My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2013年02月

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先日安倍内閣の閣僚資産が公開され、平均1億193万円 野田政権から倍増したという。

最高額は麻生太郎副総理の4億7136万円で、1億円を超えたのは6人で、最も少ないのは岸田文雄外相の2131万円だったという。

この資産公開は、在任中に職務を利用して不正に蓄財するのを防ぐため、ロッキード事件を契機に導入されたが、閣僚本人と同じ家計の配偶者、子どもが持つ土地・建物や預貯金、有価証券などが対象で、普通・当座預金は除外され、株式は銘柄と保有数だけでまだ資産が正確に把握されたとは言いがたい面もある。

叉、野田内閣の閣僚の辞任時の資産も併せて公開されたが、就任時と比べて大きな変化はなかったという。

我々庶民から見るとやはり政治家はお金持ちだとも思えるが、日夜天下国家を考え、国民のためと身を削るような想いをして頂いている政治家としては以外に少ないとも見えますが。

ただ、政治家の皆さんであるから数字に表れない隠れたものもあるのではないかと思いますが・・・。


それにしても唖然とするのは中国の党幹部達の腐敗の状況だ。

最近読んだ「紅の党」に 中国の権力闘争の姿と巨万の富を築く党幹部子弟・親族達の実態をあからさまにしている。

この本は朝日新聞社が中国の権力の闇の内幕に鋭く切り込んだレポートだ。

2012年11月、5年に1度の党大会を開催し、毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤に続く「第5世代」の習近平体制が発足したが、
この10年ぶりの最高指導部の交代の舞台裏での、野心家の薄熙来の失脚、党大会の開催遅れ、その直前に忽然と姿を消した習近平など、壮大な規模の権力闘争と巨万の富を築く高官子弟の優雅な暮らしぶりや、権力をほしいままにする党幹部たちの実態に迫るとともに、軍のトップ・党中央軍事委員会主席の座をめぐっての江沢民を道連れにした胡錦濤の決断など、中国の闇の内幕を白日の下にさらした。


党幹部や高級官僚などの腐敗振りを現す「裸官」と言う言葉をよく目にするようになった。

中国で賄賂などで不正に稼いだ資産を、家族と共に海外に移し自分だけ中国に残っている人のことを「裸官」と呼ばれている。

党内の検査部門は2011年、「裸官」幹部がどのくらいいるのか調査したことがあるが、いまだ公表されてない。
それは余りにも数が多いので社会への影響が余りにも大きいからだと推測されている。


党幹部、高級官僚やその親族たちの腐敗振りはインターネットで調べるといやっと言うほど多く、かつ信じられないほどの高額だ。

・温家宝首相の一族が首相就任後に27億ドル(約2100億円)もの巨額な蓄財をしたと米紙ニューヨーク・タイムズが報じた。

・鉄道省の元運輸局長が20億ドル(約1600億円)もの資産を海外に持ち出したと中国メディアが報じる。

・薄熙来の妻谷開来の60億ドル(約4800億円)に上る海外への不正送金疑惑。

・本年の党中央規律検査委員会の報告では、2007年11月から2012年6月までの約5年間に汚職や職権乱用など腐敗問題で処分された党員は66万8429人に上り、腐敗の深刻さを浮き彫りにした。この間立件した贈収賄事件は8万1391件、賄賂は総額222億300万元(約2900億円)に及んだ。

・2012年の年間を通じて、北京空港から国外に逃亡した党および政府の"処級以上(日本の「課長以上」)"の幹部は354人に上り、過去最高を記録した。彼らは家族を帯同し、国内で汚職や腐敗によって稼いだ汚れたカネを不当に国外へ持ち出した。その総額は3000億元(4兆800億円)以上。彼ら一人当たりの平均持ち出し額は9億元(約122億4000万円)に達している。


一体この国はどうなっているのだろうか?

地殻変動をいち早く感知して逃げ出す小動物のように、党の幹部達はこの国の行く末を察知し自国を捨てて逃げ出しているのだろうか?


習近平国家主席は党中央大会の後、記者会見で、新体制が直面する多数の重大な内政課題に、汚職や政府と一般国民との乖離、過度の形式主義、官僚制の弊害などに言及し、早急な対策を打ち出す必要性を強調した。

しかし、現在、党幹部の親族の多くは、有力企業に入ったり金融や不動産分野で事業を立ち上げたりして、発展する中国経済の利益を享受しており、この既得権益にメスを入れるような政治や経済の改革がうまく進むはずがない。


習近平政権発足後も暴動が続く中国では、結局、歴代の統治者と同じく、国内の混乱収拾のためにわざと国際的危機を作り出して国民の目を外に逸らすような方策に打って出るのであろう。

それを予兆しているのが尖閣諸島で中国の領海、領空侵犯、そしてレーザー照射と次々と危機を煽り国民の目を内政に向かないように演出している。

どうやら習近平政権は本気で、日本との「尖閣紛争」を起こす、いや起こさざるを得ないのだ。


「紅の党」 朝日新聞中国総局  朝日新聞出版 1300円

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ハワイ島へはダイビングに行ったつもりであるが、帰国した今強く印象に残るのは、ハワイ諸島の火山の山々である。


地球のマントル中にはホットスポットと呼ばれる熱い部分があり、地殻の下まで届く細長いマグマの上昇流を作るところがある。

ホットスポットの典型例として挙げられるのはハワイ諸島であり、他にもダイビングでおなじみなタヒチ島、ガラパゴス諸島、カロリン諸島や叉、イエローストーン、アイスランド、アフリカ大地溝帯など地球上に数多く点在している。

しかしなんと言ってもハワイ諸島は地殻が動いていることを雄弁に物語っていることで際立っている。

アリューシャン列島とカムチャツカ半島の付け根部分から天皇海山群とハワイ諸島まで「く」の字のように曲がって並ぶ古い海底火山と火山島の列は古くは7000万年前から現在までのプレート(地殻)の動きの証であるという。

つまり、ホットスポットにより出来た海底火山が火山島となり、プレートの動きにより活動をやめベルトコンベアーに乗ったように順次北西方向に動き、海底に沈んでいったのだ。

事実、ハワイ島にある5つの火山だけを見ても、北方向からコハラ(死火山)、マウナ・ケア(休火山)、フアラーライ(休火山)、マウナ・ロア(活火山)、キラウエア(活火山)と並び火山活動が順次変化しているのがわかる。

遠い将来、現在のハワイ諸島が北西に移動して、現在の所に新しい火山島が出来るのであろう。


今回、ハワイ島で島内一周ツアーに参加し、キラウエア火山の広大なカルデラと噴煙を上げる噴火口をま近に見、太平洋の最高峰、マウナ・ケア山登頂(標高4205m)&夕陽と星空観測では自然の雄大さと宇宙の神秘さに触れられた。

マウナ・ケア山は太平洋の海洋底から立ち上がる山でその高さは海底からだと10,203mもあり、エベレスト山を抜いて世界で最も高い山である。

しかしながら、この山は山全体の体積が非常に大きく、自分自身の重さによって海底が押しつぶされ、その高さは徐々に減少しているとの事。

マウナ・ケア山の頂付近は天候が安定し、空気が澄んでいることもあり、日本のすばる望遠鏡をはじめ、世界11ヶ国の研究機関が合計13基の天文台を設置しており、見上げる夜空は本当に満天の星であった。

こんなに多くの星を克明に見ることが出来たのは初めてだ。

満天の星を見ながら、赤く輝くオリオン座の超巨星:ペテルギュウスのことに思い馳せた。

この星は、直径は太陽の1千倍で、質量は20倍、地球からの距離は640光年で、既に星の生涯の最終段階にあり、明日にでも超新星爆発してもおかしくない(既に爆発しているかも?)星なのだ
(2012年1月19日のブログ参照)


今回雄大な自然のハワイ島に来て、地球の地中奥深くで脈々と動くマントルとプレート移動の現場に立ち、そして更に壮大なる宇宙の星の生涯を思い起こして、なにか悠久なるロマンを感じることが出来た。


さて、肝心のダイビングの話だが、ハワイ島で4日間合計7本のユッタリスケジュールだ。

私が選んだダイビングショップは一日午前中2本のダイビングが基本で、午後は休みとなる。
途中でナイト・マンタダイビング一本を行ったが、このとき夕刻出発するまで午前中は休みとなるほどの優雅さだった。

出発する直前まで予約が入らず催行が危ぶまれたが、結局潜れることになったが、ゲストが2人だけのときが2日あり,最高でも5人と言うユッタリさだ。


ハワイ島は太平洋の真中にポツンとある島で、深海を数千年かけてゆっくりと流れ、養分を豊富に含む深層流が湧き上がるところであるので大物、回遊魚、群れなどに期待を膨らませて潜ったのだが・・・。

ハワイ島西側コナ付近は深く切れ込んだ湾もなく、雨が少なく乾燥地帯で川もなく、透明度は抜群なのだが何故か大物や群れに出会うことがなかった。

ガイドの説明では毎回、近くに流れのハイウエーがあり、この流れに乗って回遊魚、サメ、ハンマーヘッド、ジンベイなどが見られと言っていたが全くの外れであった。

期間中遭遇した大物はネムリブカとカメとそして30mを越す遊覧潜水艇(観光用の潜水艇で我々が潜った沈船ポイントはかれらの観光ルートにもなっているため)という成果であった。


ホノルルで潜った人もおり、透明度が悪く、芋の子を洗うような窮屈なダイビングを強いられたと言い、これに比較してハワイ島のダイビングは正解なのだが、何せ大物が・・・。 贅沢なのかも。


ハワイ島4日のダイビング、2日の島内観光の後、オアフ島ホノルルで一日、念願のダイアモンドヘッドに登頂し、息を呑む素晴らしい景観を眺めモヤモヤも解消して帰国することが出来ました。

詳細の写真等は少し後になりますが別途ホームページに記載します。

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