先日(64日)、12日間のバヌアッツのダイビングから無事帰国しました。
 
ダイビングと言っても、今回のダイビングはたったの3日間のみで、あとはタンナ島でのヤスール火山観光やタンナ島、サント島そしてエファテ島などの島内観光が主体を占めるという珍しいダイビング行きであった。
 
 
既に何度かブログに書いたが、私の「南太平洋」のイメージはバヌアッツであり、そこでは2万トンクラスの巨大な客船の沈船ダイビングが出来、そして「世界で一番火口まで近づける」というヤスール火山があるというのだから、沈船ダイビングと火山が好きな私としては、今までに行ってなかったのが不思議なくらいなのだ。
 
だが、過去にも何度かチャレンジはしたことはあるのだ。
 
ダイビングも火山も、そして観光もとなると仕事をしている時は旅行日数や費用面で実現出来ず、仕事を辞めて、今から3年ほど前には旅行会社と契約目前まで行ったが、バヌアッツに大きな地震災害が起きたため計画が頓挫してしまったこともあった。
 
今回も1月から計画を開始したのだが、3月始めのバヌアツを直撃した巨大サイクロンの大きな被害があり計画が危ぶまれたが、現地の復旧が早くて、観光業を大きな糧としているバヌアッツとしては是非来てくれ言うことでやっと実現することができたのだ。
 
 
こんな紆余曲折を経てやっと行けたバヌアッツは期待以上の素晴らしさであった。
 
巨大な豪華客船であった「President Coolidge」号の真っ暗な複雑通路をへてやっと行き着く深層(水深40m)の令嬢「Lady」。
アドベンチャラスなレック・ペネトレーション・ダイビングに心踊る。
 
ヤスール火山の大きな火口の淵より見下ろす灼熱にたぎる溶岩湖、時折轟音と共に真っ赤な飛び散る噴火の火柱。
地球誕生来から続く自然の営みを真近で見るその驚きと感嘆。
 
白く輝く陽光に真っ青な空、蒼のグラデーションの海、真っ白な砂浜、そして打ち寄せる波の音さえ聞こえない無音の安らぎのシャンペンビーチ。
 
鬱蒼と茂る熱帯雨林の奥深く、滾滾と湧く真っ青なブルーホール。
 
どこまでも続く広大できれいに整備されたココナッツのプランテーションと牛の放牧場。
 
海に面し、青い木々と広く手入れの行き届いた芝にひっそりと囲まれた瀟洒なロッジ風なリゾートホテル。
 
そして、何よりも観光客に優しいフレンドリーな現地の人々。
 
 
バヌアッツは何をとっても本当に素晴らしいところだった。
 
 
ここで、バヌアッツの素晴らしいところをもう少し詳しく紹介する前に、3月始めにバヌアツを直撃した巨大サイクロによる被害状況を実際に見てきた範囲内ですが説明しておきます。
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                私が今回移動したルートです。画面をクリックすると
       Googl earthがインストールされていれば詳細が見れます
 
バヌアッツは、西にオーストラリア、北にソロモン諸島、東にフィジー、南にニューカレドニアがある、南太平洋のシェパード諸島の火山群島で南北800KmYの形に並んだ83の島々で成り立っている。
 
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           バヌアッツのYの字に並んだ島々

私が訪れたのはこのなかの3島で、エファテ島は首都ポートビラがありYの字の真ん中。ヤスール火山があるタンナ島は一番下で、ダイビングした第二の都市ルーガンビルがあるサント島はYの字の左側の一番上に当たる。
 
201539日バヌアッツの北東海上で発生したサイクロン・パムは、その後勢力を強めながら南下し、313日にはバヌアツ中央部のエファテ島東岸に最接近後、南部のタナン島を直撃して、勢力を弱めながら南下し316日にニュージーランド沖に達し、衰退した。
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        サイクロン”PAM"の進路 Tanna島を直撃し
 
フィジー気象局はサイクロン・パムの強さを、バヌアツ周辺でカテゴリー5の最低気圧896hPa、最大風速(10分平均)70m/sec1411時:バヌアツ地方時)に達したと報告している。
 
パムの進路からわかるように、南北に長いバヌアッツでは南に行くほど、特に直撃されたタナン島が最も災害がひどかったといわれた。
 
実態はどうかというと、
 
最もひどい災害があったといわれるタナン島でも既に空港や主要道路、ホテルなどは全く問題ないようだ。
ただ、ヤスール火山への山道は元々荒れ道であったところに豪雨による深い溝が至る所にできており、トヨタの4輪駆動ランドクルーザーでもいつ車軸がポキット折れても不思議でないほどの悪路であった。
 
主要な道路際沿いには倒木が積まれ、屋根が飛んで柱だけの放置された家屋が時々見かけられたが、一見する限り全く普段の生活のように見受けられた。
 
ただ、観光客は激減したままだという。
私がポートビラからタナン島への移動時、早朝であったためもあるのか、18人乗りのプロペラ機に10人の乗客で観光客は私一人。
 
宿泊した「White Grass Ocean Resort」というホテルは空港の近くで海沿いに、広い敷地に緑豊かに綺麗な整備された素敵な所だが、宿泊客が私一人という時もあった。
だがここの海が見える開放的なレストランは人気らしく観客や現地の人達が食事に
訪れるのを見かけたが・・・。
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宿泊したWhite Grass Ocean Resort
レストランの大きな窓から海を見ながらの食事がまた素敵だ


首都ポートビラがあるエファテ島はどうかというと、市街地は全く問題なく、24時間営業という大きな青果市場には山積された品物と人混みで溢れていた。
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        ポートビラの青果市場 24時間営業で商品と人溢れていた

 
だが、東側の海岸エリアは倒木も多く、海沿いの多くのリゾート施設は大きな被害を受け休業中だったが、細々だが復旧工事中で、中には復旧後はこんなメニューでと見せてくれる人もあり、皆大きな災害にもめげず頑張っている様子が窺われた。
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        エファテ島の東海岸は倒木が多く完全亜復旧はこれからだ

ただ観光客はすくなく、特に日本人観光客は激変したままであるという。
 
 
最後にダイビングで訪れたサント島は第二の都市ルーガンビルがあるためか、ポートビラからの移動の飛行機は70人乗りプロペラ機に四、五十人の乗客に外国人風の人は約半分ぐらいで観光客も多い様に見受けられた。
 
サント島はサイクロンのルートから離れていため殆どの被害がなかったようで、島内ツアーでも時折倒木を見かける程度であった。
 
だが、ダイビングする人は少なく、三日間9ダイブのうち初めの2ダイブのみ、豪華ヨット住人の飛び入りがあったが、他は全く私一人専用のダイビングであった。
超人気ポイントの「President Coolidge」でも他のダイバーに合うのは稀であった。
 
島の観光名所である、輝くような綺麗なシャンペンビーチでも真っ青なブルーホールでも私一人。
 
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息をのむほどに美しく静かなシャンペンビーチ
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熱帯雨林の奥深く真っ青な滾滾と湧くブルーホール

こんな贅沢なダイビングや観光が出来て大変嬉しいのだが、何かお世話頂いた人達に申し訳ないような気がしました。
 
結局10日間のバヌアッツ滞在中日本人観光客にはとうとう会わずじまいだった。
 
日本人観光客は風評被害で激減したままであるという。
 
バヌアッツのGDPのうち4割は観光業によるものであるという、もしサイクロン被害で躊躇されている方が居られるなら是非お出かけください。
観光には全く問題ありませんし、ダイビングもヤスール火山も必見の価値が在ります。どうかお出かけのほどを!!
本当に素晴らしい経験が出来ると思います。
 
 
さて、前置きが長くなってしまったが今回の旅行に主目的であるタンナ島・ヤスール火山観光とサントス島でのダイビングについて少し説明します。
 
まず、ヤスール火山について
 
ニューカレドニアから来たという若い女性二人組と私の3人で、ガイドが運転するトヨタ・4WDランドクルーザーでヤスール火山に日没前につく予定で「White Grass Ocean Resort」を2時過ぎに出発しました。
 
ヤスールまでの道は本当に野を越え、川を超えの悪路で、やっと着いた山は意外と小さくちょっと拍子抜けしたが、車を降りて山頂まで約50mぐらいを上ってみて吃驚だ。
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ヤスール火山、火口を歩いたルート
 
狭い火口の淵に立ち下を眺めると、大きな火口の中の2か所から絶えず噴煙が上がっており、時折”ドーン”という身を震わすほどの物凄い轟音とともに噴火を繰り返すのだ。
 
段々暗くなると共に火口の底には赤く煮えたぎった溶岩湖とそこから噴き上がり飛び散る真っ赤な火柱が体にほてりを感じさせるほど目前に見える。
 
火口の淵はほんの1m弱、両側絶壁で絶えず硫黄の鋭い匂いと粉塵まじりの強い風が吹きつけ体が不安定だが、怖いもの見たさで身を乗り出して、脈々と続いている自然の豪快な営みとその脅威に酔いしれていた。
 
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ヤスール火山の噴火の様子

唯一人として言葉を発する人もおらず、ガイドのもう帰りましょうかの言葉にやっと重い腰をあげたが、何度も何度も後ろを振り返りながらの下山であった。
 
本当に言葉には表されないほどの驚きと感銘で身震いするほどであった。
多くの絶景、奇景を見てきたが今回の火山は一番感動したと言っていいほどだ。
 
 
火山見学の後ポートビラ経由でサント島に渡り、いよいよ待ちに待ったダイビングだ。
 
ダイビングは3本/日の3日間、合計9本のダイビングだったが、狙いは勿論沈船ポイントの「クーリッジ」だ。
ここには、長さ200m、幅28m、2万トンもの巨大な豪華客船であった船が沈んでいるのだ。
 
この船は、「SS President Coolidge」といって1931年に進水した、当時では二番目の大きさを誇る、横浜にも寄港したことがある豪華客船であった。
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        President Coolidge号 横浜に寄した時の様子 インターネットより

戦時中は米軍に輸送船として徴用され、1942年ニューカレドニアから5500人の兵士と兵器を積んでサント島に帰港したが、港の入口で自軍の機雷に触れて、左舷を下に船首水深20m、船尾水深60mような状態で沈没しまったのだ。
 
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       President Coolidge号の沈んでいる様子。船尾は水深60m インターネットより

幸いなことに兵士は全員助かったが、兵器類が船内に残されており、これらを見て回ることも沈船ダイビングの色どりを添えるが、なんといってもここの目玉は「The Lady」だ。
白い馬に寄り添った、赤いロングドレスを着た女性を描いた1m四方のセラミックで作られた絵画(彫刻?)なのだが、水深40mの奥まったところに鎮座されているためおいそれとはお目にかかれないのだ。
 
水深40m以上はテクニカルダイビングの領域といわれ(我々レジャーダイビングは最大30mまで)また、船内は複雑な構造で、封鎖された環境のため(Penetration Divingとなる)、ルートを見失う、装備の故障、体調の不良など、一つ間違えば大事故につながるため、経験とテクニックを要するのだ。
 
ということで、一日2本、三日で6本を「クーリッジ」を潜ったが、初日の2本はチェックダイブを兼ねてか、浅めの船内ダイビングでThe Lady」に会うことが出来なかったが、二日目、三日目の一本目にとうとう都合2回お目にかかることが出来ました。
 
奥まった船内は本当に真っ暗で、ライトに照らされた小さな輪の中が唯一の目に見える部分だが、この小さな輪の中に突然小さな白い女性像が浮かび上がり、あツ、これが「The Lady」なのだと近寄りキスし(キスをすると幸せなことが起こるという)そのままタッチアンドゴーのようにすぐ引き返してしまった。
一回目の謁見は本当にあっという間であった。
 
2回目はもう少し時間が取れ、絵画もその周囲もじっくりと観察出来、写真も撮ることが出来た。
勿論厚かましくも再びキスまでしてお別れした。
 
その代わり、最大水深は46.6mとなり、ダイビング時間40分のうち、20分は12m9m6m3mの減圧停止にあてなくてはならなかった。
 
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        やっと謁見出来た「The Lady」 実際は横なって見える
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薬品倉庫 色々な兵器や生活装具がを見ることが出来る

ここまで船内奥深くまで侵入するダイビングは、ある一面危険なこともあるが、しっかり準備して行えば、血わき肉躍るようなアドベンチャラスでスリリングなダイビングが経験出来るということで、ここの沈船ダイビングにすっかり魅了されてしまった。
 
是非また来てみたいものだ。
 
 
サント島のシャンパンビーチもブルーホールも本当に素晴らしいところだ。
文字制限もあり詳しく述べることが出来なくなったが、拙い言葉で説明するより、写真を見て頂ければその素晴らしさはご理解いただけると思います。
 
 
最後に何度も申し上げるが、サイクロンの災害からは完全に復旧しており、日本からの直行便がないので少し時間がかかるが、その分”南太平洋”の雰囲気にどっぷりと浸れること請け合える場所です。
お約束します。
 
最後に現地で色々お世話頂いた皆様ありがとうございました。