
チュークへは2009年夏以来2度目だ(2009年8月29日付ブログ参照下さい)。
それから4年以上経ったわけだが、この間色々な場所で沈船ポイントなるものを潜ってきたが、チュークの沈船ダイビングが忘れられなかった。
ここでの沈船ダイビングはソフトコーラルの付着が時間の流れを感じさせ、 多くの沈船が中に入ることもでき、薄暗い船内に差し込む青い光は幻想的な世界を作り出し、船の構造、装備などが当時の姿を忍ばし、冒険心をくすぐる世界が広がるのだ。
ここには、浅く大きな環礁内に第二次世界大戦中に沈んだ日本の艦船が60隻以上、波の影響を受けることなく当時の姿を保ちながら静かに眠っている。
ダイビングできる水深にこれほど沈没船が眠っているのはここだけで、世界一のレックダイブのスポットと言われている所以である。
チュークは、ミクロネシア連邦の4つの州のひとつで、カロリン諸島に位置し グアムから約1時間半のフライトの距離にある。
昔トラック諸島と呼ばれており(1978年7月12日にミクロネシア連邦となり、1989年の州憲法の制定で「チューク諸島」に変更された)古い人にはこの名の方が懐かしいのだが、
ここの環礁は100km径近くもの大きなものだが、かつては1つの大きい火山島だったが、数千年かけて島の大部分が海没し、山頂付近が現在の島々となったものだ。
1920年、日本は国際連盟よりミクロネシア地域の統治を委任された後、トラック環礁の大きく、環礁の周囲には限られた水道しかなく、潜水艦の侵入を防ぐことも容易であったという地形に目をつけ、ここを海軍の艦船の一大根拠地として建設した。
1941年、日本が第二次世界大戦に参戦すると、トラック諸島は本土からの補給物資の集積地、前線への出撃拠点として、最重要基地としての機能を果たした。
しかし、1944年2月に、米軍機動部隊戦闘機によってチューク環礁内外に集結していた日本の艦艇や商船など二日間の攻撃でおよそ80隻がつぎつぎと沈められてしまったのだ。
その時の艦船群が環礁内に、現在も、透明度の高い海と、環礁に守られて、原型をとどめて、数多く沈んでいるのだ(詳しい経緯は09年8月29日のブログを参照)。
なんと云ってもここを有名にしたのは、ジェームスキャメロン監督の映画「タイタニック」のエンディングの水中シーンの沈没船の時代の流れを感じさせかつ青い光の幻想的な映像はここの「富士川丸」の廊下部分が使われたことであろう。
透明度の高い海の中、原形をとどめた大きな船の内を探索し、当時の状況を窺い知ることが出来る、チュークでのレックダイビングには何度行っても心踊らされる。
しかし、レックダイビングには神秘的で幻想的な光景や冒険心を楽しむだけでなく、私には水中に眠る文化遺産や財宝を探し調べる水中考古学を彷彿させるようで大変好きなダイビングなのだ。
現在、海や湖の下にある遺跡に注目が集まっているという。
沈没船、海底遺跡、湖底や川底の遺跡など、水中考古学は陸上と比べて調査に手間がかかるが、保存状態がいいケースもあり、ユネスコの水中文化遺産保護条約も2009年1月に発効し、大学に専門講座が置かれるなど、水中考古学が活躍の場を広げつつあるという。
水中考古学に触れた最近読んだ本で
日本の水中考古学の先任者である
井上たかひこ著「海の底の考古学」舵社刊 1500円
そしてこの著者をモデルにしたようなオタク的な海洋学者が登場する
笹本稜平著「 遺産」小学館刊 1900円 が印象深い。
「海の底の考古学」は、
世界各地のさまざまな場所での水中考古学の活動内容を記したもので、タイタニックやクレオパトラの海中宮殿など、どれも有名な遺跡ですから興味をそそられる。
トラック諸島に関しても未発見であった「さっぽろ丸」の2002年の調査についても触れている。
著者は調査のことをとても楽しそうに語っているが、水中考古学では特に重要視される遺物の保存に苦労する様子が窺われた。
「遺産」は海洋冒険ロマン小説だが、それだけで終わっていない。
日本から2000km、太平洋の真ん中に眠るマニラ・ガレオン船とこの船と運命を共にした大航海時代に海に生きた一日本人とその子孫である若い考古学者とのの魂の邂逅。
400年の時を経て、17世紀の沈船の発見と引き揚げを巡って展開される水中考古学者対トレジャーハンターの熾烈な争奪戦。
さらには地震に火山、新島誕生に国家間の権益争い。
息もつかさぬ展開だが水中考古学の取り巻く世界を理解するには格好の小説だ。
海に沈んだ古代文明、謎のアトランティスやムー大陸の伝説は今なお私たちのロマンや冒険心を掻き立ててやまない。
そんな気持ちの昂りの一片でも感じ取れればと意気込んで明日よりチューク(トラック)諸島へ行ってきます。