My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

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明日より行くオマーン。

まずオマーンとはどんな国なのか?
中東で産油国で、ホルムズ海峡を支配・・・そしてアラビアンナイトと乳香の国。
あまり具体的なことがすぐに頭に浮かばない。
ちょっと調べると、
国土はアラビア半島の東端、日本の約80%の面積に約450万の人口を擁し、ペルシア湾の出入り口にあたるホルムズ海峡に面したところを飛地(ムサンダム特別行政区)として支配しており、軍事上も重要な位置にある。

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                                  オマーン国と飛び地ムサンダム半島 

アラブ首長国連邦、クウェート、カタール、バーレーンなどと同じ部族長を首長として戴く「首長国」である。
現在も首長(スルタン)が絶対権力を握っているが、産油国としての経済力が首長政権を安定させている。

で中東、どうも漠然としているので中東の地域の国々は?と調べると

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              ”中東”の概念 その範囲は色々違いがある
 
中東という地域概念は明確でなく西欧ではアフガニスタンを除き、日本の外務省の表示ではエジプトを除いている。
ますますわからなくなったが、要はオマーンは中東のど真ん中に位置している。
 
まず私がオマーンで思い浮かべることは「乳香」と「アラビアン・ナイト」である。

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乳香はオマーンやイエメンなどのアラビア半島南部に自生するボスウェリア属の樹木の樹脂を固化したもので、その塊を焚いて香とし、又香水などの香料として使用されている。
古来より宗教儀式や治療薬として使用され、クレオパトラやシバの女王も親しんだ高価な香料で、オマーンはこの乳香の交易で栄え、莫大な富を築いた古代都市の遺跡が点在する。


乳香は高価な香料で黄金に匹敵していたという。

紀元前900年頃、アラビア半島南部を統治していたシバの女王がソロモン王に謁見する際に持参した多大な贈り物中に、大量の黄金、宝石、ならび乳香、没薬等があったという。


乳香はこの木の樹脂を固化したもの


イメージ 4また、キリスト誕生時、東方の三博士が星の導きによりベツレヘムを訪れ、幼子キリストを拝みお祝い品を献上したとされる。
その時の献上品が黄金と乳香そして没薬であったという。












東方三博士の礼拝 ベラスケス作

砂漠の国にこの乳香がもたらした富は図りしれず、乳香を運ぶ「乳香の道」沿いにはいくつもの栄華を誇った古代都市ができた。
 
その中でも印象的なのが、コーランやアラビアンナイトの言い伝えにもある、乳香の交易で繁栄を極め、強欲で不道徳な生活を続けたため、神の怒りをかって崩壊されたという謎の古代都市ウバールがある。
数千年間誰も見つけることができず、の失われた遺跡とされてたが、1990年代にNASAの人工衛星により発見され、“砂漠のアトランティス”ウバールと言われた都市が実在したという話は古代歴史好きにはたまらなく魅力的だ。

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               発見されたウバールの遺跡

「アラビアンナイト」については「千一夜物語」と言って、ササン朝ペルシャにてペルシャ王に妻シェヘラザードが毎夜毎夜近隣地域の逸話を話したものとされるが、ヨーロッパに伝わり、アラジンと魔法のランプ・シンドバッドの冒険・アリババと40人の盗賊・空飛ぶ絨毯など次々と話が追加され、合計の逸話の数が「千一夜」となったという。

 
我々誰もがこの話を見、聞きして「アラビア」というイメージが出来上がっているものと思うが、近年中東の多くの国が超近代的な都市づくりを進めていて、我々が持つアラビアのイメージとかけ離れてきているが、オマーンは首長の拘りで、”アラビア風”を残すことを徹底しているという。
我々がもつアラビアのイメージがオマーンで現実に見ることが出来るとは有り難いことだ。
今回の旅行の大きな楽しみの一つでもある。

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                  アラビア風のイメージ


オマーンは大航海時代以後はダウ船を使ってアラビア海、インド洋をまたにかけ、1719世紀にかけては西欧列強をはねのけ、東アフリまでも勢力下におく海洋帝国であった。


イメージ 7オマーンは16世紀初頭にはポルトガルの支配下に入るが、ポルトガルが没落して来た時期を見図り、1650年、オマーンは現在の首都マスカットをポルトガルから奪還、52年にははるか東アフリカ沿岸のザンジバル(現在のタンザニア)、83年にはパキスタンのグワダルを手に入れ、96年にはモンバサ(現在のケニア)をポルトガルから奪い取りる。


わずか50年の間にオマーンは、東はパキスタン南部からアラビア半島東部全域、ソマリア~タンザニアに至る一大海上帝国の座を確立し、1804年に即位したサイイド=サイード(サイード大王)のもとオマーンは黄金時代を迎える。

 





オマーン海洋帝国勢力範囲地図

大王は帝国の首都を東アフリカ貿易の拠点だったタンザニアのザンジバルに移し、
ここを拠点にして各国の貿易船がひっきりなしに訪れる空前の繁栄を享受した。

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                  ザンジバル地図及びスルタン宮殿
 
オマーン海洋帝国に大繁栄をもたらした交易は乳香でなく奴隷だったというからなにか皮肉なものを感じる。
 
しかし、急激に繁栄した海洋帝国は衰退もあっという間であった。
 
時代の変化というか、蒸気船の発明と1869年のスエズ運河の開通により地理的優位を生かして繁栄した帝国はインド洋での交易でザンジバルはもはやその優位性は失われ急激に衰退してしまった。
 
弱った帝国に大国はすかさず介入し始め、1856年サイード大王が亡くなると早くも帝国をイギリスの策謀でオマーン領とザンジバル領に分裂させ、68年にはかつての首都マスカットを占領し、事実上オマーン領を植民地にしてしまった。
 
ザンジバル領の方は、1890年、ドイツがオマーン帝国のかつての植民地タンザニアを手に入れると、焦ったイギリスは遂にザンジバルの保護国化を宣言する。
そして、親イギリスのスルタンが1896825日に死去し、その後継者をめぐり、イギリス領事が認めない後継者があとを継いだということで、条約違反だとして、1896827日午前9時までに軍を解散させ、王宮を開放するよう最後通牒を送った。
 
イギリスは1896827日午前9時までに要求が満たされなかったため、92分艦砲射撃を開始した。
この攻撃に驚いたザンジバル軍は蜘蛛の子を散らすように逃げてしまい、940分に王宮の旗が撃ち落とされ、戦争は終結した。

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             イギリスの艦砲射撃で崩壊したスルタンのハーレム
 
これが世に云う不名誉な”40分間戦争”(イギリス・ザンジバル戦争)でギネスブックにも史上最短戦争として記載されているという。
 
この戦争後はオマーンは主権国家としてのザンジバル・スルターン国の終焉、そしてイギリス勢力下時代の始まりとして位置づけられる。
 
その後、油田も発見され、1976年には石油輸出も開始され、1971年にイギリス保護領より独立し、国際連合に加盟した。
 
大国の思惑で翻弄され、1617世紀に起こった国際関係上のいくつもの偶然が重なって、辺境の貧しい国を世界史を変えるほどの大国にのしあげ、そして植民地へ、その後石油発見で経済発展を成し遂げる。
人で例えると波乱万丈の人生だ。
 
現国王の叔母に当たる人が日本女性でそれも神戸の出身。
オマーンと日本。皇室や安倍さんの訪問。いい関係が続いているが、この際じっくりとこの世界の変化に耐え生き抜いてきた国の人々の内なる面もじっくり見さしてもらうのも大きな楽しみだ。
 
さらにオマーンには触れないわけにはいけない大きな地質学的な特徴があるのだ。
 
オマーンの地図をよく見てみると、北側オマーン湾に面しているところだけに山脈(アハダル山脈)が走りその他は広大な砂漠地帯が広がっているのだ。
 
何故ここだけに山脈が・・・。

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                オマーン湾に沿って山脈が走っている
 
オマーンは数多くの地質学者や地質学愛好者を惹き付けている。
 
2億年前から約18000年前にパンゲア大陸が北のローラシア大陸と南のゴンドワナ大陸に分裂したことで、その間にテチス海が誕生し、この中央海嶺では火山噴火や熱水活動とともに海洋地殻が生み出された。
9500万年前になると、ゴンドワナ大陸から切り離されたアフリカ大陸や当時これと地続きだったアラビア半島やインド亜大陸を乗せたプレートが北上を始める。
このプレートとテチス海の海洋プレートが衝突し、この海洋プレートがアラビア半島部分に乗り上げた。

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             図右のアラビプレートがユーラシアプレートに衝突
 
これが岩石化したのが、オフィオライト(海洋地殻から上部マントルにかけての連続した層序がみられる岩体のこと:マントル構成物質を直接採取できるものとして評価されている)で、オマーンの北部海岸に横たわっている。
 
海洋プレートは海底から4から7キロメートルまでの海洋地殻とその下のマントルから構成されている。
これが陸上に乗り上げたことで、オマーンでは居ながらにして海洋プレートの上部をほぼ原形のまま観察することができるのである。
しかも、オマーンの地上に露出しているにオフィオライトは厚さ15キロにも及ぶ世界最大規模のものであり、世界中の地質学者の楽園となっている。
 
なお、この様なプレートの衝突で形成されたものとして、ヒマラヤ山脈は、9500万年前にゴンドワナ大陸から切り離されたインド亜大陸(現在のインド半島)がユーラシア大陸と衝突してできたものであり、日本でもフィリピンプレートの乗る火山群が日本列島に衝突して伊豆半島が形成された。
 
火山や地球史に興味を持つ私としては、詳しくはわからなくても、この様な太古の歴史を物語る現場に立ち、見るだけでも、地球の悠久の歴史の一部を垣間見る感じでなんだかワクワクするのだが・・・私だけなのかな?
 
さて、最後にオマーンでのダイビングにふれると、

今回のダイビングはオマーンの離れ地ムサンダム半島から出発する、ダイビングクルーズ船・OmanAggressorに乗ってのダイビングだ。

 
この船2017年に竣工したばかりの新造船で、豪華でダイバーに便利なように工夫が到るところに施された船と聞いておりアフターダイブも十分楽しめそうだ。

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           キャビンの一例:狭苦しい蚕棚の部屋と大違いだ


ムサンダム半島はホルムズ海峡に突き出したオマーンの飛び地で厳しい山岳地帯でアラビアンプレートがユーラシアプレートに沈み込んでいる現場でもあるのだ。
中東のノルウェイと呼ばれる複雑なフィヨルド地形している。

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              素晴らしいムサンダム半島の景色の


オマーン湾でのダイビングは総じて干潮により流れが強く、それも場所によりかなり変化するようだ。
ダイビング形式はドリフトが主体で、紅海と同じように魚の濃度は素晴らしく珊瑚も元気で生き生きしているという。
初めてお目にかかる固有種もたくさんお目にかかれるようで楽しみだ。
 

ヨーロッパとアジアの中間に位置する故、古代、中世、そして現代史において栄枯盛衰を味わった中東の小国、そして地球地殻移動の最前線にある国。




そんな国でのダイビング。
南洋の小さな島でのノンビリ、ユッタリダイビングとは全く違ったダイビング以外の+αも十分期待できるそうで、このワクワク感がたまらない。
 
それでは行ってきます。
帰国後詳細レポートご期待下さい!

 
93日からのトンガでのホエールウオッチング&ダイビングは半年ほど前から行くことが決まっていたのだが、やはり土壇場にならないと何も進められないという悪い癖が年とともに更に強くなって来たようだ(勿論暑さのせいで仲々気乗りがしなかった・・・私としてはこの要素が大きいと思いたいのだが)。
 
トンガへ行くまでに
78日から18日まで「沖縄・宮古島&本島北部離島巡りダイビングツアー」
83日から8日まで「東北・女川ボランティア&ダイビングツアー」に行った写真などを整理しホームページ掲載し、かつ
地元の兵庫県立美術館で722日から918日まで開催されている「怖い絵」展を見に行きその内容を整理することが東北・女川から帰って来てからの当面の目標であった。
 
だが、最終的に情けないが、時間切れで「東北・女川ボランティア・・・・・」の写真をホームページに記載は不可能となり、トンガよりの帰国後に回すことにしてしまった。
 
トンガから帰ればトンガと東北・女川の件を1010日から出かける「インドネシア・アンボン海クルーズダイビング」までに片付けなければならなくなり、苦しくなるのはわかっているのだが・・・・・こんなイタチごっこが最近続くようになってしまった。
 
 
というわけで、ここでは
まずはじめに「沖縄・宮古島&本島北部離島巡りダイビングツアー」
そして、兵庫県立美術館で開催中の「怖い絵」展
最後にこれから行く「トンガ」について感じることなどを紹介します。
 
 
「沖縄・宮古島&本島北部離島巡りダイビングツアー」については既にこのブログでも731日に「沖縄・宮古島&本島北部離島を巡るダイビングは快晴続き、しかも777本記念達成とルンルンであった(前編)」「その後編」と二つに分けて観光面を主体に記載している。

今回のホームページには前回のブログに掲載した観光写真とともにダイビングの写真および動画も掲載しました。
 
思い返してみると、何と言っても、宮古島と本島北部の離島巡りの期間中、快晴、ベタ凪と信じられないほどの天候に恵まれ、観光そしてダイビングが絶好のコンディションで楽しめたことと、個人的なことであるが、この期間中私がダイビング777本の記念ダイブを達成し多くの皆さんに暖かく、熱烈に祝っていただいたことが強く印象に残っている。

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           私の777本記念を皆で(特に女性中心で)祝って頂きました

60歳を越して、ダイビングをはじめてから約14年。そのうちの半分は在職中で、なんとか時間を工面しながらのダイビングであったが、残りの半分は完全リタイアしての自由で気ままなダイビングをすることが出来、年間100本近くまで潜ったこともあって、今回めでたくも777本を達成出来たのだ。
だが、やはり最近体力低下を感じる中で、今年がダイビング開始して15年目ということで、今まで行けてないようなところに、余り潜る本数には拘らず、のんびりと質の高いダイビングに、これからは積極的に行く計画をしている。
 
9月のトンガのホエールウオッチングもその一つで、10月にはインドネシアのアンボン海クルーズ、11月にはオーストラリアのポートリンカーンでのホージロザメのケージダイビングなど予定されている。
 
私が付き合っているダイビング仲間内では777本などは全く若輩扱いだ。
1000本超え2000本近くの人達がウジャウジャ。
そう見ると私ももっと頑張らなくてはと・・・・・気を張らずノンビリとこれからも永くダイビングを楽しんで行きたいと思います。
 
ということで、色々思いを込めた777本記念ダイブ達成であり、かつそれを暖かく、盛大に祝ってくれたショップの皆様、そして同行のダイビングの仲間に感謝を申し上げます。
 
ホームページの内容案内のつもりがちょっとずれてしまいましたが、ここではホームページにも掲載をしていますが、前回ブログには掲載しなかった海の中の動画を2,3本ご紹介します。

            無数のハナダイが小さ根に乱舞するさまが素晴らしい

               群れるデバスズメダイの俊敏な動きは見事

              視界一杯に群れるスカシテンジクダイに驚きだ
 
さて次に現在開催中の兵庫県立美術館の「怖い絵」展の話であるが、9月入れば混みそうなので、なんとかトンガへ行く前にと思い、29日やっと(「東北・女川ボランティア・・・・・」のホームページアップを先延ばししたため)行くことが出来た。

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              兵庫県立美術館入り口と「怖い絵」展ポスター

案の定、朝一番に行ったのだが、大変な混雑で今年何回か美術館等へ行ったが一番の混雑であった。
今回無理してでも29日に行ったのは正解であったと思う。
 
私はリタイヤ後、この5年間ほど「ギリシャ神話と西洋画」なる美術講座を月一度受講しているのだが、この講座はギリシャ神話をテーマに各時代の画家たちがどのように神話を描いてきたかを説明してもらうものだが、ある時期は規律正しく忠実に描き、あるときは神々を動物やシンボルに喩え自由度をもたせたり、又全く作家の思ったまま自由に描いたり、一枚の絵画を奥深く読み込むと、見えてくるその時代背景や作家の意図などを教えてもらうものだ。
 
まさにこの「怖い絵」展は一枚の絵画を深読みし、その背景を知る事で初めて怖さを知る絵や、勿論視覚的に直接怖さが伝わる物などを集めているのだ。
 
この美術展は中野京子氏のベストセラー「怖い絵」に想いを得たという。
中野京子氏の著作「怖い絵」は約10年前に初刊されて、一躍注目され、それ以降ゾクゾクとこの手の本を発刊するベストセラー作家となったが、これらの本の人気にインスパイアされ、主に近代のヨーロッパ絵画から、神話・現実・歴史といったテーマに分けて”怖い絵”を集めたのが本展である。
 
今回の美術展の目玉は何と言ってもポール・ドラロージュの「レディー・ジェーン・グレイの処刑」である。
本展のポスターにも使われ、キャッチコピーに”どうして”と一言だけある。
シンプルで余計その裏にある背景の複雑さが想像され怖さが滲み出る感じだ。

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          左ポスター(絵の右側に”どうして”とある)、右全体図

この絵に描かれているのは、純白のドレスに身を包み目隠しをされた乙女が、白く華奢な手を伸ばし、これから己の首を切り落とすために使われる断頭台を探している姿だ。
波打つ豊かな髪は括られ、滝のように肩へと流され、斬首しやすいようにドレスの襟元は大きく開けられている。
取り乱した侍女たちは柱にすがって泣き崩れたり、気を失ったりしている。
自分の不運な運命を嘆くことも、命乞いもせず気丈に振る舞う彼女はイングランド史上初の女王となるも、わずか9日間で玉座を去り、ロンドン塔に投獄され7ヶ月後に死刑となった悲劇の女性である。
 
享年16。罪状は君主に対する「反逆罪」である。
まだ少女といえる年齢であった彼女に、「反逆」など大それたことが、本当にできたのだろうか?
ヘンリー八世の由緒正しき血筋に生を受け、敬虔な信仰心と気品を備え、「イングランド一の才女」との呼び声も高かったとされるジェーンだが、醜い権力闘争や宗教争いに巻き込まれてしまったのだ。
 
このように見てくると、ポスターの”どうしては多分、”どうして、私がこんな目に合わなければならないの・・”続くのであろう。
 
権力闘争の真っ只中に放り込まれた無垢な少女の運命を想うと、本当に背筋がヒヤッとする恐ろしさを感じる。
 
他にももっと紹介したいものがあるが一つだけあげると

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                 オデュッセウスとセイレーン
 
オデュッセウスがトロヤ戦争後国に帰る途中に遭遇する試練の一つで、美しい歌声で船人を惑わさせ遭難させるというセイレーンの誘惑に必死に抵抗するオデュッセウスと部下たちを描いている。
部下たちには耳に蜜蝋を詰め聞こえなくし、オデュッセウスは歌声を是非聞きたいと蜜蝋は詰めず、体を柱にロープで固定している。
ただ、セイレーンの美しい歌声を聞いたオデュッセウスは陶然となって身をよじっているだけであるが。
 
 
さて、やっとトンガについてであるが、我々ダイバーではトンガと謂えばクジラが高確率でそれも親子クジラが殆ど動かずにいてくれるため、じっくり見ることが出来る場所であるということは広く知られているが、他には・・・・と言われると。

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               トンガでのクジラの親子(インターネットより)

トンガは王国である。
トンガの人は身体が大きく、日本でも相撲やラクビー界で活躍した人がいる
南の島国で世界でも2番目かに早く一日が始まる国だとか
あ、カボチャの輸出国で日本の商社の人が栽培を初めたとか
・・・・
余り大したことを知りませんね。
 
只、地質学に興味持つ私としてはトンガは大変身近なのです。
 
トンガ諸島の直ぐ東側には長さは約1,200km、最大水深は10,882 mと世界で2番めに深い海溝があり、ここで太平洋プレートがオーストラリアプレート下に沈みこんでいる。
 
日本列島同じような構造で、日本列島にま東側に日本海溝が長さ約800km、最大水深8020mがあり太平洋プレートが北アメリカプレートに潜り込んでいる。

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                    太平洋周辺の海溝
 
又、最近読んでいる本で、
佐野貴司氏著の「海に沈んだ大陸の謎」という本で、昔から言われた、一万年前に高度の文明を持っていた人達が住む大陸がある日忽然と消えたという謎の大陸「ムー」や「アトランティス」伝説は真実か否か、海底調査から浮かび上がった「第七の大陸」正体は?というような内容の話なんですが、
 
彼の結論としては、本の中では地球史科学に基づいた詳しい考察が述べられているのですがそれは省くとして、トンガの西側現在のニュージランドあたりの海底に広大な海台(超巨大火山が海中の台地)があり、この海台は現在も沈下中であるが、逆算するとこの海台は一部が海の上に出て時期があると推定されるという。
現在海上に出ている島はニュージランドが代表的なものである。
 
そうなるとこの海台が「第7の大陸」と呼ばものであり、その大陸の名は「ジーランディア」と名付けられている。
 
日本の海洋研究開発機構(JAMSTEC)が2018年にも地球深部探査船「ちきゅう」を使用してこの「失われた大陸」を掘削し、大陸分裂の謎を解き明かす、新たな計画「ロードハウライズプロジェクト」が動き出しているという。

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           JAMSTECの「ロードハウライズプロジェクト」の掘削計画
 
こうゆう話を聞くとなんか夢がありいつも興奮してしまうのだ。
 
それでトンガとの関係は?と聞かれると、トンガは「ジーランディア大陸」の直ぐ東側にあるというだけなんですが、私としては地球史科学の大エポック的な舞台近くに行けるというだけで興奮して嬉しくなってしまうのです。
申し訳ありません・・こんなことで喜ぶのは私だけですかね??
 
それではトンガについてほんのちょっと
トンガは南太平洋のオセアニアのポリネシアに属し、イギリス連邦加盟国の一つである。

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トンガは基本的には火山群島で、4つの群島、172の島からなり、うち45島が有人で島々は南北600km、東西200kmの幅に広がり、すぐ東にトンガ海溝が南北に伸びている。
周辺の島々が次々とヨーロッパの列強国の支配下に置かれてきた中で、過去に一度も植民地化されず、現在まで王制が残る唯一の国であるもある。
陸地面積の合計は747㎢で日本の奄美大島(712㎢)の大きさに近い。
 

 
今回我々が行くババウ島はトンガタプ島の北約275㎞にあり、北の玄関として栄えており、中心地であるネイアフの港は複雑に入り組んだ海岸線と美しい入り江、透明度の高い海が人気で、毎年5月~11月まで東からの貿易風を利用して航行するヨットマン憧れの地として世界的に有名だ。

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               上:ババウ島ネイアフの港 下:ヌク島
 
また、ババウ島の豊かなサンゴが生息する海は非常に美しく、多くのダイバーを魅了し、毎年7月~10月にかけてはザトウクジラが回遊して、ザトウクジラの群れの中で泳ぐ稀少な体験も出来る。
 
 
知らないことが多すぎるトンガ王国です。
でもセレブも憧れるネイアフの港の景色は楽しみですね。勿論クジラもですが・・。
 
それでは行ってきます。

 
ここからは後編の沖縄本離島巡りツアーです。
宮古島は前編です。
 
宮古島に後ろ髪惹かれながら、14日夕刻那覇に移動し、翌日から沖縄でのダイビングや海外ツアーなどにもお世話になっている那覇のダイビングショップ主催の「沖縄本島北部の離島巡りダイビング&観光」に参加しました。
 
このツアーの行程はこうだ。


1
日目 那覇〜伊江島(2Div)〜美ら海花火〜全員で飲み会
2
日目 伊江島~沖縄本部北部(2Div)〜古宇利島〜今帰仁〜全員で飲み会
3
日目 今帰仁~辺戸岬(2Div)〜オリオンビール工場試飲会~那覇・打上会

 
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            沖縄北部離島巡りダイビング観光ツアー全行程ルート

参加者は上記行程の者9人(私はこちら)、別Gr.1日目が伊江島に行かず本部で潜り、間近で美ら海花火を見るGr.9人で二日目から合流して総勢18人の大所帯ツアーだ。

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             本部で2Gr.集合して全員集合
 
実はこの集合写真は私の777本達成祝を兼ねているのだ。

私は前日の伊江島での2本目のダイビングで777本となっており、
「今日これで777本目なんだけど何かお祝いあるの?」
(普通は何百本と切りの良いところでお祝いをするのだが)
とショップのオーナー兼ガイドである、あきさんに訪ねたら、
「そんなこと早く云ってよ!!」
と言いながら、その晩食事の時、第1Gr.の皆からお祝いされ、そして翌日全員揃ったところで上の写真を撮り、皆からお祝いされたのだ。
 
更に、那覇の事務所に指示して、お祝いのプレートを作らせ届けさせて、下のような美女たちに囲まれ、777本と書いたプレートを持って、集合お祝い写真となったのだ。

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            浴衣美女達に囲まれ777本記念を祝福されご満悦な私
 
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           更に女性陣に囲まれた写真も特別に撮ってくれました 
 
あきさん。本当に有難うございます。
わざわざプレートまで作成し届けさせお祝いしていただき感謝感激です。

実は、昨年6月、あきさんの沖縄粟国・慶良間諸島ツアーで700本記念をしてもらっており、続けてあきさんにお祝いしてもらっているのだ。
何か重ね重ね感謝する次第です。有難うございます。

 
さて、本来の観光、ダイビングの話に戻すと、第一日目に訪れたのが伊江島である。
随分前であるが「沖縄美ら海水族館」に行ったとき、海を隔てて直ぐ近くに伊江島という変な形の島があるなと思っていたが、今回初上陸してその偉容な姿に改めて吃驚した。

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        フェリーからのおよび間近から見る伊江島の城山(ぐすくやま)

この城山高さが172mあり、平坦な島にちょこっと三角形の岩が突き出ている。
誰が見ても不思議でどうしてこんな形になったのだろうか?と思うはずだ。
 
私も早速調べてみたら、世界広しと謂えどここが唯一無二のオフスクレープ現象(古い岩盤が新しい岩盤に潜りこむ中で一部が剥がれて新しい岩盤の上に乗る現象)によって形づくられものだという。
 
日本列島は、主に海洋プレートが移動中に堆積した海洋堆積物と大陸から運ばれてきた砂や堆積物とが、海洋プレート(北アメリカプレート、フィリピンプレート)がユーラシアプレートに潜り込む際、海洋堆積物が剥がれ大陸側の堆積物と混ざり加圧された付加体と呼ばれるもので出来ており、それがどんどん大きく、圧縮され、変形して海面に出た陸地である。
今回の城山は日本列島が出来る過程で、7000万年ほど前、オフスクレープ現象という海洋プレートの中の塊が剥がされ、付加体の上に乗り長い時間をかけ突き上げられて海面に出てきたものだという。
 
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プレートの移動による沈み込み部に出来る付加体の仕組み

球形成の歴史は悠久で雄大であるが、その痕跡の一コマ一コマをほんのチョットだけ我々にわかる様に残してくれており、それらを調べることはその流れを推測し、理解することであり、地球史などにが好きなものには興味が尽きない。
 
勿論城山に登りました。
急坂の約200段ほどの石段を汗を垂らしながら登りきったとき、スコールが来てずぶ濡れになったがその後の城山の頂上からの景色は素晴らしかった。
島を一望し、遠く東シナ海を見通す雄大な景色に加え幸運な二重虹まで見せてくれ耐えて上った疲れもすっ飛んでしまった。

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      城山からの眺め、スコールがありずぶ濡れになったが綺麗な虹が
      補ってくれた。

さて、肝心のダイビングはどうかというと、毎日快晴、ベタ凪と最好条件で文句つけようが無かったのだが、私のBCの調子が悪く写真を撮るどころでなかった時もありかなり限られた写真となってしまったが、珊瑚が素晴らしく、洞窟、鍾乳洞もあり楽しめるダイビングであった。
 
スライドでダイビング写真の一部を見て下さい。

 
伊江島のあと大きな橋を渡り古宇利島にも行き海水浴や観光客で混み合うビーチをチョット見て皆アイスクリーム屋に飛び込んで思い思いのアイスクリームを頬張っていました。
又夜は毎日毎日皆でワイワイガヤガヤと食べて飲んで喋って本当にみんな元気で楽し会食でした。
最終日、那覇に帰る途中、名護市にあるオリオンビール工場見学&試飲会にも行きました。
生憎工場は休日で操業はしてませんでしたがビール工場の雰囲気は十分感じ取ることが出来、試飲会では出来たてのビールをジョッキに2杯まで無料で飲ましてくれ、ドライバー以外皆2杯のビールを美味しくごちそうになりました。
 
ユミさんとお揃いのTシャツを購入して記念写真を・・。
日焼けとビールやけで真黒で、修正して載せようかと思いましたが、そのまま掲載しました。
 
本当に楽しい日々の連続でした。
あきさんやスタッフの方々の色々なご配慮で毎日楽しいダイビング&観光が出来ました。
本当にありがとうございました。
 
沖縄北部離島観光の写真をスライドで見て下さい。
尚、今回掲載した写真は同行者がFBに掲載した写真を利用させていただきました。
特にあきさんがこまめに集合写真を撮って頂きいい思い出になりました。
改めてお礼申し上げます。
 
 
これで、やっとブログが終わった(まだホームページへの写真掲載は終了していない)と思ったら、83日から東北・石巻へ行くことになっており、どうもホームページ作成は東北から帰ってからになりそうだ。
 
今回の東北でのダイビングは、沖縄の「サワディーダイブ」と女川の「ハイブリッジ」がコラボして震災に遭った子どもたちと「海をもっと楽しもう」という企画を立て、この催のあと一日東北の海でダイビングすると言うので、私も参加させていただくことになったのだ。
 
最近の情報では水温は20度という。
もう10年近く使用してない、埃をかぶったドライスーツを出してチェックしたが外見は問題無なそうであるが、ピンホールがないか、上手く操作出来るか等色々心配だが5mmのウエットスーツで歯をガタガタ言わせて潜るよりマシと割り切って持っていくことにした。
 
又、沖縄北部ツアーの同行者がオリンパスの「TG-5+プロテクター」を購入したと聞き、私もと即衝動買いしてしまったのだが、もともとTG-5が発売されたら購入するつもりだったのだが、昨年「TG-5」の代わりに「TG-Tracker」が発売されこれを購入したが、今年の6月になってやっと「TG-5」が発売され、様子を見ていたのではあるが・・・。
 
購入後わかったのであるが、私が使っているオリンパスのカメラはかなり古く、今まで使っていたワイドレンズやドームそしてアーム取付ホルダー等新しいカメラには取りつけが出来ないのだ。
 
「カメラとプロテクタ」だけを購入すれば良いと思っていたのが、「ワイドレンズ」も購入し、「ドームレンズ」はしばらく様子をみて、「アーム取付ホルダー」は自分で取付金具を作りなんとか凌ぐ事にした。
 
意図しない出費だったが、この器材を東北のダイビングでトライすることにしたが、まだ操作ががわからないカメラとしばらく使ってないドライスーツで上手く写真が撮れるとは思えないが、まずチャレンジとやってみることにした。
 
どんなことになることやら・・・・・。
次回ご報告します。
 
では行ってきます。

 
7月の中旬の2週間弱、沖縄の離島巡りダイビング&観光に行って来ました。
前半は宮古島周辺の島々、そして後半は沖縄本島北部の島々を巡る旅でした。
 
まず、宮古島であるが、ここは珊瑚礁が隆起して出来た島で、そのため海水に浸食された部分がケープ、クレパス等となって変化に満ちたダイビングポイントが数多くあり私好みな場所なのだが、何故か、200612月末に訪れて以降一度も訪れておらず、又、沖縄本島南部周辺は多いが、北部の島々には行ったことが無かった。
 
そんな中、ダイビング仲間から、宮古島でのダイビングの誘いがあり、即その計画に載るとともに、お世話になっている那覇のダイビングショップが沖縄北部の離島等を巡るツアーを計画していたので、この二つを合体して、今回、沖縄・宮古島&本島北部離島を巡るダイビングツアーとなったのだ。
 
まず前半の宮古島であるが10年ほど前とでは大きく変化して、周辺の島々は、20151月無料で渡れる日本最長の良部大橋が出来、殆ど橋でつながり(離島で無くなった)、大きなマンションやビルが増えていた。
だが、自然の美しさはそのままであった。
特に海のグラデーションが非常に鮮やかで、沖合にはコバルトブルーが広がり、浅瀬に近づくにつれてエメラルドグリーンに変化するその海の美しさは昔の記憶のままであった。

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今回の離島巡りは宮古諸島と沖縄諸島の一部でした

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      宮古島の離島?は伊良部大橋、池間大橋、来間大橋の離島架橋で繋がった
    
今回の宮古島での行程は78日に入り、14日には那覇へ向けて出る行程であるが、ダイビングは三日間で、一日目は伊良部島東側、2日目が下地島西側、そして3日目がチョット遠出して池間島の更に北側に広がる八重干瀬でした。
ダイビングの後、1日半はレンターカーで島内を観光した。
 
今回の宮古島のツアーで八重干瀬は前回に行ってなく、宮古島の北方沖に広がる日本最大級のサンゴ礁地帯で100以上のサンゴ礁から形成されており、2013年には天然記念物に指定されており、その活き活きした珊瑚、透き通る透明度そして美しく変化する海の色のグラディエーションに本当に吃驚しました。
 
この素晴らしく美しい八重干瀬の海の様子をスライドショーで見て下さい



ダイビングでは下地島の「魔王の宮殿」や「ミニ通り池」など複雑な地形と頭上から射し込む光のシャワーなど素晴らしい光景を見ることが出来たが、写真にはあまり上手く残せなかったがその一部を掲載します。

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                   ミニ通り池で半水面写真

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                 魔王の宮殿および色彩豊かな魚達

ダイビングの後レンターカーで来間島→東平安名崎→池間島→伊良部島・下地島と宮古島を一日半かけて回ってきました。
内陸は殆ど行かず、海岸沿いを一周した感じですが、車から見る海も、高台の天望台から見る海の景色はグラディエーションが克明にわかりその美しさに圧倒されました。
最近宮古島にリタイヤして移住する人が増えていると聞き、気候も自然も良く、食べ物も美味しく、納得する次第だ。
 
宮古島一周観光ルート
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          宮古島を来間島から反時計周りに東平安名岬、池間島、
            伊良部島・下地島へほぼ海岸沿いを一周しました
 
宮古島観光の写真をスライドで見て下さい。


 
晴天続きの宮古島から那覇に移動して翌日から沖縄本島北部離島巡りツアーに参加しました。

この続きはどうも文字制限からか、一括ではアップ出来ないので分割して後編に記載します。
後編も引き続きよろしくお願いいたします。


この爽やかで素敵な気候の5月の連休の大半を費やして先日、いや、かなり前の2月末に行った「タイ・シミラン&ピピ諸島のダイビング/観光」の写真整理が終わり、やっと、ホームページへ掲載することが出来ました。
 
何故、貴重なこの連休に家に篭ってパソコン相手にシコシコと写真整理をしなければいけなくなってしまったのは、一重に切羽詰まらなければ行動しなくなった私のズボラさ所以である。
 
切羽詰まる・・・そうです、明日から待望の2週間弱の「ケイマン諸島ダイブクルーズ」に出かけるのです。
気持ち爽やかに出かけるためにも「シミラン・・・」の写真整理をどうしても終わらす必要があったのです。
 
ということで、今日、ここでは、連休を犠牲にして写真整理をした「タイ・シミラン&ピピ諸島のダイビング/観光」の簡単な報告と明日からの「ケイマン諸島ダイブクルーズ」について触れたいと思います。
 
 
タイのシミラン諸島でのダイビングは前のブログに触れたように4年ほど前に同じようにダイブクルーズで訪れているのだ。
 
シミラン諸島は静かで真っ青なアンダマン海のマレー半島側にあり、火山と氷河が作りあげた9つの島からなる美しい島々である。      
この海域は、透明度が高く生物も豊富なためダイバーの憧れの場所であるのだ。
 
4年前に行って、その謳い文句が偽りでなく、景色、海、そして魚達にも魅了されて、是非再びと思いつつも色々他にも行きたいところもあり、やっと今回実現出来た次第だ。
 
しかし、今回のシミラン諸島のダイブクルーズは四泊五日とチョット短めであったので、折角だからと、前から気になっていたピピ島(デカプリオの主演映画{ザ・ビーチ」の舞台となった島で一躍有名になってしまったが、かれこれ20年も経過しているので、そろそろ良いかなと思い)に足を伸ばすことにし、ダイビングと観光を楽しむ事にした。
 
 
今回のシミラン諸島のクルーズはカオラックのダイビングショップ「edive」が企画し、沖縄の「サワディダイブ」と東北宮城の「ハイブリッジ」がコラボでチャータしたもので、そのためかなり知った人たちもおり和気あいあいの楽しいクルーズであった。

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今回のクルーズのルートは前回とチョットちがって、シミラン諸島には寄らず、大物狙いを主眼とし、その北側の地域を中心に潜り倒したという感じであった。
 


 
これが大正解で、他のクルーズ船も殆どおらず、天気清朗であるも波は静、透明度はスコーンと抜け、マンタ、バラクーダーそしてキンセンフエダイ、ギンガメアジ等の群れ、群れとこれぞワイドダイビングの醍醐味とばかり満ち足りたクルーズとなった。
 
 















シミラン諸島のクルーズルートとオレンジブルー号

クルーズの楽しみは又、ダイビングの後のビールや食事は勿論、色々なイベントも思い出深く楽しみの一つだ。

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           最後の晩な全員で各種の余興で盛り上がった
 
今回、タイの人気のコンローイ祭り、特にアユタヤのコンローイ祭りが有名だが、に使用するコンローイを”大物に出会えるように!!”と祈願して船上で揚げたのだ。
数そのものは十数個と少ないが、皆同時に揚げようとしたが、浮力の調整が難しく、個々に揚がってしまったが、無事全数見事に遠く上空まで揚がり、その眺めは幻想的で感動的で明日の大物の祈りも無事届いた感じだった。

                コムローイを揚げている時の動画です
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                コムローイを揚げる準備中
 
不思議なもので、コムローイのお陰なのか、翌日、朝一番飛び込むと、海底にはマンタが”お待ちしてました”とばかり我々を迎えてくれ、そのあとは、マンタ、マンタ、マンタ・・・。
そしてさらにバラクーダの群れ等と大物と群れが続々と現れるダイビングとなった。

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             大物、群れ大変賑やかで楽しいダイビングでした
               マンタが続々と現れてくれました
                        沈船ポイント 今回は抜群の透明度で吃驚

又、ダイビング以外にも、近くの島に上陸して現地の人たちと一時の交流するのもクルーズ楽しみの一つだ。

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今回はモーケン族の100人程度の小さな村を訪ねた。
ここの人たちは先祖の言い伝えををよく守り、少し前のスマトラ沖の大地震による津波対しても、”地震のときは高台に避難せよ”の言葉を守り、一人もの犠牲者を出なかったという。
 
ひっそりと静かに暮らしていいるが、最近多くの観光客が訪れるようになって、子どもたちが手作りの小物を売るようになり、観光化は進んでいるようだ。
テレビやパラボラのアンテナなどが付いた家を見かけられ生活が豊かになることは良いことだが、この素朴さがいつまでも続いていて欲しいが、・・・私の勝手な願いかも。
 



さらに、今回のゲストの中にハワイ在住でドローンを持参いただいて、上空からの撮影して頂いたものを夕食のあとの上映会で見せて頂いたことも大変印象深い思い出であった。

普段見ることのない、上空からの島や停泊中の我々のクルーズ船などの景色を見ることは中々象深いものだった。

そんなこんなで大変楽しいダイブクルーズでした。

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              皆さんどうも有難うございました
 
 
シミランのクルーズ終了後皆カオラックに帰ったが、私だけ皆と分かれてカオラックで一泊後、翌朝タクシーでプーケット島の南端ラッサダ港へ、そこからフェリーでピピ・ドーン島(ピピ諸島は6つの島々からなるが、人が住み観光客等のホテルがある中心的な島がピピ・ドーン島であり、通常ピピ島と言うとこの島の事をいう)への合計約5時間ほどのにゆったりした移動だ。

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           カオラックからピピ・ドーン島へ移動。ピピ諸島の地図
 
風光明媚なアンダマン海の中でも際立ってその美しさで人気が高いのはピピ諸島であり、特に2000年のデカプリオ主演でピピ諸島が舞台となった映画「ザ・ビーチ」が公開されてからその人気に火が付き、世界各国から観光客が押しかけるようになった。

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                映画「ザ・ビーチ」の舞台となったピピ・レイ島の
                息を呑むほどの美しさ(インターネッとより)
 
ピピ諸島はプーケット島から約40kmほど東南にあり、石灰岩ででき、切り立った崖、島々の特異な形、光り輝く太陽に、そして取り囲むコバルトブルーの海と白い砂浜と確かに美しいところだ。
 
ここでのダイビングでは私が希望したポイントは、ピピ島からボートで2時間以上かかるかなり遠くのポイントせ、外洋にポツンと浮かぶみ三つの岩からなる孤島ヒンデン&ヒンムアンであった。
 
ヒンデン&ヒンムアン(ヒンは岩、デンは赤、ムアンは紫)は豪快なドロップオフでダイナミックな岩岩の造形がを楽しめ、壁面は島の名の通り、赤及び紫のソフトコーラルが一面に絨毯を敷き詰めたような見え、バラクーダの群れ、ツムブリの群れ、マンタやジンベイなども頻繁に現れるという人気ポイントであるがなにせ遠いい。

ピピ島到着してダイビングショップにヒンデン&ヒンムアンでのダイビングを申し込んだが、ゲストが集まるかどうか調整してみるとのことであったが、私が滞在する5日間では参加希望者はいないとのことで、残念であるが諦めた。
 

その代わり、ピピ・レイ島の少し南の二つの小さな島(Bida Nai,Bida Nok)を紹介された。
ここは透明度がよく、ドロップオフで、魚の群れも多いとのことで、まずここで潜ることにした。
大きなボートに色々なショップから集まったゲスト総勢10人ほど出発して、ピピ・レイ島近辺の綺麗な海をみて期待を膨らませたが、潜ってみると宣伝とは大違いで、透明度も悪く、魚も少なく、がっかりであった。
ピピ諸島近辺はやはり観光地化して他のポイントも期待薄なので、ここでのダイビングはこの2本で諦め観光に精を出すことにした。

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          ピピ島での大きなタイマイとハシナガチョウチョウウオ

さて、観光となると、まず、ピピ・ドーン島の「View Point」だが、乗り物もなく自分の足で行くしか手段がなく、ホテルから町の両側に各種の店が並ぶ狭い曲がりくねった道を抜け炎天下の山道を登ること約1時間。
 
頂上の「View Point」から見る景色は、本当に素晴らしかった。
特異な形をした島々を取り巻くコバルトブルーの海の色の変化が高いところから見ると一段と素晴らしく、びっしょり汗掻いてここまで来た甲斐が十分あった。
 
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            「View Point」より見たピピ・ドーン島の絶景

又、「高速ボートによるピピ諸島を巡る1日ツアー」の観光も大変印象的だ。
 
ピピ諸島の観光名所を一日で合計8箇所ばかり、高速ボートで次々と巡っていくのだが、初めかなりせわしいのではないかと思ったが、ピピ諸島全体のエリアもそう広くなく、移動時間が短いため、各停泊場所では十分時間がとれ、ノンビリと景色を楽しみ、シュノーケルも楽しめた。

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勿論メインイベントである、「ザ・ビーチ」で有名になったピピ・レイ島の「マヤベイ」のビーチにも行、上陸したのだが、その人の多さに吃驚だ。
ここは、プーケットの多数の観光会社が企画する、大型ボートの一日ツアー観光で必ず訪れるところなので、それらの大型ボートの観光客と重なったら、何しろ人で一杯になる。
 

     ピピ諸島巡り一日ツアーのルート

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特に中国人が多く(喋っているのが中国人が殆どで目立つからか)騒がしい。
浜辺でゆっくり寝転がって・・・なんていう発想は全く思い浮かばない。
なにせ、陸に上がったらビーチなるものは人で一杯で見えないのだから。
しかし、これだけ人が押し寄せても管理が行き届いているのか、湾内の海の色は透明でゴミも浮かんでなく綺麗だった。
 
下のような写真を想像していたのだが・・・・。
 





「マヤベイ」以外の名所は訪れる人も少なく、海の色は更に綺麗で感動ものでした。
詳細の写真はホームページを見ていただきたい。
下にほんの少しだが印象的であった写真を掲載しておきます。

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              写真は左上から時計回りで pileh Bay,Wang Long Bay,
               BambooIsland,May Bay
 
ピピ島内観光としては特別な場所(上記の「View Point」以外なく、ただ飲んで、食べて、買い物して、そしてマリンアクティビティーとしてはダイビングかシュノーケル、あとはホテルのプールかビーチで甲羅干しを楽しむ位だ。
 
しかし、町の海岸沿い道は整備されていて綺麗なレストランも並んでいるが、何と言ってもここから眺める空と、島々そして青い海の景色は素敵だ。
冷たいビール(写真はココナッツでしたが)でも飲みながら何時間いても飽きない見事な景色だ。

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                   ホテル周辺の海岸沿いの景色

さて、最後にホテルだが、ここには各種のゲストが訪れるが、町から遠く離れボートでしか行けないようなプライベート的なリゾートホテルから、バックパッカー向けの町中の小さなドミトリー的な宿、そして海岸沿いの生活に便利なホテルと色々あるが、私はフェリー乗り場から直ぐ近くでショッピングなどに便利だが、比較的ゆったりした感じの「Cabana Hotel」に泊まった。
意外と広い敷地にユッタリと、建物内は静で落ち着いて、宿泊した部屋も広くシックな造りで感じが大変良かった。
プールも大きくはないが、ここから見る景色が素晴らしく、ここでゆったり過ごすゲストがいつも大勢いた。

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                 宿泊した「Cabana Hotel」の写真

今回のシミラン諸島&ピピ諸島のダイビング/観光は、シミランのクルーズでは皆と和気藹々に飲んで食べて、ダイビングは抜群の透明度と大物・群れのオンパレードで久々に超満ち足りたダイビングができ、ピピ島ではダイビングは今ひとつであったが、活気ある町でのショッピングや食事、そして綺麗な自然に取り巻かれ毎日を過ごせ本当に癒された。
 
 
さて、最後に、明日より行くケイマン諸島ダイブクルーズであるが、ケイマン諸島は言わずと知れた英国領で英国領ケイマン諸島(Cayman islands British West Indies)カリブ海の真中にあり、グランドケイマン、リトルケイマン、ケイマンブラックのサンゴ礁が隆起した三つの島でなる。
周りには他のサンゴ礁や島がないため、周りの魚達がこのケイマン諸島に集まり魚が多く、地形的にはドロップオフでその上抜群の透明度ということで、ダイバーの憧れの地なのだ。
 
昨年の1月メキシコのダイビングの後、キューバへ観光に行ったが、その時カリブ海の凄さの一片を見ることが出来、是非カリブ海で本格的なダイビングをしたいと思っていた所、今回のダイビングクルーズの誘いがあったので即、参加した次第である。
 
今回のダイブクルーズは船内7泊8日の行程でどのようなルートを取るのかよくわからないが、私としてはリトルケーマンの西よりの「ブラッディベィ・ウォール」は是非行ってみたいのだが・・・。
あのクストーが世界最高のダイビングポイントの一つとして挙げた人気のポイントで、抜群の透明度で、水深67メートルのリーフから一気に2000メートル以上の深みに落ち込むドロップオフは、カリブ海のほかの地域では見られない豪快なものだという。
 
いずれにしてもカリブ海、それもケイマン諸島でクルーズ船で色々なポイントを巡りながらダイビング出来るのだから期待は大きく膨らみぱなしだ。
 
ケイマン諸島の綺麗な写真を掲載しておきます。
実際はどうであったか楽しみです。

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           ケイマン諸島の素晴らしい景色(インターネットより)

それでは行ってきます。

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