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先週一週間、沖縄・粟国でのダイビングと沖縄本島南部戦跡めぐりならびに美ら海水族館見学などの欲張った旅行に行ってきました。

噂に違わず粟国のギンガメアジは凄かった。
数千匹のギンガメアジが群れを作り、この群れ自体がひとつの意思を持った生き物のように、形を大きな玉からトルネードなどへと自由に変化させながらゆっくりと移動している。

群れにはいつも、数匹の大きなローニンアジがついており、これが時々アタックしたときは銀色の体色を閃かし、瞬時に反応し動き、形を変え、そして又何事もなかった如くもとの形に戻っていく様は全く驚き唖然とするばかりである。

私の粟国滞在中は最終日を除き天候に恵まれ、晴天、べた凪で流れもなく、本当にダイビング日和だった。
一日の3本のダイビングをギンガメアジの群れが集まる「筆ん崎」ポイントに潜ることが出来、そして、毎回、ギンガメアジノ大群に遭遇することが出来た。

ギンガメアジは私どもの動きの遅いのを見切ってか、近づいても大きく逃げることもなく、手の届くほどの距離を保ちながらゆっくりと移動していく。
群れの中に突っ込んでいくと、360度ギンガメアジに囲まれ、目と目を合わせる距離にいると、歓迎はされてないものの、無害なものと無視されている様子だ。

群れの中に入ってしまうと、前後、上下、左右周りはすべてギンガメアジだ。本当に群れの一員になったように周りの動きに合わせてゆったりと移動するのはなんとも爽快である。
だが、外敵や周りの状況が見えないのに、何かの拍子に全員が瞬時に同一方向に向きを変えて変化するさまは感動で愕きである。

また一方では、ギンガメアジや数多くのローニンアジ、イソマグロやナポレオンなどの大型種の豪快さだけでなく、粟国では、きれいな珊瑚礁に、透き通った明るい海の中、無数のキンギョハナダイ、アカネハナゴイなどが視野いっぱいに広がり、乱舞する癒しの面もあり、ダイビングの醍醐味を十分満足させくれた。


だが、周囲12km程度の小さな平和な島にも戦争の跡を見ることが出来ました。
当時の人口2800人の軍事施設も軍隊も駐在していなかった平和な小さな島に、突如4万人もの米軍が上陸して、そのおかげで10数名の住民が殺されたという。

何故こんなことになったのか、それは蘇鉄の丸太製の「偽砲」が島の西南のマハナという岬に据え付けられていたからという。

このマハナの岬に行ってきました。ここは海抜約98mの高台で、凝灰岩の地層で出来ており、崖の高さが数十メートルに及ぶ景観は英国のホワイトクリフを彷彿させます。
ここからは慶良間諸島や渡名喜島や久米島などが海上はるかに眺めることが出来る見晴らしの良いところです。
この岬の先端に3m角四方で高さ50cmぐらいの「擬砲」の土盛の跡が残っていました。
この土盛の上に蘇鉄の丸太を据付け大砲と見せかけたのです。
こんな小さな土盛の「擬砲」が米軍に脅威を与えたのはここの地形がなせるものだが、当時の米軍の情報収集力に改めて驚くとともに、何故こんなつまらないものを作ることになったのか、当時の戦争一色に塗りつぶされた思想統一とその幼稚さを思い知る。

粟国でのダイビングの後、3日間で沖縄本島の「美ら水族館」と南部地区の戦跡を訪問しました。
この訪問詳細は別途ホームページなどで報告する予定ですが、ここでは今回訪問したひとつである「ひめゆりの塔」での感じたことをちょっと触れてみます。

勿論、ひめゆりの搭というのはご承知のように、沖縄県立第一高等女学校と沖縄県師範学校の生徒たちによって構成されたひめゆり学徒隊が陸軍病院に配置され、献身的な看病をするも、理不尽な戦争により219人もの尊い若い命が奪われ、この犠牲になった人々の鎮魂のために、ひめゆりの搭と納骨堂が立てられた。

このひめゆりの搭と納骨堂の前に整然と並んで黙祷をささげていた30人ぐらいの男女学生の一団があった。
代表者が前に出ていろいろ感想などを述べていたが、聞くともなしに眺めていると、岡山県から来た中学生で今回の修学旅行は広島原爆平和記念公園に引き続き2回目という。

皆はきはきとしっかりとした感想(事前に準備はあったのだろうが)を代表として述べていた。

今時の修学旅行というと、海外へ行くとき飛行機の中とかでよく出くわし、傍目から見ると騒がしい限りであるが、海外への観光が主流になっている感が強いが、それはそれなりに得るものも大きいものがあるのだろうが、今回の中学校のように地味であるが、しっかりした目的を持った修学旅行を計画している学校(私の認識不足で多くの学校でも実施しているかも)もあるのだと感心し、そして教育問題が色々取りざたされている中で、一面では少し安心をしました。

ということで、色々あった今回の沖縄行きでした。
詳細は私のホームページで後日ご紹介します。