My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2012年10月

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先週初め、以前の勤め先の仲間との親睦旅行で四国松山城・道後温泉に一泊二日で行ってきました。

年初めの新年会、春の小旅行、秋の一泊のバス旅行と夫婦参加での親睦会を行っているが、参加者の殆どが第一線を離れ年金を貰いながらの悠々自適の生活をしている。

久し振りに会うと、皆、年相応に老けてきたが大変元気だ。
孫達の話、趣味の家庭菜園、ゴルフ、旅行そして体や流行の健康法などワイワイガヤガヤと賑やかで話が尽きない。


今回は旅行のルートは神戸の西、JR加古川駅に集合してバスにて尾道から西瀬戸自動車道経由四国・今治に入り松山・道後温泉で一泊。
翌日、松山城の見学後、高松・屋島に寄り坂出より瀬戸中央自動車道にて岡山経由加古川に戻るルートだ。

勿論、今回の観光地は神戸より近いため何度か訪れている所ばかりで、近々では8月末に「モダンアートの直島とイサム・ノグチ庭園美術館」巡るツアー(9月2日付けブログ参照)で高松などを訪問したばかりだ。

しかし、同じルートでも寄ったことがない所や、今まで気が付かなかった新しい発見があるものだ。


今回のそんな経験の2,3を紹介すると

まず、第一が「しまなみ海道ハイキング」だ。

尾道市と今治市を結ぶ西瀬戸自動車道は本州と四国の間の6つの島を海峡部分の10の橋梁で
結ばれた約60kmの自動車道路であるが、各橋梁はサイクリングやウォーキング用の側道を設け「しまなみ海道」とよばれ自動車以外にも利用され楽しまれている。

今回はそのホンの一部、世界有数の斜張橋で白鳥が羽ばたくような優雅な姿をしている多々良大橋の約4kmをゆっくりと1時間ばかりの時間をかけて歩いた。

普段自動車で通ればホンの瞬間であるが、ゆっくりと歩くと色々な発見がある。

瀬戸内海に浮かぶ島の多さとその優雅な美しさ。
みかんの香りがほのかに香る潮風としっとりと汗かく陽光をからだいっぱいに感じるその快適さ。
歩くごとに変化していく斜長橋の見事な幾何学的な機能美。

自動車に乗っていては味わえない醍醐味だ。


二番目は日本最古の湯という道後温泉だ。

前回は家族づれで10年以上前に訪れたが、時間がなく慌しく「道後温泉本館」の神の湯に入り二階の休憩所でお茶を飲んだのを覚えている。


今回は夕刻4時ごろに「道後温泉本館」の直ぐ近くのホテルに到着して、早速夕食前に浴衣、下駄という格好で温泉めぐりをした。

夕暮れに「道後温泉本館」の周りをにゆっくりと散策すると昔にタイムスリップしたような気持になるから不思議だ。

まず「道後温泉本館」に入ったが、この建物、国の重要文化財に指定されるほど、見れば見るほど趣があり、その梁や柱はお城を彷彿さす重厚なつくりである。

入った神の湯は浴槽が花崗岩で出来ており、泉質は少し熱めの無色透明のアルカリ性単純泉で肌に滑らかでユッタリ湯に浸かっていると旅の疲れでウトウトとつい長湯をしてしまった。

「道後温泉本館」の入浴後は薄暗くなった周辺のお土産さんをひやかしながら街を散策し、「道後温泉本館」の直ぐ近くのホテル「花ゆづき」の最上階の露天風呂に行きました。

爽やかな風に吹かれながら、すっかり暗くなった松山の市街を見下ろしながら入る温泉は「道後温泉本館」とは叉違った趣を感じまたまた長湯をしてしまった。


さらに、宿泊したホテルで翌日の早朝、広く明るく設備が整った大浴場で朝風呂をあびて、前夜のアルコールや眠気を吹き飛ばしスキッとした朝を迎えた。

短い道後温泉滞在の中、三者三様の趣の違った湯をじっくり楽しみ本当に温泉三昧の道後を過ごすことが出来た。


さて、次は松山城。

勿論ここも既に訪れたことがあり、その高く、美しい三重三層の天守閣の姿とその天守閣の中か見下ろす松山市街の眺望の素晴らしさは記憶に残っていたが、
今回強く印象に残ったのは緻密で優雅な曲線を描き出した城壁の石垣である。

その壮大さと美しさは軍事目的を超え芸術品の域にあるように感じられた。

前回来た時、そんなに強い印象はなかったが、今回は何故かこの石垣に強く引かれた。

その理由は、今月初めに行ったマルタのバレッタなどの城塞都市の豪壮で頑丈な石垣と比較したからである。

マルタはオスマン帝国や海賊に絶えず脅かされ自らを守るためには、早く、高く、頑丈な難攻不落の城塞を築く必用があり、一方、松山城の場合は外敵からの防御と言えど、当面の想定した敵が居るわけでもなく、26年もかけ意に沿った城郭を築くことができたからだと思うが。

だが、作った状況が違ったとしても、なんと言っても、素晴らしい日本人のもの作りにおける繊細で緻密な技巧と真摯な気持なのであろう。


何度か行った所でも、本人のその時の気持と経験により、その都度新しい感動や発見があるものだ。

そんな気持を気付かせる今回の旅であった。

これからも、既に行ったところだと臆せずに積極的に色々な所に出かけてみよう。

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マルタ共和国 イタリアとアフリカに挟まれ「地中海のへそ」と呼ばれ、マルタ,コゾ、コミノなど5島からなり、1964年にイギリスより独立した、領土面積が淡路島の半分程度の小さな国だ。

しかし、地中海からインド洋に抜けるルート上に位置するため、はたまた温暖な気候ゆえか、その小さな国土からは想像できないほどの驚愕の歴史的変転を経ているのだ。


マルタには紀元前8000年頃から人が住み始めたといわれる。
その歴史の初めを飾るのは海を挟んだエジプトのピラミッドより古いことが最新の科学測定により分かった巨石神殿群である。

20トンものの大きな巨石を積み上げた巨石神殿は紀元前4500年から紀元前2000年ほどの間に、小さな島の各所に30ほど建てられ、今でも多くの遺跡が原形をとどめて保存されている。

だが、謎に包まれた高度の建築技術を誇る人々は紀元前2000年ごろ忽然と姿を消してしまったのだ。


その後、紀元前1000頃からフェニキア人やカルタゴが支配し、続いてローマに支配される。

更に870年イスラム帝国、そしてノルマン、スペインの支配下に置かれるが、1530年にはドロス島を追われた聖ヨハネ騎士団(後のマルタ騎士団)の所領となる。

1565年には歴史上最も情け容赦ない、血塗られた戦いの一つといわれるオスマン帝国とのマルタ包囲戦にかろうじてマルタ騎士団が勝利している。

近代に入り、エジプト遠征途上のナポレオンによって占領されるが、その後はイギリス支配下となる。

第二次世界大戦中にはエジプトへの連合国側の輸送路の途上にあり、またイギリス海軍の拠点としてドイツ軍の執拗な空襲に晒されたが、ついに陥落することはなかった。

その後イギリスの統治下において、マルタは1921年部分的な自治を認められ、61年には内政面ではほぼ完全な自治権を持つようになった。そして64年に独立を達成し、2004年5月1日に欧州連合(EU)に加盟している。

そして現在といえば、海岸沿いの景勝地に豪華リゾートホテルが立ち並び、10万トンを越す超豪華客船やヘリポートを備えるほどのセレブたちの豪華ヨットが寄港する世界屈指の観光地となっている。


さて、マルタについての前置きが長くなったが、

今回の工程は10月1日より9日までの9日間でエミレーツ航空使用の関西空港からドバイへ、ドバイからキプロス経由マルタへのルートだ。

ドバイまではドバイ観光の日本人達で満席であったが、ドバイ以降は東洋系の人はチラホラで、マルタでダイビングする人は殆どがヨーロッパ人であった。

季節的にダイビングの最盛期は水温が高い7,8月で、この期間は日本からのダイバーも多いと聞く。

到着と出発日の半日を除くと5日間のスケジュールだが、今回は2日のダイビングと3日の観光とした。

ダイビングより観光を優先したのははじめてのケースだ。

さて本命のダイビングだが、ここのダイビングは1日二本のビーチダイビングが基本で、2日間でたったの4本のダイビングだ。


ここへ来るダイバーは国籍も多種であれば経験も多岐だ。

私の一日目のチームは資格を取得しようとする人、資格を取って間もない夫婦と経験20本ぐらいの人だ。

初日の一本目はチェックダイブを兼ねているのだが、ここのチェックダイブは念入りだ。

ホテルに隣接するショップ前の海岸からエントリーして水深3mぐらいのところで、マスククリア、レギレーターリカバリーは勿論、エアー切れのときの対応などバディー同士一人ずつ20分ぐらいかけてやっていくのだ。

その後、水深10m辺りの所をユッタリと潜るだけだ。
透明度は10m位で思ったほどよくなく、魚は殆ど居ない。私にとっては貴重な4本なのに残念なダイブであった。

2本目は「青の洞窟」のそばの沈船ポイントであるが、沈船までは遠いためか近くの崖際を流すだけだった。
透明度は15mぐらいで魚は殆ど見かけない。

翌日はチーム編成が少し変わり経験本数が少し多い人達と、昨日の沈船ポイントで今度は水深35mに座る沈船まで行くことが出来た。
透明度は20mぐらいでやはり魚は少なく珊瑚もない静かな海だ。
二本目も同じポイントであった。

マルタにはいくつもポイントがあるが、ボートダイビングでないためか、自動車での移動に時間が掛かり、同じ所を続けて潜ることが多いようだ。

魚は少ないと知っていたが、もっとダイナミックな地形ポイントも多くあると聞いており,変化に富んだダイビングを期待していたが残念な結果であった。

その代わり、観光の3日間は充実していた。
一日はこの島独特の天井がない開放的な2階建てバスで北部の旧都市巡り。
二日目はコゾ島一日ツアー。
三日目はタクシーをチャターして遺跡巡りなどをした。

本当に息を呑むような素晴らしい景観とそそり立つ各城塞都市、幾つもの荘厳な教会と神秘に満ちた巨石神殿群。

もっと時間を掛けてじっくりと、ダイビングを抜きでもいいから再び訪れたい所だ。

ダイビングや観光の詳しい内容はこれから作成するホームページに掲載します。

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