あれ!越中八尾の祭りは「おわら風の盆」ではないのかと思うでしょう。
そうなんです。「おわら風の盆」が本家で正しいのです。
 
しかし、この本家というべき「おわら風の盆」は毎年91日~3日に行れるのですが、人口二万人強の八尾町に全国から延べ30万人もの観光客が押し寄せるという凄い人気のある祭りになっており、そのため、宿は超満員で町は期間中観光客で足の踏み場もないほどの混雑となるのだ。
それでも行こうと思うと1年ぐらい前から宿泊所を手配を開始しなければいけないという。
 
私のようにずぼらで、思い付きで行き先を決めてしまうような輩には大変敷居が高い場所なのです。
 
だが、分家というか「月見のおわら」は旅行会社のクラブツーリズムが主催する特別イベントで、「おわら風の盆」を混雑もなくゆったりと、祭りが醸し出す本来の情緒を感じることが出来るようにと特別に再現しようとするイベントで、今年で18回目になるという。

                 クラブツーリズムによる「月見のおわら」紹介動画

 
偶然、7月ごろ定期的のに送られてくるクラブツーリズムの広告雑誌「一人旅」とうものにこの「月見のおわら」の案内があったのだ。
ここの「一人旅」というのはどこの会社も同じなのかもしれないが、募集人数も少なく、グリーン席や大型バスの2席利用などゆったり乗れ、勿論宿泊は1人部屋で、かつあまり束縛感がないので時々利用させてもらっているのだが、
 
「おわら風の盆」にもともと興味があった上に、宣伝文句には”クラブツーリズム 特別貸切列車「サロンカーなにわ」で行く優雅な旅を・・・・”とあり、
更に「サロンカーなにわ」は「お召列車」として天皇・皇后がお使いになられる特別な車両で、フルリクライニングシートの座席や一流ホテルを思わせる展望車が、贅沢な列車の旅へと誘いますと。あった。

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              お召列車「ロマンスカーなにわ」の列車および車内風景

ちょうど8月の10月のダイビング行きの中間である9月の開催であったため即予約をしてしまった次第である。
 
この「月見のおわら」とういうのは、「おわら風の盆」を一堂に再現するものであるが、もともと八尾は、地区によって町の雰囲気も異なり、地元の地区で踊られる町流しも違いがあり、例えば、東新町の少女の衣装は赤いたすき掛けの田植え姿、かって花街であった鏡町は、艶やかな芸妓風の姿で踊る。
そのため、「おわら風の盆」では各地区に観光客が出向いてその踊りを見ることになるが、「月見のおわら」では踊り手の方が一堂に会してくれるため好みの踊りを見逃すこともないと評判がいいようだ。
 
しかし、各町の雰囲気と流しの踊りとが一体となって「おわら風の盆」の情緒が醸し出されるのであるから、一堂に会して躍るというのも好し悪しあるが、ものすごい数の観光客がぞろぞろと移動するのもあまり頂けなく、ズボラな私には似合っているのかもしれない。
 
 
二万人強の町に30万人もの観光客を集める「おわらの風の盆」とはどんなものか?
 
おわらの里・八尾町は富山県と岐阜県徒の県境に位置し、飛騨山脈と富山平野を結ぶ街道筋、井田川に沿うように町並みがつくられている。
街道の拠点にあった八尾は、かって「富山藩の御納戸」と称され、売薬や売薬用紙の販売、養蚕による収益などで栄え富山藩の財政を支えてきた町である。

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越中八尾の列車ルート図
 
Wikipediaによるとおわらの起源は、江戸時代の元禄期にさかのぼると伝えられ、町外に流出していた「町建御墨付文書」を町衆が取り戻したことを喜び、三日三晩踊り明かしたことに由来するのだという。
 
しかし、喜びを起源とした祭りもいつしか、この土地の風土によるものか徐々に変質していって、今では現在の風の盆から感じるものは,静けさであり,優しさであり,そして,悲哀なのだ。
 
今の風の盆では越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する。
艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが我々を魅了する。
 
風の盆の行事を行なっているのは、前述した東新町や鏡町などの10の旧町内とそれらの旧町内外から移り住んだ人たちからなる人達の新町の計11団体と保存会で構成されているが、その行事については各支部が自主的に行なっている。
 
おわらの踊りは
 
・町流しは、
 地方(じかた)の演奏とともに各町の踊り手たちがおわらを踊りながら
 町内を練り歩くものである。この町流しが、古来からのおわらの姿を伝
 えるものとされている。
・輪踊りは、
 地方を中心にして踊り手たちが輪を作って踊るものである。
・舞台踊りは、
 演舞場での競演会や各町に設置される特設ステージで見られる踊りで、
 旧踊りや新踊りを自在に組み込んで各町が独自の演技を披露する。
 
さらに、おわらの踊りは「旧踊り(豊年踊り)」と「新踊り」に大別される。
 
旧踊りの所作は農作業をしている所を表した踊りで、老若男女を問わず、誰にとっても楽しむことのできる踊りであり、風の盆開催中の輪踊りでは観光客が参加して踊ることもできる。
 
新踊りは昭和初期に日本舞踊家に新しく振付られたもので「男踊り(かかし踊り)」と「女踊り(四季踊り)」に分かれる。
男踊りの所作は農作業を表現しており、所作の振りを大きく、勇猛に躍り、女踊りの所作は蛍狩りを表現しており、艶っぽく、上品に踊るのが良いとされる。なお、この所作は八尾の各町内ごとにいろいろと改良工夫がなされており、おわら踊りの特徴の一つとなっている。

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越中八尾の「おわら風の盆」の踊りの様子 インターネットより
 
衣装も独特だ
 
踊り手の衣装のデザインや色は、各町によって異なるが、男性・女性ともに、編笠を深く被るのが特徴である。
このように顔を隠すようにして編笠を被るのは、かつて手ぬぐいで顔を隠して踊っていたことの名残りであるという。
 
男性の踊り手は黒の法被(半纏)に猿股、黒足袋姿、女性の踊り手と地方は浴衣に白足袋姿である。
なお、これらの衣装は木綿ではなく絹などのたいへん高価な素材で作られており、また、三味線と胡弓の皮は水気に弱いため、雨天の場合、おわら風の盆の諸行事は中止となる。
 
女性の踊り手が着て踊る浴衣は各町年齢によって色やデザインが違うが、胴まわりや袖の部分に、おわら節の歌詞が染め抜かれている(東町・鏡町は染められてない)。また、この浴衣にひと際目立つ黒帯は、「お太鼓」に結ばれており、艶やかで大人びた印象を与える。
なお、東町の女性の踊り手のみ、黒ではなく金銀の市松模様の帯を用いる。
また、諏訪町と東新町以外では、黒帯(および東町の金銀の帯)に赤い帯〆をするという。
 
各町で工夫を凝らした見事な衣装を見極めるのも楽しいものであるが、やはり、そろいの浴衣をまとい、編笠から顔を覗かしながら踊る妖艶な女踊りには一見の価値がある。

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            同じくおわらの風の盆の妖艶な女踊り インターネットより
 
今では30万人もの観光客が押し寄せる全国的に名を馳せる一大イベントとなったが、私がこの「おわらの風の盆」を知ったのは40年以上前の五木寛之氏の小説だった。
 
五木寛之氏の初期の作品は朝鮮から引き揚げて福岡、東京、金沢と移り住んだ経歴からか、故郷や祖国から切り離された人々の故郷や祖国に対する哀感の想いを滲ませるデラシネの思想の小説が多く、海外旅行などまだまだ一般的でなかった中で私は五木氏の小説に一辺に魅了されてしまった。
 
「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」「青年は荒野をめざす」「恋歌」「ソフィアの秋」「内灘夫人」「朱鷺の墓」・・・・などあげたらきりがない。
最近では「親鸞」に至る氏の小説は殆ど購入して読み耽ったものだ。
 
その中で
1972年に「鳩を撃つ」の短編集の中に八尾の風の盆を背景に描いた「風の柩」が所収されているのだ。
 
テレビマンである主人公の中年の三上と、八尾出身の若き演劇研究生であった理絵との悲恋を描たものだが、理絵の父が歌う越中おわら節が大変美しく八尾の人たちの尊敬を集めるものであったのに、その裏では父は戦争で大変な事を犯していたという事実が隠れているという設定だが、五木氏は哀調を帯びた胡弓の音で奏でられる盆歌の調べとこれに同調する盆踊りを切々に描いてる。
 
五木氏が小説の中で人情味そして哀切に豊かに描いた背景・ロシア、北欧、東欧そしてトルコなどなど、本当に自分で行って小説の舞台になったところを見てみたいと誘発された場所はいくつもあるが、今だ行けてない場所も多い。
 
八尾もそんな中の一つだ。
 


八尾の風の盆人気に火を付けたのが

高橋治氏の「風の盆恋歌」(1985年初版)だろう。
 

「もう一度私を風の盆に連れて行ってください。
死んでもいい。不倫という名の本当の愛を知った今は・・・・。」


ぼんぼりに灯がともり、胡弓の音が流れるとき、風の盆の夜がふける。
越中おわらの祭の夜に、死の予感にふるえつつ忍び逢う一組の男女。互いに心を通わせながら、離ればなれに20年の歳月を生きた男と女がたどる、あやうい恋の旅路を、金沢、パリ、八尾、白峰を舞台に美しく描き出す、直木賞受賞作家の長編恋愛小説だがこれがロングセラーとなった。
 
さらに、石川さゆりさんが歌う「風の盆恋歌」(1989年発売、1989年紅白歌合戦で歌う)が大ヒットし「おわら風の盆」の名声を不動のものにした。

石川さゆりさんが熱唱する「風の盆恋歌」

五木寛之氏の「風の柩」で八尾の「おわらの風の盆」に魅せられ是非行きたいと思いつつ、高橋治氏の「風の盆恋歌」、石川さゆりさんの「風の盆恋歌」でブレークしてしまって行き難くなってしまった「おわらの風の盆」だが、分家というか再現というか本来の「おわらの風の盆」とはチョット違うが、今回「月見のおわら」に行くことが出来て40数年間の思いが果たされて嬉しい限りだ。
 
 

ゆっくりと初秋の一夜を、哀しい胡弓の調べを聞きながら遠き若き頃の楽しくも、苦い想いなどにひたるのもまたいいかもしれない。


尚、展示写真はインターネットより拝借しました。
ありがとうございます。