今、国宝や仏像、運慶等に関する本を集めたコーナーを作っている書店をよく見かけけ、ちょっとした仏像ブームが起きているのだ。
 
それは運慶作等の国宝仏像を多く持つ法相宗大本山興福寺は、平城遷都1300年記念の平成22年(2010)に興福寺も同じく創建1300年を迎え、この記念の年に、江戸時代享保2年(1717)焼失した中心堂宇である中金堂の復元の立柱式を行い、来年の平成30年(2018)秋に中金堂の落慶を目指している。
この復元計画は創建1300年の記念事業として平成10(1998)から平成35(2023)までの26年間を、第1期整備計画として中金堂、およびその周囲の整備をすすめているものだ。

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            興福寺中金堂、中門および周辺回廊を含めた完成図
 
この来年の中金堂の落慶を記念して色々な催が開催され、その一つが今回の
●東京国立博物館の興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」
  20179/2611/26  で、さらに
●神奈川県立金沢文庫の鎌倉幕府と霊験伝説特別展「運慶」
  20181/133/11 であり、既に終了しているが
●奈良国立博物館の 日本人を魅了した仏のかたち特別展「快慶」
  20184/86/4

この様な企画は今後ありえないほどの大規模もので、多くの人に仏像に対する興味を誘起し書店などで関係図書が賑わいを見せているのであろう。

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        左:国立博物館「運慶」 右:神奈川県立金沢文庫「運慶」のパンフレット
 
ということで、インドネシアバンダ海ハンマー狙いクルーズからの羽田空港に209時ごろ帰国しその足で以前から気になっていた東京国立博物館・運慶展を観てその夜神戸の自宅に帰ることにしたのだ。
 
ダイビングの報告は次回として、早速運慶展に関して記述すると、
 
日本で最も著名な仏師・運慶は卓越した造形力で生きているかのような現実感に富んだ仏像を生み出し、輝かしい彫刻の時代をリードした。
運慶の父・康慶は平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(国宝、天喜元年(1053))の作者である大仏師・定朝から仏師集団は三つの系統に分かれましたが、運慶の父・康慶は興福寺周辺を拠点にした奈良仏師に属し、院派、円派の保守的な作風に対して、新たな造形を開発しようとする気概があった。
 
本展では、その運慶のゆかりの深い興福寺をはじめ各地から名品を集めて、運慶の父・康慶、実子・湛慶、康弁ら親子3代の作品を揃え、運慶の作風の樹立から次代の継承までをたどっている。
 
ここで運慶の系譜を見てみると  

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運慶の父・康慶の弟子でライバル同士であった快慶も天才的な仏師であり、康慶が鎌倉でこれまでの仏法(経典)に則った仏像彫刻ではなく、武家社会の求める荒ぶる仏像が次に来ることを目の当たりにし、その路線を開花させたのが運慶で、一方、康慶が守ってきた仏像(仏法に則ったもの)を正しく学び引き継いだのが快慶であると言われる。
 
快慶の作品で代表的なものとして弥勒菩薩坐像(京都・醍醐寺)端正な顔をし正統派の仏像である。

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         左:快慶作 弥勒菩薩坐像 京都・醍醐寺 右:快慶展パンフレット

 
快慶の作品は今年、奈良国立博物館で「快慶展」が開催されたこともあり、本展では快慶の作品は展示されていない。
 
さて、本展の「運慶」であるが、推定を含めて運慶の作品で現存する仏像31躯のうち、22躯が今回集結するという史上最大の運慶展である。
 
又、出品作品は37作品でそのうち国宝が12作品であとすべてが重要文化財であるという豪華さだ。
 
日本の国宝は本年9月指定分までで、1108件でそのうち建造物 223件、美術工芸品は 885件でそのうち彫刻は134件であるという。
日本の彫刻関係の国宝の一割弱が一堂に集められたのだから本当に驚きで、こんなことは今後2度と出来ないのでないかと思うほどである。
 
この大規模な運慶展を開催しているのは東京国立博物館で上野公園に1872年(明治5年)に創設された、日本最古の博物館である。
本館、表慶館、 東洋館、平成館、法隆寺宝物館の5つの展示館と資料館その他の施設からなり、今回の展示は平成館だ。

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         左:東京国立博物館本館と東洋館  右:平成館入り口とポスター
 
当日は入館したのは午前10時過ぎであったが、雨模様で寒い天気であったが、来館者は驚くほど多く、チケット購入は行列でまた、館内も展示品廻りには23重の人の壁ができ大混雑であった。
運慶への人気の程がよく分かる。
入場料は1600円、公式図録は3000円(段々高くなってくる、辛い)
 
さて、本展の主なる(全てが主なるものであるが・・・)ものを独断で紹介すると
 
 大日如来坐像:国宝
 
入り口を入ると運慶処女作と言われる「大日如来坐像」が迎えてくれる。

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時間をかけて入念に造ったという、端正な溌剌とした表情と体格、きれいに梳いた髪のふくらみなど写実的で、二十代にして運慶の卓越した才能を感じることができる。
 

 
 
 
 
 
 

国宝 大日如来坐像 運慶作 
平安時代・安元2年(1176)奈良・円成寺蔵
 
 仏頭:重要文化財
 
イメージ 12興福寺西金堂の本尊、釈迦如来坐像が享保2年(1717)江戸の大火に焼失し現在の頭部のみの姿になった。
大日如来坐像に次ぐ運慶の初期の作品で、豊かな肉付きと大ぶりの目鼻立ちが鎌倉時代の初期の運慶派の作風を現しているとのこと。




重要文化財 仏頭 運慶作 鎌倉時代・文治2年(1186
奈良・興福寺

 
   毘沙門天立像:国宝
 
鎌倉時代に入ると運慶はその独創性を発揮し、1186年静岡・願成就院に収めた5躯(阿弥陀如来坐像、不動明王および二童子立像、毘沙門天立像いずれも国宝)には全く新しい独自の造形が見られる。

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鎌倉時代の人々が仏像に求めたのは、仏が本当に存在するという実感が得たいということで、運慶はそれを受けて量感と写実性い富んだ作風を作り出したとのこと。
 
像内に納められていた五輪塔形の銘札の墨書から、文治2年(1186)に北条時政の発願により運慶が造ったものとわり、引き締まった体で左に腰を捻って立ち、力がみなぎって今にも動き出しそうであり、武将のような顔つきも毘沙門天像にはめずらしいという。
本展の展示は毘沙門天立像のみであった。
 
 
 
1186年運慶作 毘沙門天立像 静岡・願成就院
 
 八大童子立像:国宝
 
平安時代後期、6体が運慶作、2体は後補である。八条女院という高貴な女性の発願だからか、いずれも上品な姿で生きているように見える、造像時の華麗な彩色もよく残っており、運慶作品の中でも完成度の高さで屈指の作であるという。
 
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         国宝 1197年頃 運慶作  八大童子立像 和歌山県・金剛峯寺 
         (東京国立博物館HPより)
      左から恵光童子、制多伽童子、矜羯羅童子、恵喜童子、清浄比丘童子、烏倶婆誐童子
         (後補作の2体 指徳童子、阿耨達童子は出展されていない)
 
  世親菩薩立像、無著菩薩立像:国宝
 
無著、世親は5世紀、北インドに実在した学僧で、法相教学を体系化したことで知られ、無著が兄、世親は弟であり。
2体の像は老年と壮年に作り分けられており、容貌は無著の静、世親の動と対照しつつ精神的な深みを加えている。
 
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            国宝 世親菩薩立像(左)無著菩薩立像(右)・運慶作
            鎌倉時代・1212年頃 奈良・興福寺蔵 東京国立博物館HPより

  聖観音菩薩立像 運慶・湛慶作 重要文化財 
 
イメージ 111199年に没した源頼朝の三回忌供養のため、頼朝の従兄弟にあたる僧・寛伝が建立し、頼朝の等身大のの聖観音像を作り、像内に頼朝の鬢と歯を納めたと、作者は運慶と湛慶であると記録されており、近年になってX線撮影にて頭部内の口の位置に納入品があることが確認され、記録に信憑性があると判断されたという。

脇侍の梵天・帝釈天を合わせ三尊とも作者は運慶・湛慶となる。
肉付きの良い体体と写実的な着衣の表現など運慶の特色が顕著で、表面の彩色は後補で、聖観音菩薩立像が寺から外に出るのは初めてである。
 


重要文化財 聖観音菩薩立像 運慶・湛慶作
鎌倉時代・1201年頃 愛知・瀧山寺蔵

東京国立博物館HPより

 
  阿弥陀如来坐像、脇観音菩薩立像、勢至菩薩立像、不動明王立像、
  毘沙門天立像  運慶作 重要文化財  静岡・浄楽寺
 
さて、運慶の作品を中心に今回の出展作を見てきたが、残念だったのは長らく門外不出を貫いてきたが静岡県・浄楽寺の運慶の運慶の5仏像が揃って42年ぶりに展示されているだが、阿弥陀如来坐像と脇侍の観音菩薩立像、勢至菩薩立像の3体のみが浄楽寺の恒例の法要が終了後の1021日から合流することになっていて、一日違いで見ることが出来なかったことである。
 
不動明王立像と毘沙門天立像に納入されていた銘札により運慶が造ったことがわかったもので、阿弥陀如来坐像および両脇侍立像はふくよかな体と生気があり大変優しい表情をしている。
不動明王像と毘沙門天像は迫力と力強さは比類ないものだが、願成就院像の斬新に比べて古典的であるという。
両者の違いの理由は不明だが、発願者の好みを反映したとも考えられているという。

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           上:阿弥陀如来坐像、勢至菩薩立像(左)、観音菩薩立像(右)
           下:毘沙門天像(左)、不動明王像(右) 重要文化財
             共に運慶作 鎌倉時代・1201年頃 静岡・浄楽寺 (インターネットより)
 
  大威徳明王坐像  運慶作 神奈川・光明寺 重要文化財
 

イメージ 13運慶晩年の作品であり、現状では左肩以下や脚部等が失われているが、当初は六面六手六足ですいぎゅうにまたがった姿であったと言われる。
大威徳明王の忿怒の表情が品よくまとめられた本像は、運慶晩年期において鎌倉将軍家の造像に深く関わっていたという遺品として重要な意味を持つものであるという。

 








大威徳明王坐像  運慶作 神奈川・光明寺 重要文化財
鎌倉時代・1216年 東京国立博物館HPより
 
今回出展された運慶の作品を紹介してきたが、まだ素敵な作品がたくさんあるが、字数の制限よりこれまでにします。
 
今まで、各地のお寺の仏像を遠くから眺めていたものが、一堂に介し間近でかつ360度から観ることが出来、その顔の表情や衣装の襞の細かさまでじっくり観賞出来、改めて仏像彫刻の素晴らしさを実感することが出来た。
(尚挿入画像は東京国立博物館HP及びインターネットから借用しました)