My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2010年02月

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昨日の早朝、タイでの国際結婚式に出席して帰国しました。

前回のブログにも書いたように、甥っ子がタイ女性と国際結婚することになり、新婦の実家があるタイ東北部のブリーラムで行われる結婚式に招待され、出席しました。

ご存知のように、タイは日本と同様に米を主食としますが、
国民の約95%は仏教を信仰し、至る所に豪華絢爛な寺院がある、敬虔な仏教国です。

日本では、人生の節目、節目で神教、キリスト教、仏教と、器用に使い分けてきて、いつの間にか葬式や法事などに仏教が多く受け持つようになって、とかく仏教は“死”を連想する暗いイメージがつきまとう。 

しかし、ここタイでは、人生のすべての節目が仏式の儀式です。
私の見た仏式結婚式は底抜けに明るい、賑やかな、これからの二人の結婚を周りの人全てが、お祭りのように楽しみながらく祝っているような感じでした。

どうもこれは、同じインドを発祥とする仏教だが、分裂して各地に受け継がれていく過程で考え方が大きく変わったことによるようだ。

タイの仏教はインド地方を起点として南のほうへ広まった南伝仏教で、自分を鍛え磨いて得をえる、「自力本願」で

一方、日本の仏教は、インド地方を起点としてチベット、中国と北のほうから伝わってきた北伝仏教で、神仏を崇拝して楽になる、「他力本願」といったような違いに由来するようだ。


さて、前置きが長くなったが、今回のタイ行きは久しぶりの過密スケジュールでした。

12日、仕事終え、関西からのタイエアーの深夜便に飛び乗り、バンコクに早朝5時到着。

早速、チャーターしたドライバ-付車で、王宮近くの世界に名だたるバックパクの聖域、カオサン通りで一杯80円のベトナムのフォーに似た麺でお腹を満たし、一路アユタヤへ。

アユタヤでワト・ヤイ・チャイ・モンコンなど見学後ブリーラムへ向けて400kmを走破し、夕刻7時に到着。

新婦の実家ではすでに親族、近隣の人たちが大きなスピーカーで音楽を流しながら食事している前夜祭(?)に参加し、10時にホテルにやっと着く。


13日が本番の結婚式。

6時に来るというお坊さんを迎えるため、5時ホテルを出て、新婦の実家へ。

早朝で真っ暗というのに既に大音響に合わせて踊る子供たちが集まっている。

お坊さんの到着が予定より遅れるが、皆、南の国らしく、意に介せずワイワイ、ガヤガヤ騒いでいる。

1時間ばかり遅れて9人のお坊さんが到着していよいよ始まりだ。

タイは9という数字が好きだ。お坊さんの数も9、結納も端数は9とする。

お坊さんに二人の幸せを願う念仏を唱えてもらった後、もの凄い数の食べ物がお坊さんの前に並べられ、朝食の開始だ。

朝食後、一端、新郎及び我々はホテルに引き上げる。

10時ごろ、新郎が像に乗り、ホテルから新婦の実家まで、金、太鼓の行列と共に出発する。

途中、新婦親族たちのいくつかの封鎖門をお金を払って、やっと実家に到着して結納の儀式が始まる。

結納は現金(日本でもかなり高額)と金(指輪、ネックレス等)で、皆が見る前で並べられる。

仲介者が新郎はこんな財力があるものであると、その内容をとうとうと大きな声で紹介し、新婦の両親に結婚の許可をもらう。

両親の許可が下りると、やっと新郎が新婦の部屋に迎えに行き結婚の儀式となる。

婚礼の儀式は、各参列者に小さな如雨露で新郎、新婦の手に水を注ぎ、先ほどお坊さん達に幸せを祈願して貰った糸を手首に結び付けてもらい強固な絆を誓うというものである。

婚礼の儀式が終われば昼食だ。

大勢の人たちがこのために集まったように、賑やかに腹一杯に食べまくる。

この間、新郎、新婦は市役所へ結婚届の提出に行く、いくつもの書類にサインをするが、
結婚証明書はその場で貰えず、披露宴のときに渡される。一種の儀式だ。

やっと昼食が終わり、6時のホテルでの披露宴開始まで休憩だ。

私はこの時間を利用して、70km離れた死火山の上に作られたクメール朝様式のパノム・ルン遺跡を訪問した。

5時過ぎにホテルに帰り、シャワーを浴び服装を変え、新郎新婦が実家より象に乗って6時に到着していよいよ披露宴の開始かと思いきや・・・・・。

ここ南国、招待客は三々五々あつまり、結局開始は7時ごろ。

披露宴は特別な式次第があるわけではなく、親族の紹介があった後は、皆思い思いに飲み、食べ、喋り、歌い、踊り本当に楽しんでいる様子だ。

こんな調子が10時ごろまで続き、後は自然解散的に披露宴が終わり、長かった結婚式の終了だ。


翌日は8時にブリーラムを出て、約500km走破し2時にバンコクのホテルに到着。

関空への深夜便まで時間つぶしに、トゥクトゥクをフル活用して王宮見学とサヤーム・スクエアでの食事、ショッピングとまたまたフル活動でホテルに戻り、シャワーを浴び、23時発の飛行機に乗るため空港へ。

そして関空に早朝5時到着。

本当に慌しい旅行でしたが、中々印象深い旅でもありました。

詳細は後日HPで

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甥っ子(私の兄の息子)がめでたく結婚することになりました。

私は男3人兄弟の真ん中。 
男ばかりの兄弟で、その子供たちもまた男だけ。

いつも殺伐とした雰囲気で、最近の流行なのか、皆、全然結婚する気もない様子でちょっと心配していたのだが、
やっとその中の一人が結婚することになったわけです。

4,5年前から暇さえあればタイばかりへ年に5,6回は行って、
何がそんなに面白いのかと不思議に思っていたが、
やはりタイに彼女がいたのでした。

そして、長い遠距離恋愛の末、今回、めでたく結婚することになったわけです。

元論彼女はタイ女性です。

わが親族にも遅まきながらやっと(?)国際結婚の一員が出来ました。


ということで、国際結婚の結婚式には出席したこともない私は、
興味深深でタイでの結婚式に出席することにしました。


結婚式はタイの地方都市「ブリーラム」で行われます。

「ブリーラム(Buriram)」と云われても殆どの方がご存知ないかもしれません。

勿論、私も聞いたこともなく、少し調べてみました。


ブリーラムはバンコクの東約400kmで、カンボジアとの国境近くにある静かな人情味あふれる地方都市だという。

だが、ここは古代クメール文明時代には重要な土地であった。

タイ全土ではクメール遺跡は182箇所あるが、ここブリーラム県内には61箇所もの遺跡があるという。

その理由はアンコールからブリーラムの近くのピマーイ(11世紀、アンコール朝時代に完成したタイのアンコール・ワットと称されるクメール様式の美しい遺跡がある)に至るクメール王朝の「王道」が通ってからだという。


町の近くにもパノム・ルン(小高い死火山の上に建つアンコール時代の寺院)やムアンタム(クメール様式の美しいヒンドゥー寺院)などの有名な古代クメール文明遺跡あるという。

何だ、歴史情緒溢れる素敵な町のようだ。

結婚式をそこそこに、素敵な遺跡を巡ってみたいものだが・・・・

タイの結婚式は、案内書によれば、ブリーラムに着いた翌朝早く新婦の自宅で結婚式が始まり、
そこで昼食、夕刻にはホテルで披露宴。

要するに、朝早くから、夜遅くまで、親族一同、隣近所皆が集まて、飲んだり、食べたり、喋ったり、あたかも祭りのように、一日中楽しむようだ。

タイ語も喋れない、お酒も飲めない私には、とてもつらい一日になりそうだ。


さて、国際結婚とは一面華やかな感じもするが、国によって、制度、文化、風習などが違う中で、
結婚しようとする者にとって解決すべき問題も数多くあるようだ。


まず、タイ女性と結婚する場合「結納金」という文化を理解する必要がある。

日本にも結納の制度は残っているが、家と家の結びつきを祝う形式的なものになりつつあるが、
タイの場合、結婚式の際に、結納金と結納品(金[Gold])を新郎が持参しなければいけない。

お金を納める事の意味は、私の持つ経済力は元より、それを稼ぎ出す為の知力や体力がある、
だから娘さんを幸せに出来ます、ということを証明することなのだという。

ただ、問題なのは、結納金の金額で、基本的に、新婦側のご両親の言い値になる。

両親の住んでいる場所、家柄、収入、家族構成など諸々が考慮されて決まり、どうも相場みたいなものはないようだ。

甥っ子の場合100万バーツ(約300万円)支払うという。

新婦は二人姉妹の長女であることを考慮しても、タイの平均年間収入が50万円程度と聞くと少し高いと思うが、
大切に育てた娘さんを他国の国籍に変更するのであるから、両親が決めたことに従がわざろう得ない。


やっとお金を工面して、結婚式をした後、待ち構えているのが日本、タイ両国での膨大な提出書類だ。


特に日本の場合、国際結婚を妨害する意図があるような膨大な書類提出が要求される。

タイ発行の各種証明書の和文、英文化を含め、なんと13種類の書が、相手側が離婚しており、子供がいればさらに6種類の書類が必要。

タイ側に提出する書類も、在タイ日本大使館に婚姻証明を発行してもらうのに、12種類の書類と、
この婚姻証明書からタイ外務省へガルーダーの認証を・・・・・・・


もう、何しろ大変です。


やっと書類提出が終わっても、タイの彼女はすぐに日本に入国できるわけじゃないんです。

彼女には、日本入国の為のVISA が必要で、長期のものはそれなりに又大変な努力を要します。


本当に国際結婚とは大変ことです。


若い二人に愛情があるからこそ、この苦難を乗り越えられるのでしょう。


しかし、若い二人に水を差すようだが、日本は民事的な問題もありハーグ条約(国際的な子の奪取の民事面に関する条約)に未締結だ。


離婚したときなど、子供の養育権などに関して問題が発生することもありうる。


国際結婚がこうも難関の山積みとは知りませんでした。


がんばれ、若いカップル!!


次回タイの結婚式の様子と共にもう少し掘り下げてみたいと思います。

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皆さんも覚えておられると思いますが、
ハイビジョン映像で映し出された「満地球の出」の目を見張る地球の美しさ。

この映像は日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)が2007年9月14日に打ち上げた月探査機「かぐや」が撮影したものです。

新潮社より、この「かぐや」の各種カメラが撮影した月の写真集が発刊され,正月購入していたものを遅らせながら読みました。


本を開いてまず感じたのは、黒を基調としたシックな装丁の中に、
月面の立体感をもった克明で繊細な写真が不断に掲載されており、
それらは、大小のクレーター、山脈、渓谷などが原始のままの峻麗な姿を浮かびあがらせている。

中でも吃驚するのは、書籍の冒頭に掲載されている、
月面から眺めた「満地球の出」の写真だ。

暗黒の宇宙の中に、くっきりと、明るく、神々しく、光り輝く地球の美しさに改めて感動する。

この一枚の写真を見ているだけで、地球の歴史や、未来、人々の生活そして、地球環境のことなどが次々と思い馳せてくる。


月周回衛星「かぐや」は高度約100kmの極・円軌道を周回する主衛星と、より高い楕円軌道を周回する2機の子衛星(「おきな」・「おうな」から構成されている。

「かぐや」には14種類の測定装置が搭載され、アポロ計画以来最大規模の本格的な月の探査を行ってきた。

「おきな」は2009年2月12日に月の裏側に落下し、裏側の重力場観測ミッションを完了させ、
「かぐや」も、2009年2月11日から低高度によりこれまで以上に詳細な月の観測運用を行い、
2009年6月11日に月に衝突寸前までの鮮明な映像配信しながら月の表側に制御落下をした。


ガリレオ・ガリレイが初めて望遠鏡を用いて月の観測を始めたのは1609年12月。

それから400年後の今、日本の「かぐや」が、月の神秘を解き明かそうとしている。

ガリレオのスケッチには、大小のクレーターが描かれ、山脈や平原が広がっていましたが、
その後の望遠鏡の発達によって、さらに小さなクレーターまで観測できるようになり、月面図が作成されるようになった。

しかし、それは、地球から見える月の表側の姿のみ。

裏側の様子については、20世紀後半のロケットを使った月探査の時代を待つことになる。

その始まりは、1959年、ソ連の月探査機「ルナ2号」の月への到達成功でした。

それ以降、数多くの探査機での観測、そし1969年7月には「アポロ11号」が初の有人着陸に成功し、
月の撮影や、観測機器の設置、岩石の収集などにより、
月が地球とほぼ同じ45億年前に誕生したらしいことがわかってきた。

しかし、依然として当時の観測機器や観測地域が一部に限られていたために、月がどのようにして誕生し、どのように進化してきたのか、といった謎を解くには至ってない。

「かぐや」は、月の上空約100キロメートルのところを回りながら、
月の南極も北極も含めて月のすべてを搭載されたレーザ高度計で観測し、
取得された677万地点のデータをもとに、高度誤差約4m(今までは数百m)という、精密な月の地形図が作成された。

この月全球の地形情報はこれからの科学ミッションにも不可欠な情報であり、又、

子衛星から得られる重力場データと合わせて、地殻の厚さの変化など月の内部構造の解明に、さらに、
「かぐや」の、物質の反射する波長を測定する装置により、月面上にどのような岩石がどう分布しているかが詳しくわかるようになり、
月がどのように進化してきたのかを解明する情報を得るのに利用でき、大いに期待されているわけである。

月は我々地球の唯一の衛星であり、最も近い天体である。
しかし、その起源は未だ不明確だ。

火星サイズの天体が原始地球に斜めに衝突して両方の物質が飛び散って出来たとする「ジャイアントインパクト説」、
月の表層数百kmを覆うマグマの海からマントルが形成されたとする「マグマオーシャン説」、
月が近くを通った時、地球の重力に捕らわれたという、「捕獲説」などが提唱されている。


月の起源と進化を解明することは容易ではない。

なぜなら、月形成初期のマグマオーシャン結晶化、引き続いて起きた火山活動、隕石衝突、軌道形状・自転公転周期変遷などの複合要素の総決算として、現在の複雑多様な月に至っているからだ。

月には、「巨大クレーター分布」「海の分布」「密度差」「地殻組成・厚さの相違」など、さまざまな二分性がある。

実はこれらの二分性を「かぐや」に搭載された複数機器のデータに基づく融合研究により紐解くことにより、
月の起源と進化の理解が飛躍的に進むことが期待できそうだという。

1.6トンばかりの小さな衛星がもたらす成果は計り知れない。


月の潮汐が地球の生命誕生にかかわったとされ、古来、月は夜と闇と神秘の支配者とみなされてきた。 

月の起源解明に期待するも、反面神秘な月のままでいて欲しい気もする。

今度ゆっくりと月を眺めてみよう!!


「月のかぐや」宇宙航空研究開発機構・編 新潮社刊 1300円

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