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昨日、急遽神戸・三宮の神戸市立博物館で開催中の「古代ギリシャ展」に行ってきました。

神戸の在住者としてはいつでも行けると安心していたが、6月12日までと言うことに気が付き急遽行くことにしたわけです。

が、平日にもかかわらず私のような人が多いのか、かなり混んでいて自分のペースで見て行けず少し残念でした。


今回の展示は大英博物館のギリシャ・ローマコレクションから、人間の身体こそが、美の極致―古代ギリシャの人々がたどり着いた理想の「美」であると言うことをテーマに厳選された彫像、レリーフ、壺絵など135点が展示されている。


やはり圧巻は、日本初公開となるギリシャ黄金時代の傑作「円盤投げ(ディスコボロス)」である。

この彫像は高さ170cmもあり、配色を黒一色とした大きな部屋の中央部に配置され、360度どの角度からもじっくりと鑑賞できるようになっている。

円盤を放り投げる直前の若々しく、鍛えられた肉体像はまさにギリシャ人が理想とする身体像を表現したものである。

この彫像は紀元前5世紀半ばにギリシャの彫刻家ミュロンが作ったブロンズ像を手本に制作された、ローマ時代(後2世紀)のコピーであるが、オリジナルのブロンズ像は現存しない。


「征服されたギリシャはその野蛮な征服者をとりこにした・・」と言われるほどローマ人はギリシャの美術に魅せられ、
裕福な人はオリジナルを買い求め、手に入らなければ古いギリシャの作品のコピーを注文しコレクションとしたという。

「円盤投げ」を含め、今回の展示されている彫像の多くはローマ時代にコピーされたものである。

どうやらローマは政治的には優れていたが、美術的にはギリシャの模倣で終わってしまったようだ。


さて、他にも色々目に付いたものがある。

昨年より「キリスト教美術としてのギリシャ神話画」と言う、月一度の美術講座を受講しているがその中で大きなテーマで、私のブログでも触れたことがある
「ヘラクレスの12功業」を描いた多くのアンフォラ(壷)が展示されていたことだ。


その中の、ヘラクレスの第一の功業である「ネメアのライオン退治」を表現した壷絵では、ヘラクレスがライオンを組み伏せ首を押さえつける様相。
彼に付き従う甥のイオラオス(左)がヘラクレスの手慣れた武器である棍棒を持ち、弓矢と靫はヘラクレスの背後に吊されている。
傍らではヘラクレスの守護女神アテナがこの戦いの様子を見つめている。

このような戦いの様子が前520-510頃の作成と言われるアンフォラに、黒像式で一本一本の細かい線までが克明に描かれているのには驚きであった。


他にも目に付いたのは、余り見学者も居らずじっくり見ることが出来たのだが、
「警告の碑文入り墓標」と言う高さ43cm足らずの小さな墓標である。

この展示品の説明文には

「この墓標は、道行く人に、朽ち果てた死骸を目にして、これが美しい若者ヒュラスの遺骸なのか、あるいは醜く粗暴なことで有名なホメロスのイリアスの登場人物テルシテスなのか誰もわかるまいと問いかけているのだ」
とある。

これはギリシャの芸術や思想に共通する、人はみな死ねば同類という感傷をあらわしたものである。


この墓標を見て、前述の美術講座で同じく紹介された
「われもまたアルカディアにあり」というニコラ・プッサンの絵を思い出した。

これはギリシャでは人類は黄金、銀、銅、英雄、鉄の5つの時代があったとされ、
その初期の黄金時代は、人間は土地から生まれ、神々と人間は一緒に暮らし、動物とも争わず、自然が必要なものを与えてくれ、世の中平和と正義に満ちていた。

その理想郷はアルカディア(ペロポネソス半島中央部)にあるとされた。

しかし、この黄金時代はパンドラの壷が開けられゼウスの支配となり終わってしまい、アルカディアの人々も死に絶えてしまう。

この理想郷と人間の生命のはかなさを重ね合わせるような作品が「われもまたアルカディアにあり・・(Et in Arcadia ego...)」で、
これは、ラテン語で、
「われ(死、死者)もまたアルカイディアにあり」と言う意味とのこと。

要は理想郷においても「死」はあり、人は死んでしまえば皆同類という「警告の・・墓標」と同じ古代ギリシャの感傷を表したものだ。


現在の世界の文明の礎を創ったギリシャ、エジプトであるが、昨今の経済低迷で傷んでいる。

これは他人事ではない。

政治がしっかりしなければならない。

日本の政治家はおかしい、この非常時においても、国民を見ず、他人の足を引っ張ることしか念頭に無い。

情けない。