
年末から正月にかけて沖縄、西表島へダイビングに行ってきます。
ダイビングを始めて、沖縄へ行く機会が増えました。
日本にこんなカラフルで豊富な珊瑚と透明度の高い綺麗な海があるとは思いもしませんでした。
今まで沖縄本島・慶良間諸島、与那国島、与論島(鹿児島県ですが)、宮古島、石垣島などで潜りましたが、どこも綺麗で、透明度が高く、豊富な魚たち魅了されるダイビングを経験することができました。
今度行く西表島は与那国島の近くにありイリオモテヤマネコでよく知られていますが、私はこれ以上の事はあまりにも知らなかったので、この際いダイビングポイントの調査のついでに西表島の事を勉強させて貰いました。
(イリオモテドットコム http://www.iriomote.com/ さんに資料等お世話になりました)
西表島はイリオモテヤマネコの生息地として知られているが、島のほとんどはジャングルで、島の周りは珊瑚礁に囲まれ、島の周囲は約130Km。島の半周は道路が無く、船でしか行く事ができません。
海岸線には川が多く、マングローブで覆われ、ほとんど自然のまま残っているという、自然溢れる南海の島と言う感じです。
歴史的には、西表島は、古くは所乃島(そないじま)、古見島(こみじま)などと呼ばれていた。
西表島と呼ばれ始めたのは18世紀になってからのことである。
1609年に薩摩藩が琉球を征服後、人頭(じんとう)税と寄人(よせびと)制度による強制移住による集落の建設、そして猛威をふるったマラリヤにより多くの村々が廃村などの繰り返しがあり、明治以降には本格的な石炭採掘が始まり、囚人や県内外、中国、台湾の労働者が数多く従事した。
西表島の集落は、建設と廃村を繰り返してきたが、廃村の原因の多くはマラリヤであった。
マラリヤが最も猛威を振るったのは1945年(昭和20年)、八重山諸島の人口の51%が患者となり、死者は約3,600人で第二次世界大戦での死亡者数を上回った。
このマラリヤが米軍の手により根絶されたのは1962年(昭和37年)になってからのことである。マラリヤの撲滅やイリオモテヤマネコの発見以降は、島の東西を結ぶ北岸道路の開通や港湾整備などが行なわれ島を訪れる観光客も年々増えている。と紹介されている。
マラリヤで人口の半分もの人が死亡したなんて、日本にそんな時代、地域があったなんて信じられない。西表島の地図を見ると北回帰線のちょっと上で台湾の台北とほぼ同じ緯度だ。
本当に亜熱帯地域なのだ。ちなみに亜熱帯とは一般には熱帯の北と南にある北回帰線と南回帰線(それぞれ北緯・南緯23.5度)付近の緯度が20度から30度あたりの地域を漠然と指すことが多い。とのこと
日本は南北長い、吹雪ふきさぶ北海道から炎暑厳しい沖縄まで約4000km、四季折々の変化に富んだ、自然溢れる美しい国であることを改めて認識するとともに、日本と台湾がこんなに近いとは。大切な隣人です、お互い仲良くやっていきたいと思う次第です。
ダイビングから大きく脱線しましたが、これまたダイビングの醍醐味で、色々な所訪ね、色々な人にあって小さな輪がどんどん大きくなればいいなと思っています。