先月末、メキシコ、キューバのダイビング旅行から帰ってきてはや半月が経過してしまったが、この間ゴルフに一回行ったきりであとは時折ジムなどで適当に体を動かしていたが、殆ど家でゴロゴロの毎日で旅行の写真など整理が出来なかった。
 
なにも手につけられないような無気力となった原因は、珍しく時差の影響で夜眠れなくて体調が芳しくなかったこともあるが、最も大きな原因は年初からの世界金融不安による株価の暴落である。
 
日経平均の年初来下落は4000円を超え、下落率は21%と、景気や政策への不信感が強まる中国の上海株(22%)と並ぶ大きさで、先週(28日~12日)だけでも下げ幅1866円にもなった。
この間、ドイツ銀行の財務の健全性を不安視され、世界株安の一因となった金融システム信用不安を招いた欧州の株価下落は15%で、利上げの決定をしたがその後の景気減速感が警戒視され始めた米国株が8%の下落である。

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                                         日経新聞社より

日本株が下げ幅を広げた大きなきっかけは、中国株の急落や世界の牽引役として期待された米国景気の減速懸念が強まり、世界の投資家はリスク資産の代表格である株式から資金を引き揚げ安全資産である金や日本円に殺到し急速な円高が日本株の重しになったという。
 
日本の場合ファンドメンタルズはしっかりしている、企業は増益だと言いながら、また危機の震源地でもないのにいつでも一番の下落となっている。
日本への影響は軽微であると言っていたリーマン・ショックもITバブルの時も最終的に日本株が一番下落している。
 
ネガティブな情報には敏感に反応する国民性なのか、アレヨアレヨといっている間に大暴落となっている。
 
どっかで読んだ国民性に関するジョークを思い出した。
 
世界各国の人々が乗った豪華客船が沈没しかかっているが、脱出ボートの数少なく、船長は、乗客を海に飛び込ませようとして言った言葉とは・・
 
  アメリカ人に対して・・・「飛び込めばヒーローになれますよ」
  ロシア人に・・・「海にウォッカのビンが流れていますよ」
  イタリア人に・・・「海で美女が泳いでいますよ」
  フランス人に・・・「決して海には飛び込まないで下さい」
  イギリス人に・・・「紳士はこういう時に海に飛び込むものです」
  ドイツ人に・・・「規則ですので海に飛び込んでください」

  中国人に・・・「おいしい食材(魚)が泳いでますよ」
  日本人に・・・「みなさんはもう飛び込みましたよ」

  韓国人に・・・「日本人はもう飛び込みましたよ」
 
よく出来たジョークだ。
少なくとも日本人に対して他人の行動が気になり自分だけが特異とならないように気を使ってしまう性分があり、これが株価の異常な下落や暴騰につながっていると考えてしまう。
6割超えが外国投資家である日本市場ではそんなことは・・・と言われそうだが、差額で利益を得るファンドが下落や上昇の切掛を与えれば後は勝手に同一方向に増殖していく国民性を読まれて利用されていると思えてならないのだが・・・思い過ごしであればいいのだが。
 
 
折しも、215日の東京株式市場で日経平均株価が急反発し、前週末比1069円(7.2%)高となった。
 
今年最大の上げで、1日の上昇幅は歴代13位で2000年以降では3番目に大きい。ドイツ銀行が財務の健全性を訴えるために債券の買い戻しを発表し、世界株安の一因だった金融機関の信用不安が後退したのと円高と原油安が一服し、前週末の米国株は大きく上げたためと言われる
 
更に連休明けの中国・上海市場が小幅安にとどまったため、先週までに日本株を売っていた外国人投資家などが買い戻しを急いだためとのこと。
 
やはり極端に一方向に動く日本市場をあらわしている。

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                         日経新聞社より
 
中国・上海市場は、日本はじめ各国の市場が世界同時株安に見舞われた先週は春節で休みだったため、連休明けの15日の動向が注目されていたが、ふたを開ければ人民元の基準値が元高方向に設定され、資本流出懸念が後退し、中国政府が急激な人民元安を阻止する姿勢を鮮明にしたとの見方から上海総合指数は下げ渋った事が日本市場を大きく上昇させる事になったという。
 
 
一党独裁の中国では景気の悪化は国民の不満をつのらせひいては党への批判となるためなんとか抑えこもうと中国の指導部はやっきになっている。
 
15日の春節明けの上海市場も人民元の基準値を元高方向に設定し、株価については大株主には売らせない、投機的空売りを強くけん制する、売りを薦めるコメントは情報規制する、など中国当局は徹底した売り封じ込め対策で対応しているとのこと。
 
 
ただ、15日の株価上昇をもって「下落は底を打った」と捉える投資家は残念ながら多くなく、欧州金融システム不安、米利上げ後退懸念、中国の経済構造改革に伴う景気先行き不安といった根本的な海外不安要因に対する解決策がまだない。
 
市場では「2627日に上海市で開かれる20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が何らかの安定策で合意に至るまで市場の安定は望みにくいとのこと。
 
まだまだ株価の変動に神経を使う日々が続きそうだ。

 
 
さて、私の現在の愁眉の関心事である株の話が長くなってしまったが、先月末無事帰国したメキシコ・キューバのダイビングの様子を紹介します。
 
まず日程、ルートなどは
 
114日  伊丹→成田  成田泊
   15日  成田→ヒューストン→メキシコ・カンクン→コスメル島 
   16日  コスメルでダイビング
   17日  コスメルでダイビング
   18日  コスメルでダイビング後プラヤデルカルメンへ移動
   19日  セノーテダイビング
   20日  セノーテダイビング(風のため急遽コバ遺跡観光)
   21日  セノーテダイビング
   22日  自由
   23日  プラヤデルカルメン→カンクン→キューバ・ハバナ
         →バラデロ
   24日  バラデロ→ハバナ
   25日  ハバナ市内観光
   26日  ハバナ市内観光
   27日  ハバナ→カンクン
   28日  カンクン→ヒューストン→成田→伊丹(29日夕刻着)
 
と中々忙しいスケジュールであった。

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               成田で全員(一人ゲート内で抜ける)byアキさん  

まず、コスメルでのダイビングであるが、3日間のダイビングの予定が二日目は風が強くボートが出港出来ず、急遽コバ遺跡観光に変更して結局2日間の5本だっけのダイビングであった。
 
コスメルのダイビングは大物とか大きな群れなどは期待できないが普段見ることがないカリブ海の固有種を頻繁に見ることが出来、また透明度もよく楽しいダイビングであった。

カリブ海の固有種として クイーエンジェルフィッシュ、ブルーエンジェルフィッシュ、グレイエンジェルフィッシュ、フレンチエンジェルフィッシュ、トードフィッシュ、フレンチグランド、ブルーストライプグランド等など割りと大きな魚多い。

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二日目のダイビングは風が強くダイビングボートが出港できずコバ遺跡観光に変更したが、このコバ遺跡はカンクンの南に位置するトゥルムから北西45kmのところにある規模の大きいマヤ遺跡で最盛期の800年頃には中心地域の人口は5万人に上ったといわれる。
遺跡のハイライトはノホック・ムル(Nohoch Mul)の樹海から突き抜ける大ピラミッドだ。
高さが42mあり、ユカタン半島北部の遺跡のピラミッドでは最も高く、階段はかなりの急勾配だが、上りは楽だが下りは多くの人がロープをつかまりながら降りることになる。
 
頂上に立つとほんのりかいた汗に爽やかな風が快く、四方視界いっぱいに広がる樹海に圧倒され、暫し目を奪われる。

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コスメルのダイビング後コスメル島の対岸の街プラヤデルカルメンへ移動して3日間合計8本のセノーテダイビングと最後にメキシコ最古の世界自然遺産「シアン・カアン」の見学をした。
 
セノーテ(cenote) はユカタン半島の低平な石灰岩地帯に見られる陥没穴に地下水が溜まった天然の井戸、泉のこと。
現地では聖なる泉を意味し、大規模な鍾乳洞が水没している。これは氷期の海水面低下時に形成された洞窟系に鍾乳石が出来、氷河期が終わり海面上昇にともない、内陸部では地下水位が上昇することによって洞窟系全体が水没したものだ。
 
セノテダイビングはなんといってもケーブダイビングが楽しめる上に透き通った無限の透明度と開口部より差し込むカクテル光線の美しさだ。
 
潜ったセノーテは
 19日 チャクモール・ククルカン、チャクモール、タージマハ
 20日 アンヘリータ、ドス・オホス、ドレームゲイト
 21日 グラン・セノーテ、カーウォッシュ
     そして、世界自然遺産「シアン・カアン」の見学
 
今回多くのセノーテを潜ったが、各セノーテはそれぞれ特徴があるがなんといっても、どれも頭上から差し込む煌めく陽の光のカクテル光線が目を瞠る美しさだ。
鍾乳石も形も色もとりどりでその隙間を縫って潜っていくのはアドベンチャラスでなんとも楽しい。
 
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綺麗なカクテル光線をバックに全員集合
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「シアン・カアン」はメキシコの一番最初の世界自然遺産で広大な敷地に多種多様な野鳥が生息し植物が生きしげる自然保護区である。
ここで、古代マヤ人が作ったという水路で急流流れを楽しんだ。
 
 
さて、メキシコでのダイビング終了後私だけ待望のキューバへの観光だ。
メキシコ・カンクンでのダイビングツアーに参加して私だけキューバへ寄り道させてもらったのだ。
 
7年ほど前にメキシコ・カンクンにダイビングへ行ったがその時はキューバへ行くなどまだまだそんな簡単にできる時代ではなかったが、最近になって(2015720日)米国とキューバが54年ぶりに国交を回復して観光客などが大変行きやすくなり、特に米国からすぐ近くで簡単に行ける観光地として脚光を浴びているのだ。
 
そんな状況なので今回は是非実現したいと計画をかなり前から練ったのだが、季節的にも1月から3月頃がベストシーズンで大変混雑している上に通信状況が今一つでホテルも現地オプショナルツアーも中々決定できず、メキシコへ出発後もメールでやり取りする際どい状況であった。
 
キューバではハバナ空港に到着して即、迎えの車でバラデロへ向った。
バラデロはハバナから車で約3時間ばかりで、細長い半島の大西洋に面したビーチは長さ28kmほどにもわたり細かな白砂がどこまでも透明な海と溶け合うというキューバ最大のリゾート地だ。
 
革命の前にはここは米国の億万長者デュポンなど超お金持ちが豪華な別荘を建て優雅なバカンスを過ごしていたが、革命後は共和国のものとなり豪華なホテルやレストランなっている。
 
私が行った時は天候が悪くビーチ一面に波により打ち上げられた海藻が散らばり惨憺たるものでビーチアクティビティなども全て中止で残念であった。
ホテルは送迎付きで8万円と何しろ高く、オールインクルーシブで豪華であったがお酒を飲めない私にはその価値は半減であった。

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バラデロに一泊後ハバナに戻り旧市街のホテル・アンボス・ムンドスに宿泊した。
此のホテルは観光の中心であるオビスボ通りにあり、ヘミングウェイが常宿としていたことで有名である。
 
国内の懇意にしている旅行会社を経由して現地の旅行会社にホテル予約を依頼していたが対応悪くホテルが決まらず、業を煮やして国内の旅行会社の担当者がインターネットで偶然にも此のホテルが空いていることを見つけ予約してくれたのだ。
 
旧市街の観光には一番の好位置にあり、重厚でしっとりした雰囲気の感じのいいホテルだ。
また偶然にもヘミングウェイが宿泊していた511号室は私の宿泊した部屋のすぐ向かいで何か嬉しい感じであった。
 
ここを拠点としてハバナの旧市街を中心に観光した。
石造りのどっしりした古い建築が多く残されており、地中海のマルタ島をを思い起こしすぐ好きになってしまった。
 
市内観光ではやはりクラシクカーで回った一日観光が想い出深い。
もう世界ではここでしか動いてないようなクラシックカーが今でも現役でしっかり動いているのだ。カーマニアにはたまらない嬉しさだろう。

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あっという間の5日間のキューバ観光で後ろ髪を引かれる思いで再びメキシコ・カンクンを経由して日本に帰国しました。
 
もっと色々書きたいことがありますが、紙面の制約で更に詳しくはこれから作成するホームページに記載することにしますが、いつかまた近いうちにキューバ及びカリブの国々を訪れたいと密かに考えております。