
昨日の早朝、タイでの国際結婚式に出席して帰国しました。
前回のブログにも書いたように、甥っ子がタイ女性と国際結婚することになり、新婦の実家があるタイ東北部のブリーラムで行われる結婚式に招待され、出席しました。
ご存知のように、タイは日本と同様に米を主食としますが、
国民の約95%は仏教を信仰し、至る所に豪華絢爛な寺院がある、敬虔な仏教国です。
日本では、人生の節目、節目で神教、キリスト教、仏教と、器用に使い分けてきて、いつの間にか葬式や法事などに仏教が多く受け持つようになって、とかく仏教は“死”を連想する暗いイメージがつきまとう。
しかし、ここタイでは、人生のすべての節目が仏式の儀式です。
私の見た仏式結婚式は底抜けに明るい、賑やかな、これからの二人の結婚を周りの人全てが、お祭りのように楽しみながらく祝っているような感じでした。
どうもこれは、同じインドを発祥とする仏教だが、分裂して各地に受け継がれていく過程で考え方が大きく変わったことによるようだ。
タイの仏教はインド地方を起点として南のほうへ広まった南伝仏教で、自分を鍛え磨いて得をえる、「自力本願」で
一方、日本の仏教は、インド地方を起点としてチベット、中国と北のほうから伝わってきた北伝仏教で、神仏を崇拝して楽になる、「他力本願」といったような違いに由来するようだ。
さて、前置きが長くなったが、今回のタイ行きは久しぶりの過密スケジュールでした。
12日、仕事終え、関西からのタイエアーの深夜便に飛び乗り、バンコクに早朝5時到着。
早速、チャーターしたドライバ-付車で、王宮近くの世界に名だたるバックパクの聖域、カオサン通りで一杯80円のベトナムのフォーに似た麺でお腹を満たし、一路アユタヤへ。
アユタヤでワト・ヤイ・チャイ・モンコンなど見学後ブリーラムへ向けて400kmを走破し、夕刻7時に到着。
新婦の実家ではすでに親族、近隣の人たちが大きなスピーカーで音楽を流しながら食事している前夜祭(?)に参加し、10時にホテルにやっと着く。
13日が本番の結婚式。
6時に来るというお坊さんを迎えるため、5時ホテルを出て、新婦の実家へ。
早朝で真っ暗というのに既に大音響に合わせて踊る子供たちが集まっている。
お坊さんの到着が予定より遅れるが、皆、南の国らしく、意に介せずワイワイ、ガヤガヤ騒いでいる。
1時間ばかり遅れて9人のお坊さんが到着していよいよ始まりだ。
タイは9という数字が好きだ。お坊さんの数も9、結納も端数は9とする。
お坊さんに二人の幸せを願う念仏を唱えてもらった後、もの凄い数の食べ物がお坊さんの前に並べられ、朝食の開始だ。
朝食後、一端、新郎及び我々はホテルに引き上げる。
10時ごろ、新郎が像に乗り、ホテルから新婦の実家まで、金、太鼓の行列と共に出発する。
途中、新婦親族たちのいくつかの封鎖門をお金を払って、やっと実家に到着して結納の儀式が始まる。
結納は現金(日本でもかなり高額)と金(指輪、ネックレス等)で、皆が見る前で並べられる。
仲介者が新郎はこんな財力があるものであると、その内容をとうとうと大きな声で紹介し、新婦の両親に結婚の許可をもらう。
両親の許可が下りると、やっと新郎が新婦の部屋に迎えに行き結婚の儀式となる。
婚礼の儀式は、各参列者に小さな如雨露で新郎、新婦の手に水を注ぎ、先ほどお坊さん達に幸せを祈願して貰った糸を手首に結び付けてもらい強固な絆を誓うというものである。
婚礼の儀式が終われば昼食だ。
大勢の人たちがこのために集まったように、賑やかに腹一杯に食べまくる。
この間、新郎、新婦は市役所へ結婚届の提出に行く、いくつもの書類にサインをするが、
結婚証明書はその場で貰えず、披露宴のときに渡される。一種の儀式だ。
やっと昼食が終わり、6時のホテルでの披露宴開始まで休憩だ。
私はこの時間を利用して、70km離れた死火山の上に作られたクメール朝様式のパノム・ルン遺跡を訪問した。
5時過ぎにホテルに帰り、シャワーを浴び服装を変え、新郎新婦が実家より象に乗って6時に到着していよいよ披露宴の開始かと思いきや・・・・・。
ここ南国、招待客は三々五々あつまり、結局開始は7時ごろ。
披露宴は特別な式次第があるわけではなく、親族の紹介があった後は、皆思い思いに飲み、食べ、喋り、歌い、踊り本当に楽しんでいる様子だ。
こんな調子が10時ごろまで続き、後は自然解散的に披露宴が終わり、長かった結婚式の終了だ。
翌日は8時にブリーラムを出て、約500km走破し2時にバンコクのホテルに到着。
関空への深夜便まで時間つぶしに、トゥクトゥクをフル活用して王宮見学とサヤーム・スクエアでの食事、ショッピングとまたまたフル活動でホテルに戻り、シャワーを浴び、23時発の飛行機に乗るため空港へ。
そして関空に早朝5時到着。
本当に慌しい旅行でしたが、中々印象深い旅でもありました。
詳細は後日HPで