1267日と二日間、山梨県の高原リゾートである清里高原に行ってきました。
 
清里高原は八ヶ岳南山麓、山梨県の最北端に広がる標高1000mの高原リゾートであり、南アルプスや富士山など3000m級の山々の眺望や渓谷などの大自然が満喫できるとともに、冬の澄み切った夜空に瞬く星々は「八ヶ岳スターダスト」と呼ばれるほど今にもこぼれ落ちてきそうなほど無数の輝きを放つ星々が見られることで広く知られている。

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              八ヶ岳の山々 インターネットより
 
今回の旅行の趣旨は初々しい冬化粧を纏った八ヶ岳と南アルプスの雄大でかつ厳しい山容と凛とそびえる美しい富士の姿を北の山梨側から、そして南の静岡からも眺め楽しむと共に小さな天文台を備える標高1450mの高みに位置する「清里高原ホテル」に宿泊して冬の満天の星を眺めながらゆったりとした高原リゾートのひと時を楽しもうとするものである。
 
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清里高原は、東京都の小河内ダム建設のため土地を追われた者や入植者たちによる開拓によって開かれた土地で、戦後は観光業振興の影響を受けて大きく発展した。
 
昭和50年代にいわゆる「清里ブーム」が起こり、首都圏から多くの観光客が訪れた。
観光客目当てのペンションやタレントショップその他の店舗が数多く建ちましたが、バブル崩壊によりブームが沈静化し、ブーム最盛期に作られた店舗の閉鎖が相次だ。
が、しかし、最近は新しい試みや新規出店も見られるという。
 
一時期熱に浮かされるようなブームはあったが、やはり、ここは夏季は避暑地として、冬季はスキーというリゾート目的で訪れる人や又、八ヶ岳への山登りに利用する人もおり根強く人気のある場所なのである。
 
 
私の清里との思い出は、5年前に心筋梗塞でなくなった兄が若い時は無類の山好きで、暇さえあれば割と近くであった丹沢の山々と時折遠征して八ヶ岳などに登っていた。
私は関西の企業に就職する前までは東京の実家に居たのでよく兄の山行につき合わされたことがあった。
 
特に兄が良く行った八ヶ岳は東京からは距離があるため私が引っ張り出されることが多かった。
というのは当時私は学生時代から中古車を買い通学などどこでも乗りまわしていたため、兄より都合の良い「アッシー」として利用されていたのだが、当時の清里は清里駅前に数点の店と少し離れたところに清泉寮がぽつんとあっただけで雄大な高原が一面に広がっていたと記憶している。
 
八ヶ岳好きが高じた兄はどこからか聞きつけて、「清里にいい土地の分譲がある見に行こう」ということで、金主方の母を連れてやはり私の車で出かけたことがあったが、その土地は今ではどのあたりなのか全く記憶していないが、駅からはそう遠くなかったと思うが、あまりにも何もなく、分譲面積も広く、高価でもあったためと、八ヶ岳に登るための拠点とすることを目論んでいた兄としては直ぐには利用できなと悟り、自然とお流れになってしまった。
 
それから十数年後「清里ブーム」がやってきて、駅前に色々奇を凝らした建物が立ち並び多くの人が押しかけるようになると、兄は「それ見ろ、あの時に買っていれば今頃は・・・」と良く言っていた。

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      私が学生時代から乗り回していたトヨペット・クラウンの同型車
       1500cc48馬力。当時としては高性能といわれたものだ
       観音開きのドアーに車体から水平に飛び出る機械式方向指示器
       そして極め付きはクランクシャフトによる起動
       バッテリーが弱く、エンジンを始動できないことが多くクランク
       シャフトで手動で始動するのだが中々難しく手を痛めるときもある
       一人で乗るときは坂道で下り方向に止めるのが鉄則であった
       東京と神戸で約5年間よく動いてくれた思い出の車だ
 
だが、バブルが崩壊しその当時趣を凝らした多くの建物は利用する客もなく、ひっそりと閉じられてしまったが、今は、開拓者がもたらした西洋風の牧歌的な雰囲気のなかに点在するプチホテル、カフェ、美術館など洗練された趣のある静かな高原リゾートなっているという。
 
バブルの頃の清里は知らないが、50年ほど前の良く行った清里と今日現在の清里がどのようになっているのかを知るのも今回の旅の目的でもある。
 
 
126日夕刻前、塩尻から観光バスで諏訪湖経由清里に入ったが、日曜日だというのに行き交う車も少なく、道を歩く人もおらず時折サイクリング車を見かけるぐらいだった。
 
駅前の道を北上すると両側が大きな樹木の林で時折、道から少し離れ、木々に囲まれた小奇麗なプチホテルやカフェなどを散見することが出来た。
道路沿いに出ることなく、奥まったところにあるため一見すると昔のままの雰囲気を残しており、他の有名観光地にある小さな売店の列や駐車場などを見ることなく、本当に静かな感じだ。
だが、今回は行くことが出来なかったが、清里駅より南エリアや小渕沢駅あたりが最近は大きく発展している様だが、清里駅より北側はあまり変わっていない様子なので昔の清里を知る人間としてはホットした。
 
 
さて、宿泊した「清里高原ホテル」は”ようこそ天空の楽園へ”を売り言葉として、標高1450mの高みに位置し、各室は富士山、南アルプスの山並みが見える様配置され、屋上には口径150mmの屈折望遠鏡を備えたドームを持ち、毎夜星空観察会を開催するなどしており、又食事は地元の有機野菜を中心としたメニューに太い秋田杉を使用した矢倉(櫓)と総檜で作られた情緒ある温泉露天風呂などを備えゆったりとしたリゾートライフが過ごせるよう考慮されているとのことだ。

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                       清里高原ホテルのロビーと宿泊した部屋
          暖炉の中で薪が燃えており高原のイメージだ
          客室は広く和室風な畳敷き部分もあり落ち着く

今回の私などのように、高原リゾートを楽しむだけでなく、名峰の稜線を境にして、漆黒の中に一段と輝く数多くの星に彩られる夜空を見るためにここを訪れる人が多いと聞く。
 
さて、肝心の夜空の星の観察はどうだったかというと、天文台に上ることは上ったが、全天厚く雲に覆われ全く星を見ることが出来なかった。
しかし、天文台の中で色々星の話や天文台の装置の説明を聞きまア楽しい時間を過ごすことが出来た。
 
だが、諦めきれずに翌早朝4時に起き、零下6度の屋外に出て星を見た人もおりました。
昨晩の厚い雲は嘘のように晴れ、夜空は本当に満天の星で素晴らしかったという。
執念は報われるということか。
 
私などはそこまで出来ず、朝食時間よりちょっと前にホテルの周りを散策したが、雲一つない澄み切った空に初雪を纏った雄大で豪快な八ヶ岳の峰々が目前にくっきりと見ることが出来たのは何よりであった。
ホテルからは遠く富士山や南アルプスの山々もはっきりと見え、清里高原の美しさを堪能することが出来た。

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          八ヶ岳の雄姿を背景に清里高原ホテルと
              八ヶ岳の見事な山々がくっきりと
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南側から見た八ヶ岳
 
さて、昨日のどんよりした天気と打って変わった快晴のもと見事な八ヶ岳の雄姿を見た後、二日目は観光バスにて一路南下して甲斐市、甲府市を経て河口湖、山中湖を見ながら御殿場へ出て新東名高速にのり新富士まで行き、そこからは新幹線で神戸に帰るルートであった。

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このルートは富士山の周りを北から、東、そして南から色々姿を変えて行く富士山を眺めようとするもので、終日快晴で、色々な場所から大変幸運雲にも一つないくっきりとした富士山の姿を見ることが出来大変楽しかった。
 
 
印象に残った富士の姿としては富士河口湖町と笛吹市とにまたがる御坂峠からの富士山だ。
古くから北斎や広重がここからの富士の姿を描いており、最近では太宰治の短編「富嶽百景」で「富士には、月見草がよく似合う」の名文句で有名になっている。
 
太宰治がこの峠の天下茶屋に長逗留していた時に毎日見た富士山を思い起こし、3778mの富士の山に立派に相対峙しみじんもゆるがずすくっと立つ月見草をほめているのだと思う。
 
しかし、太宰はここからの富士は「あまりにおあつらえむきの富士である」「まるで、風呂屋のペンキ画だ」などと評価してなかったという。
 
 
残念であるが、冬季は山梨側からは峠には入れず天下茶屋からの富士を見ることが出来なかったが、峠の見晴のいいところでバスを止めてもらってみた富士は確かに端正な正円錐形形で富士がドンと構えて見える。
太宰が言うあまりにも整い過ぎているというのも分からないでもない。
 
バスガイドに言わせると山梨県民はこの真三角形の端正な富士が静岡県側みた少し左右形が崩れ姿の富士より美しいと自負しているとのことだ。
 
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             御坂峠より見た端正な富士山

次の富士絶景ポイントは忍野八海だ。
忍野八海は山梨県忍野村にある8か所の湧泉群で、富士山の雪解け水が地下の溶岩の間で、約20年の歳月をかけてろ過され、湧き出たものだ。
 
周辺の藁葺屋根と富士山を背景とした田園風景を売りとした比較的新しい観光ポイントである。
しかし、何故か凄い人混みだ。

隣の大国からの観光客が多く、彼らが我が物顔に狭い道いっぱいに歩く中、私は道端をすまなそうに通させてさせてもらった。
 
湧水池はそんなに大きなものでもなく、中にはかなり澱でおりごみや落ち葉など一杯浮いておりお世維持にも美しいとは思われず、また藁葺屋根も一般の民家の中に点在しているだけでかの国の人が大挙して押しかけるほどのものと思わないのだが、口コミなのかよくわからない事が多い。
 
ここから見る富士を忍野富士と言うらしいが、今までは遠くそして標高が高いところから富士を見てきたが、ここでの富士は裾野と同じ高さで距離もかなり近づいているため、見上げるような形になりその威容な大きさに驚かされた。

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            忍野八海から見た富士山 圧倒される
 
そして最後は新東名高速からの真南から見た富士だ。
確かに宝永大噴火による噴火口により富士の形が左右対称でない、が、こちらの方が過去の火山噴火歴史を物語、より火山らしくていいと思う。
 
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新東名高速より眺めた富士

色々ところを変え富士の姿を見てきたが、一日中快晴が続き、一度も富士の姿が雲に覆われることなくその雄姿を見れたことは凄い幸運なことと思うし、遠く古代の時代から日本人の心の中に富士の姿が棲みつき、事あることに富士山の美しい姿を見ると何か心が洗われる様で、やっぱり富士山はいいなと思い知ることになる。
 
 
今回はクラブツーリズム社の「一人リッチ」でちょっとテーマを持った旅という企画に参加したが、参加者全員が一人参加で、グリーン車を利用し、バスは大型バスに総勢15名、宿泊は一人/室で食事も豪華な趣を凝らしたもので、普通の団体旅行と少し違い煩わしさが少なく快適だた。
 
 
ここ数年昔若い時に良く行った場所を再び訪ねてみることをしているが、今後も全部人任せで簡単に行けるこのような企画にのって色々なところに行ってみようと思う。