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10月より月一度の「キリスト教美術とギリシア神話」なる講義に参加しているが、前回のテーマは「ヘラクレスの選択」でしたが、今回は「ヘラクレスの獅子退治」でした。


ヘラクレスは大神ゼウスの不倫の子として生まれたが、
ゼウスの妻ヘラから疎まれ、色々な策謀にあうが、
ついには気を狂わされ我が子を惨殺すはめに落とし込まれる。

正気に戻ったヘラクレスは自分の行為におののき絶望するが、罪を償うためにアポローンの助言に従い12の功業を果たすことになる。

(詳しくは2010年10月25日の私のブログを参照ください)


この12の功業の最初の功業が「ネメアの獅子退治」である。


どんな話かチョット紹介すると

怪物テュフォンの子供に、巨大で皮膚は鉄よりもかたい獅子がおり、ネメアの森に住み、村人や旅人を襲っていた。

罪滅ぼしでティリュンスのエウルステウス王のもとに身を寄せていたヘラクレスに、王がこの怪物退治を命じる。

ヘラクレスはネメアの森に獅子を探しに行ったが、皆獅子に食べられてしまって、獅子のことを知る人に出会うことも出来ず、
20日以上もネメアの森をさ迷った後、ようやく人食い獅子に遭遇することが出来た。

ヘラクレスは獅子に向って矢を放ったが跳ね返ってしまい、剣も役に立たず、 棍棒で人食い獅子の頭を殴ったが、なんと棍棒は真っ二つに折れてしまった。

だが、さすがの獅子も堪らず2つ穴のある洞穴に逃げ込んだが、
ヘラクレスは片方の穴をふさぎ、もう一方の穴から入り無双の腕力で3日3晩獅子の首を絞めて窒息させた。

ヘラクレスはこの後この獅子の爪を使い、剣をも通さない毛皮をはいで肩にかけ、棍棒を作り直し一生肌身はなさず持ち歩いた。

ヘラクレスが獅子を退治してきたことを聞いたエウルステウス王は、ヘラクレスの恐ろしい力を知り、殺されてはたまらないと、鍛冶屋に命じて頑丈な青銅の壷を作りヘラクレスがやってくるとその中に逃げ込んだ。

ヘラクレスを憎むゼウスの妻ヘラは、よくぞヘラクレスを苦しめてくれたと、この獅子を星座にした。


以上がヘラクレスの12の功業の最初の話であるが、ヘラクレスを表した絵画、彫刻にはこの話の獅子の頭をかぶり棍棒を持つ姿が常套となった。

さて、この獅子退治をテーマにした絵画、彫刻は数多くあるが、圧巻は
ナポリ国立考古学博物館にあるイタリアの名門 ファルネーゼ家コレクションの「休息するヘラクレス」像だ。

これは古代ギリシャ・クラシクス時代リュシッポスの「ヘラクレス」を216年ローマ・グリュコンが模刻したもので、1546年ローマ・カラカラ浴場近くで発掘されたという。

獅子の皮を棍棒にかぶせ、それを支えとして、獅子の退治で疲れて休む、より人間的な神の姿を現している。

この像が以後のヘラクレスのイメージとなっているとの事。


この英雄のポーズを真似て肖像画を描かしたのがフランス・ルイ14世だ。

彼は、ブルボン朝最盛期の王で太陽王と呼ばれ、対外戦争を積極的に行い領土を拡張して権威を高め、絶対君主制を確立した。

ヴェルサイユ宮殿を建設するなど文化の興隆も見たが、治世後半はスペイン継承戦争などで苦戦し、晩年には莫大な戦費調達と放漫財政によりフランスは深刻な財政難に陥っている。


リゴーのルイ14世の肖像画は
聖別式の衣装に身を包み、王剣を脇に差し、手を王杖にかけており、背後の台には王冠が置かれている。
 
ヘラクレスの像のポーズに良く似ている。

先日も大塚国際美術館で見たこの絵は絶対君主による天下の栄華を彷彿とさせるが、彼の足が細く美しく、そして赤いハイヒールがすごく印象的であった。


ルイ14世はイタリアから持ち込まれたバレエに魅せられ、自らも主演した。
そのため、美しい脚線美を維持するため高いヒール靴を好んだ。

ハイヒールを履いている理由はこれだけでなく、どうやらフランス中世の社会習慣にもあるようだ。


当時パリの家にはトイレはなくおまるに用を足し、いっぱいになると、窓から「水に注意!」と叫んで、道に投げる。

道はとても臭く歩けたものでなく、傘やハイヒールが必需品となっていたらしい。

ルイ14世が宮殿をルーブルからヴェルサイユに移したのは、ルーブル宮殿が大小便まみれになって、住むことができなくなったためとされている。

しかし、ヴェルサイユに移っても、当時の貴族や貴婦人たちは便意を催せば所を選ばず、ウンコやオシッコをするのが習慣になっていたらしくハイヒールが手放せなかった。


一方同時代の日本の江戸では各戸にトイレをもち屋敷と屋敷の間に溝を設け集めていた。

これは、清潔好きというより人糞を肥料として用いるという、世界的に見るとごく稀な風習によるものらしい。

一枚の絵画を深く見つめると、その背景の歴史、風習まで見えてくるのも楽しみだ。