4月も中旬。春真っ盛り。
真冬のあの透明感のある透き通った凛とした季節から暖かみのある柔らかな光と爽やかな風が頬をなぜる素敵な季節になった。
 
何処の国でも、暗く、寒く、厳しいイメージの冬から木々が芽を吹く暖かく穏やかな春を人々は待ち焦がれるものだが、日本の場合はさらに、日本人の心の拠り所的な桜の開花を示す桜前線が日本列島を駆け抜けていき、ちょっと慌ただしいが、より春の思慕をよりかきたててくれるのだ。
 
この心浮かれる春に日本では生命が新たに息吹くように、色々なものが新しく始まる季節でもあるのだ。
 
新会計年度の始まりに合わせて、入学、入社、進級・・・などの出会い。
卒業、退職、転勤・・・など春は別れの季節でもある。
 
鮮やかに咲き誇り、そして潔く散っていく桜の花とともに、出会いと、別れが春をよりこころせわしく感じさせるのは日本特有の現象なのかもしれない。
 
 
こんな春に私には今年は大きな出会いのイベントがあった。
 
一つは大学卒業50年記念入学式招待に参加したことと、
もう一つは会社入社50年同期会を開催したことだ。
 
どちらの場合も全く新しい出会いではないが、半世紀を生き、生活してきた経過を刻み込んだ人たちとの再会は懐かしさと驚きに満ちたものであった。
 
 
まず、大学卒業50年記念入学式に招待された件だが、私が卒業した大学では毎年、「卒業25年招待会」として卒業式に卒業後25年目の卒業生を招待し、新卒業生の社会への門出を祝福するとともに、また、「卒業50年招待会」として入学式に卒業50年目の卒業生を招待し、新入生を祝福している。
さらに、卒業後51年以上の卒業生を対象に、「卒業51年以上卒業生招待会」も開催されている。
 
「卒業25年招待会」はどうも私が海外赴任した頃で出席はしておらず、今回の
「卒業50年招待会」が初めての参加なのだが、その規模に驚かされる。
 
大学側の発表では、「卒業50年招待会」には約2000名、卒業51年以上卒業生招待会には約4500名の卒業生が参加しているとのこと。
 
今回の入学式に限って言うと、新入学生約6500人、同伴保護者約4000人、そして我々卒業50年のOB2000人、合計約12500人の大イベントだ。
 
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                 日吉記念会館での午前の部の入学式(慶応大学HPより)
         卒業50年招待者は左側、新入学生は中央部、同伴保護者達は2階席等 

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                同じく入学式、私の着席位置から

余り人数が多いので学部別に午前と午後の二回に分けて開催され、私が所属していた工学部は午前の部であった。
それで、午前の部では、新入学生約3200人、同伴保護者約2000人、卒業50OB1000人、合計約6200人であったと聞く。
 
私らの卒業50年生(1967年卒)は全学部で約6200人で、今までに亡くなった人約1300人(人聞きで)ということなので今回の出席者2000人は在命者の約4割である。
 
毎年どのくらの人が出席するのか聞いていないが、在命者の4割、卒業生全体では3割強の人が出席している。
開催場所が神奈川県の日吉キャンパスで交通手段は電車のみ(混雑回避のため自家用車は乗り入れ禁止されている)で、各地に散らばっている人たちが公共の交通手段を使って自分の足で参加されていることを考えると70歳を越している人たであるが皆昔と比べると若いのだなと実感する。
 
6000名を越す人が日吉記念館に一堂に会することは本当に壮観であるが、こんな多くの人達が集まったにもかかわらず、定刻10時になると会場全体がしんとし、司会者の挨拶が始まった。
一重に会運営の人たちの努力と、係員の誘導など毎年実施しているための手際の良さが大きく寄与していると思うが、公共の場では時間や規則を守り、人に迷惑をかけないという日本人の素養がなせる技なのであろうと感心した。
 
 
入学式の終わったあと、卒業50年の招待者だけ、食堂棟の一階、2階の2グループ(約500/Gr)に分かれて食事会に招待された。
 
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                  食事会の様子 約500人の大宴会

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工学部機械科のテーブル

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                           同じく食事会

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                          同じく食事会 
 
やっとここで各部、各科単位(私の場合工学部機械科在籍者150名)で約60名ほどの人がテーブルを囲みやっと見覚えのある人たちがチラホラと見かけることが出来た。
500人以上が一同に介する食事会も壮観だ。

入学式の久しぶりの緊張が溶け、食事を摂りながらのワイワイガヤガヤの一時間であったが、本当に懐かしい人たち、全く思い出すことが出来ない人たちとこの50年の永いようであっと過ぎてしまった自分たちの歴史を話しあい旧交を深め合う良い機会となった。
 
このような企画をしている大学は他には余り知らないが、これからも益々卒業生も増えて大変と思うが是非続けて行ってほしいものだ。
 
 
さて、学校主催の食事会も終わり、渋谷の近くの代官山のレストランで我々機械科卒独自開催の二次会に行く途中、新入学生、その同伴保護者、そして我々50年卒業者、新旧が入り交じり混雑する日吉のキャンパスを少しうろちょろした。
 
我々工学部は初めの1年の教養学科のみを日吉で過ごし、あとの三年は小金井校舎(今は撤去され日吉に移った)で学んだので余り深い思い出はないが、日吉駅から正面の日吉記念館への長く広い真っ直ぐな道の銀杏並木は印象的であった。

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           日吉駅側から日吉記念会館をながめる(横浜日吉新聞より)
広い銀杏並木は入学式参加者でいっぱいだ

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             日吉駅より入学式に参列する人たち(横浜日吉新聞より)
 
今日は若い新入生とその同伴保護者達が銀杏並木を背に思い思いに写真を撮る人たちで一杯であったが、昔見たその面影は感じることが出来た。
 
新入生たちはやはり若い。特に女性が多いと感じた。
新女学生達はお洒落な衣装を纏、お化粧をし、チョット前まで女子高校生であったことを感じさせないような変身をしていたが、友達同士で喋る言葉は聞こえてくるのは”きゃー”とか”かわいい””ちょうきれい”とかの主語も述語もない言葉ばかで中身はまだなにも変わってないようだ。
 
一方男子の方はスーツをバリっと着ているが、顔を見ると男子高校生の野暮ったさそのもので外も中も変身はまだまだのようだ。

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                     日吉キャンパスの様子
 
そんな若い後輩たちの若さに圧倒されているうちに代官山駅そばのレストランでの機械科卒の二次会場へ到着したが、35名程度の出席で、流石に顔を見ると50年も経つが学生時代の面影を思い起こすことが出来る人が多かった。
 
不思議なもので、普段完全に忘れ去ったしまったことが、旧友の顔を見、喋っているうちにどんどんと学生時代の思いでが芋づる式に湧き上がってくるのだ。
麻雀仲間を集めるために学校に顔を出す毎日や天気の良い日授業をサボり近くの墓地公園で昼寝をしたりなど碌でもないことを思い出してくるが、卒論のため徹夜まがいのことをして頑張ったが、やはり楽しい時代であった。
 
美味しい食事とお酒をのみながら旧交を温め忘れがく、本当に楽しい時間を過ごすことが出来た。
大学が主催してくれた「卒業50年入学式招待会」なる企画がなかったらこんな二次会も開催されなかったと思うと、節目、節目でいい企画をしてくれたものと感謝する次第だ。
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               工学部機械科67年卒業同期会の集合写真

さて、二番目の出会いは会社入社50年同期会である。
67年大学卒業後即関西系の企業に入社したが、大学卒入社同期は文系、技術系合わせて149名であった。
初めの一ヶ月間だけ教育期間ということで神戸地区で自習や座学、自衛隊体験入学など合同で過ごしたが、その後日本各地の各事業部、工場(独立した事業部制で事業部間での人事交流は少ない)に配属されたが、他事業部に配属された人とは全く会うこともない人も多かった。
 
神戸地区で私を含めて8人ほどの定期的な飲み会で、そろそろ入社50年が来るが皆どうしているのだろうか? 元気にしているのかな?など話題になり、それでは50年ぶりに同期会をしようではないかと思いたったのある。
 
やはり50年も経過すると途中退社や、死亡など連絡先不明が多く、一年ばかり時間をかけて手紙や、メールで各自の動向を調査して名簿を整理した。
 
149名中、死亡が15名、連絡先不明20人で残りの114名中今回最終的に34人の3割が遠く九州や関東から神戸に集まってくれた。
当初予想していた人数より少し少ない感じだが、70歳を越す人の集まりとしてはこんなものかとも思う。
 
事業部間での交流は盛んなのだが、事業部をまたがると中々集まる機会がなかったので、参加者からも昔の思い出が蘇り楽しい時間が過ごせたと喜んで貰った。

まだまだ第一線で活躍している人や、趣味を活かして仕事とは全く別分野で頑張っている人、ボランティアに精を出す人、ゴルフやスポーツに熱中している人、本当に様々であるが皆元気楽しんでいる事がわかり本当に良かった。
 
入社した当時は経済が拡張時代であり、人手が少ないのに仕事はどんどん増え、入社してわずかで責任ある仕事を与えられ、徹夜も厭わず頑張ったことや、反面休日(当時は土曜日が半日と日曜日が休日であった)には仲間を集って夜通し車を走らせ海水浴やキャンプなどに行き、独身時代の無茶であったが濃厚な時間を過ごしたことなど思い起こすことも出来楽しいひと時であった。
 
解散時皆から次回は何時にしようか? 今回が半世紀会ならば次回は世紀会??
ということかな・・・。
気を長く持つのもいいがどうなることやら。

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67年入社半世紀会の様子

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                  67年入社半世紀会集合写真

そして、翌日には参加者は半減したが快晴の桜咲くゴルフ場でゴルフコンペを開催して一日更に親睦を深め事ができました。

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             快晴のもと満開の桜が咲き誇るゴルフ場でのコンペ


遠い昔の若かりし頃の楽しい思いに浸っている春爛漫の季節であるがどうも日本の株市場へは春の嵐が吹き荒れているようだ。
 
いつものことだが、日本の株市場は世界のネガティブな情報には人一倍、いや二倍、三倍と反応してしまう。
 
13日にトランプ米大統領が米紙のインタビューで「ドルが強すぎる」と発言したことが伝わり、急速に円がドルに比べ高くなった。
この結果14日までの1週間で最も上昇したのは日本円で1.47%も高くなった。
最も下落したのは韓国ウォンで1%も下落している。

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トランプ大統領はシリアへの攻撃に続き、北朝鮮に対しても軍事行動を辞さない構え。北朝鮮側も強硬姿勢を続けているため、朝鮮半島の地政学リスクが高まった。来月に大統領選を控え、韓国政治の不透明感が強まっていることも売り要因となった。
 
これを受けてか、14日の東京株式市場で日経平均株価は4日続落し、前日比91円安の1万8335円で引けた。週間では329円(1.76%)安だった。
シリアや北朝鮮の情勢など地政学リスクが心理的な重荷となっているとの解説だが
日本と韓国の株価に格差がくっきりと出ている。
北朝鮮など東アジア情勢への警戒が弱材料になるのは同じはずなのに、日本の下げだけがきつくい。
株安の続く日経平均を横目に、韓国総合株価指数(KOSPI)は3月から堅調に推移している。北朝鮮情勢のリスクという点では一致するのに、株価に明暗が出ている。

「変化」と「停滞」の違いが海外マネーの選別を招いていると日経新聞13日付け「株安、地政学だけでない 変化の差で日韓に明暗」という記事に記載されていた。
 
変化の芽が内側から出てこない日本は、外部環境の変化に対する耐性が弱く、半導体の好況やウォン安を手がかりに企業の収益向上や、内政の変化への期待が高まる韓国は期待されているとのこと。

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                    日経新聞より

変化なく安定しているから株安を誘導しているのも困りものだが、最近の国会の審議を見ても、シリアや北朝鮮の情勢など地政学リスクが上昇しているにもかからわず、野党はどうでもいい「森友学園問題」を騒ぎ立て、わが国を取り巻く安全保障環境の変化への対応など、どこ吹く風で、ただ安倍首相をなんとか引きずり下ろすことだけにやっきになっている政党支持率が7%足らずの政党にかき回されている日本の情況を見れば海外の投資家は誰もが日本株を買いたがらなくなるのは必然だ。
 
日本が潰れる心配より安倍さんを貶めることに血眼になる政党にまだ僅かばかりの支持者が居ることも不思議だが、どうか冷静な頭で、森友学園と北朝鮮の核・ミサイル挑発問題どっちが日本にとって重要であるかを誰かガツンと教えてやってほしい。
 
 
折角のうららかな春を満喫しようとする中、北朝鮮の暴挙もにくいが、安倍憎しだけを信条とする政党の存在も大きな心配の種だ。