My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

カテゴリ: 美術

2019年度の後半、特に9月から2月はダイビングの計画が密に入り慌ただしかったが、2月の後半から3月一杯はダイビング計画は一休みだ。

昨年後半から

9月 ・静岡県・神子元ハンマーヘッドダイビング

       ・ガラパゴス諸島ダイビング

10月  ・東京都八丈島ダイビング

    ・鹿児島県トカラ列島ダイビング

11月  ・アイスランドダイビング&観光

12月  ・メキシコラパスカジキスイム

     ・ハワイフルマラソン&観光

 1月 ・メキシコソコロ諸島クルーズダイビング

   ・タイシミラン諸島クルーズダイビング

  2月 ・メキシコセノーテ&コスメル島ダイビング

  3月  休憩中です
まあよく行きました。

この中でもやはりダイビング的にはガラパゴスが抜群だったし、観光的にはアイスランドが素敵でかつ地球の割れ目”ギャオ”の水温3度のダイビングが印象的でした。

又、人生初のマラソンでホノルルフルマラソンに参加して7時間19分で完走したのも苦しかったですが今ではいい思い出になっている。

 

4月からダイビングや観光の計画が目白押しだが、

このチョットした暇な時間に溜まりに溜まったダイビングの写真整理や好きな美術館巡りに小旅行とやらねばならぬこと、やりたいことが色々頭の中をくるくる巡っているが、先日、まず手始めに美術館巡りの第一弾として地元神戸開催の「ゴッホ展」に行って来ました。

 

ついでにと、やらねばならない事で確定申告書提出とマイナンバーカードの「電子証明書」の更新にまず税務署と区役所に行きましたが、確定申告は毎年のことで簡単に終わりましたが、「電子証明書」の更新手続きに一時間ほどかかってしまった。

 

そもそも、マイナンバーカードや「電子証明書」は更新が必要である事も知らなかったが、よく調べるとマイナンバーカードは10年毎、「電子証明書」は5年毎にする必要があり、マイナンバーの方はスマホやPCで申請できるが、電子証明書は区役所等に行かなくてはならないとの事。

マイナンバー本体の更新はスマホででき、なぜ付帯の電子証明書が窓口でしかできないかしつこく聞いたが「すみません。・・・・・・・」とぼそぼそと説明してくれたがよく理解できなかった。

 

後で、友人に教えてもらったのだが、電子証明書は本人を特定する重要な証明書であり、これが盗まれて悪用されると他人によるなりすましが可能になってしまうため、更新作業はデーターが蓄積されているサーバーに直接リンクしている固定申請場所(役所など)で行う必要があるのだという。

 

まあ分からないいわけではないが、今回の更新の対象者は2016年にマイナンバーを取得した人で約985万人が対象だが、来年は2017年に取得した人約350万人が対象となりかなり役所の手間も軽減されそうだが、今、国は国民全員がマイナンバーを取得すべきと色々働きかけているようだが、そういう時が来た時の役所の処理能力は?大丈夫なのかな?

少なくとも私達第一年次登録者グループは次回更新時は2020年登録者が上乗せされるので更に混雑が予想され、役所で2時間待ちなんかあり得るのでは??

ただ、10年目の更新はマイナンバーカード自体の更新で、これはスマートホン、PC,郵送など手段で更新手続きができると云うのでかなり軽減できる可能性もあるかも・・・。

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いずれにしても、マイナンバーの普及を勧めるのは結構だが、そのための新規や更新の手続きなどに関してよくシュミレーションして、我々に簡便で安全なシステムであるように日々改良してもらいたいものだ。

 結局、マイナンバーカードの電子証明書の更新手続きに一時間(待ち時間がほとんどだが)ほどかかってしまい、ついでの仕事に時間を費やし、本来の「ゴッホ展」の閲覧時間が少なくなるのではないかと心配したが、意外と見学者が少なかったため自分のペースで心ゆくまでじっくりと見ることが出来た。

 

さて、兵庫県立美術館で開催されている「ゴッホ展」であるが、その主題は、ポスターにも”ハーグ、そしてパリ。ゴッホへの道”と謳われているように、故国オランダのハーグ派、フランスパリの印象派という2つの芸術潮流と出会うことで、ゴッホの絵がどう変わり唯一無二の表現を獲得しえたのかを探ろうとするものである。

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今回の展示はゴッホが27歳で画家になることを決心し、37歳で心の病により自殺してしまうまでの10年間の画業で、ゴッホに大きな影響を与えたハーグ派(アントン・マウフェ、マティス・マリスなど)や印象派(クロード・モネ、カミーユ・ピサロなど)の画家の作品をゴッホの作品のそばに展示して見比べることができるようにしてあり、ゴッホの作品がどのように変化しながら、最後にはゴッホの独自のネルギッシュな作風に至るその軌跡がよく分かった。

 

今回の展示作品で特に印象深かった作品は

「糸杉」と「薔薇」だ。

晩年、精神病を患い「サン=レミ」の療養院に約一年入院したてと、退院間際の気分的に安定した時期に描かれたものだ。

ゴッホは療養院を退院して7月には銃で胸を撃ち自殺(銃の暴発事故であるという説もある・・)している。享年37歳だった。

 

「糸杉」 18896月 メトロポリタン美術館

厚塗りでうねりまくる筆使いは、ゴッホ自身の内面から溢れ出るエネルギーがカンヴァスにそのまま放射されたかのようで力強い作品だ。

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「薔薇」 18905月 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

ゴッホの静物画の中でももっとも画面が大きく色使いが美しい作品で、満開の薔薇を一つづつ微妙に色合いや形状の変化をつけて丁寧に描かれている。

この絵を描いたあと2ヶ月後に自殺してしまうとは思えないほど明るく華やいだ作品だ。

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                              「麦畑」 1888年6月 アルル時代 麦畑を克明に
            生き生きと描いている

一介の趣味レベルの日曜画家からわずか10年間でネルギッシュな作風で時代を超え愛される画家となったフィンセント・ファン・ゴッホ(18531890年)努力家であったが、やはり天才なのだ。

今日、美術館「えき」KYOTOの「西洋近代美術にみる神話の世界」に行ってきました。

14日のアイスランドへの出発を控え、前回のトカラ列島ダイビング等の写真や、アイスランドへの冬物の衣服等の準備に追われ色々迷ったが、開催日が17日まであることと、私の好きなテーマであり、京都と近い場所なので思い切って行くことにしました。

なぜこんなに忙しい時に行くことになったのかというと、
先日JRの電車の中の吊り下げ広告で初めてこの美術展の開催を知り驚いたのだが、毎年末、美術雑誌が発売する翌年の国内の美術展100選の開催予定スケジュールとその概要を記載した冊子にはこの記載されてなくノーケアだったのだ。

100選に入ってなく、かなり小規模なのかと思ったがこの美術展のテーマが私が好きなギリシャシ神話に関連する絵画そのものであり、見逃すわけに行かないと行くことにしたわけです。

美術館「えき」KYOTOはJR京都駅の中の伊勢丹7階にある小ぢんまりした美術館で、今回の美術展の主題は、18世紀後半から遺跡発掘が進み、古代ギリシャ・ローマの偉大さが再認識され、多くの作家がギリシャ神話などをテーマにした作品を制作され、これらの中の、18世紀半ばから20世紀にかけての作品を今回は展示している。

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美術館内は会期末期ということもあるのか、見学者もまばらで、展示作品は少なく、内容的にも今ひとつという感じだった。

代表展示作としてアングルの「ユピテルとテティス」が上がっているが
ユピテル(ギリシャ神話のゼウス)にテティス(トロイア戦争の英雄アキレウスの母)がアキレウスの願いをあられもない姿で懇願している場面だが、女好きのゼウスが脇目も振らず真面目くさった表情をしているのが面白い。
画面左後方に夫の数々の不倫に業を煮やしている正妻のヘラが睨みつけているからだという。

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他に、美術展のポスターにもなっている カバネルの「狩りの女神ディアナ」や私の好きな作家ウォーターハウスの「フローラ」等もありました。

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どこかで見た作品が多かった感じで18世紀半ばからの作品を集めたということでチョット物足りないという印象でした。

その他の代表的な展示作品を掲示しておきます(インターネットより)。

007-お気に入りの詩人
006-月桂冠を編む

 
すこし前になるが、原田マハ著「暗幕のゲルニカ」を読みました。
 
原田マハ氏は私の好きな作家の一人で、作家になる前に馬里邑美術館、伊藤忠商事を経て、森ビル森美術館設立準備室在籍時、ニューヨーク近代美術館に派遣され同館にて勤務の経験から西洋絵画、画家を主題にした本作品や「リーチ先生」、「ジヴェルニーの食卓」「デトロイト美術館の奇跡」「太陽の棘」「サロメ」「たゆたえども沈まず」などが美術ミステリーの作品多くあるが、デビュー作が「カフーを待ちわびて」の恋愛小説で日本ラブストーリー大賞を受賞し、他に「本日は、お日柄もよく」「総理の夫」などのコミカルなラブストリーも多々描いている。
 

今回の「暗幕のゲルニカ」は第155回直木賞候補であったが、荻原浩氏の「海の見える理髪店」に負けてしまった。

(本作品読書後直木賞の選評の概要を見てみると、どうも女性作家の評が厳しかった感じであったが、海の見える理髪店」を読んでおらず、好きな作家への身びいきと言われてしまえばそのとおりかもしれませんが・・・)

 

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     左が原田マハの「・・・・ゲルニカ」右が直木賞入受賞した荻原浩の「海の・・・」

本作品は「BOOK」データベースよると、
「ニューヨーク、国連本部。
イラク攻撃を宣言する米国務長官の背後から、「ゲルニカ」のタペストリーが消えた。
MoMA(ニューヨーク近代美術館)のキュレーター八神瑶子はピカソの名画を巡る陰謀に巻き込まれていく。
故国スペイン内戦下に創造した衝撃作に、世紀の画家は何を託したか。
ピカソの恋人で写真家のドラ・マールが生きた過去と、瑶子が生きる現代との交錯の中で辿り着く一つの真実。怒涛のアートサスペンス!
とある。
 
まさに怒涛のアートサスペンスであり、一気読みしてしまった。
 
本書はパブロ・ピカソの描いた「ゲルニカ」を軸に話が進むのだが、過去と現在のパートに分かれ、ピカソの恋人で写真家のドラ・マールが見てきたピカソという芸術家とゲルニカ制作の過程を示す過去パート。
そしてアートの力で平和を訴えようとピカソの「ゲルニカ」を再びMoMAに展示しようとする企画に奮闘するキュレーター八神瑶子が多々の苦難と陰謀に巻き込まれていく現在パートから構成されている。
 
 
ここでピカソの「ゲルニカ」について記述すると、
私が初めて「ゲルニカ」を等寸大で観たのは23年も前(1995年)の京都近代美術館の”愛と苦悩一「ゲルニカ」への道”というピカソ展でした。
「ゲルニカ」は門外不出の作品なので写真複製だったのですが、350cm×780cmの大きさにまず驚くき、そしてモノクロ作品にもかかわらず描写されている動物や人物の苦悩の表情が脳裏に鮮明に焼き付けられたことを記憶しています。
 

「ゲルニカ」はスペインの画家パブロ・ピカソスペイン内戦中の1937年に描いた絵画、およびそれと同じ絵柄で作られた壁画である。

ドイツ空軍コンドル軍団によってビスカヤ県ゲルニカ(スペイン、バスク地方の最古の町、文化と伝統の中心)が受けた都市無差別爆撃(ゲルニカ爆撃)を主題としている。

20世紀を象徴する絵画であるとされ、その準備と製作に関してもっとも完全に記録されている絵画であるとされることもある。(Wikipediaによる)


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       ピカソの「ゲルニカ」 スペイン内戦中のドイツ軍の悲惨なゲルニカの空爆を描いた  


ピカソは5月に開催されるパリ万博のスペイン館のパビリオンに飾る絵を書いて欲しいと依頼されるが、中々テーマが決まらない中で、1937426日のゲルニカ爆撃で町は廃墟となり、多くの死体が散乱するという、人類史上類を見ない暴挙が新聞に掲載され、ピカソはその光景を目の当たりにし、怒りと悲しみを覚え負の感情が爆発し、ただならぬ雰囲気で絵を描き上げる事になったという。
 
この「ゲルニカ」の制作の一部始終をカメラに収めていたのがピカソの愛人であり写真家のドラ・マールである。
ドラは撮影しながら画面を支配する阿鼻叫喚する人間や動物たちを見て、この絵のタイトルは「ゲルニカ」以外にありえないと感じ、ピカソもそれを受け入れ、世紀の名画の名前が決まったという。

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    左:ピカソとドラ・マール 右:ドラ・マール 写真家でスペイン語が堪能でピカソの愛人となった

しかし、「ゲルニカ」はスペイン館のパビリオンに飾られた当初の評価は高くなかったが、やがて反戦や抵抗のシンボルとなり、ピカソの死後にも保管場所をめぐる論争が繰り広げられることになった。

 
さて、本書の内容についてもう少しのべると

 

過去のパートの物語は、19374月、パリのピカソのアトリエ兼住居で幕を開ける。
ピカソは内戦のさなかにあるスペイン共和国政府の依頼を受け、この年の5月に開幕するパリ万国博覧会のスペイン館のために、壁を埋めつくすほど巨大な新作を描くことになっていたが、肝心の絵のテーマが思いつかず大きなキャンバスは白紙のままだった。
そして、その朝の新聞には「ゲルニカ 空爆される/スペイン内戦始まって以来 もっとも悲惨な爆撃――」。
この新聞報道が「ゲルニカ」の始まりだった。

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左 ゲルニカの地図、右ドイツ軍の1937年4月26日爆弾と焼夷弾の無差別空爆で破壊された

小説の過去のパートはピカソの若い愛人で写真家のドラ・マールの視点で書かれ、悲惨なゲルニカ空爆の新聞に
触発されたピカソは後で「ゲルニカ」名付けられる大作を426日から66日の間にかきあげた。
この制作過程の写真を撮影し、後世に貴重な記録を残す彼女の目から、〈ゲルニカ〉誕生のドラマとその後の数奇な運命が描かれてゆく。
ドラ・マールは「泣く女」など多くの名画のモデルをつとめたことでも知られる。


現在のパートは2001911日のニューヨークに飛ぶ。

現在のパートの視点は、日本出身のピカソ研究者、八神瑤子。
35歳でニューヨーク近代美術館(MoMA)に採用され花形部門である絵画・彫刻部門でアジア人初のキュレーターとなった。
愛する夫、イーサンはアート・コンサルタント。
だが、幸福な結婚生活は、ワールド・トレード・センターを襲った二機の旅客機により、とつぜん断ち切られる……。
そして、現代のパートの物語はアメリカの同時多発テロ後の2003年、アートの力で平和を訴えようと考え、「ゲルニカ」を再びニュヨークで展示しようと奮闘するMoMAのキューレーター八神瑤子の行動だ。


ゲルニカ空爆と911テロ、二つの大きな悲劇が対置され、ピカソの〈ゲルニカ〉が第二次大戦とイラク戦争をつなぐ。

題名の“暗幕のゲルニカ”とは、ニューヨークの国連本部、国連安全保障理事会の入口に飾られている「ゲルニカ」のタペストリーのことで、20032月コリン・パウエル米国務長官がイラク空爆を示唆する演説を国連安全保障理事会の入り口で行った際、彼の背景に見えるはずのくだんの〈ゲルニカ〉は、なぜか暗幕で隠されていた。


この史実に著者は衝撃を受ける。

「ゲルニカ」は空爆によって阿鼻叫喚の地獄となった事態を象徴するもの。アメリカがこれから実行しようとするイラク攻撃によって、イラク国内で同じ様な事態が起きることを予想した人物が隠したのでないかと直感したからである。

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         国連本部の入り口にかけられていたタペストリーの「ゲルニカ」色彩がある。
         同じタペストリの「ゲルニカ」があと2つあり、一つは日本の群馬県の高崎にある
 
この事実を下敷きに、著者は空想の翼を広げ、大胆不敵な物語を紡ぐ。
実在の人物が実名で登場する過去のパートと違って、現代のパートでは、米国大統領や国務長官も架空の名前に置き換えられ、小説は虚実入り混じったストリー展開は、果たしてどこまでが史実でどこからが創作か、読者の想像力を大いに刺激する。
 
後半の焦点は、瑤子が企画する「ピカソの戦争」展と「ゲルニカ」をめぐる策謀。物語はクライマックスに向かって壮大な美術ドラマが展開する。
驚愕のラストまで目が離せない。
 
様々な困難を乗り越え、ついに明日「ピカソの戦争」が開催されようとしていました。
門外不出の「ゲルニカ」は本当に海を渡るのか、一体今どこにあるのか、全米が注目する中、瑤子は記者会見のスピーチを始める。

 
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話がチョットはずれるが著者の言葉遣い特にスピーチの言葉には感動させられる。
著者の本で「本日は、お日柄もよく」ではスピーチライターになろうと決心した若い女性が幻のスピーチライターと言われる人に指導を仰ぐことになるのが、文中に出てくるスピーチの数々が本当に素晴らしく感動する内容で、スピーチというのはこうゆうものだと強く感じた。
 
本書の瑤子のスピーチも素晴らしく、ハラハラ、ドキドキ、涙を誘い、そして最後のクライマックへと突入する・・・。
 
 




原田マハ著「本日は、お日柄もよく」

最後に著者が本書を発刊するにあたってのインタビュで述べた話を紹介します。
 
「一枚の絵が、戦争を止める。私は信じる、絵画の力を。
実際は、美術が戦争を直接止められることはないかもしれません。それは小説も同じでしょう。けれど「止められるかもしれない」と思い続けることが大事なんです。人が傷ついたりおびえたりしている時に、力ではなく違う方法でそれに抗うことができる。どんな形でもクリエイターが発信していくことをやめない限り、それがメッセージになり、人の心に火を灯す。そんな世界を、私はずっと希求しています。」
 
 
やはり、原田マハ氏の作品は益々好きになる。美術とサスペンスが融合されたストーリだけでなく、コミカルな恋愛小説も軽快で嫌味がなく楽しめる。
 
特に、本書の過去のパートの主人公のドラ・マールをピカソはモデルとて色々な作品を描いているが、中でも「ゲルニカ」を描い終わった後に、その勢いで100枚近くの「泣く女」制作している。
ドラ・マールは感情の起伏が激しく、よく泣く女性だったとか、ピカソは女性の涙にゲルニカの悲劇を表し祖国の惨事を悲しんだのかもしれない。

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       左はドラ・マールがモデルの「泣く女」 右は同じドラがモデルの「ドラ・マールと猫」
       右の画はピカソが大切にしていたもので現在個人所有で世界で一番高い絵と言われ100億円とか・・

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                メルボルン ビクトリア美術館所蔵のピカソの「泣く女」

メルボルンのビクトリ美術館にはこのピカソの「泣く女」の1枚が常設されているのだ。
今度メルボルに行くが、是非この画を見てピカソがどんな気持ちで「泣く女」を100枚も描いたのか、女性の涙は何を意味しているのか、じっくりと「暗幕のゲルニカ」を思い起こしながら観察してみようと思う


先月バハマへダイビングに行った折、そのおまけとしてのニューヨーク観光でメトロポリタン美術館を見学し、更におまけとして、帰国時羽田に夜遅く到着したので、東京に一泊して国立新美術館の「ビュールレ・コレクション 至上の印象派展」を見てきました。
 
今現在、バハマでのダイビング、ニューヨーク観光、メトロポリタン美術館、国立新美術館などホームページに掲載すべく精力的に写真を整理中ですが、なにしろ写真枚数が多くかつ多岐に渡っているのと生来の面倒くさがり屋のためか中々作業が進みません。
 

全然話が変わるが、昨年から米ハリウッドで始まったセクハラ告発運動”#MeToo"で続々と大物プロヂューサーや監督、俳優が訴えられ大騒ぎになっているが、この”#MeToo"運動が韓国に飛び火し、続々と与党の有力政治家が告発され、政界を直撃している。

日本でも昨年5月、ジャーナリスト・伊藤詩織さんが準強姦被害を告発し、同年12月にはブロガーで作家のはあちゅうさんが、上司によるセクハラ被害を告発して話題となった。
 
こんな”#Me Too"運動に誘発されたのか、美術界で古くて新しい問題の「芸術かワイセツか」で最近美術館が展示している作品がワイセツだから撤去せよという運動に巻き込まれ話題になっている。
 
一つは201712月米ニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されている著名画家、バルテュスによる「夢見るテレーズ」がワイセツだから撤去せよという運動で12000筆の署名が集まったが、美術館側は表現の自由ということで撤去を拒否。

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                バルテュス作「夢見るテレーズ」 

もう一つが20182月英マンチェスター市立美術館でウォーターハウスの「ヒュラスとニンフたち」という絵が、突然撤去され、7日後には復活された。

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             ウオーターハウス作「ヒュラスとニンフたち」
 
ヒュラスはギリシャ神話に登場する絶世の美少年で、英雄ヘラクレスの愛人でした。
ヒュラスが森の奥へ水を汲みにいき、そこでニンフたちにとらわれて、彼女たちの棲む水面下の世界へ連れて行かれてしまうところをウオーターハウスが妖艶に描いている。
 
共に好きな画家の好きな作品なので何故!!と疑念を強く感じて、今回はこの問題に少し触れると共に、先日見てきたメトロポリタン美術館の作品と国立新美術館の「ビュールレ・コレクション 至上の印象派展」の作品を紹介したいと思います。

バハマのダイビングやニューヨーク観光については別途紹介することにします。
 
 
では初めに、バルテュスの「夢見るテレーズ」撤去要請問題ですが、
まずバルテュス(Balthus1908-2001年)はフランスの画家でピカソはバルテュスを「二十世紀最後の巨匠」と称えているほど著名な画家である。
日本とも大きな縁あり、1962年、パリでの日本美術展の選定のために訪れた東京で、当時20歳だった画家・出田節子と運命的な出会いをし、後に結婚している。

バルテュスは、少女たちを大胆な構図でエロティックで寓意豊かに描いて、日本でも人気が高く、20144月に東京都美術館で 「バルテュス展」が開催され問題の「夢見るテレーズ」も展示された。
 
メトロポリタン美術館が所蔵するこの「夢見るテレーズ」は近所の12,3歳のテレーズという少女をモデルにし、片膝を立てて、手を後ろで組んだ彼の独創的なポーズで描いている。
メトロポリタンにはこの少女をモデルにした「テレーズ」という作品もある、こちらのほうが人気があるようだ。


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さて、バルテュスの「夢見るテレーズ」撤去要請問題ですが、ニューヨークの女性が立膝をし下着をあらわにしたこの絵を見て破廉恥でショックを受けたということで、署名を集めるウェブサイトで美術館に対してこの作品の撤去を求めるという嘆願を始め、12,000筆にも達したことに始まります。

 
そもそも破廉恥なる定義も曖昧で、個人差があり、「夢見るテレーズ」を破廉恥とするなら、もっととんでもない名作がたくさんあり、ほとんどの裸の作品は撤去しなければいけなくなる。


  
       バルテュス作「テレーズ」 

撤去せよということは一種の検閲で数さえ集めればそれがまかり通るとなったら、言論や表現の自由が束縛されることになり「破廉恥」以上の大問題になる。
 
美術館側は表現の自由により撤去するつもりはないとコメントしている。
それはそうでしょうね。
メトロポリタンがハイわかりました。撤去します。と言ったらどうなるのだろうか?
チョット考えるだけでもその美術界に与える影響はそら恐ろしいことになりそうだ。
 

ではここで先日見てきたメトロポリタン美術館(通称MET)のちょっとした紹介を。
ニューヨークのセントラルパーク東側にあり、世界最大級の規模を誇る。
広範囲で質の高い、300万点を越すと所蔵品が特徴だ。
 
私は古代文化に興味があり、アッシリア、エジプト、ギリシャなどの美術品を中心に見ることにしていたが、何しろ広く膨大な数の作品が展示されているため、見落としも多く、時間の都合で中世や、近代の絵画などは殆ど駆け足で見て回るほどだった。
お目当ての作品を探すのも一苦労だ。
ギャラリー番号をはじめから調べておけばまだしも、広大な建物の中に入ってしまうと本当に迷路にはまった感じで見つからなかったものが沢山あった。
 
ありがたい事に、METのホームページから所蔵品の検索ができ、写真や細かい情報を観ることが出来るのだが、作者名や、作品名がわかれば検索も楽なのだが、それでも見られなかった絵画等一部この検索ページから探し当てて利用させて頂いた写真も少しあります。

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   左:MET 入り口 格調高い建物です  右:入り口入ってすぐの広いロビー

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              テンドゥール神殿 全体
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                テンドゥール神殿


テンドゥール神殿はアスワンハイ・ダムの建設で水没してしまうところをアメリカ政府がヌビアの遺跡保護を支援した感謝の印として贈られたものである。紀元前15年頃で壁の浮彫り彫刻にはファラオ・ローマ皇帝アウグストゥスがトート神などにぶどう酒を捧げている様子が描かれている。

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          ニムルド・アッシュールナツィルバル2世宮殿守護神


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私がMETで最も見たかったものと言っても過言でないニムルドの新アッシリア時代のアッシュールナツィルバル2世の宮殿遺跡である。
その中でも人頭有翼獅子像は支配者を悪から守るため獅子は翼と5本の脚を持ち超自然的な圧倒する形で守護の力を示している。
壁面にはアッシュールナツィルバル2世のレリーフがあ楔形文字で欠かれた王の称号と偉業が書かれている。
紀元前883年ー前859年頃とされるが、模様から楔形文字までくっきりと残っており本当に吃驚で、大きさといい精密な作りといい、当時の王の権勢の偉大さが伺われる。




 



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           ウゴリーノと息子たち (ジャン・バティステ・カルボー作)


ダンテの神曲でピサの反逆者ウゴリーノ伯爵とその息子と孫息子が投獄され、最後は餓死する物語に基づくものだが、息子たちが父親に自分の体を食べて生き残るようにとの申し出に抵抗するウゴリーノの苦悩を描いている。
 
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ゼウスとダナエーの息子のペルセウスが女神アテナの力を借りメドゥーサを退治する場面。威厳を感じさせるしなやかな体のカノーヴァのペルセウスは、新古典派の英雄の美の模範になった。
 













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この青年の像は、アッティカで彫られた大理石の人物像の中で最古の一つで、左足を前に踏み出し、腕を両脇にそえたポーズはエジプト美術に由来し、その後のギリシャの彫刻に広く取り入れられた。

 













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            水差しを持つ女 (フェルメール) 1662年頃


20161月 六本木 森アーツセンターギャラリーで日本で初公開されたフェルメールの成熟期の作品で現存する作品中でも1位、2位をあらそうほど完成度が高く、構図や作品全体のバランスなど最も優れた人物画であると言われている。


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              メーダ・プリマヴェージ (クリムト) 1912


娘メーダの肖像画で正面を向いて真っ直ぐ立つメーダの姿に、9歳の少女のはつらつさが汲み取れる。色使いがなんとも言えない。
 
 
さて次に、英国のマンチェスター市立美術館による絵画の一時撤去問題については、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(英国の画家でラファエル前派)の「ヒュラースとニンフたち」(1896)を126日に突然撤去してしまった事によるもので、何故ウォーターハウスの作品が、ヌードだから、少女のヌードだから、Me Too"運動への対応か・・・等、大きな論争になった。
 
結論を言うと、7日後には再展示されたが、どうも今回の撤去に関する湧き上がる「論争」や「騒動」を美術館の次の展示プログラムに反映するためのものだったようだ。
 

ひと騒がせな話だが、おかげで好きなウオーターハウスの作品を思い起こせたし、またマンチェスター市立美術館には、自然の光・大気・水を色彩で捉えたその独創的な表現で、光の魔術と称されるJ.M.W.ターナーの作品が多く所蔵されていることを知り一度行ってみたい美術館の一つにもなった。


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               ドーバー海峡 (ターナー作) 1827


さて最後に国立新美術館の「ビュールレ・コレクション 至上の印象派展」の見学内容についてさわりだけを書きます。
 
ドイツに生まれの実業家であるビュールレが一代で収集したコレクションで、今まではは、チューリヒにある邸宅の隣の別棟に飾られていたが、2020年にチューリヒ美術館に全コレクションが移管されることになっている。
 
ビュールレ・コレクションには、モネ、ゴッホ、セザンヌなどの傑作が数多く含まれ、本展の出品作品、約60点の半数は日本初公開で、なかでもモネの代表作の一つ、高さ2m×4mの大作「睡蓮の池、緑の反映」は、これまでスイス国外には一度も出たことがないものだ。

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          睡蓮の池、緑の反映 (クロード・モネ) 1920-26


最後の部屋にこの作品だけが展示されており、大きさにも圧倒されたが、じっと見ていると、植物の様々な色彩を映し出す穏やかな水面の岸辺に佇んでいる感じだ、
 
今回の展示作品のもう一つの目玉である「絵画史上最強の美少女」のキャッチコピーが付けられたルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」である。
裕福な銀行家の当時8歳であった娘イレーヌを描いたもので、イレーヌの栗色の豊かな髪やあどけない表情が、背景に描かれた深い緑の茂みによって引き立てられている。
この絵を見ていると一本の線の太さ形、そして色合いが僅かでも違ったらこの少女の美しは無くなってしまうのではないかと想うと画家の比類稀な才能が強く感じられる。

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         イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)ルノワール1880 

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            赤いチョッキの少年 (ポール・セザンヌ 1888-90年)


セザンヌの肖像画のなかでも、もっとも有名な作品で、肘をつき、物思いにふける少年を描いている。
構造と画面周辺の沈んだ色調に囲まれ、少年の顔と赤いチョッキ、右腕を包むシャツの白さの色使いが素晴らしい。
 
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                 國立新美術館と満開の桜

旅の出発時は寒に凍えながら空港を出たが、2週間後の帰国時は既に桜が満開で温かな春本番となっていて、時の移り変わりの速さに驚嘆すると共に、ダイビングの写真の整理を早くしなければど肝に命じる次第である。



 
今、国宝や仏像、運慶等に関する本を集めたコーナーを作っている書店をよく見かけけ、ちょっとした仏像ブームが起きているのだ。
 
それは運慶作等の国宝仏像を多く持つ法相宗大本山興福寺は、平城遷都1300年記念の平成22年(2010)に興福寺も同じく創建1300年を迎え、この記念の年に、江戸時代享保2年(1717)焼失した中心堂宇である中金堂の復元の立柱式を行い、来年の平成30年(2018)秋に中金堂の落慶を目指している。
この復元計画は創建1300年の記念事業として平成10(1998)から平成35(2023)までの26年間を、第1期整備計画として中金堂、およびその周囲の整備をすすめているものだ。

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            興福寺中金堂、中門および周辺回廊を含めた完成図
 
この来年の中金堂の落慶を記念して色々な催が開催され、その一つが今回の
●東京国立博物館の興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」
  20179/2611/26  で、さらに
●神奈川県立金沢文庫の鎌倉幕府と霊験伝説特別展「運慶」
  20181/133/11 であり、既に終了しているが
●奈良国立博物館の 日本人を魅了した仏のかたち特別展「快慶」
  20184/86/4

この様な企画は今後ありえないほどの大規模もので、多くの人に仏像に対する興味を誘起し書店などで関係図書が賑わいを見せているのであろう。

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        左:国立博物館「運慶」 右:神奈川県立金沢文庫「運慶」のパンフレット
 
ということで、インドネシアバンダ海ハンマー狙いクルーズからの羽田空港に209時ごろ帰国しその足で以前から気になっていた東京国立博物館・運慶展を観てその夜神戸の自宅に帰ることにしたのだ。
 
ダイビングの報告は次回として、早速運慶展に関して記述すると、
 
日本で最も著名な仏師・運慶は卓越した造形力で生きているかのような現実感に富んだ仏像を生み出し、輝かしい彫刻の時代をリードした。
運慶の父・康慶は平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(国宝、天喜元年(1053))の作者である大仏師・定朝から仏師集団は三つの系統に分かれましたが、運慶の父・康慶は興福寺周辺を拠点にした奈良仏師に属し、院派、円派の保守的な作風に対して、新たな造形を開発しようとする気概があった。
 
本展では、その運慶のゆかりの深い興福寺をはじめ各地から名品を集めて、運慶の父・康慶、実子・湛慶、康弁ら親子3代の作品を揃え、運慶の作風の樹立から次代の継承までをたどっている。
 
ここで運慶の系譜を見てみると  

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運慶の父・康慶の弟子でライバル同士であった快慶も天才的な仏師であり、康慶が鎌倉でこれまでの仏法(経典)に則った仏像彫刻ではなく、武家社会の求める荒ぶる仏像が次に来ることを目の当たりにし、その路線を開花させたのが運慶で、一方、康慶が守ってきた仏像(仏法に則ったもの)を正しく学び引き継いだのが快慶であると言われる。
 
快慶の作品で代表的なものとして弥勒菩薩坐像(京都・醍醐寺)端正な顔をし正統派の仏像である。

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         左:快慶作 弥勒菩薩坐像 京都・醍醐寺 右:快慶展パンフレット

 
快慶の作品は今年、奈良国立博物館で「快慶展」が開催されたこともあり、本展では快慶の作品は展示されていない。
 
さて、本展の「運慶」であるが、推定を含めて運慶の作品で現存する仏像31躯のうち、22躯が今回集結するという史上最大の運慶展である。
 
又、出品作品は37作品でそのうち国宝が12作品であとすべてが重要文化財であるという豪華さだ。
 
日本の国宝は本年9月指定分までで、1108件でそのうち建造物 223件、美術工芸品は 885件でそのうち彫刻は134件であるという。
日本の彫刻関係の国宝の一割弱が一堂に集められたのだから本当に驚きで、こんなことは今後2度と出来ないのでないかと思うほどである。
 
この大規模な運慶展を開催しているのは東京国立博物館で上野公園に1872年(明治5年)に創設された、日本最古の博物館である。
本館、表慶館、 東洋館、平成館、法隆寺宝物館の5つの展示館と資料館その他の施設からなり、今回の展示は平成館だ。

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         左:東京国立博物館本館と東洋館  右:平成館入り口とポスター
 
当日は入館したのは午前10時過ぎであったが、雨模様で寒い天気であったが、来館者は驚くほど多く、チケット購入は行列でまた、館内も展示品廻りには23重の人の壁ができ大混雑であった。
運慶への人気の程がよく分かる。
入場料は1600円、公式図録は3000円(段々高くなってくる、辛い)
 
さて、本展の主なる(全てが主なるものであるが・・・)ものを独断で紹介すると
 
 大日如来坐像:国宝
 
入り口を入ると運慶処女作と言われる「大日如来坐像」が迎えてくれる。

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時間をかけて入念に造ったという、端正な溌剌とした表情と体格、きれいに梳いた髪のふくらみなど写実的で、二十代にして運慶の卓越した才能を感じることができる。
 

 
 
 
 
 
 

国宝 大日如来坐像 運慶作 
平安時代・安元2年(1176)奈良・円成寺蔵
 
 仏頭:重要文化財
 
イメージ 12興福寺西金堂の本尊、釈迦如来坐像が享保2年(1717)江戸の大火に焼失し現在の頭部のみの姿になった。
大日如来坐像に次ぐ運慶の初期の作品で、豊かな肉付きと大ぶりの目鼻立ちが鎌倉時代の初期の運慶派の作風を現しているとのこと。




重要文化財 仏頭 運慶作 鎌倉時代・文治2年(1186
奈良・興福寺

 
   毘沙門天立像:国宝
 
鎌倉時代に入ると運慶はその独創性を発揮し、1186年静岡・願成就院に収めた5躯(阿弥陀如来坐像、不動明王および二童子立像、毘沙門天立像いずれも国宝)には全く新しい独自の造形が見られる。

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鎌倉時代の人々が仏像に求めたのは、仏が本当に存在するという実感が得たいということで、運慶はそれを受けて量感と写実性い富んだ作風を作り出したとのこと。
 
像内に納められていた五輪塔形の銘札の墨書から、文治2年(1186)に北条時政の発願により運慶が造ったものとわり、引き締まった体で左に腰を捻って立ち、力がみなぎって今にも動き出しそうであり、武将のような顔つきも毘沙門天像にはめずらしいという。
本展の展示は毘沙門天立像のみであった。
 
 
 
1186年運慶作 毘沙門天立像 静岡・願成就院
 
 八大童子立像:国宝
 
平安時代後期、6体が運慶作、2体は後補である。八条女院という高貴な女性の発願だからか、いずれも上品な姿で生きているように見える、造像時の華麗な彩色もよく残っており、運慶作品の中でも完成度の高さで屈指の作であるという。
 
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         国宝 1197年頃 運慶作  八大童子立像 和歌山県・金剛峯寺 
         (東京国立博物館HPより)
      左から恵光童子、制多伽童子、矜羯羅童子、恵喜童子、清浄比丘童子、烏倶婆誐童子
         (後補作の2体 指徳童子、阿耨達童子は出展されていない)
 
  世親菩薩立像、無著菩薩立像:国宝
 
無著、世親は5世紀、北インドに実在した学僧で、法相教学を体系化したことで知られ、無著が兄、世親は弟であり。
2体の像は老年と壮年に作り分けられており、容貌は無著の静、世親の動と対照しつつ精神的な深みを加えている。
 
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            国宝 世親菩薩立像(左)無著菩薩立像(右)・運慶作
            鎌倉時代・1212年頃 奈良・興福寺蔵 東京国立博物館HPより

  聖観音菩薩立像 運慶・湛慶作 重要文化財 
 
イメージ 111199年に没した源頼朝の三回忌供養のため、頼朝の従兄弟にあたる僧・寛伝が建立し、頼朝の等身大のの聖観音像を作り、像内に頼朝の鬢と歯を納めたと、作者は運慶と湛慶であると記録されており、近年になってX線撮影にて頭部内の口の位置に納入品があることが確認され、記録に信憑性があると判断されたという。

脇侍の梵天・帝釈天を合わせ三尊とも作者は運慶・湛慶となる。
肉付きの良い体体と写実的な着衣の表現など運慶の特色が顕著で、表面の彩色は後補で、聖観音菩薩立像が寺から外に出るのは初めてである。
 


重要文化財 聖観音菩薩立像 運慶・湛慶作
鎌倉時代・1201年頃 愛知・瀧山寺蔵

東京国立博物館HPより

 
  阿弥陀如来坐像、脇観音菩薩立像、勢至菩薩立像、不動明王立像、
  毘沙門天立像  運慶作 重要文化財  静岡・浄楽寺
 
さて、運慶の作品を中心に今回の出展作を見てきたが、残念だったのは長らく門外不出を貫いてきたが静岡県・浄楽寺の運慶の運慶の5仏像が揃って42年ぶりに展示されているだが、阿弥陀如来坐像と脇侍の観音菩薩立像、勢至菩薩立像の3体のみが浄楽寺の恒例の法要が終了後の1021日から合流することになっていて、一日違いで見ることが出来なかったことである。
 
不動明王立像と毘沙門天立像に納入されていた銘札により運慶が造ったことがわかったもので、阿弥陀如来坐像および両脇侍立像はふくよかな体と生気があり大変優しい表情をしている。
不動明王像と毘沙門天像は迫力と力強さは比類ないものだが、願成就院像の斬新に比べて古典的であるという。
両者の違いの理由は不明だが、発願者の好みを反映したとも考えられているという。

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           上:阿弥陀如来坐像、勢至菩薩立像(左)、観音菩薩立像(右)
           下:毘沙門天像(左)、不動明王像(右) 重要文化財
             共に運慶作 鎌倉時代・1201年頃 静岡・浄楽寺 (インターネットより)
 
  大威徳明王坐像  運慶作 神奈川・光明寺 重要文化財
 

イメージ 13運慶晩年の作品であり、現状では左肩以下や脚部等が失われているが、当初は六面六手六足ですいぎゅうにまたがった姿であったと言われる。
大威徳明王の忿怒の表情が品よくまとめられた本像は、運慶晩年期において鎌倉将軍家の造像に深く関わっていたという遺品として重要な意味を持つものであるという。

 








大威徳明王坐像  運慶作 神奈川・光明寺 重要文化財
鎌倉時代・1216年 東京国立博物館HPより
 
今回出展された運慶の作品を紹介してきたが、まだ素敵な作品がたくさんあるが、字数の制限よりこれまでにします。
 
今まで、各地のお寺の仏像を遠くから眺めていたものが、一堂に介し間近でかつ360度から観ることが出来、その顔の表情や衣装の襞の細かさまでじっくり観賞出来、改めて仏像彫刻の素晴らしさを実感することが出来た。
(尚挿入画像は東京国立博物館HP及びインターネットから借用しました)

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