に

「ソビエト連邦(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所の事故の4年後、ウクライナで12基あった原発がすべて停止した。

脱原発に向けた国民の意識が高まったためだ。それまではおよそ電力の半分が原発だったが、ロシアから天然ガスの供給を受け、電力を賄おうとした」

「ところが、電力供給が不安定となり、停電が頻発。工場の生産が停止したり、暖房が稼働しなくなったりする事態を招いた。

そのため製造業などの海外流出を招き、経済が悪化。
失業者が町にあふれた。天然ガスの費用をロシアに払うことが難しくなり、結局は原発を再稼働した。

経済の停滞は東日本大震災の被災地の復興を遅らせることになる。
日本はウクライナの先例から学ぶ必要がある」 
と北海道大学大学院の奈良林直教授の談話を載せていた。

難しい問題であるが、「がれき処理反対」で極端な住民エゴを振りかぶる人達に放射能の危険性に関しても易しく解説しており、是非一読して頂き、今被災地で、これからの日本で何が求められているのかを知るための良書である。


藤沢数希氏著 「「反原発」の不都合な真実」 新潮社刊 700円

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