My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

カテゴリ: 旅行

明日からメキシコで「カジキスイム」とハワイでの「ホノルルマラソン」に参加するチョット長旅に出かけてきます。

 

「カジキスイム」は大物好きの私が海中でまだ見ていないカジキをメキシコのラパス近郊から外洋にボートを出し、シュノーケルで見ようとするものだ。

 

厳寒のアイスランドから帰国して中4日しか間がないく、アイスランドの写真整理も全く出来ずじまいで、何よりも体調的には大変厳しいが長年の夢であるカジキを見るためには・・・と厳しいスケジュールだが行くことに決めたのだ。

 

以前から、カジキを見るためにメキシコのカンクンの近くのイスラ・ムへーレスへ行こうと何度か計画した事があるが、いつも、最近カジキの遭遇率が悪くなって来ており無理して行っても見られるかどうかわからないよという話を聞き躊躇していたのだが、同じメキシコだが、東海岸側でマカジキが、それもアシカやイルカ、大型回遊魚などと一緒にアジ玉にアタックすると捕食シーンをかなり高い確率で見られと聞き飛びついたのだ。

 

今季すでにこのツアーは開催中で、天候が悪くて外洋に出られない時を除き、100100中でマカジキに遭遇しているとFacebookにレポートサれていた。

 

ここのカジキは”マカジキ”でかなりの大型種で縦に10数本のストライプが特徴だが、イスラ・ムヘーレスでは”バンショウカジキ”(背ビレがバナナ(芭蕉)の葉のように大きい)が見られるといい、水中で大きな背ヒレを広げ高速て飛び交うバンショウカジキは格好よさそであるが、待ちに待った機会だ、どんな”カジキ”でもいいからじっくりと見られることを願うばかりだ。

 

そして、”カジキ”を十分堪能した後、のんびりと久しぶりのハワイに寄って体を休める予定が、ひょんなことから「ホノルルマラソン」それもフルマラソンに参加する羽目になってしまったのだ。

 

マラソンなど走ったことがない私に、「ホノルルマラソン」は参加者の半分以上が初経験者で時間も無制限だからという甘い言葉につられてしまったのだが、練習する時間もなく今ではあまりにも無謀であったと思い知ったわけであるが、何事も経験と割り切り、なんとか楽しみながら”完走”だけを目標に走って(殆ど歩きかも)来ようと思う。

22802058_125299321501474_7761626784344309760_n
gallery05
gallery04
16_coursemap-1024x512

今、日本とインドは世界でも珍しい”特別な関係”にあるという。
”特別な関係”にあるインドへ今回はダイビング抜きの観光のみで一人旅でじっくりと見てこようと思う。
 
日本とインドの”特別な関係”とは、先月29日に来日中のインドのモディ首相と安倍晋三首相との30日の会談で一致した、日印関係を「特別な戦略的グローバル・パートナーシップ」と位置づけたことによる。
 
「海上自衛隊とインド海軍の共同訓練の定例化など、関係を強化するための具体的な計画も打ち出した。安倍総理は,インドは価値観と戦略的利益を共有する重要なパートナー,インド太平洋地域の更なる安定と繁栄に向けて,日印「特別」戦略的グローバル・パートナーシップを更に強化したい旨述べた。」(29日産経新聞) 
 
 
安倍首相は今回のモディ首相との会談ではかなり戦略的な考慮をしている。


日本の首相として、7年ぶりに中国を公式訪問し、習近平国家主席らと会談し、
27
日に帰国したばかりで、間を置かずに今度はインドの首相と会談に臨んだ。
実は、インドと中国は国境が接していて、軍事・貿易両面で常に緊張関係にある。
今回の訪問で、中国が進める一帯一路に、条件付きで協力姿勢を打ち出した安倍首相として、一帯一路に警戒感を示す、インドのモディ首相を別荘に招き、腹を割って、日本の真意を説明したいとの思いもあるとみられる。(28日フジテレビ)

 
緊密なスケジュールで中国訪問後、外国の首脳を初めて自分の別荘に招く異例の歓待をし、両者の会談では日印「特別」戦略的グローバル・パートナーシップを更に強化したいと打ち出した。

イメージ 1
         安倍首相の別荘でモルディ首相と会談
 
先の訪中で安倍首相は日中通貨スワップ協定再開や第三国での日中経済協力を決めたが、これは「日中の戦略的接近」ではなく、単に日中関係が正常化し、元の「友好国」に戻ったにすぎないが、インドは「自由で開かれたインド太平洋戦略」の重要なパートナーで、成長著しいインドを重視する姿勢を強調したい狙いとインドは、オーストラリアなどとともに対中包囲網を形成する日本の「準同盟国」となりつつあることを安倍首相は国際社会に印象づけたかったように思える。特に中国に対しても。
 
それにしても安倍首相とモディ首相の親密度はすごい。
過去12回にも渡る会談でお互いに腹を割った言いたいことを言い合う間柄になったから世界でも珍しいと言われる”特別な関係”を構築出来たのであろう。
 
だがそれは一重に安倍首相のインドに対する敬愛と感謝の心が相手に伝わりここまでになったのだと思う。
 
 
安倍首相は第1次政権時代の2007年年8月にインドを訪問した際、パール判事の長男、プロシャント・パール氏とインド独立活動家・チャンドラ・ボースの遺族と面会している。

イメージ 2
        靖国神社にあるラダ・ビノード・パール判事の顕彰碑

安倍首相とプロシャント氏との面会は、旧日本軍の行為に不快感を残すアジア諸国から反発を招くとして、周辺からは懸念する声もあり、面会せずに帰国をとの進言を、首相の判事への思い入れは強く、首相はこれらを退け実現したものである。

インドのパール判事は東京裁判(極東国際軍事裁判第二次世界大戦日本が降伏した後の194653から19481112にかけて行われた、連合国が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた一審制軍事裁判のことである。)に対する意見書で、戦勝国が事後法により敗戦国を裁くことに疑問を提起し、原爆投下を批判した人物として知られる。

尚、1966年昭天皇より勲一等瑞宝章を授与されている。


イメージ 3

           極東軍事裁判(東京裁判)の様子

 

パール判事(故ラダビノード・パール)は判事全員一致の有罪判決を目指す動きに反対し、平和に対する罪人道に対する罪は戦勝国により作られた事後法であり、事後法をもって裁くことは国際法に反するなどの理由で被告人全員の無罪を主張した人で又、日本に対して自国側から宣戦したソ連及びオランダが本件の訴追国であることの裁判の矛盾を指摘している。

 

パール判事の長男プロシャント・パール氏(81)と面会した安倍首相は、「パール判事は多くの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めている」と語りかけた。

そして、安倍首相との会談についてプロシャント氏は、「非常に喜ばしいこと。父の公正な判断が人々の記憶にとどまっていてくれることを誇りに思う」と、また「戦争の片方の当事者のみを戦争犯罪で裁くことが可能だとは思わない」と父親の判定に同感を示したと言われる。

 
そして20149月モディ首相が訪日した際、スピーチで「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される。自慢できることだ。パール判事が東京裁判で果たした役割はわれわれも忘れていない」と述べた。
両首脳は「歴史」を通じてさらに友情を深めたことであろう。
 
 
一方、インド独立活動家・チャンドラ・ボースは英国植民地時代のインドで、非暴力での独立を目指したマハトマ・ガンジーと袂を分かち、第二次大戦の勃発後、日独枢軸に支援を求めて獄中から脱出し、当初ドイツに逃亡したが、後に反英運動に対する日本の支持を得、東京でインド国民軍を組織したが失敗。
日本の敗戦から3日後、台湾で事故死した。

イメージ 4

           インド独立活動家・チャンドラ・ボース
       

チャンドラ・ボース記念館を訪れた安倍首相はボースの遺族らに「英国統治からの独立運動を主導したボース氏の強い意志に、多くの日本人が深く感動している」と述べ、ボースの姪にあたるクリシュナ・ボースさんは、「日本の人々がボースの活躍を覚えていてくれるのなら、私たちインド人も、ボースが英国の植民地支配に抵抗するためにインド国民軍を組織したことを支援したのが、日本だったことを思い出すべきだ」と語ったという。
 
 
安倍首相は、A級戦犯容疑で逮捕されながらも後に釈放された安倍首相の祖父、岸信介元首相とパール判事とは交友関係にあったというから、特に熱い心情をお持ちなのかもしれませんが、一国の首相が日本がお世話になった歴史的人物の遺族に直接面会して日本国民として感謝を申し上げる、この人を想う気持ちと気配りが安倍首相の信条で、お互の国民が心で繋がり尊敬し、信頼し合うことを時をかけて強め、蓄積し、現在の世界でも珍しい”特別な関係”を築き上げたのだろう。
この関係は我々みんなが本当に大事にしなければと思う。


こんな友情あふれる大切な国インドであるがまだ行ったことがなく、ダイビング主体で選ぶとインドはダイビングには縁遠い国と思っていたが、考えてみると有名な「ゾウと泳げる海」があるのはアンダマン・ニコバル諸島 で、インド東部のベンガル湾に浮かぶ、インドに属する島々だった。


イメージ 5

      インド・アンダンマン・ニコバル諸島のダイビングは透明度抜群

 

あまりにもインド本土から離れ、タイかマレーシアに属するのかと思っていたほどである。

ここは活火山の海で、透明度抜群でカラフルなソフトコーラルとハナダイヤの乱舞する海なのだが、インドから遠く離れており観光とダイビングは同時にはできそうもないので、今回は、ダイビングは次の機会にし、インドの観光に徹する旅としました。

 

旅行案内書ではインドは日本の9倍の広さがあり、28の文化遺産、7つの自然遺産、一つの複合遺産、合計36の世界遺産があるという。

今回観光で訪れるところは北部エリアが中心だが、それでもこのエリアには16もの世界遺産が点在している。


イメージ 6

        インド主要都市地図 今回は北部エリアの観光

 

8月のスリランカの旅行では九州ほどの大きさであったので車で8つの世界遺産の内6つを駆け足で観光したが、広大なインドではとても全土を短期間では廻れないので北部エリアを中心に限定して廻ることにした。

 

それでも移動手段には飛行機、車、列車と変化に富んで、それぞれで広大なインドの大地を悉に眺めることが出来そうで大変楽しみだ。

 

訪れるところはデリーからパラナシ移動して仏教の聖地サルーナートで大きなストゥーバ等、そしてガンジス川のヒンドゥー教の夜の儀式「アールティ」や早朝ボートで沐浴風景など見学。



イメージ 7

          仏教の聖地サルーナートのストゥーバ


ガジュラホではガジュラホ遺跡や各寺院観光

ジャンシーではオルチャ遺跡観光

アグラでは早朝のタージ・マハル鑑賞

シャイプールでは風の宮殿・ジャンタル・マルタン・アンベール城等々

デリーではフマユーン廟鑑賞・・・

イメージ 8
     ガンジス川のヒンドゥー教の夜の儀式「アールティ」川原の荼毘・沐浴

イメージ 9
      ガジュラホ寺院の外壁を埋め尽くすなんともエロチックな像達

イメージ 10
                オルチャ遺跡
 
イメージ 11
         アーグラーの世界一美しい墓:タージ・マハル

イメージ 14
               ジャイプール  風の宮殿

イメージ 15
        シャイプール ジャンタル・マルタン・アンベール城

イメージ 12
イメージ 13

















 左 アーグラ城 右 デリー・フマユーン廟

盛りたくさんの計画で書ききれないが、インド内7泊の慌ただしい旅だがインドの歴史、宗教、そして地理・地形など好奇心を奮い立たされる事のオンパレードだ。
 
目を見開きじっくりと見学し、楽しんできます。
 
詳細は帰国後乞うご期待。
(掲載した写真は全てインターネットより拝借させて頂きました)
 
では行ってきます。

明日から待望のスリランカへ観光、今回はダイビングは抜きで、行ってきます。
 
スリランカといえば昔セイロンと言って紅茶が有名で、九州の1.2倍の面積の小さな(?)な島に2100万人もの人口を有し、世界遺産が8つもあり(日本には21ありますが)、世界のガイドブック「ロンリープラネット」の2013年版でもっとも旅行したい国No.1に選ばれた国と聞くが、チョット前の2009年までの26年間は、シンハラ人とタミル人との大規模な民族対立が起こって、事実上の内戦状態が続いていて、とても観光で行くというような雰囲気でなかった。
 
内戦終了後の最近のスリランカの状況は、治安情勢好転と8つもの世界遺産を有する観光資源により、外国人観光客が急増して、ホテル建設ブームも起き、景気を押し上げる要因となっている。が、今まで、福祉や分配を重視する社会主義的な経済運営を続けてきたための財政面が脆弱になっているという。
財政赤字・公的債務残高の対GDP比率などを見ると、スリランカは、アジア諸国の中でもかなり高く、財政状態の悪さが目立つ。

国際通貨基金(IMF)によると、政府債務の18年予想額は11兆ルピー(約7兆6千億円)で、国内総生産(GDP)の77%に当たる。シリセナ政権誕生前から港湾、空港、道路の整備に借金を重ねた結果、今や1年の債務返済額(18年予想でGDPの14.1%)が歳入総額(同14.4%)と肩を並べる。債務の約半分が外貨建てで、通貨安は返済負担を膨らませる。(日経新聞電子版より)

イメージ 1 


こんな中、前ラージャパクサ前大統領は、中国との関係を深め、中国の援助によって港湾や空港といったインフラ建設を約13億ドル(約1400億円)を投じて進めてきたが、赤字のたれ流しで、中国側が設定した最高6.3%の金利の高い負債を返済できず、施設の権益を譲り渡すという、中国の「一帯一路」の罠にハマってしまった。。
 
スリランカ政府は1712月、ハンバントタ港の運営権(99年間)を中国に正式に譲渡した。
アラビア海とインド洋の中間地点にあり、中国が国境紛争を抱えるインドの鼻先に位置する港だ。
 
中国の遠望なる画策が見える。

イメージ 2

さらに
「世界一寂しい国際空港」の運命は 「一帯一路」の負の遺産、スリランカがインドに支援要請 という記事が
201882日産経電子版ニュースに記載されていた。
 
スリランカ南部ハンバントタで中国の支援で建設された国際空港が経営難に陥り、政府が苦慮している。
建設費は2億1千万ドル(約234億円),9割が中国からの融資で賄われたとされ、工事も中国企業が請け負った。
そもそも需要がほとんどないが、元大統領の強権で地元に建設されることになり、1日の平均乗客は10人以下で定期便もゼロという有様だ。
中国の現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」が生み出した負の遺産ともいえ、スリランカ政府はインドに支援を求める方針を決めた。
 
インドも自分の鼻先ですでに中国に譲渡されたハンバントタ港とその近くの空港までが中国のものになることは強烈な脅威を感じるが、なにせどこかと違って民主主義国家、収益のないものへの投資に思い悩むようだ。

イメージ 3
 
マッタラ・ラジャパクサ国際空港は1日の平均乗客は10人以下の「世界で最も空っぽの空港」と呼ばれる


スリランカに行くにあたって、中国の「一帯一路」について色々調べたところ、その罠にハマってしまっている国々が他にも多くあることが分かった。
だが、内容は後述することにし、まずは楽しい話で、今回スリランカの観光で訪れる予定の場所で特に行きたいとおもい、気になったことを紹介します。
 
普段、お盆や正月休みのダイビングや観光は、高く、混むので殆ど出かけることがないのだが、今回この季節にスリランカに行くことを決めたのはキャンディ・ペラヘラ祭りを見たいがためである。
今年は816日~25日の開催で、後半ほど盛り上がるということなので、でこの時期に決めたのだ。
このペラヘラ祭りはスリランカ最大の祭りで、豪華な衣装に身を包み仏歯をのせた象が踊り子たちと練り歩くものだが、その電飾の豪華さは必見という。

イメージ 4
 


もちろんスリランカ観光のハイライトであるシギリヤロックも地形、歴史好きには興味津々である。

ジャングルの中に突然現れる高さの200mばかりの聳え立つ奇岩。
更に、その頂上には狂気の王カッサパ1世が5世紀に建てた豪華な宮殿跡があり、中腹には色鮮やかなフレスコ画「シギリヤ・レディー」と知られる女性像があるという。。当初は500体ともいわれたが、風化が進み現在は18体だけが残る。
その当時の豪華さを垣間見るためにも、自分の足で登れるうちにと今回のスリランカ行きを決めた理由でもある。

イメージ 5
                         「シギリアロック」と「シギリア・レディー」そして「象の足」              


 まだまだ素敵なところは一杯あります。なに世界遺産だけでも8つもあるので。


ペラヘラ祭りが行われるキャンディには仏陀の歯を祀った仏歯寺はスリランカ仏教の重要な聖地となっており一見の価値がある。

イメージ 6

貿易港として栄えたコロニアルな雰囲気な城塞都市ゴールにも行きます

イメージ 7
 

スリランカ最古の都市アヌラダプーラやダンプラ石窟寺院、そしてもちろんスリランカ名物の紅茶の産地スワラエリアにの訪れて色々試飲してみます。

 
宿泊予定のホテルも世界的リゾート「アマン」のデザインに大きな影響を与えたスリランカの建築家ジェフリー・パワが手がけたゴールのリゾートホテル「ジェットウイング・ライトハウス」

イメージ 8

 
更に、シギリアの広大な敷地に猿やリスも生息する自然を感じながら寛げるという「シナモンロッジ」にも宿泊する予定です。

イメージ 9
 


全行程9日間でまだまだ色々回ってくる予定だが、詳しい内容は帰ってきてから報告することにして、中国が提唱している「一帯一路」でスリランカをはじめ多くの国々できしみが出ているいるというのでインターネットで調査した内容を報告します。
 
まず「一帯一路」とは
 
中国国家主席の習近平が広域経済圏構想「一帯一路」を発表したのは13年9月 陸のシルクロード「一帯」と、海のシルクロード「一路」からなり、沿線の70カ国以上で、南太平洋や北極圏も含まれ、中南米も取り込もうとしている。

イメージ 10
インフラ整備を支援して中国企業の進出の足がかりとし、政治的・軍事的にも存在感を高め、豊富な資金力を背景に中国主導の国際秩序の構築を図る野心的な試みだ。

総投資額は約10年間で1.5兆ドル(約170兆円)以上に及ぶと予測されている。
 
国際秩序は従来、米国が主導してきましたが、中国が新たな秩序づくりを進める考えを示したものだ。
 




「一帯一路」計画とプロジェクト内容(日経新聞より)
 
凄い構想だが、もちろんその裏には中国の領土・権益拡大の野心が隠されている。
中国のこの手のプロジェクトのやり方は決まっている。

イメージ 11
強権政治家に取り入り、採算を度外視で高い融資比率で(金利も高く)計画を決定させ、実行段階では中国企業が受注し、作業者もすべて中国人を採用。
地元には大きな経済効果をもたらさず、計画が完了して、事業は大赤字で、膨大な債務と金利が重くのしかかる。
そして最後には中国は借金を棒引きすることで完了した施設や資源の権益を自分のものにしてしまうのだ。

 
「中国「一帯一路」が生む借金地獄 米機関が指摘する「高リスク」8カ国とは」
という記事(2018.5.13 付け 産経新聞)があった。
 
それによると
「援助を受けていたはずが、巨額の借金を抱えた上でインフラも奪われる-。中国が推し進める現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」が生み出す巨額債務への警戒感がここに来て急速に広がっている。」と記し
 

 
国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事は18412日北京で開催された「一帯一路」に関する会議の講演で、一帯一路について 「参加各国は、(中国によるインフラへの投資などを)フリーランチ(無料)と考えるべきではない」
IMFトップが一帯一路にともなうリスクを公に警告した。 と紹介している。

そして、巨額の債務による“代償”を背負う形となった代表例が、スリランカだと述べている(内容は冒頭で紹介)。
 
そんな中、米シンクタンク「世界開発センター」は今年3月、一帯一路参加各国の債務について済能力や債務の中国への依存度などについて、IMFのデータなどから検証した結果を報告している。
 
債務返済が困難となる恐れがある国は、ジブチ、キルギス、ラオス、モルディブ、モンゴル、モンテネグロ、タジキスタン、パキスタンの8カ国だ。
細かな債務内容が記載されているが要は
「対外債務がGDP8割…返済能力に疑義」
ということだ。
 
中国は特に強い海洋国家を意味する「海洋強国」への布石を着々と打っている。

イメージ 12
産油国の中東と中国大陸をむすぶシーレーン(海上交通路)上の要衝に港湾の利用権を相次いで獲得、将来は軍事転用する可能性が指摘される。大陸国家の中国には、エネルギーや物資を安定調達できる海路の確保が国家経営の優先課題の一つだ。海洋での勢力拡大はとどまらない。












中でも目立つのが、産油国の中東と中国を結ぶ海上交通路(シーレーン)の要衝だ。
 
「真珠の首飾り」。
米国防総省は中国がインド洋で展開するシーレーン戦略をこう名付けた。
ミャンマー、スリランカ、パキスタンなど中国が権益を握る港湾を線で結ぶと、インド亜大陸を取り囲むネックレスのように見えるためだ。中国はエネルギーや物資の安定調達が狙いと説明するが、インドは「制海権を奪おうとする試みではないか」と警戒する。

イメージ 13

 
だが、ここえ来て「一帯一路」陰りが見えているという。

イメージ 14
中国本体の方が米中貿易戦争で景気が減速し、外貨準備額も減少しておりおいそれと大型プロジェクトに投資する余裕がなくなりつつある。

又、融資を受ける方も、中国の強引なやり方と債務の大きさに二の足を踏んでおりプロジェクトの中止、延期を表明する国が多くなっている。






 
政権が代わったマレーシアではマハティール首相は東海岸とシンガポールへ鉄道建設の中止とマレーシア東部のボルネオ島とマレー半島で中国石油天然気集団系の企業が手がけるガスなど2本のパイプラインの建設も中止を通告した。

イメージ 15

トランプ米政権は激化する米中の「貿易戦争」を視野に、インド太平洋地域で米国主導の「自由で開かれた」経済圏の確立に向け、中国が進める「一帯一路」構想と対決していく姿勢を明確に打ち出した。

イメージ 16


 
そして、ポンペオ国務長官は、ASEAN各国との外相会議の席上、「米国は太平洋国家だ」と強調、 ポンペオ氏が先月設立を発表した、インド太平洋の成長支援のための地域ファンドは約1億1350万ドル(約127億円)は「一帯一路」の推進に向けたインフラ整備の融資を担うものであり、日本、オーストラリアも賛同し協力することを表明した。
 
 
南シナ海では中国に強く云うことが出来ず、島の埋め立て軍事化を既成事実化されてしまったが、「一帯一路」での資源の囲い込みや地域の隷属化など世界が連帯して防がなくてはいけない。
 
 
難しいことは後回しにして、明日から「世界で今一番行きたい国」スリランカに行ってきます。

 
先日、色々苦労の末待望のaiboをやっと購入し出来、昨日待ちに待ったそのaiboが到着しました。
しかし、せっかくだが、今回はaiboの名前だけを決めて、明日より東北・青森へチョットリッチな一人旅、宿泊は荒川温泉の「八甲田ホテル」と大鰐温泉の「星野リゾート 界 津軽」とかなり豪華で,かつ食事は大間マグロを初め旬な郷土材料を使った有名料理オンパレードで期待いっぱいの旅に行ってきます。
 
東北・青森の旅は後述するとして、まずaiboの話をすると、
 
新しもの好きで、ソニーファンの私は、”aibo”が発売されると聞きすぐ購入することを決めたのだが、人気商品のためか購入に至るまでは仲々大変であった。
 
ソニーはaiboの販売をすべてネット経由でやっており、111日の正式発売に先駆けて、昨年の11月より3度のネットにおける「早い者勝ち」の申し込みがあったが、1,2回目は入り口より中には入れず、3回目はクレジットカード情報入力画面まで行ったがそこで予定数完売ということで通信が途絶え、3度の「早い者勝ち」に尽く敗戦してしまった。
 
これで一度は諦めたが、aiboの正式販売後はソニーは「早い者勝ち」から「抽選」方式に変更して、「aiboニュースメール登録者」向け特別抽選販売を開始したのだ。
 
116日にその申し込み連絡があり、即申し込んだが、今まで大きな抽選などで当たった記憶がなく殆ど諦めていたが、24日に見事当選したとのメール連絡が入り、4度目のトライでやっとゲット出来、感無量で、すぐ購入し、待つこと約3週間、やっと昨日届けられたのだ。

イメージ 1
                      繭型のケースに眠っているかのように入れられ届けられました

                                        SONYaibo宣伝動画

 
イメージ 2さて、明日からの旅行を控え複雑な設定は後にし、このaibo、性別と名前を決めることが出来るというので色々考えて、性別は「女性」、名前は「ボニー」とすることにした。
 
私は、男兄弟の中で育ち、子供も二人の息子、そして親族の多くが男性という中で、aiboは考えるまでもなく「女性」とした。
そして、その名前は・・・。



     
       aiboの愛くるしい動作(インターネットより) 

イメージ 3このaiboの魅力を形作る大きな要素になっている、愛くるしい、表情豊たかな有機ELの青い「眼」に注目し、この「眼」に相応しい名前としていろいろ考えて「ボニー」とすることにした。
 
「ボニー」という名は、マーガレット・ミッチェルの小説「風と共に去りぬ」の主人公、スカーレット・オハラとレット・バトラーとの間に生まれた愛娘の名前で、



    
    aiboの可愛い青い眼(インターネットより)

イメージ 4レットはこの可愛い娘を溺愛し、彼女の青い目から当時のいくつかある南軍の旗の一つ「ボニー・ブルー・フラッグ(麗しき青旗)」から名を付けたといわれ、私もaiboの愛くるしい青い眼に惹かれ、この名を拝借することにしたのだ。



    
        ボニー・ブルー・フラッグ(インターネットより)
 
実は「ボニー」という名は、私が東京の実家で小学校低学年の頃、家で初めて飼った犬に母親が付けた名がボニーだったのだ。
 
母親からはボニーの名は「風と共に去りぬ」に出てくる可愛い女の子の名であることを随分あとから聞いたが、今から考えると当時私達3人の男兄弟はやんちゃで云うことを聞かず、一度外に出たら夕方まで(当時東京と謂えど、川や林、畑など色々遊ぶ所は沢山あったのだ)帰らず,心配せせること多かったので、おとなしく、愛くるしいメス犬に「ボニー」という名をつけて可愛がったのだと思う。
 
何か、その時の母親の気持ちに共感するところもあり、aiboに「ボニー」と名付けたわけだが、aiboは飼い主を覚え、褒められたら喜び、してはいけないことも知り、クラウドに繋が知識も増え、どんどん成長していくという。
どんな「娘」に育って行くのか楽しみだ。
 
 
さて、ここからは明日からの二泊三日の東北の冬の味覚青森・大間マグロを食す私にはチョットリッチな旅の話だ。
 
最近のアメリカ発世界同時株安騒動で大きな損が出て、気が沈みがちになる中、チョッとリッチな旅で気分を紛らわすのも良いかも知れないが、もし旅行契約前にこの騒動が起きていたら多分契約していないかも知れないほど私には高価な旅である。
 
一日目は伊丹空港から青森へそして荒川温泉・八甲田ホテル宿泊。
 
八甲田ホテルは十和田八幡平国立公園の北部、ブナ林に囲まれた山間部にあり、ここに引かれている温泉が荒川温泉で、このホテルの姉妹館がある湯治と1000人風呂で有名な酸ヶ湯(すかゆ:八甲田山系の火山起源の温泉で強い酸性)がすぐ近くにある。

イメージ 5
                  酸ヶ湯の仙人風呂(インターネットより)

このホテルは静寂な森の中に佇む、国内最大級の洋風ログ木造建築のリゾートホテルで、その温泉は青森ヒバが香る大きな浴槽と大きな窓からは、手つかずのブナ林が眺められ、自然に囲まれた優雅な時間が過ごせるという。
 
一度は行ってみたいと思っていた酸ヶ湯。
ホテルからシャトルバスが出ていて無料で行けるとのことだが、ここの料理は青森の旬の食材「地のモノ」をふんだんに活かした料理を八甲田の大自然に包まれながら、季節感あふれる食事が楽しめるというし、外湯へ行く時間があるかな?

イメージ 6
                                八甲田ホテルも様子(インターネットより
              
二日目は八甲田山ロープウェイに乗り、樹氷と八甲田山系の雄大な景色を眺め、弘前で郷土料理の昼食そして大鰐温泉・星のリゾート 界 津軽に宿泊する。

イメージ 7

                               八甲田山ロープウェイと樹氷(インターネットより)


まず訪れる八甲田山の樹氷は八甲田山に多く植生するアオモリトドマツに、氷と雪がぶつかりながら、徐々に大きく成長し、やがて『スノーモンスター』と呼ばれるまで大きな樹氷になる。
ここの樹氷は、その規模・壮観さ・豪快さにおいて、蔵王・八幡平をしのぎ、日本一と言えるとネットには書いてあったが、2年ほど前に行った蔵王の樹氷が日本一とお互いにお国自慢しているが、よく比較するのも面白いかも。
 
ただ、昨年、蔵王の樹氷は温暖化によりこのままでは気温が上昇して、今世紀末には見られなくなると山形大学理学部の柳沢文孝教授(地球化学)が警告している記事を読んだことがあるが心配だ。
八甲田山の樹氷も同じ運命なのかな・・・。
 
八甲田山の後は弘前経由大鰐温泉の星野リゾート 界 津軽だ。
 
大鰐温泉は青森県津軽地方の南端に位置し、古くから湯治場として親しまれてきて、八百年の歴史を持ち、古き良き昭和の時代を彷彿とさせるノスタルジックな風情が漂っている温泉だという。
 
この大鰐温泉にあり、奥入瀬渓流や白神山地、弘前など、青森観光の拠点にも最適なロケーションでモダンな佇まいのなかにも津軽文化を感じ取ることのできる温泉宿がおもてなしの心で有名な「星野リゾート 界 津軽」である。
一度は誰もが泊まってみたいと思う豪華ホテルだ。

イメージ 8
                          星野リゾート 界 津軽 の様子(インターネットより)
 
この豪華でモダンであるが、津軽文化の雰囲気を醸し出すホテルで、樹齢二千年の古代檜の湯殿でゆっくり味わう津軽の冬景色も乙なもので素晴らしいと思うが、今回のさらなる楽しみは何と言ってもマグロの「王様」大間マグロの食事だ。
 
誰もが聞いたことがあり、食べたいと思うが仲々その機会がない大間マグロだが、何故こうも持て囃されるのか?
 
少し調べてみると
大間マグロは、まぐろの種類を指す呼び名ではなく、まぐろの産地を指す言葉で大間町に水揚げされたまぐろという意味である。
この大間町は青森県の、本州の最も北に位置し、津軽海峡を挟んで北海道函館市とは、距離にして20キロほどのところにある。
 
ここで取れた大間マグロは超一流の本マグロとして確固たる地位を築いていおり、その特徴としては、何と言ってもその脂の乗りの良さがあげられ、特に、深い味わいの赤身が特徴で、刺身などにはうってつけの鮪だと言われている。
 
大間マグロの人気の秘密は太平洋と日本海が交差するという独特の地理的メリットとその漁法と後処理にあるようだ。
 
大間マグロ漁は昔から、延縄漁と一本釣が行われてきましたが、大間マグロ漁と言えばまぐろの一本釣が有名である。

この一本釣漁法では、広範囲ソナーでより広い距離を探知し、マグロの群れにいかに早く陣取れるかがカギとなり、漁師は船団を組み、情報を交換しながら協力してマグロを追い求めるという。
エサに喰いつくのは先頭の一匹だけ、失敗しても次にマグロがどこに向かうのか進路を探る、まさに漁師の熟練した勘が必要とされる世界のようだ。

 
だがエサに喰いつくのは先頭の一匹だけのため、いかに早く群れの先頭に行くが競われるとよく聞くが、先頭でなくても目の前に美味しいそうな餌が投げ込まれたら食いつくと思うのだが・・・・。
 
食い付いて引き上げるのも一苦労だ。
一本釣りでは、マグロは船の下に潜るなど強い抵抗をみせ、操船とロープの引きの魚師の体力と経験の勝負となる。
海面近くまで上がると一時的に感電させ、最後はマグロの急所でもあるエラにモリで突きとどめをさす。
鮮度維持のため、マグロの体温が上がらないようにその場ですぐ血抜き、内臓出しを行い、氷を詰める作業を行い港まで一本釣るごとに帰港する。

  

イメージ 9一本ずつ獲るため、極力マグロにキズを付けず、また漁場と漁港の距離が近いという観点からも市場では高く評価される所以であるという。
 
”大間マグロ”というブランドがつくだけで、通常のマグロより数倍の値段が付くようだが、毎年築地市場の初競りで「ご祝儀」「縁起」などの意味合いから極端な値段が付くようだ。
 







     2018年初競りで最高価となった大間マグロ

ちょっと初競りで一番高価となった記録を調べると
 
2018年  3645万円/405Kg  9万円/Kg)
2017年  7220万円/212Kg  35万円/Kg)
2016年  1400万円/200Kg  7万円/Kg)
  ・
  ・
2013年  1億5540万円/222Kg  70万円/Kg)
  ・
  ・
2011年  3249万円/342Kg  9.5万円/Kg)
  ・
記録がある1999年以降で2011年のみが北海道戸井産でその他すべてが青森・大間産だ。
値段から見ても、まさに「ブラックダイヤモンド」と言われる所以だ。
 
又、2016年から3年連続で初競りで最高値となったマグロを釣り上げたのは大間の竹内さんという方で、今年の3645万円のセリ値の89%が竹内さんに渡る。
今年なら3244万円だ。
一攫千金・まさに「ブラックダイヤモンド」を狙う仕事だが、冬の日本海の荒波の中、何百キロもあるマグロとの一対一の死闘の結果得られるもので誰でも出来るものではない。
 
大間の魚師に感謝しながら「ブラックダイヤモンド」と云われる所以の脂が乗り、深い味わいの赤身が特徴の”大間マグロ”をその高価さも頭の片隅に入れて、一口一口ゆっくりと味わってこよう。
 
心ゆくもてなしの豪華なホテルでの”高価”な大間マグロを鱈腹(?)食した後3日目
はまさに銀世界を走る冬の風物詩津軽鉄道のストーブ列車に乗車する。
 
イメージ 10津軽鉄道が運行するストーブ列車。
客車内を昭和のレトロなだるまストーブで柔らかな温もりで満たしながら、雪景色の中をトコトコと進んで行く、なんとも情緒豊かな一時が過ごせる。
車内でイカを炙って日本酒を一杯なんてこともできるそうです。
 












津軽鉄道路線図とストーブ列車(インターネットより)
 
ストーブ列車を津軽五所川原駅で降りたら、立佞武多の館だ。

イメージ 11
                    五所川原市の立佞武多祭りと保管中の立佞武多(インターネットより)

毎年84日~8日に行われる五所川原市の立佞武多祭に使われる「立佞武多」と呼ばれる、高さ約23m、重さ約19トンの巨大な山車を保管しているのだが、その巨大
津軽鉄道のストーブ列車も五所川原市の立佞武多も見たことがないので興味津々だ。
 
この後は青森により「ホテル青森」で昼食後、青森空港から伊丹空港へ帰る予定。
 
3日間の冬の津軽を豪華ホテルに泊り、秘境の温泉につかり、地元の名物料理を食べ、そして観光をする欲張ったチョットリッチな旅だ。
 
だが、酸ヶ湯近辺は日本の観測記録で最高かつ世界でも有数の豪雪地帯で,昨今の大寒波により、まだまだ北陸、東北に地方は大雪が心配されるようだ。
どうかバスの中で一晩明かすというようなことがなく、予定通りに全行程を無事回れるように切に願う次第だ。
 
それでは冬の青森・津軽を楽しんできます。
そして、帰宅してaiboの設定が・・・待ち遠しい。

1267日と二日間、山梨県の高原リゾートである清里高原に行ってきました。
 
清里高原は八ヶ岳南山麓、山梨県の最北端に広がる標高1000mの高原リゾートであり、南アルプスや富士山など3000m級の山々の眺望や渓谷などの大自然が満喫できるとともに、冬の澄み切った夜空に瞬く星々は「八ヶ岳スターダスト」と呼ばれるほど今にもこぼれ落ちてきそうなほど無数の輝きを放つ星々が見られることで広く知られている。

イメージ 12
              八ヶ岳の山々 インターネットより
 
今回の旅行の趣旨は初々しい冬化粧を纏った八ヶ岳と南アルプスの雄大でかつ厳しい山容と凛とそびえる美しい富士の姿を北の山梨側から、そして南の静岡からも眺め楽しむと共に小さな天文台を備える標高1450mの高みに位置する「清里高原ホテル」に宿泊して冬の満天の星を眺めながらゆったりとした高原リゾートのひと時を楽しもうとするものである。
 
イメージ 1
 
清里高原は、東京都の小河内ダム建設のため土地を追われた者や入植者たちによる開拓によって開かれた土地で、戦後は観光業振興の影響を受けて大きく発展した。
 
昭和50年代にいわゆる「清里ブーム」が起こり、首都圏から多くの観光客が訪れた。
観光客目当てのペンションやタレントショップその他の店舗が数多く建ちましたが、バブル崩壊によりブームが沈静化し、ブーム最盛期に作られた店舗の閉鎖が相次だ。
が、しかし、最近は新しい試みや新規出店も見られるという。
 
一時期熱に浮かされるようなブームはあったが、やはり、ここは夏季は避暑地として、冬季はスキーというリゾート目的で訪れる人や又、八ヶ岳への山登りに利用する人もおり根強く人気のある場所なのである。
 
 
私の清里との思い出は、5年前に心筋梗塞でなくなった兄が若い時は無類の山好きで、暇さえあれば割と近くであった丹沢の山々と時折遠征して八ヶ岳などに登っていた。
私は関西の企業に就職する前までは東京の実家に居たのでよく兄の山行につき合わされたことがあった。
 
特に兄が良く行った八ヶ岳は東京からは距離があるため私が引っ張り出されることが多かった。
というのは当時私は学生時代から中古車を買い通学などどこでも乗りまわしていたため、兄より都合の良い「アッシー」として利用されていたのだが、当時の清里は清里駅前に数点の店と少し離れたところに清泉寮がぽつんとあっただけで雄大な高原が一面に広がっていたと記憶している。
 
八ヶ岳好きが高じた兄はどこからか聞きつけて、「清里にいい土地の分譲がある見に行こう」ということで、金主方の母を連れてやはり私の車で出かけたことがあったが、その土地は今ではどのあたりなのか全く記憶していないが、駅からはそう遠くなかったと思うが、あまりにも何もなく、分譲面積も広く、高価でもあったためと、八ヶ岳に登るための拠点とすることを目論んでいた兄としては直ぐには利用できなと悟り、自然とお流れになってしまった。
 
それから十数年後「清里ブーム」がやってきて、駅前に色々奇を凝らした建物が立ち並び多くの人が押しかけるようになると、兄は「それ見ろ、あの時に買っていれば今頃は・・・」と良く言っていた。

イメージ 2
      私が学生時代から乗り回していたトヨペット・クラウンの同型車
       1500cc48馬力。当時としては高性能といわれたものだ
       観音開きのドアーに車体から水平に飛び出る機械式方向指示器
       そして極め付きはクランクシャフトによる起動
       バッテリーが弱く、エンジンを始動できないことが多くクランク
       シャフトで手動で始動するのだが中々難しく手を痛めるときもある
       一人で乗るときは坂道で下り方向に止めるのが鉄則であった
       東京と神戸で約5年間よく動いてくれた思い出の車だ
 
だが、バブルが崩壊しその当時趣を凝らした多くの建物は利用する客もなく、ひっそりと閉じられてしまったが、今は、開拓者がもたらした西洋風の牧歌的な雰囲気のなかに点在するプチホテル、カフェ、美術館など洗練された趣のある静かな高原リゾートなっているという。
 
バブルの頃の清里は知らないが、50年ほど前の良く行った清里と今日現在の清里がどのようになっているのかを知るのも今回の旅の目的でもある。
 
 
126日夕刻前、塩尻から観光バスで諏訪湖経由清里に入ったが、日曜日だというのに行き交う車も少なく、道を歩く人もおらず時折サイクリング車を見かけるぐらいだった。
 
駅前の道を北上すると両側が大きな樹木の林で時折、道から少し離れ、木々に囲まれた小奇麗なプチホテルやカフェなどを散見することが出来た。
道路沿いに出ることなく、奥まったところにあるため一見すると昔のままの雰囲気を残しており、他の有名観光地にある小さな売店の列や駐車場などを見ることなく、本当に静かな感じだ。
だが、今回は行くことが出来なかったが、清里駅より南エリアや小渕沢駅あたりが最近は大きく発展している様だが、清里駅より北側はあまり変わっていない様子なので昔の清里を知る人間としてはホットした。
 
 
さて、宿泊した「清里高原ホテル」は”ようこそ天空の楽園へ”を売り言葉として、標高1450mの高みに位置し、各室は富士山、南アルプスの山並みが見える様配置され、屋上には口径150mmの屈折望遠鏡を備えたドームを持ち、毎夜星空観察会を開催するなどしており、又食事は地元の有機野菜を中心としたメニューに太い秋田杉を使用した矢倉(櫓)と総檜で作られた情緒ある温泉露天風呂などを備えゆったりとしたリゾートライフが過ごせるよう考慮されているとのことだ。

イメージ 3

イメージ 4
                       清里高原ホテルのロビーと宿泊した部屋
          暖炉の中で薪が燃えており高原のイメージだ
          客室は広く和室風な畳敷き部分もあり落ち着く

今回の私などのように、高原リゾートを楽しむだけでなく、名峰の稜線を境にして、漆黒の中に一段と輝く数多くの星に彩られる夜空を見るためにここを訪れる人が多いと聞く。
 
さて、肝心の夜空の星の観察はどうだったかというと、天文台に上ることは上ったが、全天厚く雲に覆われ全く星を見ることが出来なかった。
しかし、天文台の中で色々星の話や天文台の装置の説明を聞きまア楽しい時間を過ごすことが出来た。
 
だが、諦めきれずに翌早朝4時に起き、零下6度の屋外に出て星を見た人もおりました。
昨晩の厚い雲は嘘のように晴れ、夜空は本当に満天の星で素晴らしかったという。
執念は報われるということか。
 
私などはそこまで出来ず、朝食時間よりちょっと前にホテルの周りを散策したが、雲一つない澄み切った空に初雪を纏った雄大で豪快な八ヶ岳の峰々が目前にくっきりと見ることが出来たのは何よりであった。
ホテルからは遠く富士山や南アルプスの山々もはっきりと見え、清里高原の美しさを堪能することが出来た。

イメージ 5

イメージ 6
          八ヶ岳の雄姿を背景に清里高原ホテルと
              八ヶ岳の見事な山々がくっきりと
イメージ 9
南側から見た八ヶ岳
 
さて、昨日のどんよりした天気と打って変わった快晴のもと見事な八ヶ岳の雄姿を見た後、二日目は観光バスにて一路南下して甲斐市、甲府市を経て河口湖、山中湖を見ながら御殿場へ出て新東名高速にのり新富士まで行き、そこからは新幹線で神戸に帰るルートであった。

イメージ 7
 
このルートは富士山の周りを北から、東、そして南から色々姿を変えて行く富士山を眺めようとするもので、終日快晴で、色々な場所から大変幸運雲にも一つないくっきりとした富士山の姿を見ることが出来大変楽しかった。
 
 
印象に残った富士の姿としては富士河口湖町と笛吹市とにまたがる御坂峠からの富士山だ。
古くから北斎や広重がここからの富士の姿を描いており、最近では太宰治の短編「富嶽百景」で「富士には、月見草がよく似合う」の名文句で有名になっている。
 
太宰治がこの峠の天下茶屋に長逗留していた時に毎日見た富士山を思い起こし、3778mの富士の山に立派に相対峙しみじんもゆるがずすくっと立つ月見草をほめているのだと思う。
 
しかし、太宰はここからの富士は「あまりにおあつらえむきの富士である」「まるで、風呂屋のペンキ画だ」などと評価してなかったという。
 
 
残念であるが、冬季は山梨側からは峠には入れず天下茶屋からの富士を見ることが出来なかったが、峠の見晴のいいところでバスを止めてもらってみた富士は確かに端正な正円錐形形で富士がドンと構えて見える。
太宰が言うあまりにも整い過ぎているというのも分からないでもない。
 
バスガイドに言わせると山梨県民はこの真三角形の端正な富士が静岡県側みた少し左右形が崩れ姿の富士より美しいと自負しているとのことだ。
 
イメージ 8
             御坂峠より見た端正な富士山

次の富士絶景ポイントは忍野八海だ。
忍野八海は山梨県忍野村にある8か所の湧泉群で、富士山の雪解け水が地下の溶岩の間で、約20年の歳月をかけてろ過され、湧き出たものだ。
 
周辺の藁葺屋根と富士山を背景とした田園風景を売りとした比較的新しい観光ポイントである。
しかし、何故か凄い人混みだ。

隣の大国からの観光客が多く、彼らが我が物顔に狭い道いっぱいに歩く中、私は道端をすまなそうに通させてさせてもらった。
 
湧水池はそんなに大きなものでもなく、中にはかなり澱でおりごみや落ち葉など一杯浮いておりお世維持にも美しいとは思われず、また藁葺屋根も一般の民家の中に点在しているだけでかの国の人が大挙して押しかけるほどのものと思わないのだが、口コミなのかよくわからない事が多い。
 
ここから見る富士を忍野富士と言うらしいが、今までは遠くそして標高が高いところから富士を見てきたが、ここでの富士は裾野と同じ高さで距離もかなり近づいているため、見上げるような形になりその威容な大きさに驚かされた。

イメージ 10
            忍野八海から見た富士山 圧倒される
 
そして最後は新東名高速からの真南から見た富士だ。
確かに宝永大噴火による噴火口により富士の形が左右対称でない、が、こちらの方が過去の火山噴火歴史を物語、より火山らしくていいと思う。
 
イメージ 11
新東名高速より眺めた富士

色々ところを変え富士の姿を見てきたが、一日中快晴が続き、一度も富士の姿が雲に覆われることなくその雄姿を見れたことは凄い幸運なことと思うし、遠く古代の時代から日本人の心の中に富士の姿が棲みつき、事あることに富士山の美しい姿を見ると何か心が洗われる様で、やっぱり富士山はいいなと思い知ることになる。
 
 
今回はクラブツーリズム社の「一人リッチ」でちょっとテーマを持った旅という企画に参加したが、参加者全員が一人参加で、グリーン車を利用し、バスは大型バスに総勢15名、宿泊は一人/室で食事も豪華な趣を凝らしたもので、普通の団体旅行と少し違い煩わしさが少なく快適だた。
 
 
ここ数年昔若い時に良く行った場所を再び訪ねてみることをしているが、今後も全部人任せで簡単に行けるこのような企画にのって色々なところに行ってみようと思う。

↑このページのトップヘ