My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2012年06月

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「個利個略」と言う言葉が行き交っている。
民主党小沢氏の最近(?昔からの)の行動に対する言葉として使われているのだ。

政治の世界では派利派略、党利党略が当たり前だったが、最近は更に政治家の規模が小さくなって「個人」を中心とした個利個略も珍しくない。

最たるものが、「消費増税関連法案」に関する最近の小沢氏の反対行動であろう。

一般国民は、増税は避けて通れるものならば、ない方がいいと思うのは当たり前であるが、昨今の日本の財政や社会保障費の増加などを考え合わせれば仕方ない選択と思い始めていると思う。

しかし、小沢氏は政府の消費増税法案は国民への冒瀆であり裏切りであると言い切り反対行動を起こしている。

反対ならばそれに変わる政策を明確に示し国民への理解を求めるのが普通だと思う。
ただ、反対と言うのは一般国民には許されても政治家には許されることではない。

反対や文句が言えない自派閥の若い議員を一人ずつ密室に呼び込み離党届に署名させそれを自分が保管して、政府に揺さぶりを掛けるなどの行動は全く許せない。

これこそが国民を冒涜している。
議員一人ひとりを選んだ国民(そんな議員を選んだ国民も悪いが)の意見を無視している。
個利個略そのものだ。


政治家の世界はどうしてこうもお寒く、情けないのだろうか。

最近読んだ葉室 麟氏著直木賞受賞作品「蜩ノ記」が描く人間との生き様がこうも違うとは・・

葉室 麟氏の小説は「秋月記」をはじめて読み(詳細は私の2009年5月5日付けブログで)、主人公達の人を思い、国を想うひたむきで清廉な行動を謳いあげており大変感動し、好きな作家の一人となったものだ。


「蜩ノ記」の内容は

鳴く声は、命の燃える音に似て―― 命を区切られたとき、人は何を思い、いかに生きるのか?

豊後・羽根藩の奥祐筆・檀野庄三郎は、城内で刃傷沙汰に及んだ末、からくも切腹を免れ、家老により向山村に幽閉中の元郡奉行・戸田秋谷の元へ遣わされる。

秋谷は七年前、前藩主の側室と不義密通を犯した廉で、家譜編纂と十年後の切腹を命じられていた。庄三郎には編纂補助と監視、七年前の事件の真相探求の命が課される。

だが、向山村に入った庄三郎は秋谷の清廉さに触れ、その無実を信じるようになり……。

命を区切られた男の気高く凄絶な覚悟を穏やかな山間の風景の中に謳い上げる、感涙の時代小説!

と表カバーにある。


時代は天明の頃、将軍家治、田沼意次の時代。
重商主義が開花し、天明大飢饉など不安定な社会情勢の下で、人々の生活が金銭中心のものとなり、贈収賄が横行する中、勘定奉行として清廉潔白な行動とるが政変に巻き込まれ、幽閉され10年後の切腹命ぜられる身となる主人公・戸田秋谷の武士・人間としての矜持に満ちた凛とした生き様を描いている。


秋谷の生き様を表す言葉に

「蜩の記」とは・・・秋谷は言う。

「夏が来ると、このあたりはよく蜩が鳴きます。
とくに秋の気配が近づくと、夏が終わるのを哀しむかのような鳴き声に聞こえます。
それがしも、来る日一日を懸命に生きる身の上でござれば、日暮しの意味合いを籠めて名づけました。」


本書では秋谷を通じて武士道の礼節、忠義、信念、などを表現しているが、もっと主題にしたのは人間同士の本質的な隣人愛、友愛、親子・夫婦の家族愛などの「愛」についだ。
四季の移ろいを丹念に描きながら、定められた命を清廉に生き抜く男を取り巻く人々との愛を淡々と表現している。

秋谷の妻の織江が、来るべき夫の死を背負いながら、慎ましく生き、その病弱な母を気負いなくなく想う子供達との静謐な暮らしぶりがしっとりと描かれている。

秋谷の子郁太郎と小作人の倅源吉との友愛もすがすがしい。
身分も学問もなく暮らしは貧しいが健気に母と幼い妹を支えながら明るく生きる源吉。

だが、源吉は冷酷な郡役人から過酷な拷問の末、命を落とす。

権力の横暴に義憤に燃える郁太郎は家老宅へかたき討ちに出かけ思いを果たした後
郁太郎が秋谷に自分の無謀を詫びると

秋谷は、「友の為になしたる事、武士として何の恥じる事はない、
わしはそなたを誇りに思うぞ」

と褒める。


そして、最後に、「もうこの世に未練はござりませぬ」とすがすがしい面持ちで切腹の儀にむかう主人公に、慶仙和尚は

「未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう」

と結んでいるのは心に残る。



人は今も昔も組織の中で生きる時、権力、功名、私欲、自己保身に走り、なすべき時、なすべきことを見誤る人は少なくない。

こんな清廉で高潔な人たちが日本の政治家にいたら日本はどのように変わっていくのだろうと考えさせられた一冊だ。


「蜩ノ記」 葉室 麟著  祥伝社刊 1600円



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国立科学博物館で開催中の「インカ帝国展―マチュピチュ発見 100年」が3月10日から開催されており、いつか行こうと気にしていたが、開催日が6月24日までということ、たまたま東京に住む弟夫妻との相談事もあり、やっと重い腰を上げる気になったのだ。

しかし、どうせ行くならばと、「インカ帝国展」以外にもこの国立科学博物館の常設展示の中に恐竜好きの私には絶対見逃せない恐竜の全身骨格が二体あり、これらも見学しようと過大な計画を立ててしまったのだ。


朝、5時過ぎに起き、神戸空港より7:10発のスカイマークに乗り羽田に8:30頃着き、上野の博物館には9時半ごろから3時半頃まで見学し、弟夫妻との会食は上野精養軒で4時からと約束し、そのあと羽田発20:15のスカイマークで神戸に帰り、帰宅は夜の10時を過ぎるというハードスケジュールだ。


年寄りにはかなりきつい工程だが、この切掛けは一年ほど前から購入している朝日新聞出版の「週刊 一度は行きたい 世界の博物館」だ。

世界の博物館の中から50の博物館を選び、毎週一つづつその博物館の特徴、展示されている至宝のトピックス、見所などが大きな写真と共に紹介されている。


38巻目(2012年5月発刊)に国立科学博物館が紹介されており、
その中にティラノサウルスと並んで最も有名な恐竜であるトリケラトプス(白亜紀後期、北米に生息していた最大級の角竜)が世界一の完全度誇る化石の姿のままで展示されているのだ。


通常、恐竜の化石はバラバラで発見されることが多いが、
ここのトリケラトプスは尻尾以外、奇跡的にほぼ全身がつながった状態で発見され、
その情報を保存する意味もあって、発見当時のままの姿で展示されている。

もう一体は日本近海に生息していた首長竜で、
当時高校生であった鈴木直氏が化石を発見したもので
2006年に新属新種として記載された全長7mにも及ぶフタバスズキリュウの全身骨格の雄姿が部屋一杯に展示されているのだ。


前置きが長くなってしまったが、本題のインカ帝国展の話に戻ると、平日であり、
開門すぐに入ったせいか比較的空いており、各展示物を真近に音声ガイドを聞きながらゆっくりと見学できた。


インカ帝国は本当に不思議な文明だ。

そもそもインカはアンデスでは少数の部族であったが、
15世紀前半~16世紀前半の僅か100年程の短期間に現在のペルーからチリにまで至る大帝国を築きあげてしまった。

彼らは車輪も文字も鉄器も持たずに、何故、多数の巨大建築物を擁する大文明を築き挙げたのか、又、高度の文明を持ちながら、一握りのスペイン人の侵略の前にあっけなく敗北してしまったのか。


今回の展示は「空中都市マチュピチュ発見100年」を記念して
インカ文明に対し最新の発掘調査はもとより、人類学、歴史学の視点を交え、その文化と歴史を多角的に紹介しようとするものである。



薄暗い展示室の冒頭はインカの繊細な技巧と独特な色彩の考古遺物が並んでいる。

2頭のジャガーに支えられた王の玉座をはじめ、
トウモロコシ酒を入れていたというアリバロの堂々たる姿に驚き、
生贄の儀式での供物の一つであったというハンダ付けの赤と黄色の鮮やかな羽根が印象的な小型人物像など胸を躍らされる。


又、広大な帝国を維持するシステムとして全長4万kmにも及ぶインカ道を構築し、
一定の間隔でチャスキ(飛脚)を配置して、
キープと呼ばれる縄と結び目による記録装置によるメッセージを帝国のあらゆる所に運んでいたと言う。


さらに、5体のミイラが展示されているが、これらはインカによって支配されたチャチャポヤ族のミイラですが、インカの支配になってからつくられるようになった。

つまりインカの強大な力は他の部族の埋葬の文化にまで大きな影響を与えていたということである。


さらに、インカ帝国は1533年、最後の王アタワルパが処刑されたことにより終焉を迎えるが、その後も抵抗を続けながらも、スペインの同化政策を受け、生活や文化の在り方を変化させていったが、
インカ人の中には、自身こそが帝国の末裔と称し、古いインカの服装を纏った多くの肖像画が描かれている。


最後は3Dシアターです。実際に現地で映したものと、バーチャル画像の組み合わせで、マチュピチュを空から堪能出来る。
浮遊感もあり素晴らしい出来栄えでした。


常設展示の世界館、日本館は空いておりじっくり見ることが出来、
特に目的であったトリケラトプスとフタバスズキリュウは大きく、雄大で見事なものでした。


この日本の総合科学博物館を見学して、多くの中学生達が校外授業の一環か、
係員の説明を熱心にメモしながら見学している姿や、
子供ずれの母が子供に、これなんと言う名の恐竜と聞くと、子供が得意げに名前を告げ、母親に色々説明している姿などは微笑ましいと感じると共に、理科離れが指摘されて久しい日本だが、まだまだ大丈夫と言う気になった一日でもあった。

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