My Fortnight's Dairy

ようこそ私の日記に。ダイビングや旅行を中心に思いついた事柄をつれづれに書き綴ります

2013年04月

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先日(4月13日)大学の同窓会を兼ねて、東京スカイツリーの見学をしてきた。

同窓会の幹事が気を利かせてくれて、70歳に近い我々は、東京在住者さえでも、自ら東京スカイツリーに行ってみようと思う人は少ないだろうと、同窓会の第一部としてスカイツリーの見学を組み入れてくれたのだ。

卒業生170名弱の内参加者は57人で第一部からのスカイツリー見学者は48人。
やはり殆どの人がスカイツリーには上ってはいないのだ。

私自体、東京の大学を卒業すると共に関西の企業に勤めて、神戸に居を構えてしまうと、東京で開催される同窓会には殆ど顔を出すことも無く、卒業以来はじめて会う人も多いため大変気が重たいのだが、今回スカイツリー見学付きということで奮起して行ってみようと云う気になったわけである。


しかし、今回の東京行きには難関が待ち構えていた。

淡路島で13日の早朝、最大震度6弱の地震が発生したのだ。

伊丹空港から羽田へのJAL便にのるため、携帯の目覚ましを6時にセットして寝たのだが、5時半頃携帯のピーピーという音に起こされ、あれ、セットを間違えたかなと思っていたとき、ドーンという振動があり、部屋の平積みの本がバサバサと落ちてきた。

直ぐ阪神大震災の再発かと思ったが、揺れも小さく時間も短く被害も本の落下ぐらいであったため、そのまま出かける準備をして近くのJRの駅に7時ごろ到着した。

しかし、駅周辺は休日にもかかわらず騒然としていた。
関西エリア全域のJRが運休して運行開始の目処は分からないという。

道路状況は問題ないらしいとの事であったがタクシー乗り場は人で一杯で中々来ない。

これでは同窓会を欠席しなければいけないと思ったが、今日は休日で息子が家にいることを思い起こし、電話して駅まで迎いに来てもらい、そのまま伊丹空港まで送ってもらった。

それなりの高いお駄賃を払ったが、余裕を持って空港に到着して、無事第一部の東京スカイツリー見学から同窓会に出席することができた。


東京スカイツリーの見学は13時半頃一旦全員集合して、団体用の切符を貰い入場した後、次の第二部である近くのホテルで17時半から行われる宴会まで4時間が自由行動となった。

土曜日で快晴であったためか350mの天望デッキ、450mの天望回廊とも観光客が一杯で、前の人の背中を見ながら、小一時間ぐらい(その内20分は天望回廊へのエレベーター待ち)で、ただぐるっと廻ったような感じであった。

確かに最高部から見る東京は、高層建築群が極小さく見えるほど高い。

そこから見る東京は、360度見渡す限り、小さなマッチ箱のようなビルが無数に、ギッシリと乱雑に並び、所々に高層建築群がにょきっと出ている景色はごみごみしているだけでお世辞にも綺麗とは云えない。

どの角度から見ても川や高層建築群がなければ全く同じように見える特徴のない広大な東京を見るだけなので長居することなく降りてしまった。

それにしても、天望デッキへは2000円、更に天望回廊には1000円、合計3000円は高い。
高いお金を払って再びこの特徴のない景色をもう一度見てみようと思う人は少ないのではないだろうか。

スカイツリー見学後、2000円を払ってすみだ水族館に入り、幻想的なくらげの姿に暫し癒されたが
規模もそう大きくなく一回りして出てしまった。

その後、そら街というショッピング街に行って見たが、どこも人が一杯で、休む所もなく、喫茶店やレストランなども少なく、あっても行列で、結局ここも早々に退散してしまった。


そら街を出ても時間があったので、第二部の宴会が行われる錦糸町のホテルまでゆっくり30分ほど時間を掛けて歩き、ホテルのロビーでコーヒーを飲んで時間を潰した。

ロビーには多くの我々の仲間がコーヒーを飲みながら休んでいた。


4時間の自由行動時間を持て余したのは我々が“老人”だからだろうか?

おりしも、東京ディズニーランドの開場30周年記念イベントで盛り上がっていた。

年々新たな企画を組み、老若男女のリピーターや観光客の心を掴み拡大してきたディズニーランドに比較すると東京スカイツリーの先行きには疑問符が付くような気がするのは私だけであろうか。

日本の各地にタワーと称する観光施設があるが、大抵開設から2,3年で閑古鳥が鳴いているという。

広大な敷地を持ち、施設を順繰りに更新して目新しさを打ち出せる東京ディズニーランドと違ってタワー物は客をつなぎ止めるのは難しいと思うのだが。


総事業費は約650億円という。

ある民間会社の予測で開業から1年で300万人が訪れると仮定、経済効果を473億円と試算していたが、開業283日目にして展望台への来場者が500万人に到達という。

喜ばしいスタートであるが、やはり日本人の気持は移り気だ。


東京スカイツリーが無用な“長物”にならないよう経営者の皆さん頑張ってください。

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アンダマン海の宝石といわれる、タイのシミラン諸島での今回のダイビングへの期待については前回のブログに触れたが、その結果は大満足といえるものであった。

タイでのダイビングは3年前のタオ島と今回の2回しかないが、共にタオ島とカオラックにショップを開いているBig Blueさんにお世話になった。

インストラクターの方も同じ人が担当してくれたので、3年前のタオ島の悲惨な透明度の悪さを話したら、どうも私は運に見放されていたようで、その年は記録的な透明度の悪さでかつ、私が行った時期が最悪だったとの事。

こんな最悪だった年のタオ島とあえて比較しなくても、今回のダイビングは大変満足するものであった。


シミラン諸島はアンダマン海(インド洋の縁海で、マレー半島とアンダマン諸島、ニコバル諸島との間にある、東西650km、南北1200kmにもなる広大な海)のマレーシヤ半島側に位置しているが、生物的には外洋の影響が強く、海況は内海的でダイバーにとってはこの上も無く有難い場所なのだ。

ショップのホームページの宣伝文よると

抜群の透明度の良さと珊瑚礁の美しさで、ホワイトサンドのビーチから一歩海に踏み込めば、真っ青に透き通るブルーの海に色とりどりのコーラル、美しい色彩のサカナたちが舞い群れる、夢のように美しい景色が広がるダイバーの憧れの海域です。

叉、外洋に面したスケールの大きな海で、マンタなどの大物との遭遇率も高く、運が良ければジンベエザメと遭遇することも。

とある。


今回のダイブクルーズはシミラン諸島だけでなく、その北側に位置するマンタやレオパードシャークのポイントとして名高いコ・ボン、やコ・タチャイ、更に北の大海原にそびえ立つ巨大なピナクル(離れ根)で、ジンベエとの遭遇率の高さや魚影の濃さで人気が高いリチェリューロックへも行くのだ。


残念ながら、私は今回マンタやジンベエには遭えなかったものの、その澄み切った海、豊富で美しい珊瑚、多彩な魚と魚影の濃さはまさに一級品で宣伝文通りだった。

それにシミラン諸島の緑濃い美しい島影、奇形な岩々、真っ白な白浜・・興を添えてくれた。

更に、風も無い快晴の上に海況は凪、流れなしとくればダイバー冥利に尽きるというものだ。


今回のダイビングで強く印象に残ったのはシミラン諸島のバランシングロックからの眺望も素晴らしかったが、何といっても更に北側のコ・ボン、コ・タチャイやリチェリューロックで見た魚影の濃さと
ロウニンアジたちの捕食シーンだ。

各種フュージュラーがダイバーの廻り360°取り巻き、その周りには群れの合間から幽かに見える大きなロウニンアジやカスミアジの群れが行き交う。

アジ達が捕食のため争うようにフュージュラー達の群れに突っ込むと、群れはブォーンと音をたてて一斉に逃げ惑うシーンが目の前で何度も何度も展開され、その大迫力に驚き、ただ唖然とばかりだった。


シミラン諸島やこの様な豪快なダイビングなどにはスピードボートによる2本のダイブと島上陸観光のデートリップでも行けるが、やはりダイバーに人気なのが4泊4日で14本のダイビングをこなすダイブクルーズだ。


私が乗船したクルーズはゲストが日本人9人、欧米人14,5人の満席であった。

特にここは欧州で人気のようで2人の米国人以外はドイツからが多く、叉家族連れも多く子供たちはシュノーケリングを楽しんでいた。


久し振りにドイツ語が飛び交う中に4日間身を置いていたが何一つ理解できなかった。

大学で教養の2年間、ドイツ語を習ったのに・・。情けない。

ドイツ人の子供たちはドイツ語も英語も喋り、中には中国系の6歳の女の子は中国語まで喋れるという。

いつも海外に出て思うのは外国人の語学能力だ。

場所は忘れたが、中国系の小さな子供を含む3世代の家族が中国語でワイワイ会話している所に誰かが英語で問いかけたら、全員が一斉に英語に切り替えて喋りだしたのには驚いた。
年取った両親までが2ヶ国語を平気で操っているのだ。

ダイブクルーズの良い所は、勿論、ダイビングを堪能できるということと、世界各国から来た人々と何日間、船という狭い空間を共有して理解し合えるということだ。



私はこのダイブクルーズが体に優しく多くダイビング出来るので好きなのだが、先日「DAN」という海洋関係の安全に関する協会が発行する機関紙に面白い記事を見つけた。

ダイバーの死亡事故の発生率で最も小さいのがダイブクルーズだという。

ダイブクルーズ:1.0 (延べダイバー10万人当たり)
ビーチダイブ・ボートダイブ:3.2
プロダイバー:10
冷水・レックダイブ:29.2

だという。

その理由はインストラクターが必要な情報を十分にダイバーに与えてくれるからと分析している。


年をとって狭い部屋や波が荒い時などの船上生活は辛いこともあるが、好きなダイビングが安全に数多く出来るダイブクルーズにこれからもどしどし行こうと思う。

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