My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

カテゴリ: 地球

6月にトカラ列島にそして5月にモーリシャスとセーシェルにダイビングに行きましたが、この2つのダイビングに共通している私にとってのキーワードは”火山” である。
 
ダイビングの楽しいところは、未知で神秘なる巨大な海の、ほんの僅かな一部分であるが、その神秘さを体で感じ見る事ができることであろう。
他にも、遠く他国などにも行き、そこの風土、季節、人々、食べ物、生活・・などに触れられる楽しみもある。
 
が、私とって別な面での楽しみが”火山”だ。
 
ダイビングで行くような外洋に浮かぶ島々は火山由来で誕生したものが多く、その島々の誕生の歴史を紐解いていくと、悠久でダイナミックで且つ、ロマン溢れる地球誕生の歴史まで遡ることが出来る。
いつもその現場に立つと、まさにダイナミックに活動中の地球の入り口に立っているような感じで背筋がヒヤっとしワクワクするのだ。
 
5月に訪れたモーリシャス&セーシェルも地球がダイナミックに活動していることを克明に残している”証拠”の一つである。
 
18千年前、地球は超大陸バンゲゲアとして結合したが、1億7千万年前に北半球のローラシア大陸と南半球のゴンドワナ大陸に二分され、さらにゴンドワナ大陸はその後1億2千万年頃アフリカ大陸と南アメリカ大陸が分離、かつインド、南極、オーストラリアが分離し移動し始めたという。

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これらの大陸の分離、移動する原動力は、大陸がまとまることでマントルの温度が高まり超巨大な火山が想像しがたいほどの巨大噴火を起こすからだという。
確かに、過去、大陸が分離する接点では超巨大火山が大噴火している。

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モーリシャスはモーリシャスの西にある現在のレユニオン島の下にあるホットスポットが900万年ほどに造った火山島で、このホットスポットは、過去、6700万年ほど前に日本の国土より広い範囲に溶岩を噴出したインドのデカン高原、モルジブ諸島などを造り、また、これらを、ユーラシア大陸まで運び、衝突させる原動力となっている。

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セーシェルは12000万年、南アフリカの超火山の噴火よりアフリカ大陸から、インド、南極、オーストラリア大陸が分離され、さらに9000万年前、マダカスカル超火山の噴火で、インド大陸からもマダカスカル島ともに分離し、その後インド大陸だけが大陸移動で、現在のインドまで移動したが、マダカスカル島やセーシェルは分離した位置に取り残された。



現在、アフリカ大陸の東側に共に並ぶモーリシャスとセーシェルであるが、その形成の違いを色濃く島の景色にも残している。
 
モーリシャスは火山島らしく、海岸は絶壁が多く、高い山岳部に深く刻まれた渓谷などがあるが、セーシェルは白いビーチに囲まれ、大陸の由来の花崗岩が丸く滑らかに海蝕され奇岩が多く見かけられる。

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さて、6月に行ったトカラ列島であるが、鹿児島県本土から南へ60kmの屋久島と約 380kmの奄美大島の間に点在する12個の島々(7つの有人島と5つの無人島)からなる列島で、最も大きな島である中之島でも、面積が約35平方キロメートル(周長30km)で人口が158人。


日本の活火山と言われる111山のうち、口之永良部島、口之島、中之島そして諏訪之瀬島4島に活火山があり、黒石島、横当島は活火山と認められていない。
トカラ列島はれきっとした火山により形成された島々だ。

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日本の火山は、先程のモーリシャスやハワイのホットスポットによる火山と違って、インドネシアやフィリッピンと同じ海洋プレートの沈み込み境界では地下深くで「揮発性成分によるマントルの部分融解」によるマグマが作り出されて地表へ供給されることによるもので、特徴として沈み込み境界線に沿って数多くの火山が造られることである。

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トカラ列島の火山島もフィリッピンプレートがユーラシアプレートに沈み込む事により形成された火山郡で、沈み込みの境界線に沿って綺麗に一列に並んでいる。

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今回トカラ列島で訪れた島々は口永良部島、口之島、中之島、臥蛇島で上陸し宿泊したのは口之島、中之島だった。

トカラ列島に属する多くの火山島は、急峻な海食崖に囲まれることが多く、直立した柱のような岩をよく見かける。

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トカラ列島海域は、潮の流れが速く、その変化も激しく、昔から七島灘(しちとうなだ)と云われた航海の難所であるが、ダイビングとしては大型の回遊魚の群れに遭遇することが出来、ワイド派には垂涎のサイトである。
しかし、流れは半端でなく、強い流れが瞬時に変わり洗濯機の中に居るような時もあり、且つ、アップカレントやダウンカレントも強く全く気が抜けなく、何よりも体力とスキルを要するダイビングである。

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更に今回はトカラ列島には属さないが、トカラ列島の北側の薩摩硫黄島(東京都の硫黄島と区別するためこの名称を使用する)に寄港し、且つ島の近辺で潜ったのだ。
 
薩摩硫黄島は正に活火山そのものだ。
島に近づくと噴煙を上げる海抜703m硫黄岳が見え、更に近づくと硫黄の臭いがツーンと鼻をつき、港は港底に火山の湧出物で真っ赤、山麓には有名な強酸性の天然温泉”東温泉”がある。
この温泉,源泉は触れないほど高温で透明であるが、浴槽に生息するシアノバクテリアにより緑色に見え、温泉水は海に流れ込むと、成分であるアルミニウムなどと海水との反応により乳白色に変色する不思議な野趣に富んだ温泉である。





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ここでのダイビングは流れは大変強いが、海中の壁には溶岩が冷却されたときに出来た大きな六角形柱(柱状節理)が林立し、所々、テラスみたいなところもあり、ここに腰掛け通り過ぎる回遊魚を眺めるという大変乙なダイビングを楽しめる。


ダイビングで体も心も興奮し疲れた身体を、噴煙を履く雄大な硫黄岳を眺め、海の波音を聞きながら、地球の偉大なる恵みの、日本名湯百選にも選ばれている名泉に、浸かりながら地球との一体感を味合う贅沢をここでは満喫できるのだ。

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さて、後白河法皇の側近であった俊寛が安元3年(1177年)平氏打倒の陰謀に加わったとして藤原成経・平康頼と共に鬼界ヶ島(薩摩国)へ島流されたという。(鹿ケ谷の陰謀)
この鬼界ヶ島がどの島を指すのかは諸説あるらしいが、「平家物語」には鬼界ヶ島のことを硫黄を産し、噴煙がなびく高い山あると記述され、また薩摩硫黄島は島の周辺の海が黄色く変色していることより”黃海島”と呼ばれることもあり、鬼界ヶ島は薩摩硫黄島のことだと言われている。
 
この薩摩硫黄島と東隣の竹島を北縁の外輪山とする直径20kmもの海底に沈む、鬼界島に因んで名付けられた巨大な「鬼界カルデラ」がある。

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この巨大カルデラは薩摩硫黄島が7300年前(縄文時代)に大噴火を起こしたあとに出来たもので、この噴火で飛び散ったアカホヤと言われる火山灰は遠く東北地方にも達し、またこの時発生した火砕流は海を渡って南九州を襲い、縄文文化を壊滅させたと言われている。

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火山の恵みなる温泉に浸かりながら、地球誕生への悠久の歴史にロマンを感じていられる間は良いのだが、火山が一度噴火すると大災害がもたらされる。
特にカルデラ噴火は「破局噴火」とも呼ばれ、局地的な文明を絶滅させる自然現象としては、彗星や小惑星の衝突と並ぶほどの災害をもたらす可能性がありうる。


過去に大爆発し、ひとたび噴火すれば世界を滅ぼす可能性のあるという超巨大火山(スーパーボルケーノ)7つあるという。

その中に日本の「鬼界カルデラ」もある。


1.イタリア・セージア渓谷
2.米国イエローストーン
3.鬼界カルデラ
4.インドネシア・トバ火山
5.ニュージーランド北島のカルデラ群
6.シャツキー海台
7.オントンジャワ海台 

(地球の記録 http://119110.seesaa.net/article/137567375.html より)
 
超巨大火山の噴火に関して、オーストラリアのモナシュ大学地球科学学部のレイ・キャス教授は次のようなことを言っていたと、にあります。


「キャス教授は「スーパー噴火が起こった場合、膨大な量の岩石と灰が放出され、二百キロ四方に有毒ガスが拡散する。死者は数十万から数百万人に達し、気候や食料生産に深刻な影響を及ぼす」と主張する。可能性がある地域として挙げられたのは、ナポリやニュージーランド、インドネシア、南米および北米。インドネシアではトバ山だという。同教授は「これを上回る脅威は小惑星の地球衝突くらいだ」とも話す。」

 
ここで火山の爆発規模をVEI(火山爆発指数)として、火山の爆発力ではなく、流れ出てた噴出物の体積でもって区分している。
VEIは噴火の規模をわかりやすく8段階に区分して表現して、リストアップされた7つの火山のほとんどは、VEI8レベルの噴火を起こしている。
このVEI8レベルの噴火は破局噴火やカルデラ噴火とも呼ばれていて、世界規模の気候変動を引き起こし、全世界を破滅に追い込むパワーを持っているという。
 
リストに掲げた火山の詳細は記載したURLから見ていただくことにし、ここでは「鬼界カルデラ」について転記しておきます。
 

薩摩硫黄島(鬼界カルデラ)
場所:日本・鹿児島県
最後の大噴火:約7300年前
噴火の規模 :雲仙普賢岳の1回の火砕流噴の数十万倍
噴火によって:到達範囲は、半径100キロにも及び、鹿児島県では、屋久島、種子島、大隅半島では鹿屋市、薩摩半島では鹿児島市くらいまでを瞬時に埋め立て、焼きつくした。

 
こんな超巨大火山は1万年に一回ほどで、めったに起こるものではないというが・・・
少なくとも今年に入って世界各地で火山の活動が活発化していると情報が発信されているが、大きな災害に発展しないことを祈るばかりだ。
 
 
今年に入って新聞で報告された世界の火山の活動
 
2018/1/22
フィリッピン マヨン山が噴火 大規模の恐れも
 
2018/1/23
草津白根山噴火
 
2018/2/12
神戸大学海洋底探査センター、鬼界カルデラ地下 マグマだまり成長か
 
2018/2/19
スマトラ島でシナブン山噴火 インドネシア、噴煙5000メートル

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2018/5/11
霧島連山 新燃岳・硫黄山、相次ぎ噴火 数十年単位で警戒必要

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2018/5/31 
ハワイ・キラウエア火山 粘り気低く、流れる溶岩
マグマ減ると爆発的噴火も

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2018/6/3 

グアテマラのフエゴ火山噴火で犠牲者が99人に達した


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2018/7/5
インドネシア バリ島アグン山が再び大爆発 先月28日以来 活発化
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2018/7/5
インドネシア火山島アナック・クラカタウが爆発!20分毎に溶岩噴出

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この中でやはり鬼界カルデラに関する最近の神戸大学の調査報告では
海底からの高さが600メートルにもなる巨大な「溶岩ドーム」が、カルデラの内側で確認された。この溶岩ドームは、現在も熱水を噴き出して活動を続けている可能性があるという。
鬼界カルデラの縁で現在も噴煙を上げている薩摩硫黄島・硫黄岳などの溶岩と似ており、7300年前の大噴火による溶岩の成分とは異なっており、この溶岩ドームは、カルデラができた後に、新しいマグマの活動によってつくられたと推定できるという。

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新しいエネルギーが急激に膨張している様に思えるのだが、今後の詳細な調査をそしてなんとか沈静化してもらいたいものだ。
 
更に、リストにある、過去地球規模の巨大噴火を起こしたというインドネシア火山島アナック・クラカタウが今年の7月に噴火しているのだ。
 
ダイビング主体の話が火山の話となってしまったが、火山の歴史を紐解くことは地球の悠久たる生い立ちを想うことで大変ロマンを感じることであるが、どうか今後、火山の邪悪で荒々しい姿を見せることなく、ゆったりとロマンを末永く感じさせて頂きたいものだ。

 
先日(92日)タイミングを図っていた国立科学博物館で開催中の「海のハンター展」をやっと見に行ってきました。
夏休み中は子供連れが多く混雑していると聞き躊躇していたが、新学期が始まったことと、甥の第二子誕生祝いを兼ねてやっと行くことが出来たのだ。
 
上野の駅前のホテルに宿泊し、9時の開門と同時に入り、約4時間じっくり閲覧できたが、時間とともにかなり混みあってきて人気の程が窺われ、開門と同時に入門は正解であった。
 
この大人気の「海のハンター展」の内容は後述するとして、
私の普段の夏休みは、どこに行くにも高い、混んでいるなどを敬遠して家で読書などしてゆったり(ダラダラ)と過ごすことが多いのだが今年は盛り沢山の計画が続きチョット趣が違った。
 
まず初っ端は、夏の出しなの6月中旬の梅雨明けを狙った沖縄・粟国島でのギンガメアジの群れを追いかけるダイビングだった。
天候は少し悪かったが、久しぶりの粟国島で、ギンガメアジの巨大な群れに驚愕させられ、(ホームページブログ参照)

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            沖縄・粟国島のギンガメアジの群れ、群れ
 
7月初めからはオーストラリア GBRでミンククジラとサウスウエストロックでのシロワニを見るダイビングに行き、GBRで愛らしいミンククジラで癒され、真冬の極低温下の厳しい海況であったが獰猛な顔付きのこれぞサメと言われるシロワニの群れに出会いに感動させられた。(ホームページブログ参照)

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オーストラリア・GBRでのミンククジラ 右はサウスウエストロックのシロワニ(インターネットより)
 
そして8月に入り11日の山の日を祝して久しぶりの山歩きを堪能した。
 
裏磐梯の五色沼巡りから山寺立石寺、出羽三山・湯殿山、羽黒山、月山そして鳥海山と三泊四日で巡ったが、なんといっても日本の霊場と言われる山形市の立石寺の厳しい1070段の階段を登り切った後の五大堂から見る素晴らしい景観と羽黒山のミシュラン・グリーンガイド・ジャポン三つ星にも認定されたという、老杉が鬱蒼と覆いしげる2044段の登山道をただ黙々と登り、薄暗い木立に囲まれ全く外界と遮断されたような静けさに気分が和らげられた。

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   山形県・立石寺の厳しい1070段の階段を登って見える素晴らしい景観

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羽黒山の東北最古の五重塔(国宝) 右三神合祭殿への鬱蒼とした木々囲まれた参道

そして又8月中旬、沖縄・慶良間、万座でダイビングと全島エイサー祭りに参加。

初めて見たエイサーは太鼓の音や踊りの勇壮さに心打たれ、胸打たれる高揚感と感激を味わった。


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      沖縄・慶良間諸島の美しい景色 と勇壮な踊りの全島エイサー祭り

そして夏休み最後の計画が今回の「海のハンター展」である。

振り返るとハードな山歩き、真冬のオーストラリアでのダイビングと厳しい内容もあったが、沖縄にも2度のダイビングと全島エイサーに感動しかつ沖縄料理を堪能するというような例年と違って充実した夏休みであった。
 

さて、話を戻すと、今回の国立科学博物館の特別展示「海のハンター展」は海のハンターにスポットを当て、その化石や標本を展示して生物の進化を辿ろうとするものである。
 
地球の面積の70%以上を占める広大な海に棲む生物達は絶えず食うか・食われるか”を繰り広げており、食う捕食者・プレデター(ハンター)にとって、効率的に「狩り」を行う手段は、生態系の中で生き抜くために大変重要なものである。
 
この展示では、海のハンター達が生きるための「捕食」について自らを如何に進化させてきたかを紹介している。

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         「海のハンター」展のでのハンターたち (公式HPより)

およそ52000万年前頃、生物は「眼」を持つことになり「カンブリア大爆発」という生物の大発生が起きた。
「眼」があることによりお互いをより発見しやすくなり、このことは食うか食われるかの「生存競争」がより激しくなることになり、生き残りをかけた急激な進化がおき、形のバリエーションが爆発的に増えた。

この時代には獲物を襲ったり、天敵から素早く逃げたりするために、筋肉や力をかける骨格(殻)が役立つと、固い殻を持った生物が爆発的に増えた時代でもあったという。
 
そして4億年ほど前脊椎動物の中でも最も重要な出来事は上下に開閉出来る「顎」の獲得であり、今まで単なる孔であった口で水と一緒に吸うようにして小さな餌しか食べれなかった海のハンター達は「顎」という強力な武器を得ることにより、より大きな獲物を効率よく捕らえることが出来るようになり、より急速に進化することになった。
 
更に、餌を捕らえ消化を助けるための歯の進化は、より機敏にそして力強く動けるようになるための大型化への進化を促進する事になった。
 
 
本展ではこのような生物の進化に沿って、浅海、深海、外洋そして極域におけるハンターについて化石や標本を展示して説明しているが、私にとっての関心は「海のハンター」といえば究極のプレデターである「サメ」であるため、ここからは「サメ」たちがどんな進化を辿り現在に至ったのか展示物を見ながら追って行く。
 
 
さて、「海のハンター展」の入り口を入るとまず大きくいかつい頭部だけの太古のプレデターと言われ「ダンクルオステウス」が迎えてくれる。

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               ダンクルオステウスの頭部の復元標本

ダンクルオステウスは頭部が固い板のようななもので覆われた板皮魚類で大きな顎を持ち体長が10mにも達したと思われる4億年ほど前のデポン紀繁栄した古生代最大のプレデターである。
 
ダンクルオステウスはサメ類と言われるが、35000年前の石炭紀に入ると絶滅してしまったが、同じ時代に生存したサメの祖先とされクラドセラケは最も古くて原始的なサメで彼らはすでにサメの基本形態をなしており、三角形の、軟骨で支えられた硬いヒレと、鋭く先の尖った歯を持っていた。
顎は今のサメと違って正面に突き出て体長は1.2mぐらいだった。

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          クラドセラケの想像図(インターネットより)

更に通路を進むと大きな部屋いっぱいに天井から吊り下げられた巨大な三体の標本が目に入る。
その巨大さにただ吃驚するばかりで写真を撮ろうとしても全体がとらえきれない。

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左から、ショニサウルス頭、タラソメドン全⾝⾻格そしてカルカロドン・メガロドンの復元模型だ。
 
ショニサウルスは魚竜類25000万年ほど前からの三畳紀に栄えた吻部が長くヒゲクジラのようにヒゲを持っていたと思われ推定全長21mにもなった最大級の魚竜。
タラソメドンは1億年ほど前の白亜紀後期の首長竜類で全長10m以上で比較的小さな獲物を丸呑みにしていたと考えられる。
 
さて、今回の展覧会の古代時代の主役、史上最大で最強のサメ「メガロドン」だ。
和名をムカシオオホホジロザメと言いホホジロザメの直系の祖先であったと考えられその姿は、実際ホホジロザメにきわめて近かったものと思わる。
 
新生代古第三紀・漸新世後期(約2800万年前)から新第三紀鮮新世紀(約260万年前)かけ、熱帯から温帯の浅海や沖合表層などにいた巨大サメである。
推定全長は15~17mだが、時として20mにも達したと考えられており、大きな口に鋭い合計58本の歯を持ち、中~大型の魚類やヒゲクジラ類を捕食していたと考えられている。
 
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メガロドンの巨大な復元模型 長さ20mにもなった

2800万年前にメガロドンは絶滅したが、その理由は、鮮新世の中期に起こった、海水温度の低下とメガロドンが捕食していたクジラの仲間がすくなくなったためと考えられている。
 
海温が低下して捕食する餌が少なくなると絶滅してしまったということは、大きくなればなるほど強いハンターとなり、永く子孫を残せるとは限らず、永く子孫を残すためには、環境の変化に機敏に対応できるサイズや機能があるのであろうと思い知らされた。
 
 
さて、更に奥に進むと広大なサメコーナーだ。
勿論ここで入館者の眼を惹きつけるのは現世の最強のハンター、ホホジロサメだ。
 

恐竜の絶滅した時代、つまり6500万年前からすでにホホジロザメの仲間はすでに存在していて、その仲間から派生したものが、前述したメガロドンだ。

サメは4億年間という、とほうもない年月を海のハンターとして生きのびてきたのはそれだけハンターとしての優れた機能を維持、進化させたからであろう。

その完成された流線型の体、カミソリのような鋭い歯が並ぶ強力な顎は4億年経った現代も変わることない。
 
 

そのハンターの中でも王者と君臨するのがホホジロザメだ。

ホホジロザメは最強の肉食性魚類で亜熱帯から亜寒帯まで世界中の海に広く分布し、全長6m、体重3000kgにもなるという。


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            ホホジロザメ 日本初めての全身液浸標本 全長3.2m

なによりの武器は噛む力で1.8トンにもなる(人間は50kgぐらい)と言われ、鋭い歯で獲物を切り裂き噛み砕いて食べる。
獲物を捕らえるための武器も発達させている。
視覚情報を得る眼、嗅覚の鼻以外に水圧の変化を感じる側線、微弱な電磁気を感じるロレンチーニ器官を持ち遠い獲物を感知する事ができる。
 
そして、海のハンターであるサメの繁殖もユニークだ。
卵生、卵胎生、胎生と、なんでもありだ。
 
卵生のサメはネコザメやナヌカザメなどがいるが、卵は他の魚のような球形ではなくスクリューのような形で特殊だ。
産卵から孵化するまで1年もかかるため流されないようしっかり岩の隙間などに固着出来るようにするためだ。
 
ホホジロザメは卵胎生(胎盤で子供を育てるわけではなく、卵を腹のなかで育てる)で、仲間にシロワニ、アオザメ、ウバマザメなどが居る。
 
卵胎生のサメは卵が孵化してから出産まで1年近く母サメの体内にいるが、その間の養分は卵を食べて育つという。
 
ホホジロザメは孵化後、母親が無精卵を生み続け、それを親の体内で食べて(卵食)育つが、シロワニは一番先に親の体内で孵化した子が他の卵を食べて(共食い)成長するという。

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        ホホジロザメの卵胎生のイメージと特徴(日経新聞より)

いずれにしても、出産するときは既に体長が1m近くあり、既に立派なハンターだ。
子を生む数が少ないサメが生き残る術であるが、逆に4億年も間大きく変化せず現在に至っている理由なのかもしれない。
 
又、胎生という、人間も含めた哺乳類のように母親の胎内で胎児が「ヘソの緒」を通じて母親から養分を受け取りある程度成長してから出産するという胎生を行うサメもいる。
 
イタチザメ、オオメジロザメなどメジロザメ目の多くはこの胎生でホホジロザメなどのネズミザメ目の仲間より多い、多くて80尾もの子を生むという。
個々に「ヘソの緒」を持ち・・・・一体お腹の中はどうなっているのだろうか??
 
やはりサメという生物は生態がよくわからず不思議がまだまだ一杯だ。
 
 
この展示会の目玉は、日本初公開と言われる、全長3.2mの雄のホホジロザメ成魚の全身液浸標本であろう。
2014年に沖縄で延縄にかかって死んでいた個体を標本にしたものだという。
間近で本物の巨体をじっくり四方から観察出来ことは我々観覧者はもとより、サメ類の形態比較や生態を研究する人たちにの研究発展に大きく寄与すると期待されているとのこと。
 
やはり3.2mの実体標本は吃驚するほど巨大だ。
身体の一部には他の生物と争った跡もあり本当に生々しく、いまでも襲いかかってくるような気がして身震いするほどだ。
 
このサメのコーナーには他に、顎が飛び出すミツクリザメ、アイザメ、古代のサメを思わせる大口のラブカ、危険なサメの分類に入るイタチザメ、ヨシキリザメ、獰猛な顔つきのシロワニ、群れを作って他のサメを襲うことや共食いもするというダイバーに大人気のシュモクザメ(ハンマーヘッド)等などが紹介されている。

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   大きなサメたちの標本がが天井から吊り下げられている 身近で見ると圧巻である 

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            ミツクリザメ 獲物を捕る時口が前に飛び出す

サメ以外にも色々な海のハンターが紹介されているが字数制限もあり紹介できないのが残念だ。
 
いずれにしても、約4時間じっくりと色々なサメたちに会えて、夏休み最後の行事として、充実した時を過ごすことが出来た事は大変嬉しい。


日並びの良かった今年の大型連休もあっという間に終わってしまった。


リタイヤした私にとっては大型連休はただただじっと家で耐えるのみだ。


高速道路の渋滞が何十キロ、かつ旅行料金などは割高ななるなど聞くと家でじっとしているのが一番だと決め込み、読書と新聞やネットでの経済などへの深読みで時間を過ごした。

 


連休後には伊勢志摩サミット、オバマ大統領広島訪問、南シナ海仲裁裁判所裁定結果、英国EU離脱国民投票結果、パナマ文書の影響、米国大統領選挙の行方そして日銀の追加金融見送り以降の円高株安など、どれ一つとっても我々の生活に大きく影響を与えると思える事象が目白押しだ。



しかし、これらの複雑な問題は別な機会とし、今回は、先日(17日)大阪市自然史博物館の特別展「生命大躍進」を見てきましたのでその内容を書きます。


 


同展は昨年7月に東京展を皮切りに名古屋、四国と開催され、関西では大阪市自然史博物館で416日から619日まで開催され、その後岡山に移り9月まで開催されるものである。



40億年の進化を語る、太古の生物がやってくる。 日本初公開!!アノマロカリス実物化石」 というのがこの特別展のキャッチフレーズで地球歴史好きとしてはたまらなく魅力的で即にも行きたいのだが、開催間近やゴールデンウィーク中は混むであろうと、敢えて5月中旬まで待ったのだがこれが全くの正解であった。



連休中は70分もの入場待ちがあったと聞くが私が行った時は全くのガラガラで誰にも邪魔されずゆっくりと見ることが出来た。



宇宙誕生138億年前、地球は46億年前と言われるが、地球に生物が誕生したのは以外と早い時期だ。


 


グリーランドの37億年前の地層から生命の痕跡(生物由来とされる炭素)が発見されたことにより、37億年前の海には既にバクテリアのような生物(1mmの1/100の小さい)が存在していた事が明らかにされている。


 


爾来、地球上の生命はおよそ40億年という進化の過程で繁栄と絶滅を繰り返して、現在の姿を獲得して来た。


 


生物の進化の中でも”生物の大躍進”とも言うべき、例えば「目の獲得」「顎の獲得」「海からの上陸」「胎盤の獲得」などの生命進化のエポック的歴史が化石によって裏付けられている。


 


今回の展覧会は世界各地の研究機関の協力により、生命進化の各時代を代表する極めて重要な実物化石54100万年前(カンブリア紀)の“バージェス頁岩動物群”の実物化石や、4700万年前(始新世)の“奇跡”の霊長類化石「イーダ」など、をに一堂に会するとともに、これらの貴重な化石にDNAに関する最新の研究成果を織り交ぜ、精巧な復元模型や4K映像を活用しながら、脊椎動物が歩んできた壮大な進化のみちのりを説明しようとするものだ。


 


青々した緑に囲まれた博物館の玄関を入り2階に進むと「生物大進化」展のすぐ入り口だが、私以外客は居らず受付はちょっと手持ち無沙汰な様子だった。
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                        緑に囲まれた静かな大阪市立自然史博物館入口

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                         博物館のカタログ
 

1300円の入場料金と音声ガイドレンタル料520円を払って入り口を入るとすぐ目に付くのが「エディアカラ動物群」と待望の門外不出、日本初公開の「バージェス頁岩動物群」の化石だ。



65000万年前、地球の表面は厚さ1キロメートルもの氷に覆われる「全球凍結」が1000万年も続く極寒の時代を生物は氷の中で冬眠したり、火山の周辺でひっそり生きていた。



火山活動などで凍結が終わると温暖化や酸素の増加により生物は急激な進化を遂げた。


オーストラリア南部、フリンダーズ山脈の北部にあるエディアカラ丘陵に58000万年~55000万年前という先カンブリア時代の地層が堆積しており、そこに大型の生物化石が多数発見された。


これらの生物は「エディアカラ動物群」と呼ばれるのだが、今までと全く違った姿をしており、種類も多かった。


しかし大きな特徴として、豊富な酸素を利用して、今までの単細胞生物は細胞と細胞を結合する働きをもつコラーゲンというタンパク質を生成するようになり、多細胞化し大型化したという。


しかし、「エディアカラ動物群」は急激な温度変化に対応できなかったのか僅か3000万年ほどで終わってしまった。



この後に52000万年前、カンブリア紀にコラーゲンを得て多細胞、大型化した生物が爆発的に増え、現在知られている動物門が全て地球上に姿を現したのだ。


それも地球生物史から見てほんの一瞬の2000万年ぐらで一挙に誕生したという。


 


この生物史の大事件を「カンブリア大爆発」といい、これらの生物の化石がカナディアン・ロッキーの高地バージェス山付近のバージェス頁岩塁層から大量に発見された。


 


これらの動物を化石が発見された場所の名にちなんで「バージェス頁岩動物群」というが、本当に今までの常識から外れ、衝撃的な奇妙奇天烈な形をしている。
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カンブリア大爆発で出現した奇妙な形の生物
中央の大きな生物がアノマロカリス


今回の展覧会の私の主目的はこの時代の奇天烈な姿の動物をじっくり見ることであった。



なぜ、こうも短期間に様々なグループの生物が同時期に出現したのだろうか?



それはこの時代に初めて生物は「眼」を持ったからだという説が有力だという。



眼を持つことは他の生物を発見しやすくなり、このことは食うか食われるかの「生存競争」がより激しくなることを意味する。


そのため、生き残りをかけた急激な進化がおき、形の変化や機敏な動作のための筋肉や力をかける骨格(殻)などをつけるようになった生物が爆発的に増えたのだという。


 


私の今回の目的はまさにこの「奇妙奇天烈動物群」の中でもひときわ目立つアノマロカリスを見ることだ。
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上:展示されていたアノマロカリスの模型
中:想像図 丸い口が下向きにある
下:発見された一体の化石


この”奇妙な海老”という名を持つ生物はバラバラの化石がまず発見されたのでひとつの動物とは考えられておらず、触手は海老の腹部、口はクラゲの仲間、胴体はなまことして判断され別々の名を持っていた。



その後全体の化石が発見され、さらに1994年には中国で体長2mにもなるものが発見されその巨大さと異様な姿に古代生物ファンを驚かせ、狂喜乱舞させた生物なのだ。

 


カンブリア時代の生物は小さなものが多く、このアノマロカリスはこの時代の最大でかつ食物連鎖の頂点に立つ生物であった。



頭部についた大きな複眼、トゲがついた2本の触手、11対以上の胴体についたヒレ、本体の末端にある3対の尾などが特徴だ。


口はパイナップルを輪切りにしたような形で下向きについている。


 
何度見ても吃驚させられる。


 

このカンブリア紀にはまだまだおもしろい?形をした生物が多く現れている。


 


5個の眼と、長く伸びた口吻を持つオパピア。


頭には2対の棘があり、大きな棘は体幅の2倍くらいまで広がり、後部の棘は体の後端まで伸びているマルレラ。


人類の祖先だと言われる脊椎に似た頭索をもつうなぎのようなピカイア。


・・


上げていったらきりがない、本当に生物が爆発的に誕生し、大繁栄したのだが残念なことにカンブリア型動物群は44300万年前のオルビドス紀末の大絶滅、37000万年前のデポン紀後期の大絶滅などを経て絶滅してしまった。


 


カンブリア紀以降のオルドビス紀に入っても生物の激変は続き、生物の種を激増させるだけでなく大型化して、デポン紀には動物は陸上へ進出し、その後期に最初の両生類が出現し、脊椎動物が陸上進出を果たした。


魚類は「顎」を獲得し、いままで口で吸い込む効率の悪い栄養補給であったが、顎を獲得したため栄養補給が飛躍的に効率が上昇し大型化していった。



サメやエイなども含め全ての魚類がで揃った次期でもあった。


 


この時代の代表的なものはなんといってもダンクルオステウスである。


古代の海に君臨したダンクルオステウスは頭部が硬い板皮(兜のような)でおおわれており、強烈な顎を持ち個体の最大なものは10mにもなったという。 


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ダンクルオステウスの模型 体長10mにもなった
中央に頭部の化石がある


さらにウミサソリの仲間でプテリゴトゥスは体長2.5mにもなる大型種で強力なハサミで獲物を捉えていた肉食種。

 

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                    ウミサソリの模型


もともとサメの仲間は多様性があり面白い姿のものが多いが、この時期に出現したヘリコプリオンはぐるぐる巻きになった歯を持っている。


どのようにして使うのか、どのようなメリットがあるのかよくわからない。

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上:ヘリコプリオンの想像図
下:下側の渦巻く歯


25200万年前、古世代に終止符を打つ地球史上最大のペルム紀末の大量絶滅の後、哺乳類の祖先グループである原始的な単弓類が大いに繁栄していた。



三畳紀後期に出現した恐竜が地上を支配するようになると、ほぼ同時に出現した真の哺乳類は、その陰に隠れるような目立たない存在となっていた。


 


しかし、中国で発見された私達の祖先ジュラマイア(トガリネズミのような小さな生き物)に生物進化の大躍進の一つである生物の繁殖を激変させる進化が起こっていた。

 

中国で発見された完全に近い化石によると、ジュラマイアは子供をお腹の中で育てる臓器胎盤を持つ動物であることがわかた。

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              ジュラマイアの想像図と化石


現在、この世に存在する胎盤をもつ動物はすべてこのジュラマイアの子孫だという。


 


小さなネズミみたいな動物が我々の遠い遠い先祖だというから吃驚だ。


 


胎盤を持ち母親の胎内で子を育てることが出来るようになることは小さな動物には生き残るために重要な意味を持つことであった。

 


住む場所の選択肢が増え、ある程度大きくなってから生まれるため子供の生存率が飛躍的に高まるなど小生物にとって画期的なことであったのだ。



そんな画期的な進化の切掛を作ったのがさまざまな病気を引き起こすレトロウィルスであるというからさらに驚きだ。


 
私達の祖先ジュラマイアの体内に入ったレトロウィルスのDNAは、自らのDNAを祖先のDNAの一部に組み込み込んだのだ。


これこそが後に胎盤を生み出すことになるPEG10遺伝子なのである。


これ以降、脈々と続く子孫にPEG10遺伝子が受け継がれるようになったという。


 


更に、展示物のもう一つの大きな目玉でもある「イーダ」と呼ばれる化石は、4700万年前に現在のドイツに生息していた霊長類で、学名はダーウィニウス・マシラエという、現生のキツネザルなどに似たアダピス類に含まれ、私たち人間の直接の祖先ではないが、この「イーダ」の化石が非常に状態が良く、実に美しいので評判が高いのだ。


 尻尾から頭、指の先まで、全身の95パーセントが残っており、よくこんなにきれいに残っていたものだと関心する、ただし、残念なのは東京展だけが本物の化石で、後はレプリカだという。
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                  「イーダ」の完全な化石

今回の展覧会のテーマが”生物の大躍進”であるが、この大躍進に地球上の大変化による生物の絶滅そして繁栄の繰り返しが大きく作用しているが、生物側から見ると「目の獲得」「顎の獲得」「海からの上陸」「胎盤の獲得」などのエポックが生命進化に大きく寄与していることが分かった。


 


化石を通じて生物の進化の展覧会のためかイラスト、模型そして4Kの明細な動画などを多用して理解を深められような工夫されており、又空いていたこともあり、4時間ばかりじっくりと眺めさせてもらい貴重な時間を過ごすことが出来た。


 



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先日、奥能登半島周遊のツアーに参加しました。

先月のフィリピンの30号台風被害によりマラパスクアでのダイビングの中止を余儀なくされ、急に空いた時間をもてあまし気味であった時、旅行会社のパンフレットに「奥能登ぐるり周遊2泊三日」の広告を見つけ即申し込んでしまったのだ。

だが、このツアーの参加へは私なりの別の目的もありました。

まず、冬の北陸の海の幸をたらふく食す。
そして、能登半島は、日本列島が誕生したときユーラシア大陸から引き裂かれた最古地殻が残されている数少ない場所であることより、僅かでもその片鱗が窺える地形などがあれば見てみたいと思ったのだ。


ダイビングを始めて、海の中の生物や南の国々の美しい自然や歴史、特に先の大戦での日本軍のかかわりなど興味の対象が大きく増えてきた。

特に今、我々レジャーダイバーが潜れる深度は高々40mそこそこであが、更に深い深海に関して興味津々だ。
先日NHKが幻のダイオウイカの驚くほどな鮮明な写真を撮ることに成功し、興味の火を付けた感があるが、深海は今だ未知の世界でピンポイントでしかわかっていない。

更にその深海の海底の下では地球誕生以来悠久の時間をかけゆっくりと海洋プレートが移動して地表の地殻を生み、育て、変化させ続けていることは興味がそそられる。

と言うことで、今私は「深海」と「地球の誕生」というキーワードに敏感になっているのだ。


3億年ほど前は地球の大陸は大きく一つにまとまっていたが、海洋プレートの移動などにより、長い時間をかけ現在のような5大陸の形になったといわれる。

その中で、日本列島の誕生も中々ドラマティックだ。

日本列島はユーラシアプレートの東端および北アメリカプレートの南西端に位置し、これら2つの大陸プレートの下に太平洋プレートとフィリピン海プレートの2つの海洋プレートが沈み込む運動などにより、大陸から切り離され、4つのプレートが相互に影響しあって複雑な構造の弧状列島になったと考えられている。


5億年ほど前の古生代にユーラシア大陸の東端に大陸から運ばれた堆積物と海洋プレート上に堆積した堆積物が移動してきて衝突し、大陸のプレートに押し付けられて加わった(付加)のが日本列島のもっとも始原的な骨格である。

その後、中新世になると、日本海付近の火山活動が活発化し,日本海を大きく開く原動力になり、日本列島が大陸から引き裂かれる地殻変動が発生し、そして、およそ1500万年前には日本海となる大きな窪みが形成され、海が侵入してきて、現在の日本海の大きさまで拡大した。

日本列島が東に移動するつれて、地底の堆積物を付加体にして雪だるま式に大きくなり、火山活動や氷河期の隆起、沈降を経て小さな弧状列島がいくつかの大きな島々にまとまっていき、さらに小笠原諸島の隆起が始まり、日本列島全体が「底上げ」されて遂に現在の形になった。

と言うことで要は、日本列島はユーラシア大陸の一部が分離した地殻を骨格としているが、それに海底プレートの移動による海底の堆積物が付加され、火山活動の堆積物、更には海底の隆起などの複合的な要素により現在の日本列島が形成されているのだ。

火山や、海洋堆積物に覆われている日本列島だが、ユーラシア大陸の古い地層が隠岐、能登半島、飛騨山地に露出している。

特に能登半島中央部の西海岸の志賀町で16億年前に形成された日本最古の岩石である鹿頭片麻岩(西大福寺~鹿頭の海岸に分布)が発見されている。


能登半島は地質学に興味がある人には大変面白い所なのであろう。

ユーラシア大陸の古い基盤に火山活動による火山岩類および堆積岩類の堆積、更に地盤沈降による浅海性の堆積岩類や比較的新しい熱帯性の化石を産出する石灰質砂岩の堆積などが入り乱れた地質のため、特に、海岸線では波や風の浸食による奇景、奇形が多く(「厳門(がんもん)」「ヤセの断崖」「義経の舟隠し」・・)、自動車が走れるほど硬い砂浜(「千里浜なぎさドライブウェイ」)や歩くと鳴るほど軟い砂浜(「琴ヶ浜」)などが混在しており、又全体が海水性珪藻土からなる大きな見附島(軍艦島)など枚挙にいとまがない。

今回の観光ツアーで色々な奇景な景勝地には案内して貰ったが、太古の地層が露出している様な場所などを見に行くことはなく、もともと無理な話なのだが、ツアー最後の日、石川県道36号を南下しているときに左手に大きな敷地を持つ北陸電力志賀原子力発電所を見ることが出来た。

これこそが能登半島が古い強固な地殻で構成されている証拠なのであろう。
特に原子力発電所がある志賀町は能登半島の中でも殆ど海中に没することが無かったため、海洋性の堆積物もなく強固な地盤が保たれているところであるのであろう。


ひょんなことから参加したツアーが地質学の俄か勉強の機会を与えてくれ、その上、海の幸をたらふく食べさせて貰うというなんとも有難いツアーとなった。

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フィリピン・レイテ島:我々年寄りにはしっかりと記憶されている島の名だ。

太平洋戦争の末期、この島の名がついた大規模な戦いが旧日本軍と連合軍とで行われている。


日本海軍の艦隊戦力は事実上壊滅したレイテ沖海戦と、約2ヶ月に及ぶレイテ島の戦いでは日本軍は8万人にも及ぶ大半の将兵が戦死する悲惨な戦闘が行われている。

又、米国側の総指揮官は、かつて「私は戻ってくる。(I shall return)」という台詞を残してフィリピン・コレヒドール島脱出したダグラス・マッカーサー大将であり、2年7ヵ月ぶりにレイテ島・タクロバン海岸に上陸を果たしている。


日本や米国にとってこのレイテ島は激しい戦場の地として深く心に刻まれた名であったが、11月8日にフィリピン・レイテ島に上陸した台風30号によって全世界の人に災害の恐ろしさと悲惨さを知らしめる名となってしまった。


11月8日フィリピン・中部を襲った台風30号(ハイエン)は本当に凄まじい。
日ごとにその被害の甚大さとともに台風の脅威が明らかになってきている。

「上陸した台風の中では、史上最強クラス」で、上陸した際の最大風速を秒速87.5m、最大瞬間風速を同105mと算定したと米軍合同台風警報センターが報告している。

秒速105mと言うのはとても想像できないが、米国の竜巻の強さを表すときに良く使われているEFスケール(改良藤田スケール)によると

最強クラスの「風速90以上の被害とは?」
あり得ないほどの激甚な被害。
強固な建造物も基礎からさらわれてぺしゃんこになり、自動車サイズの物体がミサイルのように上空を100メートル以上飛んでいき、鉄筋コンクリート製の建造物にもひどい損害が生じ、高層建築物も構造が大きく変形するなど、信じられないような現象が発生する。

とある。
常識では考えられない規模だが、実際にこれが発生したのだから被害も甚大だ。

11日の日経新聞電子版で
「フィリピン中部のレイテ島などが猛烈な台風30号に襲われ、死者・行方不明者が1万人に達する恐れがある。
強い竜巻並みの暴風雨に加え、津波のような高潮の発生で被害がさらに広がった。」

「甚大な被害をもたらした理由の一つは強い竜巻並みの暴風雨だ。
レイテ島の警察当局は、台風30号が通過した地域では全体の70~80%の建物が破壊されたとの見方を示す。
第2の理由は高潮の発生だ。台風30号は中心気圧が895ヘクトパスカルと非常に低かった。中心気圧が低いほど海面が持ち上げられて高潮になりやすく、さらに強風が陸に向かって吹き寄せると、大きな高潮が発生する。」

と報告している。


東日本大震災による死者と行方不明者の数は、警察庁の最新のまとめでは1万8534人だという。
刻々と届く被害状況が、いかに大きく悲惨なものか、街の家並みが消え、一面の瓦礫と巨大な船舶打ち上げられている光景はついこの間、我々が目にした光景だ。

だからこそフィリピンの災害の甚大さや、辛うじて難を逃れた人の命にも危機が迫り、今何が必要でどうすればいいのかは我々には体で実感できる。

一日も速く国を挙げての支援の活動を起こそう。


それにしても、何故こうも異常気象が続くのだろうか?


30もの台風の発生は19年ぶりで、威力歴代4位という。

気象庁によると、今年は台風の発生しやすい北緯20度以南の海で、海面水温が平年よりも高かったことなどから数が多くなっているという。

10月の台風6個、観測史上最多に 雨も平年の2倍とのこと。

世界各国でも、大洪水、異常旱魃、寒波など異常気象が多発している。


温暖化の影響であることは確実だ。

地球の気温は確実に上昇しており、気象観測の記録によると、この10年間は最も暖かかった。1万1300年前の最終氷河期までさかのぼっても、この100年のように平均気温が急激に上昇した時期はないという研究結果も今月発表されている。
主な要因は、二酸化炭素、メタンといった温室効果ガスの排出量の増加であるというのが科学者たちの一致した見解だという。


おりしも、ワルシャワで開催されているCOP19でフィリピン政府代表団が11日演説し、「祖国を襲った極端な異常気象は狂気だ。私たちでなければ、誰がいつ地球温暖化を食い止めるのか」と、涙ながらに交渉進展を訴えたという。


温暖化に懐疑論を唱えて有名人になり多数の著書を書いて金持ちになった(私も数冊購入させて頂きました)中部大学の武田邦彦教授、今こそ、この異常気象は我々人類が作り出した温暖化によるものでなく、お説の地球の気象変動の一環であることを力説していただき、異常気象で多くの方々が亡くなったのは我々の責任ではないと云ってください。

贖罪の念にかられている多くの人が安心すると思いますが・・・。


11月20日からのフィリピン・マラパスクア島でのダイビングを中止しました。
頃合をみて又計画するつもりです。

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