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「個利個略」と言う言葉が行き交っている。
民主党小沢氏の最近(?昔からの)の行動に対する言葉として使われているのだ。

政治の世界では派利派略、党利党略が当たり前だったが、最近は更に政治家の規模が小さくなって「個人」を中心とした個利個略も珍しくない。

最たるものが、「消費増税関連法案」に関する最近の小沢氏の反対行動であろう。

一般国民は、増税は避けて通れるものならば、ない方がいいと思うのは当たり前であるが、昨今の日本の財政や社会保障費の増加などを考え合わせれば仕方ない選択と思い始めていると思う。

しかし、小沢氏は政府の消費増税法案は国民への冒瀆であり裏切りであると言い切り反対行動を起こしている。

反対ならばそれに変わる政策を明確に示し国民への理解を求めるのが普通だと思う。
ただ、反対と言うのは一般国民には許されても政治家には許されることではない。

反対や文句が言えない自派閥の若い議員を一人ずつ密室に呼び込み離党届に署名させそれを自分が保管して、政府に揺さぶりを掛けるなどの行動は全く許せない。

これこそが国民を冒涜している。
議員一人ひとりを選んだ国民(そんな議員を選んだ国民も悪いが)の意見を無視している。
個利個略そのものだ。


政治家の世界はどうしてこうもお寒く、情けないのだろうか。

最近読んだ葉室 麟氏著直木賞受賞作品「蜩ノ記」が描く人間との生き様がこうも違うとは・・

葉室 麟氏の小説は「秋月記」をはじめて読み(詳細は私の2009年5月5日付けブログで)、主人公達の人を思い、国を想うひたむきで清廉な行動を謳いあげており大変感動し、好きな作家の一人となったものだ。


「蜩ノ記」の内容は

鳴く声は、命の燃える音に似て―― 命を区切られたとき、人は何を思い、いかに生きるのか?

豊後・羽根藩の奥祐筆・檀野庄三郎は、城内で刃傷沙汰に及んだ末、からくも切腹を免れ、家老により向山村に幽閉中の元郡奉行・戸田秋谷の元へ遣わされる。

秋谷は七年前、前藩主の側室と不義密通を犯した廉で、家譜編纂と十年後の切腹を命じられていた。庄三郎には編纂補助と監視、七年前の事件の真相探求の命が課される。

だが、向山村に入った庄三郎は秋谷の清廉さに触れ、その無実を信じるようになり……。

命を区切られた男の気高く凄絶な覚悟を穏やかな山間の風景の中に謳い上げる、感涙の時代小説!

と表カバーにある。


時代は天明の頃、将軍家治、田沼意次の時代。
重商主義が開花し、天明大飢饉など不安定な社会情勢の下で、人々の生活が金銭中心のものとなり、贈収賄が横行する中、勘定奉行として清廉潔白な行動とるが政変に巻き込まれ、幽閉され10年後の切腹命ぜられる身となる主人公・戸田秋谷の武士・人間としての矜持に満ちた凛とした生き様を描いている。


秋谷の生き様を表す言葉に

「蜩の記」とは・・・秋谷は言う。

「夏が来ると、このあたりはよく蜩が鳴きます。
とくに秋の気配が近づくと、夏が終わるのを哀しむかのような鳴き声に聞こえます。
それがしも、来る日一日を懸命に生きる身の上でござれば、日暮しの意味合いを籠めて名づけました。」


本書では秋谷を通じて武士道の礼節、忠義、信念、などを表現しているが、もっと主題にしたのは人間同士の本質的な隣人愛、友愛、親子・夫婦の家族愛などの「愛」についだ。
四季の移ろいを丹念に描きながら、定められた命を清廉に生き抜く男を取り巻く人々との愛を淡々と表現している。

秋谷の妻の織江が、来るべき夫の死を背負いながら、慎ましく生き、その病弱な母を気負いなくなく想う子供達との静謐な暮らしぶりがしっとりと描かれている。

秋谷の子郁太郎と小作人の倅源吉との友愛もすがすがしい。
身分も学問もなく暮らしは貧しいが健気に母と幼い妹を支えながら明るく生きる源吉。

だが、源吉は冷酷な郡役人から過酷な拷問の末、命を落とす。

権力の横暴に義憤に燃える郁太郎は家老宅へかたき討ちに出かけ思いを果たした後
郁太郎が秋谷に自分の無謀を詫びると

秋谷は、「友の為になしたる事、武士として何の恥じる事はない、
わしはそなたを誇りに思うぞ」

と褒める。


そして、最後に、「もうこの世に未練はござりませぬ」とすがすがしい面持ちで切腹の儀にむかう主人公に、慶仙和尚は

「未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう」

と結んでいるのは心に残る。



人は今も昔も組織の中で生きる時、権力、功名、私欲、自己保身に走り、なすべき時、なすべきことを見誤る人は少なくない。

こんな清廉で高潔な人たちが日本の政治家にいたら日本はどのように変わっていくのだろうと考えさせられた一冊だ。


「蜩ノ記」 葉室 麟著  祥伝社刊 1600円