最近、日本の美術展の裏事情を解説した「美術展の不都合な真実」という本を読んで日本特異な形のビジネス化した“美術展業”を知りましたが、この詳細は後段で記載しますが、やはり、美術愛好家としては先日(9月15,16日)一泊二日の弾丸美術館巡りをしてしまった。
だが、最近のコロナ禍で美術館巡りも大変難しくなってしまった。
自由な時間には行くことは出来ず、前売の日・時間指定で、それも二週間前以降にならないと購入できないのだ。
美術館ぐらい気が向いたときに行きたいものだと思っていたのだが、「浮世絵展」が22日に終了してしまうので、やむなく、まず美術館の入場券をゲット、そしてそれに合うフライト及びホテルを確保。
コロナ禍でフライトもホテルも空きがあったが、通常状態に戻った時このシステムでは遠方からの来館者にとってかなりスケジュール的にも金額的にもかなり“重し”になるかもしれない。
だが、夕刻前に入った「浮世絵展」はいつものように混雑していたが、翌日の9時半に入った「ロンドンナショナル…展」はほぼ先頭で入ったため自分のペースでゆっくり(後半部分は少し混雑して来たが)見ることが出来、時間指定の前売りのシステムのメリットを実感できた。
では、ここから美術展の内容について触れてみる
まず、東京都美術館の「日本三大浮世絵展」
そもそも「日本三大コレクション・・・」とは、浮世絵は海外にかなりのものが流出しているが、日本国内にて大きなコレクションを所蔵している「太田記念美術館」「日本浮世絵博物館」「平木浮世絵財団」のコレクションのことで、これらの膨大な作品の中から約450点を集め、そのうち重要文化財、重要美需品は100点以上を集めて展示したのが今回の浮世絵展である。
そもそもこの「浮世絵」というのはどんなものかちょっと調べてみると、
「浮世」という言葉は「憂き世=辛い事多き世」の意味で平安時代の短歌で「うきよ」が使われていたが、その後仏教思想の融合で「憂き世」は「無常の世」というような意味に転化され、儚い状況を示す「浮」と言う漢字が使われ「浮世」と書かれるようになったという。
江戸時代に入ると「儚(はかな)い世の中ならば、いっそ思い切り浮かれて暮らそう」と享楽的な世間感が生まれ、「浮世」という言葉に“儚い世の中”という表現に”浮かれて生きよう“という意味が共存するようになったとのこと。
江戸時代に花開いた文化はこの「浮世」
“憂さ”、”儚さ“を内包した”浮かれ=清濁あわせもつ“という意味を昇華・発展させたものだという。
今回展示された浮世絵の数々を見ても美人、役者、食物、芝居・・・どの風俗、娯楽テーマの絵も衣装も華やかで豪華で遊び一杯で豊かな生活を楽しんでいる感じだ。
浮かれ、憧れの幾分非現実的な世界を描いたということもあるかもしれないが、美人画や役者絵が今のプロマイド的な感じで争って買われたということは一般庶民も文化的にも豊かな生活をしていたこと窺わせる。
浮世絵は絵画的にもその繊細さ、色彩の豊かさ、構造の奇抜さなど特出した素晴らしさがあり、江戸時代の末期に西欧の人々に目に触れ、当時の印象派などのアーティスト達に大きな影響を与え”ジャポニズム”旋風を巻き起こしている。
江戸時代の末で日本の人口は3000万人ぐらいと、そして江戸の人口は100万人強(当時のパリやロンドンは70万人程度といわれ世界最大の都市であった)の人々が自然災害などはあったものの、外部との接触もなく政治的に300年も長きに安定した生活を送り、その結果昇華させた文化の一つが世界に誇れる素晴らしい浮世絵のであろう。
今回展示された作品で私が印象に残った作品の一部を添付します。

次に国立西洋美術館「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」
約200年続く“世界屈指の美の殿堂・ロンドン・ナショナル・ギャラリー”と謳い、史上初めての大規模な展覧会が英国外、しかも日本で初公開と高らかに宣伝されているが
確かに、趣味の偏った王室母体のコレクションが主体の欧州の他の著名な美術館と違って、英国議会によって設立され、作品は市民の寄付により成立している。
所蔵点数は約2300点と少くないが、作品のどれもが高品質で、時代やジャンルは広範囲に及んでいることから「西洋絵画の教科書」と呼ばれている。
ダヴィンチ、ミケランジェロ・・・のルネッサンス期の作品から、ゴッホ、ゴーギャン、ルノワール・・・などの印象派に至るまで、美術史に名をとどろかす巨匠たちの名作が所狭しと展示されているという。
今回の美術展は「屈指の名画61点、ロンドンから日本へ」と、全作品が日本初公開でイタリア・ルネッサンスからバロックを経て、19世紀末のポスト印象派まで、ゴッホの「ひまわり」やモネの「水連の池」などのハイライトを含め、まさに「ロンドン・ナショナル・ギャラリー」の縮小版である。
ここまで、誇大とは言わないが、美辞麗句で宣伝されると、入館料もグッズも高いな、長い行列で混むのだろうと思いながら足を運んでしまう人も多い。
私もその一人で、なぜ外国の美術館に比べて、こう混むのか?、入館料も高く、グッズなど馬鹿高だと日頃思っていた。
そんな疑問に答えてくれた本があり、最近読みましたので、少し余談となりますが紹介したいと思います。
それは
「美術展の不都合な真実」 古賀 太 著 新潮新書 760円(税別)
という本で、その本の帯には
・入場前から大行列
・チケット高騰
・お土産ショップに強制入場・・・全部ワケがある
と大きく書かれ、それにつられて買ってしまったのだが・・・
この本によると
世界の美術館・博物館の入場者数について「アート・ニュースペーパー」というロンドンの発行の月刊誌の2018年のデーターで
・一日当たりの来館者のベストテン
1位はニューヨークメトロポリタン・・・1万919人
・
6位 国立新美術館(東山魁夷展)・・・6819人
9位 東京国立博物館(縄文一万年の美)…6648人
入館料無料の館を除くと、日本のものは3,4位となるという。
・一年当たりの来館者のベストテン
1位 ルーブル美術館・・・1020万人
2位 故宮博物館・・・861万人
3位 メトロポリタン美術館・・・695万人
・
日本勢はベストテン居らず
17位に国立新美術館・・・299万人 という。
一年あたりの年間入場者数で17位に入った国立新美術館は常設作品を持たず、すべて企画展などで運営しているので、日本の美術館・博物館がいかに企画展や特別展などで人を集めて常設展の入場者は少ないことがわかる。
・人の集まる企画展や特別展は
・新聞社やテレビ局などマスコミが企画して資金を出すことが多い
・企画には3年から5年もかかり不安要素も多く資金も人も必要
・マスコミが企画するのは巧みな宣伝で人を集めることが出来る
・大きな企画展では5,6億円もかかるが主催者(マスコミ)が払う
・美術館同士の美術品の貸し借りはお互い様なので通常無料
・日本の場合主催者が相手の美術館にすべてを払う
・主催者は展示開催のもぎりの係員からすべての費用を持つ
・美術館の収入は企画展のチケット代に含まれる常設展入場料
日本特有のシステムで費用がかさみ、費用回収のため美辞麗句の宣伝で人を集め、ミーハーで我慢強い私たちは行列や混雑はなんのそのと高い入館料やグッズでにおしみなく支払うという日本特有のビジネスが確立しているのだ。
(この本は色々と美術館・美術展の裏側について書いているので興味のある方は是非ご一読ください)
ビジネス化した美術展であるが、世界各国から憧れの作品が目の前にずらっと並び気の向くままにじっくり見られることはこの上もなく幸せでありがたいことだ。
さて、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展に話を戻すと、日時指定の一番早い9時半の先頭部で入ったのでガランとした室内に壁面高さ一杯に並ぶ絵画の大きさやその重量感の迫力が前日浮世展を見たせいもあるのか、強烈に感じた。
流石は西洋美術、浮世絵とは全く両極端の世界だ。
今回日本初という61点もの作品が展示されているが、私が気になった数点を紹介します。
まず入り口近くに高さ2mを超すカルロ・クリヴェッリの大作
『聖エメディウスを伴う受胎告知』1486年
お決まりの天使ガブリエルが聖霊によってキリストを身籠った事を処女マリアに伝える場面だが、町の中を設定しており、遠近法を用い建物の立体感と飾りなども克明に描いている。
受胎告知におけるお決まりのモチーフ、マリアへの聖なる光、白いハト、ユリ・・などを見つけるのも面白い。
そして、ヤコブ・ティントレット 『天の川の起源』1575年
言わずと知れたギリシャ神話のゼウスが不倫の子ヘラクレスに不滅の命を与えようと、妻ヘラが眠っている間にヘラクレスにヘラの乳を吸わせたが、あまりにも強く吸ったためヘラがヘラクレスを振り払った時乳が飛び散った。
これが天の川(Milky Way)になった。
人物を特定する神々の持ち物、鷲や孔雀が配置されている。
ヨハネス・フェルメール 『ヴァージナルの前に座る若い女性』1670-72年
フェルメールのいつもの絵では左側の窓から光さす光景であるが、この絵はどうも夜に、高価な衣服を身に着けてヴァージナルを演奏する女性の背後に「取り持ち女」という置屋を表現した絵が掛けられていることから女性の職業は?と想像たくましくなるが、絵は丁度待ち人来たれりの瞬間を見事に表現している。
フランシスコ・デ・ゴヤ 『ウェリントン公爵』1812-14年
ワーテルロった押しの戦いでイギリス軍の指揮をとりナポレオンを倒し、のちにイギリスの首相にもなった人のゴヤの肖像画。
あまり偉そうに描いてないが胸の勲章など緻密に描いている
ディエゴ・ベラスケス 『マルタとマリアの家のキリス』1618年
日常的な台所の風景で、右上にマリアとマルタ姉妹の家にキリストが訪ねて来た時の聖書で有名な場面を描いた絵がかかっている。ベラクレスが19歳の時の絵で、左側人物の衣装の襞や肌の色合いなど表現に早くも才能表している。
ピエール=オギュスト・ルノアール 『初めてのお出かけ』1876-77年
19世紀のフランスにおいて劇場へ出かけることは社会的ステーサスでお互いに誰が誰と、何を着てと舞台の始まる前や合間に探しているようなざわめきの時を描写しているのかも。しかし中央にはおめかしして生まれて初めて劇場に行く無垢な少女の
嬉しさと不安表している。
ルノワールは幼い無垢な少女を描くのが凄くうまい。
2018年国立新美術館で開催された「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」でのルノワールの作品「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」を思い出す。
クロード・モネ 『水連の池』1899年
モネがセーヌ川沿いのジヴェルニーに生活の場を移し、川の水を引き池を作り日本風の太鼓橋かけ、水連を植え、その水連の絵を描き始めた初期のもの。
フィンセント・ファン・ゴッホ 『ひまわり』1888年
ゴッホはヒマワリの絵を全部で7点描いている。南仏アルルでゴーギャンとの共同生活を歓迎するためにパリで4枚のひまわを描き、その後アルルで3枚おを描いた。
1番は個人所有で公開されてない。
2番は個人所有であったが兵庫・芦屋で空襲で焼失。
3番はミューヘン所蔵で背景はブルーグリン。この絵の構造がその後のひまわりの原点になる。
4番がロンドン所蔵で初めての黄色のバックで、サイイン入り、ゴーギャンの部屋を飾るため描いた。
5番がSONPO美術館所蔵でゴーギャンとの共同生活の中で描く。
6番がフィラデルフェア美術館所蔵でゴーギャンと仲たがいし別れた後に請われて描いた。
7番がファン・ゴッホ美術館所蔵。4番も模写でゴーギャンの手紙に鼓舞されて描いたがゴーギャンに贈られることはなかった。
最後に靖国神社 遊就館 水中写真家 戸村 裕行氏の「群青の追憶」
終戦75年 靖国神社 遊就館の企画展で「海底に眠る大東亜戦争の戦争遺産追う」
と題して、水中写真家 戸村裕行氏が大東亜戦争を起因して、現在も海底に眠る日本の船、航空機、潜水艦に実際に潜り写真に撮り続けた記録である。
撮影エリアは南太平洋、アジアと広範囲にわたっており、私も潜った事のあるフィリピン、パプアニューギニア、チューク・・・等大変懐かしく拝見させて頂いた。
海中の遺跡は年々波や腐食で崩れ、消滅していく。
氏の長年の努力で数多くの遺跡が写真に収められ後世に残すことが出来ることは大変有意義なことである。
私個人的に氏の写真を見て、はまだ行ったことのないマーシャル諸島のビキニ環礁水深50mに沈む戦艦長門の雄姿を是非見たいという気持ちをさらに強くした。
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