先日(3月5日)、二週間ほどのタイ・シミラン諸島及びピピ島諸島のダイビング&観光から無事帰国したのだが、どうも日本の寒さのせいか気力が集中せず、今回の旅行の写真の整理や旅行記などの作成が進まない。
そんな中、国内史上最大級のギリシャ展・・”全325件、9割以上が日本初公開”と宣伝する、神戸市立博物館で開催中の「特別展 古代ギリシャ ー 時空を超えた旅 ー」と銘打つ展覧会に行って来ました。

実を云うと、本格的に系統だった勉強をしたことはないのだが、個人的に昔から、古代西洋歴史とその美術に興味があり、6年ほど前から月一度の「絵画で読み解くギリシャ神話」なるNHKの文化講座を受講して来ているのだ。
毎回ギリシャ神話の一部分にスポットをあて、それを表現した絵画や彫刻を紹介して貰い、作者や制作時代による表現の違いやその背景となっているギリシャ神話の内容などを説明してもらうものである。
月に一度で予習も復習もしないためか、負担も余り感じることなく6年間も続いてきたている。
だが、年とともに低下する記憶力と聞き流すだけの受講のためか、中々頭に残らないが、ギリシャ神話やその周辺の美術や文化に関する興味は深まって来ている。
そんなわけで、今年中に日本で開催されるこの分野に関連する美術展を調べ、これらになるべく行けるようにダイビングなどの予定を決める努力をしている。
いずれは、ダイビングが体力の低下などで頻度を少なくせざるを得くなったら、まだ行ってない世界の博物館巡りなどをしたいと、また過去に行ったところでも見過ごしてきたもの、只漫然としか見てなかったものなどの作品の見方が大きく変わるのではないかと密かに期待し、美術館巡りの旅を目論んでいるのだ。
さて今回の展覧会は、前6800年の前史時代から、ミノス文明、ミュケナイ文明そしてギリシャ独自の文明(幾何学様式~アルカイック時代、クラシック時代(マケドニア王国含む)、ヘレニズムとローマ時代)のなんと7000年の歴史が生み出した名宝がギリシャ全土の国立博物館群より厳選された、300件を超える古代ギリシャの貴重な作品が集められ展示されているという。
その内9割以上の作品が日本初公開という貴重な展覧会であるのだ。
確かに、良く図鑑などで見る彫刻や壺などが時系列的に多数展示され、時代の移行に連れてその様式が変化していく様がよくわかった。
しかし、展示作品は小さいもの多く、ダイナミック性は今ひとつだ。
今回の展示の中で、私個人として特に強く興味を持ってみたのは「アプロディテ像」と「クレロテリオン(抽選器)の断片」であった。



勿論、今回の展示品は、ミノス時代のタコが描かれた葡萄酒壺や展覧会のポスターにも使われている牛頭形の「リュトン」等、そしてミケーネ文明の金や装飾品やギリシャ独自の文明での幾何学模様の壺の数々、そしていわゆる「アルカイック・スマイル」の像たちやホメロスの詩にも出てくる、海の航路上の岩礁から美しい歌声で船人を惑わし、遭難させるというセイレーンの像(某外資系コーヒーチェーンのロゴマークに使用されているという方が有名?)等など素晴らしいものが一杯だ。

この時代の特徴は、ギリシャのクラシック時代に比べ、感情の表現や動態表現が共によりダイナミック、かつドラマチックなったと言われ、今回の展示では「アルテミス像」や「アプロディテ像」が印象的だ。
さて、このように沢山の素敵な展示品の中でどうして「アプロディテ像」と「クレロテリオン(抽選器)の断片」が最も興味を惹かれたかというと、これらの作品の背景に、紀元前4世紀のアテナイのかの有名な世紀の美女と言われた高級娼婦(ヘタイラ)フリュネが絡んでいるからだ。

前述した受講中の文化講座で、つい最近「フリュネへの不敬神罪」というテーマで関連した絵画、彫刻そして時代的背景などの説明を受けたばかりで、その講座で話題になった美術品の現物が目の前で実際見ることが出来、特に印象に残ったわけである。
そんなことで、受講した講座の復習を兼ねて、「フリュネ」と「アプロディテ像」そして「クレロテリオン(抽選器)の断片」との関連を少し調べて見ると
フリュネは紀元前4世紀の古代ギリシアのアテナイで有名な高級娼婦(ヘタイラ)で、その類いまれな美しさによって得た巨額の富と各界の著名人を顧客に持つことで
多大な力を持っていたという。

その財力は、紀元前336年にアレクサンドロス3世 (アレキサンダー大王)によって破壊されたテーバイの城壁の再建をフリュネがかって出るほどであったという。
ただ、この話、「 アレクサンドロスにより破壊され、娼婦フリュネにより修復される 」という言葉を壁に刻む事を条件としたため流れてしまったが、彼女の持つ力と財力の大きさをも窺わせている(Wikipediaより)。
このフリュネをモデルにして彼女の愛人でもあるプラクシテレスが「クニドスのアプロディテ」という彫刻を制作している。

プラクシテレスはクラシック時代末期の彫刻家で、この「クニドスのアプロディテ」はプラクシテレスが西洋美術において初めて「女神・アプロディテ」の官能的な魅力を表現するため等身大の女性裸体として制作したものである。
その美しさは当時から広く知れ渡り、多くの人がわざわざ船に乗りこの像を見るためにクニドスを訪れたという。
右脚に体重をかけ、前に向かって左脚を曲げ、体を僅かS字に捻るスタイルが女性裸体像を更に美しく見せ、ヘレニズム彫刻に多大な影響をもたらしている。
プラクシテレスの作品は他に、「幼児ディオニュソスを抱くヘルメス」「蜥蜴を殺すアポロン」「アルルのヴェヌス」があるがともに現存するものはないが、ローマ時代多くの人によって厳密に模刻されたものや、彼の作品にインスパイヤーされて制作されて各種のバージョンの彫刻や絵画が制作されその美しさをうかがい知ることが出来る。

さて、プラクシテレスは色々な誹謗や非難を予想する中、何故、神聖な女神であるアプロディテの裸体像を制作したかというと、女神をより美しく魅力的な姿で描くためには「ヘソ」を描く必要があり、そのため裸体にしたという話がある。
古代人は色々自然界の美を追求していく中で無意識的に黄金比を持つ長方形は,最も均斉のとれた美しい長方形とされ,古今東西の芸術家は,意識的に,あるいは無意識的に,作品の中にその比率を織り込んで来た。
黄金比は 1:(1+√5)/2 の比で、近似値は1:1.618、約5:8である。
この黄金比が使用された(意図的か、無意識かは分からないが)もの、例えばクフ王のピラミッドは、ピラミッドの高さと底辺の長さの比率やパルテノン神殿も縦が1なのに対して横が1.618になっている。
自然界でもオーム貝や植物の葉脈などにこの比率が見出されるという。

古代から美の象徴とされ、明るく輝く金星(英語: Venus)はギリシャ神話の美と愛欲の女神アプロディテ(ローマ名ではヴェヌス、英語名でヴィーナス)の名を持が、この天体の動きにも黄金比が表されるという。
地球の8年の間に金星は13公転し、その間に5回地球に会合し(5,8,13は黄金比を表すフィボナッチ数列)、地球の公転周期と金星の会合周期は、364:584 = 5:8(約1.6倍)という黄金比にもなもなる。
その金星の軌道は、太陽を中心に五芒星(ペンタグラム)を描き、もちろん、ペンタグラムには、黄金比の要素が多分に含まれている。

人体にしても、臍を中心に頭部までと足底までを、黄金比(1:1.618)で描くと最も美しいとされ、プラクシテレスが美の女神であるアプロディテの像を制作するにあたり黄金比を採用し、そのため臍を描き、そのため裸体像としたとの話はなんとなく頷ける。
さて、プラクシテレスによって後世まで美の象徴とされる像のモデルであったフリュネはどうなったかというと、エレウシスのポセイドン祭りでフリュネは着ていた服を脱ぎ、全裸で海に入ったということで、前340年の涜神の罪で訴追されて民衆裁判にかけられている。
当時アテナイではペロポネソス戦争でスパルタに敗北後の紀元前404年、親スパルタ派による恐怖政治が行われが、一年程度の短期間で崩壊したが、代わって誕生したのが民衆による民衆裁判である。
この民衆裁判は、アテナイ市民の籤による抽選で選ばれた市民が陪審官となった。
裁判を取り仕切るのは職業裁判官ではなく市民であり、また裁判の各段階(まず有罪化か無罪か?、有罪であれば量刑は?)の決定は投票によって決定された。そのため民衆裁判所は民会と同様に住民投票のようなものであった。
法律に則るのでなく、如何に陪審官を合理的に弁論で納得させられるかどうかで決まり、後には政争の道具にされることにもなる。
この陪審官を決める籤を行うための装置が今回の展示品の「クレロテリオン(抽選器)の断片」である。
多数の溝に市民各自の札(今のIDのようなもの)を差し込み、装置を動かすと(機械的仕組みは分からないが)当日の陪審官が決定するという。
大きな裁判では500人にもなるという。
この民衆裁判でプラトン、アリストテレスと続く、後世の哲学者に大きな影響を与えたソクラテスがペロポネソス戦争でアテナイが負けた責任を取らされ、「国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落させた」として宗教犯罪である「涜神罪」(神を冒涜した罪)で公訴され裁判にかけられている。
この裁判でソクラテスが行ったのが有名な「ソクラテスの弁明」で、あくまでも自説の正しさを説き、その設を曲げることがなかったため陪審官の感情を悪くし、ペロポネソス戦争の責任を求める民衆(500人の陪審官)に有罪・死刑(毒殺)とされてしまう。

では「涜神罪」に訴追されたフリュネはどうなったか・・・。
この裁判の様子を1861年にJ.L.ジェロームが「裁判官達の前のフリュネ」として描いている。

民衆裁判には全て男だけの出席であるが、フリュネは多大な力を持っていたため自分で弁護するため出席を許されている。
弁護した雄弁家ヒュペレイデスはフリュネに裸になる事を要請し、陪審官達に「この美しさに罪があるか」と問いかけた。
民衆裁判は訴追側と弁護側がお互いに弁論を戦わせ、陪審官はどちらが合理的で理屈が通っているかで判断していた。
当時のギリシャでは「肉体の美は神性の一面・神聖なしるし」とし、「美は善である」という思想があり、オリンピックにみるように競い合って美しい体作りに励んでいた。
そんなな中「この美しさに罪があるか」と問いかけられれば「美は善である」ことより十分理屈が通っていることよりフリュネは無罪となったという。
ソクラテスが有罪でフリュネ(彼女が悪人であるといういことではないが)が無罪となる民衆裁判がいま台頭してきているポピュリズム(大衆迎合主義)彷彿させて来て何か裏寒い感じがして来る。
今回「高級娼婦フリュネ」関連から色々な美術品を巡回したが、美術品を前知識などなく、只感じるのみに見るということも大事だが、一方でその美術品を深読みし、その取り巻く時代背景や作者の置かれている立場などを知るということは、より幅広く、深みのある鑑賞する事は作品への敬意も増すことになり有意義な事と思う。
(掲載した写真は全てインターネットより拝借しました)