My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2012年09月

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先週21日(金)から23日(日)までの四国・高知の鵜来島ダイビングに行ってきました。

5月のポンペイ島から約五ヶ月ぶりのダイビングだ。

夏休み中は混むのでダイビングを敬遠し、9月にはダイビング抜きのトルコ周遊ツアーを予定し、珍しくダイビングから離れた期間が続いていた。

だが、申し込んだトルコツアーが13日間という長い工程のためか最小催行人数に至らずキャンセルされてしまった。

ポッカリと空きができ、暫くダイビングに行っていないためストレスが溜まり、無性に行きたくなり急遽決めたダイビングである。


私がCカードを取得した神戸のダイビングショップの主催のツアーで、行き帰り後部座席で暴睡付の超楽チンツアーだ。

行き先は四国・高知の鵜来島。

鵜来島は、今回で二回目(初回は2009年10月9日付ブログ参照)である。

鵜来島は高知県の最西端にあり、伊豆諸島・青ヶ島と同緯度に位置し、温暖な黒潮の恩恵を受ける周囲わずか6kmという小さな温暖な島だ。

島の周囲は紺碧の透明度の高い海に囲まれ、多くのダイバーが愛する“人気生物”のマクロは勿論、大物でもニタリや最近ではジンベイザメやハンマーヘッドの群れを見かけるなどポテンシャルの高い海域であると知られている。

勿論マクロが嫌いな(度付マスクを掛けると近くが見難くなるのだ)私は大物狙いだ。

ジンベイを是非国内で見てみたいと思いつつ参加したのだ。

今回のツアーは21日(金)よる8時に神戸ショップをスタートし、
高知・宿毛(すくも)のホテルに真夜中の1時過ぎに到着、翌朝8時にはボートに乗って鵜来島に出発し、
3ダイブ後同じホテルに戻り、翌日は同じく早朝より出発して鵜来島周辺で2ダイブ後、
宿毛に戻り機材を片付け食事して神戸に23日(日)夜8時に帰る工程だ。

後部席で暴睡出来るゲストはいいが、ガイド兼ドライバーにはハードなスケジュールだ。


ショップのツアーに参加するゲストは多彩だ。
夫婦、友達同士、単独参加者。
ダイバー成りたての人もいれば熟練者いる。マクロ派もいればワイド派(私だけだが)もいる。

チーム分けが難しいが少数派の私はどうしても分が悪い。

私は5人一組で潜ったが皆マクロ派で一度海底にへばりついたら中々離れない。
皆が写真を撮ったら少し移動して叉へばりつくという繰り返しだ。

ワイド派の私は、中層を海面を見上げながらジンベイが居ないか(居るはずはないのだが)とメンバーがへばりついている周辺を周回しているだけだった。

第一日目は曇って雨交じりで寒く、透明度は10m以下と最悪で大物などには全く縁がないダイビングであった。

見通しの悪い中、ウロチョロと動き回る私にロストにならないように研修生が見張り役につけられたが、透明度が悪く遠くにも行けず結局大物はカンパチの小さな群れのみという惨敗であった。

ジンベイ、ハンマーヘッドなどは夢の叉夢であった。

マクロ派にとってはピグミーシーホース、ハナヒゲウツボ、エビ、カニ類にハゼ類と中々の収穫であった様子。
エキジットしボート上で撮った写真を見せ合い嬉々としていた。

同じ海を潜りながら何故こうも反応が違ってしまうのか不思議なことだ。


さて、本ダイビングの詳細内容はこれから作成するホームページを見て頂く事にして、

来週初めから急遽マルタ島へダイビングに行くことにしました。


マルタ島行きもやはりトルコ周遊ツアーが再キャンセルされたためだ。

前述したように9月の13日間のトルコ周遊ツアーが催行中止となり、鵜来島のダイビングになったが、9月がダメならば10月のトルコ周遊ツアーにしようと、申し込んだがやはりこれも人数が集まらず催行中止となってしまったのだ。

トルコ行くつもりで心積もりしていたものがキャンセルされると無性にどこかに出かけたくなるもので、探し出したのが前から気になっていたマルタ島だ。

マルタ島は5の島からなるマルタ共和国の一番大きな島で、
イタリアとアフリカ大陸に挟まれ
先史時代に築かれた謎の巨石神社がそこかしこに点在するロマンを誘う島だ。

が、その地理的立地ゆえに過去に数多く民族の侵略を受けた島でもある。

現在のマルタの基礎を築いたのが有名な「聖ヨハネ(マルタ)騎士団」であり、
1565年のトルコ軍による「マルタ大包囲戦」に勝利した後、現在のマルタの首都ヴァレッタに築きあげられた要塞都市には今でも騎士団の栄光の姿がそのまま残されており、ユネスコの世界遺産に登録されている。

古代史や西洋史が好きな私には堪らない場所だ。

しかも、ここはヨーロッパのダイビングメッカなのだ。

特徴は何といっても抜群の透明度で平均30mを超え、トップシーズンには50mを超えることもあるという。

そんな中で地形・沈船などで探検気分を味わったり地中海の固有種を見つけたりと期待を裏切らないダイビングが出来るという。


心は早スコンと抜けたコバルトブルーの海です。
では行ってきます。

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先日、取引のない証券会社から「JALの株が再上場されますが購入しませんか」との勧誘の電話があった。

既に数社の証券会社に口座を持つ私としては今更取引会社を増やす気はなく、断ろうと思ったが、
「私、今年入社したばかりの新人ですが是非説明だけでも聞いて下さい・・・」と言われ電話を切ることも出来ず説明を聞くことになった。

暇に任せて日経新聞とその電子版を隅から隅まで読んでいる私にとって担当者の説明には目新しいものはなかったが、勉強したての情報を一生懸命に説明してくれた。

もともとJAL株の購入を考えていたこともあり、結局は新人担当者の熱意に負けて、新規に口座の開設とJAL株購入の申込みをしてしまった。


2年ほど前、JALが破綻して、株は100%減資され紙屑(今は電子化され紙屑にもならない)となることになっても、最後は一体どの様になるのか知りたく、私は株を売らず最後まで持ち続けたが、結局無価値となって、葉書一枚の通知さえなかった。


痛い目にあいながら何故叉JALの株なのか?

子供のころ、特に男の子は乗り物に憧れる。
ご他聞にもれず私も乗り物が好きで、中でも自動車と飛行機に夢中だった。

私が子供のころ実家は東京であったが、一般家庭には車などは珍しく、親に車を持った家に連れて行って貰って、車に乗せてもらうのが何よりもの楽しみだった。

大学に入り、まず中古の車を買い、学校へもスキー、海水浴そして新宿、銀座、どこでも車で行き、何しろ運転するのが好きだった。

だが、そのころの車は今と違ってオイルや水漏れ、プラグ調整と色々不具合も多く、暇さえあれば車をとことん自分でいじくりまわして楽しんでいた。

飛行機はその格好のよさに憧れ、乗るチャンスなどはなかったが飛行場で離着陸する飛行機をいつまでも眺めていた。

特にナショナルフラッグ・キャリアとしての鶴丸をつけた世界に羽ばたくJAL機には憧れ、いつか私も飛行機に乗って世界各国に行ってみたいものだと夢見ていた。


やはり子供のころからの乗り物好きの影響からか大学は工学部機械科で就職は関西の製造業を選んでいた。

会社に入って暫くたって株を購入し始めたが、まず買ったのが自社の株とJALとそして自動車株であった。

それから何十年と色々な株を売買したが、その殆どが製造業で上記の業界に関連したものが多い。

だが、何故か最初に買った会社の株だけは、バブルの時大きな含み益が出ていたが売ることもせずじっと保持してきた。

しかし、2年前JALが破綻して株が一方的に消滅してしまったのだ。

子供のころの憧れであり、夢であったJAL。

今ではダイビングで世界各国を廻ることも出来るようになり、子供のころの思いもこめて、今回の再上場にあたり、前は大きな損を蒙ったが、
やはりJAL株のホルダーでありたいと購入を決意した。


さて、JALの株式は9月19日にされるが、予定どおり順調に運べば政府に3000億円以上の利益をもたらすことから、政府が関与した企業再生での最大の成功例といわれる一方、「公的支援が一方的で、不平等な競争を強いられている」と政治家を巻き込んでANAが批判を強めている。

JALの再生は日本経済へのプラス効果と国民の利便性の確保を政府が政治判断して決めたものであるが、民間のスポンサーが現れなかったため、結果的に政府自身が3500億円をJALに出資し、厳しい監視の下で再生を指導することになったのだ。


JAL再生は国民へ不平等ではなく、「ANAにとって不平等だ」ということである。

具体的に「リストラ」「赤字路線からの撤退」「財産評定の見直し」「多大な繰越欠損金の計上」「債権放棄や100%減資」の5つに分けられという。

「リストラ」ついて、
JALは社員の4割にあたる2万1000人を削減し、年金も日本企業最大のOBで30%、現役で50%という削減しており、今では全ての業種でJALよりANAの方が給与は高くなっている。

「赤字路線からの撤退」
JALは赤字路線や事業縮小による路線撤廃したが、この需要がANAへ500~1000億円流入しているとされており、ANAは、むしろJALの赤字路線撤退によるメリットを享受しているといえる。

「財産評定の見直し」「多大な繰越欠損金の計上」
経理上の処理方法がからむ減価償却費低減や企業が赤字を蒙った場合、赤字を超える黒字が出るまでは利益を相殺できる制度でどの企業も利用しているものだ。

「債権放棄や100%減資」
JALは金融機関を中心に5200億円もの借金を踏み倒し、40万人の株主の株券を紙屑にしてしまった。
JALの長年の杜撰な経営が招いたもので、言い訳はできない。


永年のJALファンから見るとANAが言う不平等は羽田の路線拡大への営業活動と見るが、今回のJAL株上場はFaceBook以来の大型で、今後の日本経済の活性化にも大きく影響すると思われのでうまく行って欲しいと願うばかりだ。

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今年の夏休みは混雑を嫌ってダイビングに行くこともなく、唯一7月の初めに富士山登頂に挑戦(7月23日付ブログ参照)しただけで、猛暑を避けながら読書三昧に明け暮れた。

しかし、8月も後半に入り少しストレスも溜まり気味だったので、新聞広告で偶然見つけた「瀬戸内アートめぐり2日間」なるツアーに先日(8月29日、30日)行ってきました。

私としては、このツアーのメインは「瀬戸内海に浮かぶモダンアートの直島」と高松の「イサム・ノグチ 庭園美術館」の見学だ。
その他見学したことがある「東山魁夷せとうち美術館」と「倉敷美観地区」の散策が含まれている。

本州四国連絡高速道路が利用者の増加を目的に音頭を取り、40以上もの瀬戸内海エリアの美術館が参加している「せとうち美術館ネットワーク」なるものがある(2010年11月9日付ブログ参照)。

2年ほど前から、週末に高速道路料金が安くなった時期に、遠くて宿泊を必要とされる広島地区を除く、20箇所ぐらいの美術館を訪問してきた。

叉これとは別に香川県が「瀬戸内アートネットワーク」を作っている。
本四高速のネットワークに参加しているものも多く、既に訪問している施設もかなりあるが、モダンアートの直島や高松のイサム・ノグチ 庭園美術館は未訪問であった。

直島は車では行きにくく、イサム・ノグチ 庭園美術館は事前に葉書で予約を取る必要がありともに敬遠していたが、いつか行きたいと気になっていた所でもあった。

が、今回ここに、全て人任せで楽に行けるとあって即参加申込みをした。


ここで、訪問した主となる施設の説明と感想を述べると


地中美術館

直島の美しい景観を損なわないよう建物の大半が地下に埋設されたこの美術館は、2004年に安藤忠雄設計で設立され、クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品が恒久設置されている。

特に、モネの最晩年の「睡蓮」シリーズ5点が自然光のみで鑑賞できる様になっており、白い漆喰の壁とイタリア産と言われる小さな大理石を敷き詰めた床に良く映えて見事な調和が醸し出されている。

光そのものをアートとして考えるタレルの「アフラム、ペール・ブルー」という作品は闇の中からおぼろげに見える薄青い長方形が、実は壁の開口部であり、中に入ると色々な光に満たされた異次元のような感覚が味わえるようになっている。

マリアの作品は巨大な部屋の中に直径2.2mの黒い球体置き、入り口は東側にあり、日の出から日没まで作品の表情が刻々と変化する様を見ることが出来ると言う。

いずれにしても斬新さには驚かせられるが、誰がお金を出したのか、建築家と3人の芸術家への贅沢な実験場だ。
同じお金を使うならもっと多くの人がチャンスを得られるようにした方がいい気もするが・・。


家プロジェクト

本村地区の古い家屋を改造し、アーティストが家の空間そのものを作品化したのである。
現在6つの作品があるが、今回4つを見ることが出来た。

人気の「南寺」は真っ暗な部屋の中手探りで入り、次第に対面する壁に薄暗いスクリーンの光が見えて来るというもので、最後に壁に近づくと何故こんなに明るいものが初めは見えなかったと驚くわけである。

人間の視力の実験をしているようでこれが芸術作品化といわれると疑問に思うのだが。

その他、「角屋」では暗い大きな部屋の床全体が水槽になっており、底から色とりどりのデジタル数字が点滅する作品があったが、涼しげで大変綺麗であった。

平日であったが多くの人がレンタル自転車などで地図片手に点在する作品を探し回る様子は大変楽しそうであった。
作品を見ると言うより作品を探し当てる楽しみの方が大きいように感じられたが・・。

この島はモダンアートの彫刻が点在しており、有名なのが草間彌生の「赤、黄のかぼちゃ」と言う幻想的な作品で氏は80歳を越す高齢であるが10歳の頃から水玉模様の図柄を書き始めたと言うから驚きだ。


イサム・ノグチ 庭園美術館

20世紀を代表する彫刻家イサム・ノグチ氏が晩年高松市牟礼に居を構え、生活し、仕事場とした場所を整備して庭園美術館として公開しているのだ。

氏の代表作である「エナジー・ヴォイド」という作品は「虚空」という意味があるようだが、中央に大きな空間を作り、表面は艶やかな光沢をもち、緩やかに3次元的に変形させ彫刻は見るものを何か深い淵に引きずり込むような力を感じさせられる。

その他、晩年住居も外から見ることが出来晩年の氏の生活を垣間見ることが出来る。


東山魁夷美術館では氏の心の内奥の色と言われる青を多用した「白馬の森」を再び見、倉敷美観地区では明るい日差しの中、ユッタリと川辺の緑を眺めながら散策する優雅な時間を過ごし、叉、宿泊した「リゾートホテルオリビアン小豆島」のレストランから豪華な食事と共に眺める夕刻の瀬戸内海も素晴らしく、今回のツアーは去り行く夏のいい思い出となった。

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