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“やっと”と言うのはユナイテッドエアーの欠航で約二日間足止めされて、帰国が遅れてしまったのだ。

ここ何年間はかなりの頻度で海外へダイビングに出かけているが、幸運なことに大きなトラブルに巻き込まれることはなかった。

だが最近、ロストバゲッジや出発が4時間ばかり遅れるなどのトラブルに遭っており、なんか怪しいなと思っていたところにこの最悪の飛行機の欠航不具合だ。

私のポンペイからの帰国便はハワイ発ポンペイ、チュークそしてグアムとアイランドホッピングしていくもので、ポンペイは真夜中の1時半発だ。

当日の夜9時ごろ、ホテルの部屋でほぼ荷造りも終わって休んでいると、突然ホテルの係員が部屋にやってきて(私が泊まったホテルは各部屋が熱帯雨林の中に建てられたコテージタイプで部屋にはテレビも電話も冷蔵庫もない、超自然な生活が出来ることが売りなのだ)航空会社(ユナイテッド)から電話があり今夜の飛行機は飛ばないと言う。

色々問いかけても、「欠航の理由は分からない、新しい出発便はいつになるか分からない、宿泊や食事代は航空会社が負担するはずだからゆっくり寝てればいい」と言うだけなので仕方なく、諦めてその晩はそのまま寝てしまった。

翌日になり、ホテルの係員の情報では、「航空会社に押しかけた人も何も回答を得られていない」とか「欠航の理由が搭乗員の欠員らしい」ということが分かった。

搭乗員がパイロットかどうか、急病なのか、お酒の飲みすぎなのかどうか分からないが、要は人災だ。

この飛行機便はハワイから途中2,3の島に止まりグアムに行き、そして折り返して島々に寄りながらハワイに戻る便だ。

本当に人騒がせなことだ。
ハワイから飛行機が出ないことは、この往復便を利用しようとした多くの人の仕事や生活に多大の影響を与え、各地の航空会社の係員はクレーム対応やホテルの手配などに振り回されたはずだ。


昼過ぎになり、やっと私の出発便は翌日の昼便で、大阪への乗継便も座席が確定したとの連絡があり、確認してみるとエコノミー席であった。

年をとると長時間のフライトが疲れようになったし、重たいダイビング機材の持ち込みも厳しくなっているので、今回たまたまビジネスクラスを利用してみたのだ。

ビジネス席への変更を交渉するも満席だとにべもない。

欠航されて迷惑を蒙ったのはこちらで、要求すべきことは要求しようと、何時もお世話になっていて、今回のツアーもアレンジして貰った旅行会社の担当者にメールして状況を説明して交渉をお願いしてみた。

夕刻になってビジネスへの変更が出来ましたとのうれしい連絡を貰った。

どのような手を使ったのか、“蛇の道は蛇”とゆうのか、プロはやはりプロなのだと、一人旅の、遠く日本を離れた旅先で、本当に暖かく、頼もしい存在だ。

現地で知り合った人で、航空会社の方へ4回も5回も交渉に出向き、出発の当日早朝になってやっと出発便が確定した人もいた。

私の場合、ホテルにのんびりと滞在しながら、私にとっては今回の大きな災難を何とか順調に凌ぐことが出来たのはホテルの係員や日本の旅行会社の方々のおかげであると感謝する次第である。


航空会社の不具合の話ばかりになってしまったが、肝心のポンペイやダイビングについては


ポンペイ島にはミクロネシア連邦で最も高い800m級の山々連なりその形はギアナ高地のように台形で又、島全体がジャングル覆われている。

映画ジュラシック・パークの中で、人を寄せ付けない、鬱蒼とした熱帯樹林に覆われた深く刻まれた渓谷に海からヘリコプターでアプローチするシーン(撮影はコスタリカのココロ島だとか・・是非行って見たい究極の大物天国)があるが本当にここによく似ている。

ポンペイ本島とその周りの25もの小島を取り囲む美しく、綺麗な環礁、そして、ポンペイのシンボルであるソケース・ロックの偉観、豊富な水量の豪快な滝、そして神秘なナン・ドール遺跡などなど人を惹き付ける豪快な自然に魅了される。


ダイビングについてはドロップオフが主体となるが、何と言っても“マンタロード”は凄い。

水深15mぐらいの浅めの水路にマンタのクリーニングステーションがあり、ここに幾多のマンタが集まってくる。

中でもブラックマンタの比率が高いことで有名だ。

私が潜ったとき、水路に寝そべり70分間(水深が浅く、動かないため永く潜れる)の間に50から60枚ものマンタが私のすぐ上を横切り、中にはクリーニングのため私のすぐ横で何分もじっとしていてくれる。

今まで、マンタはいろいろな所でみてきたがこんな多数のものを近くでそれもじっくりみることを出来たポイントはなかった。


宿泊した「ザビレッジ」は素晴らしい眺望が売りだ。

この美しい景色をみながら毎日の食事、団欒や読書がなんともいえない。
本当に豪華な時間が過ごせた。


欠航という不具合があったが忘れられないダイビングであった。