My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2012年07月

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年間20万人もの人が登山する富士山。
そのうち、毎年1000人近くの70歳以上の高齢者が登頂に成功しているという。

前から自分の足腰が元気なうちに日本の最高峰である富士山に是非登ってみたいと思っていたが、ダイビングに夢中になって中々チャンスがなかった。

そんな中、元会社の同期の仲間でバイクのノツーリングを楽しんでいる者達が、毎年夏には九州や北海道へなどの長距離のツーリングの企画をたてていたが、今年は富士登山を目指すという。

単独登山にはチョット躊躇していた私は、この話を聞きつけ、いいチャンスとばかりに加えてもらったのだ。


登山というのはダイビングと違って中々日程の決定が難しい。

とりあえず、7月20日からは夏休みで混雑が予想されるため、山開きの7月1日との間のウィークデーを狙うとして、車の利用が便利な富士宮登山ルートで、7月17日から3日間の間に登山することが暫定的に決められ、各自準備することになった。


本格的な登山などしたことがない私には準備も大変だ。

多分、本格的な登山はこれが初めてで、最後になると思われるので装備はなるべく安上がりにと考えるのは人の常であるが、登山となるとこれがままならない。


色々専門店を訪ねてヒヤリングすると「一度きりと言われても安全面のことを考えると・・・」と当たり前だが必要のない装備などない(代替はあっても)という。

それにしても、登山用の専門店に久しく入ったことがない私に店内に並ぶ品々がファッショナブルで機能的になっていることに驚かされた。

これも最近の山ガールといわれる人たちの急騰のおかげなのか。
あれも、これもと買い求める、若い女性たちの経済力には驚かされる。

消費力を自負するシニアも負けずとばかりかなりのものを買い求めてしまった。


さて、出発日の決定は九州地方の豪雨とか梅雨明け時期などの情報に二転三転したが、最終的に当初の予定通り、7月16日午前神戸出発、富士宮付近で3泊して現地で天候の良い日に登山することになった。


7月16日、集まったのは68歳から70歳の後部に大きな荷物を積んだ大型バイクに跨る3人と小型スポーツカーに乗る私と、いいオジサン達の異様な集団であった。

梅雨明け間際の輝くばかりの晴れ渡ったこの日、3台のバイクを先頭に、私は車のクーラーを切り、天井、両サイドの窓をあけオープンカーのように全身に涼しい風を浴びながらのドライブは快適そのものであった。


富士宮の宿に着き、翌17日の天気予報を調べると、16日と同じような快晴が期待出来るということで17日に登山をすることに決定した。


我々の富士登山計画の概要は、頂上付近で一泊してご来光を眺めてから下山するものでなく、早朝に登山を開始して、夕刻には下山してしまう日帰り登山だ。


登山ルートは表富士宮5合目から頂上への富士宮ルートで、頂上到着後時間があれば最高峰の剣が峰(3776m)へ登頂し、下山は御殿場ルートから須走ルートに入り砂走りを通り、宝永山火口をながめながら富士宮5合目に至るルートを採用することにした。

上りは通常6時間、下山は3時間と言うが、我々は年のことを考え、上り9時間、下り4時間を予定し、早朝の4時45分登山を開始した(勿論、準備や高地に慣れる為事前に30分以上待機した)。

富士山頂上そのものは近すぎて見えないが、上るに従い、快晴の中、下界は視界一杯に広がる緑と、クッキリした愛鷹の山々、駿河湾に伊豆半島の山々等見ながらの爽快な足取りだったが、段々と口数が減りただ黙々と下を向いて歩くのみとなった。

九合目から頂上への標高差260mは本当に辛かった。

急勾配の斜面を一歩一歩登るのだが、いくら途中休憩しても二、三歩上れば叉ぐったりと疲れ、足が上がらない。

特別に高山病の兆候はないが、疲れが取れないのだ。

何とか頂上に着いたときは達成感と喜びで疲れも飛んでいってしまった。

頂上の浅間神社奥社にて、富士山高齢者登拝者名簿に記帳し、宮司より、お神酒拝し、杯と記念の扇子を拝受した。

ここまでの所要時間8時間半。

剣が峰登頂は諦め、下山したがこれが叉永く単調で終わりが見えず、まだか、まだかと思ほどのううんざりする下山であった。

下山に要した時間は3時間半。


年を考えればこんなものかと思うが、本当に疲れた。

「富士山は登る山でなく、見る山だ」と言われるがその通りで、登るのはもうこれで十分と言う気持だ。


下山後は富士宮で予定通り残り2泊して周辺を観光し、
その後、バイク組は伊勢、大台が原と3泊のツーリングへ。

私は箱根と浜名湖のリゾートホテルで2泊し、温泉と美味しい料理に癒され、完全に疲れを取って帰宅した。


箱根からの帰る際、高速から眺める富士の姿は気高く美しく、よくもあんな高い所に上ったのだと感激すると共に人間の一歩一歩の努力は偉大な業績をもたらすものである事を強く感じさせる登山でもあった。

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先日(6月30日)、「小沢新党」に期待しますか、「野田内閣」を支持しますか、しませんか。
という二者択一の日経新聞読者アンケートの結果が報告されていた。

結果は
小沢新党に期待しないが79.8%
野田内閣に支持が54.8% 

であった。

日経新聞の読者という狭い範囲のアンケート結果であるが、比率こそ違うだろうが国民の小沢氏への今の気持を表しているのではないかと思う。

小沢氏は民主党の「消費増税」案は国民を愚弄しているとして反対し、国政を混乱させ、「反消費増税」「反原発」さへ唱えていれば選挙には勝てる、と新党を起こすという。

これこそが国民を愚弄し、大局を考えず個利個略そのものだ。
日本国民も甘く見られたものだ。

だが、そんな考えが通用すると思われていること自体が日本の政治の危機でもある。

ただ反対するのでなく、政治家としてその理由と別の筋道があるならば明確に示すべきだ。


それにしても我々日本国民は「原発」というと何故こうも感情論になってしまうのだろうか。
(私のブログ2012年5月5日付けを参照下さい)

「原発ゼロ」による日本の将来の課題よりも、感情論に走る一部の国民の「原子力は悪」の意見にマスコミが迎合し、政治家が個人の利益のために利用し、煽っているのだ。

ジャパンプレミアムで他国より2倍も(米国より8倍)も高い天然ガスや原油を購入している日本が「原発」というカードをなくせば、売り手の言いなりの価格で買うしかないのだ。

今でも年に3兆円もの追加の燃料費を払っている。

これから先「原発」なしでどうなるのだろうか?
どうやって増加する燃料代を工面するのだろうか?日本の財政は?製造業は?環境問題は?失業問題は?完全に他国に燃料を依存する日本の独自性は・・・?

「原発」反対の政治家やマスコミは誰も答えてくれない。


さて、「脱原発」論議に関して、一人で決められない日本は他人の動向が気になり、特にドイツの脱原発の決定を引き合いに出されるが

そのドイツは日本の原発事故後、停止した旧型の7基と、故障で停止中の1基をこのまま廃止、残りも2015年以降段階的に運転を停止し、最後は2022年に最新型の3基を停止すると決定している。

しかし、その条件として「電力の安定的な供給」と、「電気料金の安定化」、そして「温暖化防止目標の達成」を掲げている。

どれも重要で難しい課題だ。
これが達成できなければ「脱原発」はないということか。

主要8カ国(G8)で唯一、原発が稼働していないイタリアは1987年にチェルノブイリの原発事故を受け原発の閉鎖を決定したが、日本と同じくエネルギー資源をほとんど持たないため、外国からの輸入が増加し、電気料金は高いうえ、慢性的な電力不足に悩まされている。

現在のイタリアの財政的破綻の要因となっているのであろう。
長期的な視点を欠いた急激な脱原発がもたらした失敗例と評価されている。

さて、北海油田を持つ資源国イギリスはどうかというと

当初、英国は北海油田の豊富な原油と天然ガスの産出を背景に「脱原発」と大幅なCO2を削減すると世界に大見得を切ったが、ここに来て様子が変わってきた。

イギリスにとって最大の誤算は、北海油田は予想以上に早く、2020年代には枯渇すると予測されており、自然エネルギーの開発も環境保護団体からの反対もあり、他国に比べ遅れている。

イギリスでは古い原発が多く、このままイギリスの稼働中の原発は新規建設がなければ2023年には一基のみとなる。

最近のイギリスの動きを見ると、多くの発電燃料を外国頼ることになる火力発電より、独自性を重んずるイギリスは新規原発の建設と大規模な風力発電に動き出したようである。

イギリスの新規原発計画は一基を2018年そのあと順次合計12基の原発の建設が計画されているようだ。

一方、7月5日の日経新聞に、「洋上風力に13兆円 発電能力は原発30基分」と風力発電の建設計画が報道されていた。

内容は
「英国が官民挙げて世界最大の洋上風力発電事業に乗り出している。
13兆円を投じ7000基以上の風車を沖合に設置し、3200万キロワットの電力を発電する。
これを軸に2020年時点での英国の総電力需要の約3割を再生可能エネルギーでまかなう計画」
とある。

新規原発建設との関連は触れていないが、要は現有の老朽化した火力発電と原発への対応と思われる。

厳しい環境保護団体との折り合いをどのようにつけていくのか大きな課題であろう。


各国の動向が気になる日本は、海外の各国が賢く状況を判断しながら柔軟性を持って将来のエネルギー政策を政治家が確固たる決断を持って構築しているのを大いに参考にすべきだ。


日本の場合は感情論で即「原発ゼロ」だ。
また、選挙に勝つためだけに「脱原発」を唱える政治家が多いのも問題だ。

再生エネルギーも大きな課題があり、今こそ政治家の力を必要としている時はない。

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