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年間20万人もの人が登山する富士山。
そのうち、毎年1000人近くの70歳以上の高齢者が登頂に成功しているという。

前から自分の足腰が元気なうちに日本の最高峰である富士山に是非登ってみたいと思っていたが、ダイビングに夢中になって中々チャンスがなかった。

そんな中、元会社の同期の仲間でバイクのノツーリングを楽しんでいる者達が、毎年夏には九州や北海道へなどの長距離のツーリングの企画をたてていたが、今年は富士登山を目指すという。

単独登山にはチョット躊躇していた私は、この話を聞きつけ、いいチャンスとばかりに加えてもらったのだ。


登山というのはダイビングと違って中々日程の決定が難しい。

とりあえず、7月20日からは夏休みで混雑が予想されるため、山開きの7月1日との間のウィークデーを狙うとして、車の利用が便利な富士宮登山ルートで、7月17日から3日間の間に登山することが暫定的に決められ、各自準備することになった。


本格的な登山などしたことがない私には準備も大変だ。

多分、本格的な登山はこれが初めてで、最後になると思われるので装備はなるべく安上がりにと考えるのは人の常であるが、登山となるとこれがままならない。


色々専門店を訪ねてヒヤリングすると「一度きりと言われても安全面のことを考えると・・・」と当たり前だが必要のない装備などない(代替はあっても)という。

それにしても、登山用の専門店に久しく入ったことがない私に店内に並ぶ品々がファッショナブルで機能的になっていることに驚かされた。

これも最近の山ガールといわれる人たちの急騰のおかげなのか。
あれも、これもと買い求める、若い女性たちの経済力には驚かされる。

消費力を自負するシニアも負けずとばかりかなりのものを買い求めてしまった。


さて、出発日の決定は九州地方の豪雨とか梅雨明け時期などの情報に二転三転したが、最終的に当初の予定通り、7月16日午前神戸出発、富士宮付近で3泊して現地で天候の良い日に登山することになった。


7月16日、集まったのは68歳から70歳の後部に大きな荷物を積んだ大型バイクに跨る3人と小型スポーツカーに乗る私と、いいオジサン達の異様な集団であった。

梅雨明け間際の輝くばかりの晴れ渡ったこの日、3台のバイクを先頭に、私は車のクーラーを切り、天井、両サイドの窓をあけオープンカーのように全身に涼しい風を浴びながらのドライブは快適そのものであった。


富士宮の宿に着き、翌17日の天気予報を調べると、16日と同じような快晴が期待出来るということで17日に登山をすることに決定した。


我々の富士登山計画の概要は、頂上付近で一泊してご来光を眺めてから下山するものでなく、早朝に登山を開始して、夕刻には下山してしまう日帰り登山だ。


登山ルートは表富士宮5合目から頂上への富士宮ルートで、頂上到着後時間があれば最高峰の剣が峰(3776m)へ登頂し、下山は御殿場ルートから須走ルートに入り砂走りを通り、宝永山火口をながめながら富士宮5合目に至るルートを採用することにした。

上りは通常6時間、下山は3時間と言うが、我々は年のことを考え、上り9時間、下り4時間を予定し、早朝の4時45分登山を開始した(勿論、準備や高地に慣れる為事前に30分以上待機した)。

富士山頂上そのものは近すぎて見えないが、上るに従い、快晴の中、下界は視界一杯に広がる緑と、クッキリした愛鷹の山々、駿河湾に伊豆半島の山々等見ながらの爽快な足取りだったが、段々と口数が減りただ黙々と下を向いて歩くのみとなった。

九合目から頂上への標高差260mは本当に辛かった。

急勾配の斜面を一歩一歩登るのだが、いくら途中休憩しても二、三歩上れば叉ぐったりと疲れ、足が上がらない。

特別に高山病の兆候はないが、疲れが取れないのだ。

何とか頂上に着いたときは達成感と喜びで疲れも飛んでいってしまった。

頂上の浅間神社奥社にて、富士山高齢者登拝者名簿に記帳し、宮司より、お神酒拝し、杯と記念の扇子を拝受した。

ここまでの所要時間8時間半。

剣が峰登頂は諦め、下山したがこれが叉永く単調で終わりが見えず、まだか、まだかと思ほどのううんざりする下山であった。

下山に要した時間は3時間半。


年を考えればこんなものかと思うが、本当に疲れた。

「富士山は登る山でなく、見る山だ」と言われるがその通りで、登るのはもうこれで十分と言う気持だ。


下山後は富士宮で予定通り残り2泊して周辺を観光し、
その後、バイク組は伊勢、大台が原と3泊のツーリングへ。

私は箱根と浜名湖のリゾートホテルで2泊し、温泉と美味しい料理に癒され、完全に疲れを取って帰宅した。


箱根からの帰る際、高速から眺める富士の姿は気高く美しく、よくもあんな高い所に上ったのだと感激すると共に人間の一歩一歩の努力は偉大な業績をもたらすものである事を強く感じさせる登山でもあった。